64話 ぶつかり合う者たち
「ククク……契約は悪魔にとっては絶対のもの……だったよなあ」
「それがどうした」
不敵に笑うアビスモに対して、アグレアスは不快感を隠さない尊大な態度で応じる。
「ルリジオ、怪我は? 呪いは大丈夫だったのか?」
「もちろん。さっきも言っただろう? 僕には女神の加護があると」
隣に立っているセパルを抱きしめたルリジオは、柔らかい微笑みを浮かべながら彼女の海原のように青い髪に指を通した。
「
タンペットが作った魔法陣の中で背中を丸めて眠っているオリヴィスを見たルリジオは、にらみ合っているアビスモとアグレアスへ目を向ける。
「僕たちはのんびりと、アビスモが仕事をする様子でも見ていようじゃないか」
ルリジオの言葉を聞いたアビスモは、フッと短く笑って肩を竦めた。
「そういうことらしい。俺たちも話を続けよう。悪魔にとって、契約書だけではなく序列ってのも重要なものなんだってな」
目の前に居るアグレアスに両手を広げて、アビスモが、演技がかったような大仰な口調で尋ねる。
「下位のものとはいえ、悪魔を従えるものがそんな認識でいるとはな。程度が低い世界であることは
不遜な態度が不服だったのか、アグレアスはスッと目を細めた。
足下を彷徨いている二体の黒い鰐は、のたのたと歩き回りながら大きな口を開いてシューと音を立てている。
まるで自分の優位を誇るかのように、四枚の黒翼を広げた彼女は胸を張る。
柔らかそうな乳房は、その動きだけで大きく揺れ、ルリジオが感心したように溜息を漏らしたが、向き合っている二人はそれを気にしていないようだ。
「
何も答えないアビスモに呆れた様に溜息を吐いた彼女は、銀色の髪をかきあげながら、顎を少し上げた。
魔法を放つために魔力を溜めているのか、彼女の眉上に生えている紅い角が微かに光を帯びる。
アグレアスを挟むように寄り添った鰐たちが、虹彩を縦に裂いたような細長い瞳孔をアビスモへ向けた。
「不勉強さを悔いるのは、お前の方だ」
やれやれ……とでもいいたげに肩を竦めたアビスモは、ベルトにぶら下げていた
「アビスモ! この滑らかで美しい漆黒の谷間を持つ悪魔を殺さないでくれよ! ……せめて、胸部だけは残して置いてくれないか?」
「バカ! あの月夜の悪魔は父上よりも序列が高くて偉大な悪魔なのだぞ! 確かにアビスモは、我の父上や母上より強いが……」
ルリジオの言葉を聞いたアグレアスは、怒りに満ちたような鋭い視線を彼へ向けた。
それに慌てたのはセパルだけだった。先ほどまでは怒りで我を忘れていたのか、果敢に格上の悪魔へ立ち向かっていた様子が嘘のようだとアビスモは思いながら、
「殺さなければいいんだろう? 任せておけ」
「
牙をむいたアグレアスが、地面を蹴る。瞬きをするまもなく、一瞬でアビスモの目の前に現れた彼女は、手刀で彼の心臓を貫こうと長い爪の生えた腕を伸ばす。
少し遅れて、鰐たちがめいいっぱい口を開きながら、アグレアスに続いて彼へ飛びかかった。
小さな悲鳴をあげて、セパルはアビスモから顔を逸らす。
「我が
野太い声に驚いたセパルが、背けた視線を再びアビスモへ戻すと、そこには見上げるほど大きな悪魔が立っていた。筋骨隆々という言葉の似合う大柄な悪魔は、腹あたりにアグレアスの鋭い爪による一撃が食い込んでいる。そんなことには気付いていないかのように平然としている悪魔は、アビスモに背を向けたまま豪快に笑う。
「最近は菓子を作ってもらうばかりだったからな。たまには、力仕事もしたいだろうと思ったのさ」
「ふははは! 序列二位の悪魔相手に軽いことを言ってくださる」
悪魔の首から上には、三つの頭が生えている。
右側には茶色の蟇蛙がジトッとした目で腹へ視線を向けているし、左型に付いている黒猫の顔は牙を剥いてアグレアスに威嚇音を放っている。
真ん中に生えている顎髭を蓄えた壮年の男性は、豪快に笑いながらアビスモの言葉に応えると目を細めて、自らの前にいる悪魔を見下ろした。
「殺すなよ。ルリジオの頼みだ」
「義理の息子からの頼みならば、仕方が無い」
腕を掴もうとした大柄な三つ頭の悪魔から逃れるように、後ろへ退いたアグレアスは、魔法で作り出した黒い鰐を自分の傍らへ呼び戻した。
「ど、どういうことだ」
姿勢を整えて、槍を構えたアグレアスが、アビスモと目の前に現れた三つ頭の悪魔を見比べる。
「魔力をからっぽにされたお前が、俺と再契約をしたら教えてやるよ」
アビスモはそういうと、マントを片手で後ろへ払って靡かせる。
不敵に笑うアビスモに飛びかかった一匹の黒い鰐を、手に持っている人間の背丈ほどもある大剣で真っ二つに切った三つ頭の悪魔は楽しそうに笑う。
「さあさあさあ! 手合わせ致すとしよう。
三つ頭の悪魔――バエル将軍は、剣を掲げたままアグレアスに斬りかかった。
「クソ……
鈍い金属音と、黒い火花を散らせながらバエル将軍の剣を受け止めたアグレアスは、苦々しい顔を浮かべて吐き捨てるように言った。
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