63話 成長の光

「悪魔にとって契約は大切なのだ! 騙し討ちも、卑怯な真似も悪魔にとっては普通のことなのだ! だが……我は……」


 倒れたルリジオに覆い被さるようにしているセパルは、キッと自分を見下ろしているアグレアスを睨み付ける。


「我は許さないぞ! こいつはちょっと頭はおかしいし、乳房が小さい相手への扱いも酷いし、大きな乳房を見ればすぐに求婚をする狂人なのだ! でも、でも……」


 セパルの額から生えた黒い角が勢いよく長く伸びていく。

 まるで植物の成長を早回しするかのような様子に、アグレアスは目を見開いて先ほどまで見下していた格下の悪魔に対して警戒の姿勢を取る。 


「他人の力に頼って偉そうにしている、そこの腰抜け勇者よりはよっぽどマシな奴なのだ!」


 そう叫んで立ちあがったセパルの体を、緑色の光が包み込んだ。

 緑色の閃光から目を逸らしたアグレアスは、素早く後ろに飛んでセパルと距離を取り、背中の翼を広げて顔を隠す。


「ど、どういうことだよアグレアスぅ……」


 オリヴィスはアグレアスの腰に両手を絡めてすがりつくと、今にも泣き出しそうな表情で彼女を見上げる。


契約者マイロード、しばしお待ちを」


 緑色の光が徐々に弱くなり、セパルの姿が露わになるのをアグレアスは見つめている。

 セパルに青い髪に絡んでいた緑色の海藻が、金色の目を光らせる蛇に変化した。蛇たちは、鎌首をもたげてシューシューと威嚇音を発している。

 緑色の光が彼女の頭から足下へ収束していくのと共に、セパルの二本の細い足は、青い鱗に覆われた魚の尾びれへと戻った。

 彼女の履いていた靴が、ぱたりと地面の上に転がる。


 どことなくあどけない少女の面影を残していた手足はスラリと伸び、体つきもそれに合わせて大人の女性そのものに変わっている。

 大きくも小さくもなかったセパルの乳房は、アグレアスと同じくらい大きくなった。急激な大きさの変化に耐えられなかった服の胸元の布地は僅かに破れている。


「おお……巨大樹ジャックズツリーの滴……やはり悪魔に直接飲ませると成長を促進させるのか」


 アビスモは倒れているルリジオを心配する様子がない。変化をしたセパルの姿を見て嬉しそうに手を叩いた彼をアグレアスは一瞥して、再びセパルへ目を向けた。


「そこの男だけは、我の手で八つ裂きにするのだ」


 怒りに満ちたセパルの声色と共に、チャポン……と水音が響く。

 土しかないはずの地面が、まるで水面のように大きな波紋を描いているが、そこにセパルの姿は無い。

 アグレアスが四枚の黒翼を広げ、地面を蹴る。飛び上がると同時に後ろ肢で、オリヴィスの肩を掴んで、翼をはばたかせる。オリヴィスの足が、あっと言う間に人間三人分ほど浮き上がった。


「アグレアス、このまま退却だ!」


 うわずった声でアグレアスに指示を出すオリヴィスの言葉をかき消すように、大きな水音が響く。

 そして、地面から出てきた影が、空に踊る。

 セパルの青い尾びれが、月の光を受けてきらきらと光った。

 グルリと曲芸をするように空中で体を捻ったセパルの尾びれが、アグレアスの脚を強く殴打する。


「ひぃ……」


 か細い悲鳴と共に、アグレアスの脚から落ちたオリヴィスが腕を伸ばした。

 落ちていくオリヴィスの腕を掴もうと、アグレアスも手を伸ばすが届かない。

 紫がかった白い腕が、彼の背から胸元に伸びる。セパルによって羽交い締めにされているオリヴィスは、情けない表情を浮かべながら地面へ落ちていく。


「ルリジオの仇……なのだ!」


 器用に尾びれを巻き付けて、セパルは体勢を変えた。オリヴィスを地面側にしたまま、憎しみをぶつけるように彼女は叫ぶ。

 慌てて飛んできたアグレアスの脚がセパルの肩へ伸びるが、彼女の青い髪に絡みついている蛇たちが噛みつこうとして、それを阻止する。


「こいつらは噛んだ相手を石みたいに硬直させるのだ! 我を止めるのは諦めて悪魔界へ帰るといいのだ」


「小娘が……」


 舌打ちをしたアグレアスが焦った表情を浮かべて、悪態を吐く。

 セパルとオリヴィスは地面へどんどん近付いてくる。打つ手がないのか、アグレアスは二人から距離を取ったままだ。

 いよいよ地面にオリヴィスが激突する。その寸前にふわりとした風が、自分を包み込んだことにセパルは気が付いた。


捻れ角の君セパル、あとは僕に任せてくれ」


 地面から僅かに浮いた状態で、横から聞き慣れた声がした。自分が羽交い締めにしていたはずの、赤い鎧を着た男もいつのまにか居なくなっている。


「……見込み通りの成長だ。君の母上や他の悪魔を見て思っていたんだ。君も成長すれば至高の宝大きなおっぱいを持つ者になるんじゃないかってね」


 顔をあげたセパルは、声のした方を見る。

 

「ルリジオ?」


 先ほど、確かに鎧ごと体を貫かれたはずのルリジオが、柔らかい微笑みを浮かべて立っていた。

 オリヴィスは、少し離れた場所にいるアビスモの足下で背を丸めて蹲っている。


「体内に魔力の素になるものが蓄積された状態で、強い感情を発露する……悪魔の成長の理屈は知っていたが……こうもうまくいくとはな」


 ワンドの先端を、転がっているオリヴィスの首元に突きつけながら、アビスモはセパルを見てうれしそうな声を上げる。


「……血を寄越しなさい、オリヴィス」


「お、オレ様を呼び捨てにするな!」


 アビスモとルリジオの間に、冷たい目をしたアグレアスが羽音を響かせて着地をした。

 声をうわずらせながら、アグレアスに文句を言ったオリヴィスは、アビスモに頭を殴られて意識を失った。

 すかさず、タンペットが呪文を唱えると、緑色の魔法陣がオリヴィスの周りにふわりと浮かび上がる。


「さあ、契約の更新と行こうじゃないか……尊厳と気品を憎む悪魔アグレアス」


 両手を広げたアビスモは、唇の片方をつり上げてニヤリと笑う。

 黒い四枚の翼を広げたアグレアスの足下には、黒い炎がにじみ出し、みるみるうちにそれは黒くて大きな二頭の鰐へと変わっていく。


わたしと、この血筋だけは良い男の契約を更新するだと? 面白い」


 紫水晶アメシストのような瞳をギラつかせて、アグレアスはアビスモを睨み付けた。

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