43話 清浄の歌声
神殿の中は、ルリジオたちが思っているよりも広かった。
中は吹き抜けになっており、天井には真っ青に煌めく石が塗られている。壁や天井には綺麗な光沢を放つ貝が埋め込まれており、淡い光を放っている。
少しだけ漂う魚のような生臭さに、ルリジオたちは眉を顰めた。しかし、建物の内部に魔物や悪魔がいる気配はない。
僧侶に案内されるがまま歩いて行くと、磨かれた白い珊瑚を彫って出来た女神の像が見えた。下半身が魚、上半身が人間、髪が蛇の女神像の前には、蒼くて薄い袈裟を身に付けた女性がひれ伏している。
「聖女様、聖なる加護を求める迷い子をご案内しました」
僧侶は、ひれ伏している聖女の背中にそう告げると背中を向けて入り口の方へ戻っていった。
どう声をかけていいか戸惑っていると、聖女がゆっくりと立ち上がり、三人の方へ振り向いた。
「田舎くさい格好してるわね」
タンペットは、思わず自分の耳を疑った。笑顔を崩さないようにしながら、そう言い放った聖女の顔を見る。
海の底のように暗い色をした髪は肩の辺りまで伸ばしっぱなしにされている。
丘のように盛り上がった両方の頬骨。そして顔の側面に近い位置にあるように見えるほど離れた小さな目、分厚いけれど艶のない大きな唇。
以前、研究で見たことのある深海に住むという魚に、このような見た目のものがいたな……と彼女は思い出す。
「はぁ……。さっきの
ジトリとした不快感を露わにした視線がタンペットの両隣に居る男性二人に向けられた。
アビスモは、目の前の聖女が自分を見るとわかると帽子を脱ぎ、目を細めて唇の両端を持ち上げる。
「……美の女神」
一瞬だけアビスモに釘付けになった聖女の顔が引きつる。
突然手を握られたことに驚いて、それを振り払った手がルリジオの被っていた帽子に当たった。
「なに……を……」
帽子から飛び出したのは、絹のような光沢を放つ美しい髪。大きなツバのお陰で影になっていた顔が、吹き抜けから降り注ぐ光に照らされて露わになる。
空をそのまま写し取ったような色をした大きな瞳、伏し目がちになれば頬に影を落とすほどの長い睫毛。
薔薇色の唇からは、再び柔らかで優しい声が紡がれる。
「美の女神。貴女に会うために僕は生まれてきました」
嫌悪感に満ちた聖女の表情が一瞬にして、驚きで塗り替えられていく様子をアビスモとタンペットは確認した。
跪いて頭を垂れるルリジオを見て、目を丸くしていた彼女は、アビスモとタンペットの視線を感じて慌てて表情を取り繕う。
「ま、まあ、悪くないわね。でも、レディに勝手に触れるのは無礼よ」
「あまりにも
胸元に手を当て、敬意を示すお辞儀をするルリジオのことを、聖女はじっと見つめている。
「お兄さま!聖女様が迷惑しているわ!今日のところはそのくらいで……」
まくし立てているルリジオが、プロポーズを始めないうちにタンペットがルリジオの口を押さえて黙らせる。
「そうだぞ兄さん。明日も祈りを捧げに来たいと言うのに、いきなり彼女を独占しようとするのは良くない。俺だって聖女様と言葉を交わしたいというのに」
ルリジオに手を差し伸べて、微笑むアビスモがチラリと聖女へ視線を送る。
自分と目が合って慌てて顔を背けた彼女を確認して、アビスモは犬歯をチラリと見せて微笑みを崩さないまま腰を曲げてお辞儀をした。
「騒がしい家族ですみません。聖女様、どうか我らにも祈りを捧げてくれないでしょうか?」
小さな目をパチパチと瞬きさせている聖女へ、扉の前に立っている僧侶が咳払いをする。
背筋をしゃんと伸ばした聖女は、たくましい二の腕に落ちた羽衣を肩に掛け直すとにやけた顔を引き締めた。
眉間に皺を寄せ、分厚い唇の口角を下げた彼女が、青みがかった黒髪を肩の後ろへ払う。
「では、今から聖女の祈りを捧げます。目を閉じ、彼女の歌へ耳を傾けるように」
三人は言われるがまま目を閉じた。
すると、潮の香りが混じった煙と共に、美しい歌声が部屋中に響き渡る。
「そこの信心深い兄弟に免じて、そこのダッサイ女もついでに来て良いわよ」
「はい?」
聖女の言葉に、タンペットは思わず目を開けて首を傾げた。
「明日も祈りの歌を聴きに来るのでしょう?ほとんどの女は
額に浮かんでいる汗を、白い布で拭いながら聖女はタンペットを睨みながらそう言った。
タンペットは張り付けたような笑みを浮かべたまま頭を下げる。
「あ、ああ。聖女様の御慈悲に感謝致します」
部屋の中央へ戻り、小さな貝を磨き始めた聖女を見ている三人は、僧侶に促されて部屋の外へと出ていく。
タンペットが僧侶に金貨を数枚手渡すと、ぶっきらぼうだった彼は急にニコニコと笑みを浮かべて「明日も是非、神殿へおいでください」と猫なで声を出す。
頭を下げて自分たちを見送っていた僧侶が、次に待っていた来訪者たちを案内するのを視界の隅で見た三人は、素知らぬ顔をして宿の方へと足を運んだ。
「いやあ、すごかったね。満ちた月が二つついているようだったよ。歩く度にまるでさざ波に揺れるかの如く動く大きな双子の満月。柔らかさの中にも筋肉の張りが確かにあると感じられる綺麗な円形の乳房、そして僅かにただよう潮の香り、聖女というだけあって彼女のから漂う清涼な魔力の気配が実にいい。キチンと見ていたかい?加護の歌を歌っているときに、彼女が大きく息を吸うだろう?するとあの大きな双子の満月が膨らみ、上に動き、息を吐くと沈んでいく。まるで夜の始まりと終わりを見ているようだった。少し気になったのはあの邪魔な悪魔たちの気配が彼女の身体に纏わり付いているところだね。僅かに漂う魚の腐ったような香り……アレが実に邪魔だった。今夜タンペットを囮にしてあいつらを処理できるのなら些末なことだけれど」
「しかし、見た目もかなり独特だが性格に難があるのではないか。妾を
席に着くなり、聖女のことを褒めだしたルリジオに、タンペットは口を挟む。
「気が強くていいじゃないか」
にこやかにそう言ってのけたルリジオに、アビスモとタンペットは頭を抱えながら、店主に飲み物を三人分注文した。
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