42話 港街の聖女

「……というわけだ。詳しい話はタンペットが話すだろうが」


 馬車の中で、大きく欠伸をするルリジオを見て、アビスモは眉間に皺を寄せる。

 この世界を守っている聖なる場所がいくつかある。おそらく、その幾つかになんらかの細工がされていると教えたのだが、ルリジオは興味がないようだった。


「聖女と呼ばれる存在が居るのは知ってるよな?」


「まぁ、よく王都の催しで来賓として来たりするからね」


「タンペットは、その聖女が代替わりしたことが原因では?と考えている」


 窓の外へ目を向けているルリジオが興味を持たないであろうということはアビスモにもわかってた。

 巨乳が絡まない仕事の話になると、本当にやる気がなくなる男だというのは短く無い付き合いでアビスモも十分承知していた。

 大あくびをしたルリジオが、小さな溜息を薔薇色の唇から漏らすのを見計らってアビスモはイヤイヤながらタンペットから聞いていた言葉を口にする。


「その新しい聖女は、とてつもなくらしい」


「早くそれを言ってくれよ」


 青空をそのまま抜き出したような美しい瞳に一気に光が宿る。ここまで現金なものなのかと半ば呆れたアビスモは、聖女がいる都について話を伝えた。


「王都から早馬で東へ五日。かつて魔王城があった場所とは最も離れた場所にある港街が、問題の場所だ」


「今から向かうんだっけ?ああ、しまったな。指輪でも首飾りでも持ってくればよかった。港街になにか工芸品でも売っているといいんだけど」


 急にルリジオはそわそわとしはじめた。さっきまでの変わりようにアビスモは思わず苦笑を浮かべると、影のような形をした御者へ何か指示を出す。

 嘶きをあげた馬たちが空を先ほどよりも早く駆けはじめる。


「この馬なら、早馬の二倍は早い。とりあえず、悪魔について調べてからプロポーズを考えるんだな」


「ああ、聖女が困っているのなら今すぐに問題を片付けなければならないからね。全力で取り組むとも」


 アビスモは、やる気を取り戻したルリジオから目を逸らして外へ目を向けた。

 聖女に問題があるとタンペットは言っていた。それは、聖女が聖女らしくないからだ……と。

 歯切れの悪い彼女の言葉に、アビスモは嫌な予感を覚えながら溜息を吐く。

 巨乳と聞けばルリジオはやる気になるだろうが……聖女らしくない聖女だなんて嫌な予感しかしない。

 

「新しい聖女をルリジオに娶らせて、新しい聖女でも立候補させるつもりか」


 そう軽口を叩いたときのことをアビスモは思い出して、頭を左右に振る。目を逸らしたタンペットが、港街で取れる珍しい魚の話をし始めたことがずっと引っかかっていた。

 なにをしでかすつもりかわからないが、ろくな事にならないだろうと言うことだけは確定している。


 腕を組んで壁によりかかったアビスモは、揺れる馬車の中で微睡みに身を任せた。


※※※


「思ったより早く着いたようね」


 身体を思い切り伸ばしているルリジオと、長い時間座っていたせいで痛む腰をさすりながら馬車を降りてきたアビスモにタンペットが声をかける。

 いつもの深緑色の長外套ローブではなく、旅装束とでも形容した方がしっくりとくる軽装に身を包んでいた。

 いつもはそのまま流している長い銀髪も、今日は低い位置でひとつにまとめられている。


「やあ、話は聞いたよ。巨乳聖女に会いに行こう」


「そういうと思っていたわ」


 タンペットは、ルリジオとアビスモにツバの広い帽子を被せると、腰に手を当ててあるところを指差した。

 それは、馬車の中からでも見えていた高い石碑だった。

 海の色に似た石碑の前には円形の広場が設けてあり、広場の隅に小さな神殿が建てられている。


「あの神殿で聖女は祈りを捧げているの」


 神殿は小さな塔のような造りをしている。一番高い位置に飾られている水滴を模した青い宝玉から細い光が伸びており、石碑の頂点へと続いている。

 青い光の帯を見て、ルリジオが眉を顰めた。


「……淀んでいる」


「流石のお前でも気が付いたか」


 アビスモが感心した素振りを見せると、ルリジオは腕を組んで「ううむ」と小さく唸る。

「聖女の心が清らかではないと、聖なる守りが得られない……そう聞いたことはあるけれど」


「そう。原因は、アレよ」


 タンペットは後れ毛をかき上げて辺りをぐるりと見回し、小さな声で呟いた。

 タンペットがそっと顎で示した先には神殿の前に並ぶ都の人々がいる。


「……信仰が集まっていないというわけではなさそうだけど」


「はあ。お前ならそう言うと思ったよ」


 アビスモは溜息を吐きながら、首を傾げたルリジオの肩にもたれかかった。

 わざと参列客から目を逸らしながら、アビスモは薄い唇の片方を上げてにやりと笑う。


「見た目がやたらいい男が数人いるだろう?あいつらは夢魔インキュバスだ」


「……見た目が、いい?」


 首を傾げたルリジオに、アビスモとタンペットは苦笑して顔を見合わせた。

 巨乳にしか興味の無い彼に、有象無象の男の顔を見分けろというのが無理難題だというのは二人には薄らとわかっていた。


「あいつらにあやしまれないように、顔を隠してちょうだい。とりあえず神殿に行って聖女の様子を見ましょう」


 参列の最後尾に並んだルリジオたちへ、チラチラと夢魔インキュバスらしき男達が視線を送る。

 比較的整った顔立ちと、ほどよく筋肉が付いた身体の彼らは、淫魔サキュバスたちと同じように赤茶けた髪をしていた。


「いやでもあの醜女ブスを口説くのは一人でいいわけじゃん?」

「俺だって美人から生気を吸いてえよ」

「抜け駆けすんなよ。お堅い醜女ブスを陥落させればセパル様が褒美をくれるって言ってたろ?」


 タンペットとアビスモは素知らぬ顔をしながら、夢魔インキュバスたちがヒソヒソと話している内容に聞き耳を立てている。

 どうやら、夢魔インキュバスたちは、タンペットを狙おうとしているようだった。アビスモだけは一瞬眉を顰めたが、すぐになんでもないような表情をして彼女の腰に手を回した。


「なあ、姉さん、参拝が終わったら魚でも食べようか?今夜はここに宿を取るんだろう?」


 わざとらしくそう言ったアビスモにタンペットはニコニコしながら頷く。

 二人が姉弟ではないということは明らかだが、この世界に来たばかりの夢魔インキュバスたちにはそのような知識は無い。

 

醜女ブスに愛想を振りまいたら、夜はあの女で楽しもうぜ」


 そのようなことを小声で囁きながら、夢魔インキュバスたちは神殿の中へ入っていった。

 ルリジオは、彼らの背中を見送りながら扉の前で首を傾げる。


「黙っていたのだけれど、これは君を囮にすると言うことでいいのかい?」


「まあね。余計なことを言わないでくれて助かったわ」


 タンペットはそういうと、手に持っていた扇を開いたままルリジオに手渡した。


「あいつらが出てきて離れるまでは、これで顔を隠してちょうだい」


 言われるがまま、ルリジオは扇を広げて顔を覆うようにした。更に少しだけ顔をうつむける。

 夢魔インキュバスは程度の低い悪魔なので心配はいらないが、聖女に出会うまでもめごとは起こしたくないというタンペットの作戦だった。

 扉が開いて、神殿の中から夢魔インキュバスたちが僧侶に連れられて外へ出てくる。

 彼らが、タンペットへチラチラと視線を送っていることに気が付かないようにしながら、三人は僧侶に案内されるがまま神殿へと足を踏み入れた。

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