39話 色欲の悪魔と淫魔たち

淫魔サキュバスか……。獲物好みに身体を変化させ、相手の魔力や生気を吸い取る悪魔。俺好みではないので契約を結ばなかったが……群れとなると少々面倒だな」


 空に浮かんだ魔法陣からは、甲高い笑い声をあげながら十数人の淫魔サキュバスたちが舞い降りてきた。

 彼女たちは、蝙蝠に似た赤紫色の羽根が生えているところ以外は人間と変わらない見た目をしている。

 赤みがかったお揃いの髪色をした彼女たちは、羽根を折りたたんで素早く下降してくると、神殿の表門に集まっていた村人たちへ向かっていく。

 どうやら食事を始めようとしているらしい。


「村に入ってから、アソオスから持たされた宝石が熱いと思っていたけど、そういうことか」


 タンペットを長椅子の上に寝かせて、飛来してきた淫魔サキュバスたちを見たルリジオは、胸元からぶら下げた宝石を握りしめた。

 彼は、アソオスから言われていたことを思い出し、宝石を口元へ近付ける。


「……こっちへ来るんだ」


 ルリジオの薔薇色の唇が小さく動く。

 その小さな呟きで、淫魔サキュバスたちはまるで、見えない糸で引っ張られるようにルリジオの前へ集まってきた。

 いきなり集められた淫魔サキュバスの様子にリリトは驚いて目を丸くしていたが、アビスモも同じように目を見開いてルリジオを見る。

 

「止まれ」


 溜息を吐きながら、ルリジオは再びそう告げた。

 おろおろと辺りを見回して戸惑っていた淫魔サキュバスたちは、その言葉を聞くと、まるで石像のように固まってしまう。


「悪魔の宝石……あんなもの持っていたとは」


 小さく声を漏らしたアビスモは、ルリジオの胸に輝いている暁の空を閉じ込めたような宝石を見て、納得したような表情を浮かべた。

 ふっと溜息をついた彼は、ワンドを腰のベルトに引っかけて腕組みをする。


 |暁色の髪をした悪魔、彼女アソオスの力が宿っている宝石を持っているなら、下位の悪魔がルリジオに勝てるはずは無い。

 もう自分の役割はないだろうと確信した彼は、すっかり観戦気分になると、寝ているタンペットの横に腰を下ろした。


少女のような胸の小さなおっぱいの悪魔程度ならアビスモに任せても、村の被害は少ないと思っていたのだけど」


 腕組みをしながらアビスモを一瞥して溜息を吐いたルリジオは、愕然としているリリトを見て、目を細める。

 その眼光の鋭さに、先ほどまで得意げに胸を張っていたリリトは肩を竦ませた。


「故郷を荒らす害獣の処理は、僕がするとしよう」


 手にしていた剣を下向きに構え直したルリジオは、そのまま前へ進み出る。

 一歩、また一歩と近付くと、固まって動かない淫魔サキュバスたちが悲鳴をあげながらうめき始めた。

 揺れる南瓜のように丸い巨乳に惹かれたルリジオは、咄嗟に淫魔サキュバスたちの胸元へ目を向ける。


「ルリジオ気をつけろ!そいつらは近付いた獲物の理想の姿に身体を変え……」


 アビスモが、遠くからルリジオに声をかけた。

 きっとルリジオは淫魔サキュバスたちを生け捕りにすると言い出すだろうと考えて、頭痛がしそうになった彼は思わず額に手を当てる。


 アビスモの予想したとおり、淫魔サキュバスたちは、頭を振りながら次々に四つん這いになっていく。そして、ルリジオの左右にいる淫魔サキュバス二人がまず姿を変えた。


「ひっ」


 悲鳴をあげたのは、リリトだけではなかった。

 アビスモも予想すらしていなかった光景に表情を引きつらせる。


 淫魔サキュバスたちの姿は、胸部からヘソ辺りまでの姿に変わり、長い手足や頭が消え去っていた。

 大きな胸部を上向きにした不格好な蛙の化け物のような見た目になった淫魔サキュバスたちは、飾り程度に生えた小さな手足をもぞもぞさせて蠢いている。


 姿の変わった淫魔サキュバスたちを見て、ルリジオは少しだけ表情を和らげて、腰を屈めた。


「……これは」


「……シテ……コロ……シテ……」


 アビスモは、異形の化け物に成り果てた淫魔サキュバスたちをよく見るために目を凝らした。元々首が生えているような部位には小さな鼻と口が残されているのが見える。

 変わり果てて乳房の化け物となった淫魔サキュバスの一体を、前足の付け根に手を差し込んでルリジオは抱き上げた。彼は、まるで仔猫を愛でるような優しい視線をその悍ましい化け物に向けている。


「ああ、この姿なら生け捕りにして愛玩動物ペットくらいに出来そうかな」


 その場にへたり込んだリリトのルリジオを見る目は、恐怖に満ちていた。

 彼女は、さっきまでの元気が嘘のように情けなく後退りをして逃げようとする。恐怖でうまく動けないリリトに気が付いたルリジオは、目を細めて冷たい視線を彼女へ向けて、変わり果てた姿の淫魔サキュバスを地面へ下ろした。

 乳房の化け物になった淫魔サキュバスたちは、のろのろと動きながらルリジオから離れようと蠢いている。


「ええ……こわ……」


 思わず本音を漏らしたアビスモの様子など気にしていない様子で、ルリジオは怯えた様子のリリトに詰め寄った。

 涙ぐんで、まともに言葉も発することも出来ないリリトを見て、アビスモは既に哀れみに近い感情を抱いている。


「せめて、色欲の悪魔リリトの胸が大きければよかったのにな」


 日光の光を受けて白銀に輝く剣をルリジオがスッと高く上げる。リリトは命乞いの言葉すら出ないのか、小さく「ひぃ」と呻いて僅かに後ろに身を捩った。

 遠い目をしたアビスモは、今から首を切断されるであろう悪魔の行く末を見守りながら「彼女が安らかに死ねますように……」と心の中で思った。

 彼は、ルリジオに切り伏せられ、四肢を切断されて自宅に飾られているかつての部下を思い出していた。


「待ってくれ!」


 ルリジオが剣を振り下ろそうとしたその時、よく通る大きな声が響き渡った。

 実の兄の声に、さすがのルリジオも驚いた表情を浮かべて、振り下ろした剣を止める。

 白銀の剣は、リリトの青みがかった真っ白な肌に届く寸前で止められた。

 玉のような汗を額いっぱいに浮かべて緊張した面持ちでいたリリトは、思わず小さな安堵の溜息を漏らす。


「リリトは殺さないでやってくれ……頼む」


「兄さん?」


 さっきまで地面に蹲っていたクラウスが、よろよろとしながらルリジオに近寄る。

 操られているのか?とアビスモは警戒しながら、いざというときの為に腰のワンドに手を添えた。


「なあ、リリト確認したいことがある」


 真剣な面持ちでリリトに向かい合うクラウスの足は、僅かに震えている。

 魅了チャームで操られているわけではないと判断したルリジオとアビスモは、真剣な表情のクラウスを見つめた。

 自分の言葉に小さく頷くリリトを見て、クラウスも決意を固めたように頷き返す。


「灰色がかった金色の髪……あの姿に戻ることは出来ないのか?」


「は?」


「いや、今の目の醒めるような鮮やかな青い髪ももちろん素晴らしいと思っている。俺はこの村のことしか知らないが、きっとどんな湖よりも海ってでっかい水たまりよりもあんたの髪の青は美しいんだと言うことはわかってるんだよ。でもな、俺と出会ったときのあの煌めきすぎない髪……まるで薄雲の向こうから照っているお日様みたいな控えめな金色の髪が頭から離れないんだ。色だけでここまでおまえに拘っているわけじゃない。その硬すぎず、フワッとしすぎない。なのに綺麗にくるくるとカールをしているその美しい巻き髪が綺麗で、俺は一目惚れしたんだ。大きすぎたり、二本の髪束で螺旋を作るようにして髪を飾る娘がいるがそうじゃない。朝起きて、隣に曇り空に見える太陽の光みたいな色をした髪が、くるくると綺麗に輪を作ってふんわりと鎖骨デコルテの近くに揺れている。それを見るだけでどんな仕事もがんばれる気力が沸いてくるんだよ。あんたは運命の人だ。髪色が真っ青になったことに一度は絶望して情けない姿を見せちまったが、考えていたんだ。髪色も確かに大切だ。でも、それよりもあんたの綺麗な巻き髪が大切なんだってな」


「……は」


 アビスモとリリトが同時に同じ言葉を呟いた。

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