35話 赤土色の女

「う、美しい……女神様ってやつか?」


 兵士たちのうち数人がルリジオの背中を押しのけて前に進み出る。


「……アレをよく見てみたまえ。血なまぐさい臓物をぶら下げているし、胸の大きさは少女のそれだ。僕にとっての美とは程遠い」


 ふん……とルリジオにしては珍しく口を荒げ、彼は彼女の胸元を指差した。控えめではあるがやや膨らんでいる乳房が長く垂れた髪に隠されている。

 赤土色の肌をした女が、人間ではないことは明らかだった。彼女が美しい人の形をしているのは腰までで、その下はブヨブヨとした下半身を蠢かせている。それは蛇と言うよりもヒルかミミズのように見える。


「……僕は四ツ山の君へ捧げる花束を取りに帰りたいんだ。さっさと退いてくれないか?お前は血生臭くてせっかくのあの子が怯えてしまう」


「妾を侮辱するというのか?牛頭の化け物から守ってやろうと出てきたというのに……」


 ルリジオの言葉を聞くなり、女の形をした部分が両手で顔を覆い眉を八の字にしてみせた。

 その悲しげな声を聞いた兵士たちは、一人を残してルリジオの背後から飛び出してくると彼女の前に並ぶ。


「ルリジオとやら!王様からのお墨付きだと思って好き勝手させていたがもう許せねえ!せっかくの女神さんからの助けをなんだと思っていやがる」


 兵士たちの中でもとりわけルリジオをバカにしていた兵士は一歩進み出た。そして、ルリジオの瑠璃色をした外套の首元を掴んで引き寄せる。


「いやあ、だってそれ――」


 呆れたように口を開いたルリジオの言葉が言い終わらないうちに異音が耳に入った。

 ヒキガエルを踏み潰した時の鳴き声みたいな音と、なにか硬いものを砕くような音。

 ルリジオの後ろにいた兵士は顔を真っ青にして酸素不足の魚のように口をパクパクさせている。


「ああ、予想通りだ。自分の目で確かめてみるといい」


 彼の後ろにいる兵士が自分の後ろを指さしている。それと同じ方向を、ルリジオの細くて綺麗な指も指していた。

 恐る恐る振り向いた兵士は、ルリジオの襟元から手を離してから唖然とした。


「え」


 さっきまで自分の背後にいたはずの同僚たちが見当たらない。キョロキョロと周りを見渡した兵士は、自分を見下ろしている赤土色の肌をした女を見上げる。

 女は相変わらず麗しい顔をして微笑んでいるが、腰から下の肉塊がうごめいているのが見える。

 血なまぐさい…と感じて口元を押さえると、女の腰から下……太ったミミズのようなうごめく肉塊部分が上下に開き、ずらりと尖った牙が並んでいるのを見せた。

 開かれた口からは、飲み込みそこねたのであろういくつかのちぎれた手足と、兵士と付き合いが長い同僚の一人の頭がごろりと転がり落ちる。


 さっきまで強気でルリジオを糾弾していた兵士は情けない悲鳴をあげながら、その場にへたり込んだ。


「コイツは女神には変わりないけれど……ご覧の通り好物は人間の肉だ。部隊の全滅は免れたから僕がや君たちを殺したわけではないと証明しやすくていいね」


「は?」


 へたり込んでいた兵士は襟元を持たれてあっという間に後方へ放り投げられた。

 細腕のルリジオからは思いも寄らない怪力を目の当たりにした兵士が呆けている間に化け物はルリジオを頭の先から丸呑みできそうなほど大きな口を開いた。


「先ほどから好き勝手言いおって!とっとと喰ってやる」


 化け物は粘着性の高そうな唾液を撒き散らして、口をあけたまま体を這わせて近寄ってくる。


「ほら、やはり魔法で記録を残しているとはいえ、証人がいた方が便利だ。僕が君たちを皆殺しないとも限らない」


「そ、そんなことを言ってる場合じゃ……」


 化け物に背を向けたまま暢気に会話をしているルリジオに、二人の兵士は泣きそうな声をあげた。

 もう彼の目と鼻の先に化け物が近寄ってきている。

 ルリジオが死ねば自分たちも死んでしまうに違うない。ダメだ…と諦めた兵士たちは乙女のようにお互いに抱き合って目を閉じる。


 次の瞬間聞こえたのは、絹を割いたような女の悲鳴だった。

 慌てて兵士たちが目を開ける。

 ルリジオの剣で一刀両断にされた化け物の体が左右に分かれて地面にどしゃっと音を立てて倒れた。


「……一応、討伐の証に首を持っていたほうがいいかな」


 倒れた化け物の体の上を、ずんずんと無遠慮に歩いて左右に分かれた化け物の首を刎ねた。

 彼が、化け物の髪の毛を掴んで持ち上げてみせながら首を傾げるのを兵士たちは抱き合ったまま見つめることしか出来ない。

 

「うーん。ちょっと邪魔だなぁ……切り方を考えるべきだった」


 ルリジオが髪の毛を持っているせいで、赤土色をした肌の美女の顔面の右半分と左半分が、子供が遊ぶ木の実をぶつけ合う玩具アメリカンクラッカーのようにぶつかって揺れる。

 兵士たちは思わず嘔吐をしてその場に這いつくばった。

 魔物が復活しないようにと、特別なまじないを施した袋の中に化け物の生首をしまうと、彼は動けない兵士たちの元に駆け寄る。

 返り血で真っ黒に塗れたルリジオに手を差し伸べられた兵士たちは、怯えた表情のまま立ち上がった。


「君たち、早く帰ろう。それと、花が咲いている場所に案内してくれないか?」


 呑気な様子でそう言って退けたルリジオを見て兵士たちは顔を見合わせる。

 彼らが里へ向かって歩き出してすぐに遠くからドカドカと足音が聞こえてきた。

 早馬の足音にも聞こえるそれに、助けが来たのだと期待した兵士たちが音の方向へと走り出す。


「モウゥゥゥゥウウ」


 しかし、聞こえてきた声は馬ではない。立て続けに自らを襲う恐怖に耐えられなくなった兵士たちはその場にへたりこんで大きな声で泣き始めた。


「モーーーウゥゥゥゥウウウウウモーーーウ」


 頭を振りかぶりながら突進してくる牛頭の獣人―ルリジオは四ツ山の君と呼んでいた―に彼が動じることなどない。

 ルリジオは両手を広げて彼女の進行方向に立ち塞がった。

 角が刺さる……ルリジオが死ねば自分たちも死んでしまうに違いない...と言うようなことを叫びながら泣いている二人の予想は外れた。

 頭を持ち上げた四ツ山の君は、ルリジオの体に当たる自分の頭を持ち上げ、濡れそぼった肉厚な鼻を彼の胸元に押し付けた。


 鼻先を執拗に擦り付けられて、ルリジオは頬を薔薇色に染める。

 しばらく鼻先と共に自らの体に押しつけられる四つの乳房を堪能したルリジオは、四ツ山の君の両肩に手を置き、彼女を自分から引き剥がした。

 一瞬、さみしげに「モゥゥ」と四ツ山の君は鳴いたが、自分の前で跪くルリジオを見て目を今度はうれしそうに「モウウ」と声を漏らす。


「ああ…会いに来てくれたんだね四ツ山の君。君を苦しめていた化け物を倒したことをわかってくれて、こうして駆けつけてくれたなんてうれしいよ。ああ……その四つの豊かな乳房……。恐怖が消えたからかな?それともアレを倒したお陰で森に魔力が満ちたからかな?肌艶がさっきよりよくなっているじゃないか。殺気の少し憂いを帯びてざらついたような地肌も美しかったけれど暖かで滑らかな今の君の谷間もとても素敵だよ。ここに来てくれたということは……僕の妻になってくれる決心がついたということでいいのかい?」


「ンンモオオオウ」


 力強く鳴きながら四ツ山の君は天を仰いだ。どうやら了承をしたとのことらしい。

 ルリジオは頬を薔薇色に紅潮させると破顔しながら彼女を抱き上げた。それはお姫様を抱き上げる王子様のようにも見える。

 抱き上げられているのが牛頭の獣人でなければだが…。


「一見凶暴そうな牛頭の獣人を逃し、見目麗しい魔物を迷いなく一刀両断にするとは……。一体どうやって魔物の正体を見抜いたのですか?血の匂いや魔力で見抜いたとか……?」


 上機嫌で四ツ山の君を抱いて歩くルリジオに、助けられた兵士のうちの一人が話しかけた。


「さっき殺した化け物の方が殺した人数が多いと言うだけで、血の匂いは四ツ山の君からもしているし、彼女も村の一つか二つくらいは滅ぼしたのではないかな」


「は……?土から出た魔物と同じように……人の村を襲っていたこの獣人を娶るのですか?いくら今は感謝の意を示していても言葉の通じない獣人です。いつルリジオ様の寝首をかこうとするかわかったものではないのでは…」


「でも巨乳だぞ!?この至高の宝物おっぱいが君には見えないのか?」


 大きなルリジオの声が森の中にこだました。


「この四つそびえている巨大な山脈おっぱいが…見てみろ。僕が抱き上げてこうして歩くだけでまるで高級なパンの種のように揺れ、柔らかな地肌の部分が波打っているだろう?それにこの煉瓦色をした毛皮と地肌の境目のだな…」


 村へ帰るまでの間、兵士二人はルリジオの巨乳談義を延々と聞かされ続けるのであった……。



※※※


「御主人様、お兄様からの便りです」


 翌朝、村から戻り友人たちと談笑をしている彼に毛むくじゃらのブラウニーはそう告げて一枚の書簡を手渡した。

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