悪魔と聖女編

34話 牛頭の獣人

「全身を覆うツヤツヤとした煉瓦色の毛皮…そしてそびえ立つ四つの山脈おっぱいだけは毛皮の庇護から解き放たれ、血色の良い地肌が堂々とそのやわらかさを誇示するように揺れている…貴女のその気高き山脈は寒さや風などでは決して屈さないという揺るぎなき強さの証であり、他者が触ることを安易に許さない危険な秘境のようだ…。なんといっても鎖骨デコルテの下から描かれる釣鐘型の曲線は美しく、そして大きさも大人の頭二つ分はあるという申し分のない巨大山脈。ああ…僕の美の女神…是非その麗しい姿を愛することを許して欲しい。僕には貴女が必要なんだ」


 ルリジオは太陽の光からそのまま紡ぎ出したような金色の髪を風に靡かせて跪く。

 大きな瞳を縁取る睫毛は、少し目を伏せれば頬に濃い影を落とすほど長い。

 彼の瞳は雲ひとつない空を写し取ったようように底抜けに蒼く、その肌は上等な白磁のように滑らかだった。

 スッと通った鼻筋と大きすぎない鼻翼、小さく華奢な顎…その間にバランスよく収まっている少女のように麗しい彼のバラ色の唇は、両端が少し持ち上がれば道行く乙女は感嘆の声を漏らす。

 そんな見目麗しい男は、道端に跪いて愛を語っていた。


「モウウウゥゥ」


 大きな笛の音のような声が響いて、ルリジオの背後にいた兵士たちは一斉に耳を防ぐ。

 しかし、ルリジオは微笑みを崩さないまま目の前にいる豊満な四つの乳房を持つ乙女を見守っている。

 頭には黒々とした鋭い二本の角、茶色い滑らかな体毛で覆われている彼女は大きな鼻から音が聞こえるほど息を荒げていた。


「ああ、大きな音を奏でるために息を吸い込むと胸が張って更に美しい」


 彼女の四つある乳房は大きく張っていて、そこだけ毛皮がない。まるで乳牛を二足歩行にさせたような獣人は、目の前にいる美しい男に無骨な木の槍を振り上げる。


「モウウウゥ」


 もう一度彼女が鳴き声をあげる。前歯をむき出しにして尖った槍の切っ先を自分に向けているにも拘わらず、彼は怯えた様子一つ見せない。


「大丈夫。取って食ったり剥製にしようっていうんじゃない。ただ…僕の妻の一人になって欲しいんだ」


 獣人は前歯を見せ続け、更に頭の角を見せつけるかのように首を前後に揺らした。しかし、ルリジオは立ち上がって膝の埃を払うと、そのまま彼女へ歩み寄る。

 天使のほほえみ…人間であれば自分にこれが向けられれば同性だろうがうっとりして卒倒してしまうだろう。

 そんな甘い笑顔も牛の獣人には効果が薄いようだ。しかし、魅惑の効果はなくとも、彼女の感情の一つに彼の行動は訴えることに成功した。

 

 恐怖だ。


 威嚇をしても動じないどころか、近寄ってくるルリジオに恐怖を覚えた牛の獣人は彼に向けていた槍を勢いよく振り下ろす。


「よくわからない人間に求婚をされて戸惑う気持ちもわかる。美の女神…僕は貴女のその美しい至高の山脈おっぱいに心を奪われたんだ。名も知らぬ四ツ山の君…だから少しだけでいい。僕のことを見て欲しいんだ。僕の館には他に獣人も居るし、希望するのなら故郷を再現した特別な部屋を作ろう。なんなら専用の棟だって建ててもいい」


 目にも留まらぬ速さで振り下ろされた槍を、ルリジオは事も無げに片手で受け止めた。

 槍を引こうとして獣人が力を入れるがびくともしない。獣人が耳をたれ下げ、その瞳に強い恐怖を抱いてもルリジオは、微笑みを浮かべたまま立っている。


「前向きに考えてはくれないだろうか?」


 彼が愛しの彼女へ手を差し伸べようとした瞬間、獣人は槍から手を離し目にも留まらぬ速さで岩山を下って森の中へ姿を消した。


 背後からは兵士たちの安堵の溜息が漏れるのと対照的に、ルリジオは眉間に皺を寄せて憂いを帯びた表情を浮かべた。

 恐ろしい獣人に逃げられたことに悲しむ彼に、連れていた兵士の一人は思わず声をかける。


「あ、アレはここら一帯の村々を襲っている化け物ですよ?それに乳房の大きさこそ規格外ですが首の上についた頭はまるで牛です…。あのような魔性の生物を妻に娶りたいなどとルリジオ様、気は確かですか?」


「だって巨乳だぞ?」


「は…?」


「あの美しい釣鐘型の乳房を見たか?あの大きさを支えるしっかりとした骨格と筋肉…全身を覆う毛皮がないあの部分だけに覗く柔らかそうな素肌…なにより釣鐘型の乳房が二対…つまり四つある。わかるか?ただでさえ美しい乳房という名の宝物が四つもあるんだぞ?冷静でいられるだろうか…いや、ない。僕の妻たちにももちろん副乳の者はいる…いるのだが授乳期以外でも素肌があらわになっている子はいないんだ…授乳期だけ乳房の周りの毛が抜けるというのも確かに風情がある。春に芽吹き夏に咲き、秋には花は枯れ落ちて果実が実り冬には枯れていく…そのような移り変わることによる美というものも素晴らしいと僕は思っているよ。だがしかし…だがしかし…一年を通して山の頂上を飾っている冠雪のように決して容易には触れられぬ秘境も素晴らしいものなのだ。まざまざと見せつけられたその美しくも神秘的な巨峰おっぱいに挑まないというのも無礼な話だろう」


「…はぁ」


 熱っぽく浮かされたように語るルリジオに兵士は目を白黒させた。

 そんな兵士の様子は気にもとめず、彼は整った弓なりの眉をひそめ哀愁の漂う表情を浮かべる。

 短い溜息を吐きながら、彼は牛頭の獣人が消えた絶壁を見つめ、思いを馳せるのだった。


「剣を一振りすれば火竜の首が落ち、巨人族も恐れる英雄とかなんとか言われてるけど…あんなの絶対嘘だろ」

 

 かなり遠くで彼に止められたため、牛頭の獣人と対峙するルリジオの姿をろくに見なかった兵士たちが大声で笑う。

 確かに、ルリジオの体は鍛えられてはいるが、少年と見間違えそうな華奢な体躯をしていた。

 歴戦無敗の筋骨隆々男…というわけではなく、どことなく弱々しいイメージを抱くのも無理はない。

 獣人とのやりとりを間近で見ていた唯一の兵士だけが、小さな声で彼らを諌めようとしている。


「剣の腕はないが、貴族様から寵愛を受ける才能はあるんじゃねーか?ははははは」


 一同がドッと笑うのも意に介さない様子でルリジオがふと顔を上げる。

 数刻遅れて、ドドドという音と共に足元が激しく揺れ、その場に入るものは思わず地面に膝をついた。

 その中で、ルリジオだけが静かに立っている。

 まるで自分の足元だけ揺れがないかのように平然としている彼は、腰にぶら下げている鞘から剣を抜いて地面を軽く蹴った。

 

 ふわり…と羽根のように宙を跳んだルリジオがそのまま地面に向かって剣を向ける。

 浮いたときとは真逆で、ストンと垂直に落ちたルリジオは勢いを殺さずに地面に白銀に輝く刃を突き刺した。


 ギャアという人間の女に似た甲高い悲鳴が上がり、ルリジオが剣を突き刺した場所はみるみるうちに大きく盛り上がる。

 さっと剣を引き抜いて身軽に後退したルリジオは地面から出てきたなにかに目を向けた。


「お、女だ」


 先程まで地面の揺れで情けなく地面に這いつくばっていた兵士の一人が声を上げた。

 土から出てきたそれは、体を大きくぶるると震わせる。すると、ルリジオの身の丈を二人合わせたような高さのなにかから、乾いた泥がドカドカと派手な音を立てて剥がれ落ちていく。


 それは本当に女の姿をしていた。

 長い亜麻色の髪を垂らし、赤土色の肌をしている女は兵士たちの目にはとても美しく見えているようだ。

 赤土色の肌は何も身に付けられて折らず、首には果実のような鮮やかな赤い飾りがぶら下げられている。

 大きな二つの朱い瞳をしたあどけない少女のようなソレは、まるで女神の如き美しさで兵士に微笑んだ。

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