32話 闇色の髪の乙女
「タラニス……と申したか?吾輩もよくニンゲンにしてやられるが、なるほど慢心した相手の裏をかくというのは気持ちのいい物だな」
ニヤリと笑ったバエルは、大きく厚い手をぬっと前に突き出すとタラニスの腕を掴んだ。
これで止めをさせると油断していたタラニスは、急に腕を取られて動きを封じられたことに慌てるが、バエルの力はすさまじく、なかなか腕を振り払えない。
「ルリジオ……悪く思うなよ!」
バエルの体の影から出てきたアビスモは、紫に光り輝く巨大な魔石がはめられたワンドを前に掲げながらタラニスの体に思い切りそのワンドを振り下ろす。
「世界に満ちた闇の霧……収束し天の支配者の腹を貫き喰らえ」
ワンドの先から放たれた黒い靄が鋭い槍のような形になり、タラニスの腹を貫き、靄はそのままタラニスの体を締め上げるように巻き付いていく。
うめき声をあげたタラニスだったが、口から吐いた血を拭うと、バエルとアビスモを見てニヤリと笑って見せた。
タラニスの瞳の中にある車輪が回転をし始めたのを見てバエルに手を伸ばしたアビスモだったが、それも空しくバエルの半身は、黒い靄の拘束を引きちぎるようにして自由になったタラニスの右手から放たれた真っ赤な業火に焼き払われ炭と化した。
「やるようだな。だが、我を喰らいつくすにはちと力が足りん」
膝をついたバエルの前に仁王立ちするタラニスに残った半身で殴りかかろうとするも、雷を纏ったハンマーを喰らった中心にある頭の一つが目を回したおかげでバエルの巨体はズウンと重々しい音を立てて大地に横たわる。
「これで砕けぬとは。さすが異界の覇者だな。頑丈なつくりをしている」
「させねぇよ」
タラニスがバエルの頭を砕こうと足を持ち上げたが、バエルの体は黒い靄に覆われて遠くに運ばれていく。
アビスモはワンドを剣のように構えながらタラニスを睨み付けた。
「魔法使い。貴様はこいつほど頑丈ではないようだが、どうする?」
振り下ろされたハンマーから放たれた雷は避けたにもかかわらず、アビスモの長い髪にまとわりつきパチパチと音を立てた。
美しい顔に焦りの表情と汗を浮かべながらアビスモはタラニスの攻撃を紙一重でなんとか避け、距離を保つためにタラニスの方を見ながら少しずつ後退していく。
「逃げ回るだけでどうするつもりだ?いや、もう逃げ回ることすら出来ないか」
ルリジオなら絶対にしないであろう邪悪な笑みを浮かべたタラニスは、岩壁に囲まれて逃げ場のないアビスモに対して余裕たっぷりにそういうと、雷を纏ったハンマーを大きく振りかぶった。
「俳優って職業が俺の元居た世界にもあったんだが、案外その才能あるかもな俺」
先ほどまでの焦りの表情から一転、涼し気な表情で雷を纏うハンマーを素手で受け止めているアビスモに、タラニスは目を見開く。
舌打ちをしながらハンマーを離し距離を取るために後ろに下がろうとしタラニスだったが、地面から染み出してきた黒い靄が足を掴んで阻止をする。
「俺は元魔王だ。力が不十分な神に近接戦闘で遅れは取らねえよ」
ニヤリと笑ったアビスモは、真っ黒な靄を手元に集めて剣のような形を作ると、黒い靄を振りほどこうとしているタラニスへ切りかかった。
激しい金属音が響き渡り、真っ青な雷が辺りを走り回る。
黒い靄を引きちぎって自由に動けるようになったタラニスだったが、口数は少なくなり、その顔には焦りの表情が浮かんでいるようだった。
先ほどとは反対に、アビスモがタラニスを岩壁まで追い詰めていく。
「さて……最後の仕上げだ」
アビスモがニヤリとしながらそう言うと同時に、彼ら二人を囲んでいる岩壁いっぱいに複雑な模様が紫に光を放ちながら浮かび上がる。
紫色の光は徐々に強くなり、岩壁に囲まれているアビスモとタラニスを照らして包んでいく。
「眩しさで動けないと思ったか?隙だらけだ」
目を閉じて呪文を唱えることに集中しているアビスモの背後にあっという間に回ったタラニスは口の端を持ち上げて彼の耳元でそう囁き、どこからか跳んできたルリジオの剣をアビスモの首に押し当てる。
「わざとだよ。ばーか」
薄目を開けて体を捻りながらそう言ったアビスモの声は、先ほどまでとは別人のように高くなっていた。
そう、女性のように……。
ドサっとなにやら重いものが落ちる音と鉄のような臭いが漂ってくる。
岩壁から放たれていた光が収まると、眩しくてよく見えなかったものが良く見えてくる。
仕留め損なったかと舌打ちをしたタラニスの目に入ったのは、マントを取り去り薄く美しい黒い布のドレスに身を包んだ紫色の髪の絶世の美女だった。
その美女は、病的なほど白い肌の一部を真っ赤に染めている。足元には彼女の肌と同じく真っ白なまるで陶器で作られた人形のような腕がごろりと転がっていた。
「ルリジオの剣だけは……確かに俺を傷つけられるんだよな。失敗した」
切り落とされた肩を、無事だった方の手で押さえて止血の魔法を使う女性はアビスモと同じ口調でそういうと苦笑いをしながら目の前のタラニスを見据える。
「なにをしたいのかわからぬが、今度こそこれで終わりだ」
タラニスが、そう言ってアビスモの方へ足を進めた時だった。
二、三歩前へ進んだところで急に彼は頭を押さえて立ち止まる。
そして、なにやら額に脂汗をいっぱいに浮かべたまま、アビスモの体のとある部分に視線を向けた。
胸元の切れ込みが深いそのドレスからは、豊満な乳房と乳房がぶつかりあって深く美しい谷間が姿を覗かせていた。
痛みのために息があがっているのか、アビスモの胸は呼吸のリズムに合わせるようにぽよぽよとやわらかな胸の上部が小さく揺れる。
「ぐ……何故だ……目が逸らせぬ……」
手で額辺りを抑えて苦悶する自分の前に、片手を失ったままのアビスモが無防備に近付いてくるのを見て、タラニスは剣を構えようとしたのか腕を動かすが、その手は急に震えだし、アビスモを傷つけられる切り札は地面の上に無造作に落ちていく。
「なぁ、そろそろ目を覚ましてくれよルリジオ」
「あ……ぐ……クソ……なにが……」
まるでその豊満な胸を強調するかのように前かがみになったアビスモを見たタラニスは、急に頭を押さえてうめき声をあげながら地面に膝をついた。
しばらくその姿勢のままで呻いたり頭を振った後、おもむろに立ち上がった彼が目を開くと、その目は金色ではなく、いつものように澄んだ青色に変わっている。
「ああ……丁寧に作りあげられ日々柔らかな布で磨き上げられたように美しい真っ白な肌……僕の頭ほどもある豊満な乳房ももちろん素晴らしいことこの上ないが、この幻想的なまでに美しい月夜の雪原のような双丘の皮一枚下に命ある生き物だと主張をしている美しい青い川のような線……それがあることによってこの魅惑的な、暴力的なまでの質量の乳房に抗いようのない圧倒的な魅力を際立たせている……。おっと、魔力の匂いが微かにするな……これは魔法によって変えられた姿……いや、でもこの素晴らしい
目を開くなり瞳孔を少し開きながらアビスモに跪き流暢に話し出したルリジオは、そこまで言って言葉を一度止めて頭を押さえた。
我に返った様子のルリジオの左側の瞳だけ金色に変わる。
「貴様……自力でこの神の自我を押しのけてくるなど……忌々しい……何故我の行動を制御しただけではなく……自我の復帰まで……」
苦々しい表情を浮かべたタラニスが、右目に手を当てようとしたが、それはかなわず、ルリジオはいつも通りの微笑みを浮かべる。
「だって巨乳だぞ?至高の
ルリジオは辺りを見回して、なにかを理解したかのように頷くと、そのまま自分の左目に手を当てると、一気に自分の目に細い指を突き立てた。
妻たちが小さな悲鳴をあげ、アビスモが眉間に皺を寄せる中、ルリジオは自分の金色の瞳を取り出し、地面へと投げ捨てる。
ふう……と一仕事した……とでも言いたげに額の汗を腕で拭うルリジオは、左目の辺りにおびただしい量の血が付着しているものの左目はいつも通りの静かな海のような真っ青な瞳が最初からそこにあるかのように再生されていた。
「最後の仕上げだな」
「ああ……至高の美女……。貴女のような美しい姿の女性にそう言っていただけて僕の胸は張り裂けそうなほどの嬉しさでいっぱいになってしまいます。待っていてください。今すぐに所用を済ませて貴女とお話しする時間を作ります」
満面の笑みで声のした方向を振り返ったルリジオは、そのまま目の前にある捨てた目玉の方へ勢いよく剣を手にして走り出した。
金色の目はなにかいいたげに少し左右に揺れた気がしたが、そんな些細な抵抗も無駄だというように小さな目玉を光を薄っすら放つ刀身が無慈悲に貫く。
貫かれ、剣を抜くと目玉に橙色の鎖が絡みつき、それはまっすぐに見守っていたダヌの掌へと飛んでいった。
妻たちの安堵の声が聞こえ始める中、アビスモは仕事をやり遂げた親友に声を掛けるために彼の肩に手を置いた。
「おつかれ」
「待っていてくれたのですね、闇色の髪をした素晴らしい至高の宝の持ち主……。魔法で変化した姿だからといって僕は決して偽りのものだとも劣っているともおもいませ……」
目の前の巨乳の美女が紫色の光る粒子を飛び散らせながら徐々に見知った姿に変わっていくのを見て言葉を失っていく。
「……アビスモだったのか。確かに姿を見ないなとは思っていたけど……」
珍しく目に見える落胆の仕方をしたルリジオは、アビスモの正体がわかるとクルリと彼に背を向けて妻たちの方へと歩いていく。
「ええ……。なんかもっとあるじゃん……俺結構体張ったと思うけど」
自分を引き留めるように肩を掴んだアビスモの方を、ルリジオは振り返ると一瞬目を逸らし、そのあと少し照れくさそうに自分を助けてくれた友人の顔をしっかりと見ながら目尻と目元をめいっぱいさげてやわらかく笑った。
「嘘だよ。ありがとう。君にもタンペットにも……それとバエル将軍にも感謝している。こういうのは慣れてなくて……なんだか照れくさいんだ。勘弁してくれ」
アビスモはそんなルリジオと肩を組むと、ルリジオを引きずるようにして妻たちの待つところへ走った。
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