31話 赤き車輪の神

 黒く高い岩壁に囲まれた小さな島は、深い緑の木々が生い茂り、真ん中に聳え立つ山からは真っ黒な煙が常に上っている。

 タンペットの使役する巨鳥の背に乗ったアビスモとタンペット、そしてその横にいる六本足の黒馬に乗ったバエルは島の火山の麓の広場へゆっくりと降り立った。


 戦闘にも耐えられるであろう比較的丈夫とされる妻たちだけは島に来ており、妻たちの中心には本来の姿に近いであろうダヌの姿があった。

 首を精一杯上に見上げなければ顔が見えないほど巨大で美しい女神としての姿でそこに存在している彼女は神秘的で厳かなオーラを放っているかのように見える。

 そして、ダヌたちと向き合うようにしているのは、火山岩のような色艶の肌をして、体の所々にマグマ色の眩い線を走らせた黒髪の女神……ペレアイホヌアだ。

 ダヌと同じくらい巨大な彼女は体の周りがゆらめくほどの熱を発しているためか、周りの木々はすっかり焼け焦げているようだ。


神話世界の維持者メンテナーアビスモ、よくぞ来てくださいました」


 気が付いたダヌにそう呼ばれた漆黒のマントで全身を包んだアビスモは、蒸すような暑さで汗に粒のような汗を滲ませながらルリジオの妻たちの視線を一身に受け止める。


「そんな大層なもんじゃない。友達と好きな女を護るために俺は仕事をするだけだ」


 妻たちに対してそっけなく言ったアビスモは、バエルと共に海の向こうから近付いてくる小さな飛竜の影を見つめる。

 おそらくあの飛竜にルリジオが乗っているのだろう。


「やぁ、久しぶりだねアビスモ」


 事情は知っているはずの彼は、いつもと変わらない微笑みでアビスモに挨拶をしながら飛竜から飛び降りる。

 そして、妻たちと代わる代わる抱擁をして一言ずつ挨拶を交わし、ペレに跪きながら美しく大きな宝石を差し出した後、ダヌの前に立って少し寂し気な顔で笑ってみせた。

 ダヌはそんなルリジオの様子を困ったような笑顔で笑うと人差し指で彼の頭を撫でつける。


「ごめんなさいねルリジオ。同郷の者があなたの中に入り込んで迷惑をかけようとしているというのに」


「そんな顔しないでよママン。大丈夫。知っていて……一人でなんとか出来ると思っていたんだ」


 ルリジオは、ダヌの指に手を添えて、彼女を見上げながらそう言って顔を伏せた。


「こうして妻達や友達がなんとかしてくれようと動いてくれるとは思わなかったな」


 顔を挙げたルリジオはアビスモとタンペット、そしてバエルを見つめる。


「あの名前もない美しいおおきなおっぱいの魔女を……助けたかったんだ」



 悲し気に微笑んだルリジオが、胸に手を翳すと、彼が身に着けているであろう魔石のペンダントが輝きだし、砂漠の洞窟の中らしき景色が彼の頭上に映し出された。

 

『わたしも、普通の娘として生きていればこんなにも肉体の死を願いながら生きることなく、美しい物に心躍らされたり、恋をできたのでしょうか』


  爛れてたるみきった皮膚に覆われた顔の中心近くにある魔女の瞳が涙で潤んでいる。

 魔女は、ルリジオの手をガサガサでイボだらけの手で握りしめながらしわがれて聞き取りにくい声で絞り出すようにそう言った。


『貴方に……この醜い体を褒められて初めてわたしはまだ生きたいと思ってしまった。でもわたしの中にある偉大ななにかは私の魂が肉体の檻から解き放たれることを望んでいる……魔女としての願いではなくヒトとして生まれたわたしの願いを聞いてくれますか?わたしの心を……わたしの代わりに外に連れて行ってください』


『断る理由なんてないだろう?僕がその願い、引き受けよう。愛しい斑肌の君……』


 微笑みを浮かべているルリジオに訴えるように言う魔女の言葉に、ルリジオはそう答えて魔女の小さな体を抱擁した様子が映し出されると、妻達から溜息のようなものが漏れる。


『あなたの肉体の死後、あなたの体はナニカに囚われるかもしれない……世界を、あなたの大切な人たちをその手で破壊してしまうかもしれない。それでも……いいんですか』


『大丈夫だよ。斑肌の君……僕は強いから。君の心配は全て何とかして見せる。だから心配なんてしなくていい』


 ルリジオの胸の中で泣いた魔女は、しばらくすると涙を腕で拭いながら彼の腕の中から抜け出して、村を災厄から救う方法を話し出す。

 そして、そのあと、魔女の心を移す方法を話してじっと目の前のルリジオを見つめると、彼はいつものように穏やかに微笑んで見せた。

 それが自分の信条である「巨乳を傷つける」ということに反していても嫌な顔一つ見せない姿は、妻たちにとって感動するもののようでそこかしこからすすり泣く声まで聞こえてくる。


「あの時、役目を全うした彼女の胸を一突きすることで肉体の檻を壊し、彼女の肉体が変異を始める前に僕の体の中に彼女のヒトとしての心を移したんだ」


 胸の魔石から手を離したルリジオはその場にいる全員に言って聞かせるように静かな声で話した。


「僕は、自分の体が死を迎えるとき力ずくでなんとか出来ると思ってたんだけど、まさか協力してくれないか?って僕が聞かれるなんてね。本当にいい友人を持ったよ」


 穏やかな声が響く。

 ルリジオはアビスモとタンペット、そしてバエルと握手を交わす。

 そして、妻たちが輪になって見守っている中心へと歩いていくと光り輝く剣を鞘から抜いて地面に突き立て、目を閉じた。


 それを合図にしたかのように、ダヌとペレは手を取り合うと、妻達の周りには赤みを帯びた橙色の光の幕のようなものが張られていく。


「私たちが全力で妻たちのことは護ります。安心してね」


「大地を喰らう私と、大地の母が作り出す結界は、世界の破壊者にも壊せないだろうよ」


「ありがとう……ママン、ペレ」


 ルリジオはいつものように笑って見せる。

 それにダヌとペレは頷いて応答した。

 これが失敗すればルリジオは愚か世界も下手をしたら壊れてしまうような危険な賭けだ。

 妻達もそれがわかっているのか固唾をのみながら、ルリジオの前に立つバエルとアビスモ、そしてタンペットへと視線を注いでいく。


「よし……はじめるか。俺が魔王を辞めてまで手伝ってやるんだ。お礼は弾んでくれていいんだぞ?」


「……タンペット、魔王を君好みの少女にする方法を探すってので手を打たないか?」


「その言葉、しかと受け取ったぞ」


「ふざけんな!これとは別件で絶対殴る」


 岩陰に半身を隠していたはずのタンペットが身を乗り出しながらこぶしを突き上げるのを見て楽しそうに笑ったルリジオにアビスモは慌てた様子で抗議して、目を見合わせて笑い合う。

 それは、今から戦う二人にはまるで見えない穏やかな光景だった。


「じゃあ、頼むよ」


 タンペットは、ルリジオが剣から手を離し目を閉じたのを見ると、自分の杖を取り出して、ルリジオが中心になるように複雑な魔方陣を素早く正確に描いていく。

 描きあがった魔方陣は、妻達のいるエリアから徐々に光り輝きはじめ、全体に光が行き渡るころには辺りは暗雲が立ち込め、しとしとと雨が降り始めてきた。


「必要な陣は全て完成した。あとは頼む」


「すぐに終わらせてやるからな」


 魔方陣から出た淡く光る触手のようなものに体を支えられて眠るようにしているルリジオに、アビスモは銀色に輝くレイピアを構えて突進していく。

 紫の髪を靡かせながら目にもとまらぬ速さで走っていくアビスモのレイピアが、ルリジオの心臓の辺りを貫く。

 妻達の小さな悲鳴が響き、ルリジオの体を貫いたレイピアに血が滴ると心臓を貫かれたルリジオの目がカッと開いてアビスモを捉えた。

 アビスモはマントの内側から、小さな赤い車輪の飾りを取り出して目を見開いてひきつけを起こしたように震えているルリジオへ投げると、彼の口からは聞いたこともないような地獄の底から聞こえてでも来るような低い低い咆哮が放たれ、手足を拘束していた触手を引きちぎって立ち上がる。


「貧相な器から巨大な世界の破壊者にふさわしい器に移れたまではよかったが、これはどういうことだ?」


 普段の青い澄んだ瞳ではなく、金色に光る瞳の中に赤い車輪のような紋様を浮かばせた不思議な二つの目でそういったルリジオは、アビスモを敵意いっぱいに見つめている。

 それは、内側に封印されていたタラニスが表側に引きずり出された姿ともいえるのだろう。

 タラニスと化したルリジオは小さな声で呪文のようなものを唱えると、小さな雷と共に、その手には鈍い銀色に輝くハンマーがどこからともなく現れた。


「小僧が。不完全な状態なら我に勝てるとでも思ったのか。予定とは違うがこの世界、今すぐ破壊しつくしてやろう」


 タラニスが軽くハンマーを振るうと周りに電撃が走り、周りの木々がいくつも黒焦げになり、岩は砕け散った。

 しかし、ダヌとペレの幕のような結界は少したわんだだけで雷を吸収し、内側にいる妻たちは安堵の溜息を吐く。


「なるほど。面白い。こいつを嬲り殺しにしたあと、常春の国ティル・ナ・ノーグの母も野蛮な女神もそこの女たちもゆっくりと料理してやるとしよう」


 タラニスは、片方の口の端を持ち上げて邪悪な笑みを浮かべるとアビスモの方へ跳んだ。

 遥か高く跳んでから振り下ろされるハンマーを、咄嗟に手にしていたレイピアで防いだアビスモだったが、レイピアはひしゃげもうその役割を果たせそうにもない。

 タラニスがニヤリと笑ってハンマーを振り上げた時、横から岩のようなものが突撃して腕を振り上げたまま吹き飛び、光の幕に体を強く打ち付ける。


「我が盟友、簡単にはやらせはせんぞ」


 巨大な剣を肩に担いだ三つ頭の厳めしい鎧に身を包んだバエルはそう言ってアビスモの前に立ちふさがって剣を構える。

 すぐに体制を立て直したタラニスは、目にもとまらぬ速さでバエルの剣目がけてハンマーを振り下ろすが、バエルはそれを上手く受け止めていく。

 しかし、素早く重い一撃の数々を防ぐので精一杯なのか反撃は出来ないままジリジリと追い詰められているように見える。


「貴様は悪魔の一種か?ククク……異界の覇者もこの器の力の前では為す統べなしのようだな」


 ゴインゴインと硬い金属が打ち付けられてたわむ音と共に楽しそうなタラニスの声が響く。


 巨大な剣を前に出しながら背後にいるアビスモを護るように、タラニスの繰り出すハンマーでの殴打に耐えているバエルだったが、雷を纏いながら放たれる一撃の前にその剣は真ん中からヒビが入り、剣先が重い音を立てて地面に突き刺さった。


「異界の一族よ、貴様はよく耐えたほうだ。褒美にとっておきの一撃をくれてやろう!」

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