27話 海豹の妻
「ビリュザー……おかえり」
そう呼ばれて振り向いたのは、ルリジオと同じくらいの大きさの
熱い抱擁の後、徐ろに頭に手をかけると、海豹の部分がまるで外套のように脱げた。海豹の皮を脱ぐと、中からは肉付きが良い美性が現れた。
彼女が深々と頭を下げると、海のように青く、ゆるやかに波打った髪が前へ垂れ下がる。
「お久しぶりでございます。お恥ずかしながら、またお世話になるために舞い戻ってきてしまいました」
「今回はどうしたんだい?」
頭を上げたビリュザーは、髪の毛をかきあげながら照れくさそうに笑う。
彼女から外套を受け取ったルリジオは、彼女に寄り添いながら、その後ろにいる小さな海豹たちに手を小さく振った。
「夫がしばらく帰ってこないと思ったらヒトの娘と今恋に落ちているようでして……。前回と同じようにすぐ戻ってくるとは思いますが、我が子達と共にお世話になります」
「わかった。以前の部屋が空いているから自由に使うといい。久しぶりだし僕が部屋へ案内しよう」
ビュリザーの一族は、よく人との間に関係を持つ。それは同族の
大体の場合数年で元の
ビュリザーは、狩りに出かけた夫が帰らないとのことで人里を覗いてみたところ、夫がヒトの女性と仲睦まじくしていたのを目撃した。事情を察した彼女は、夫が再び戻ってくるまでルリジオの館の世話になることに決めてここへ来たらしい。
「それにしても、二年ぶりだね。子供も随分と大きくなって……」
「前回は丁度わたくしのお腹の中にこの子たちがいましたものね」
「妊娠中や子育て中の乳房というものはみる機会が少なかったのだけれど、とても神秘的でいて、そして美しいものだったね。いや、今のビリュザーの胸ももちろん美しいよ。優劣はつけられない」
地下への階段を下り、岩場のようにデコボコとした壁の通路を通り抜け、ビリュザーの部屋の前へ二人は到着した。
彼女の部屋は、リャピの部屋と似たような造りになっている。出入り口の近くの石出てきた床の部分と、くり抜かれた岩場のような広い窪みに外から水路が通っている。陸地と冷たい水が貯めてある部分のある水辺に住む者が暮らしやすい部屋だ。
ビリュザーは、子供たちを先に水の中に入れると、その後自分も下半身だけ水の中に浸かる。
彼女は、子供たちが水場で、元気よく泳ぎ回っているのを見て一息ついた。
「あとで子供たちの玩具になるようなものでも持ってこさせよう。どんなものがいいんだい?子供には詳しくないので教えてくれると助かるよ」
「なにからなにまで、ありがとうございます。そうですね……生きている魚や動物の骨などがもしありましたら、持ってきてくださると助かります。ほら、リーリヤ、オリーヴァ、ローザ、ルリジオさんにお礼を言って」
「「「おにーさん!ありがとう!」」」」
ビリュザーに促された子供たちは、海豹の衣のフードだけを脱ぐと声を揃えてそういった。
海豹の子供の体にヒトの子供の頭が生えているようなその姿は不思議な愛らしさがあり、ルリジオも思わず微笑みを浮かべる。
「邪魔してるぞ」
ビリュザーの部屋を出て、頼まれたものを取りに広間の方へ戻ったルリジオは聞き覚えのある声に足を止めた。
声の主を見つめて、ルリジオは首を傾げている。彼に声をかけた男は紫の腰まである長い髪を揺らしながらため息を付いた。
「この透き通るような白い肌、低くよく通る声、そして朝焼けの夜の部分から紡ぎ出したようなこの美しい紫色の髪……ここまで特徴があってもわからないか?マジで?」
「ああ……その話し方はアビスモだね。本当に誰だかわからなかったよ」
「お前のおっぱい以外のヒトの認識の仕方が本当にわからない……」
ルリジオはアビスモをひと目見て納得をしたような顔をするが、特に気に留める様子もない。ビリュザーの子に渡す玩具を見繕う作業に戻る。
その横を少しがっかりとした顔をしながらアビスモはついていく。
「なんかもっとあるじゃん?理由とか聞かない?俺達、友達だよな?冷たくない?」
「悪魔たちが突如として消え去ったみたいな噂は聞いたけど、強い君のことだから死んだり手負いになったわけはないだろうなとは思ってたよ」
「まぁ、そうだけどさ」
強いと言われて嬉しさを隠しきれないのかアビスモは思わず顔をほころばる。そして、重々しい扉を開いて先へ進むルリジオの後を更に追いかけた。
「なにしてるんだ?」
倉庫へとたどり着いたルリジオは、なにやら棚から大きめの魔物の骨を物色している。それを見たアビスモは、珍しい行動をしている彼に理由を尋ねた。
ルリジオは、軽く海豹の妻が数年ぶりに子供を連れて訪ねてきたことや、その子供たちのために玩具を探していることをアビスモに説明した。
「……相変わらずおっぱいには甘いのな」
「
「なぁ、お前が死んでも妻たちには幸せで居て欲しいのか?」
「もちろん。それが、彼女たちのすべてを愛することが出来ない不肖の夫から妻たちに出来る数少ないことだから」
珍しく遠い目をして悲しげに微笑むルリジオを見て、アビスモは真面目な顔で彼の横顔を見つめる。
その憂いを帯びた横顔は、同性であるアビスモでさえ少しドキドキしてしまうくらいの美しさで、一瞬彼は言葉を失った。
自分のやるべきことをすぐに思い出したアビスモは、彼の真意をし知るために更に質問を投げかける。
「……お前の死後、妻たちが争ったり、世界を破壊する化物になるのは嫌か?」
「それが、彼女たちの意思ではないなら嫌だけど、いきなりどうしたんだい?」
思い通りのルリジオの答えにホッとしたアビスモは、少しほっとして胸をなでおろす。そして彼の肩に手を置きながら明るい調子で話し始めた。
「今言ってもいいか。ちょっと探りを入れて、その結果をタンペットに相談しようと思ったんだけど、まさかこんなにあっさりお前の意思が確認できると思わなくてさ」
アビスモは真紅の瞳で目の前の微笑みを絶やさない友人に対して真剣な表情で問いかける。
「お前の死後の体と、妻たちを利用して世界を破滅に導こうとしているやつがいる。そいつをどうにかするためにお前に協力してほしいんだ」
ルリジオにとっては思いもよらない言葉だったのか、彼の大きな目が丸く見開かれた。
「……何をすればいい?」
ルリジオは、とても静かで透き通った声でそう答えた。
※※※
「ビリュザー、これでいいかい?」
しばらくして
彼が室内の水場に魚を放つと、子供たちは歓声をあげて魚たちを追いかけまわし始める。
「
ルリジオに付いてきたアビスモは、木の箱にたくさん入った大小様々な魔物の骨をひんやりとする石畳の上にそっと広げた。それが終わると、魚を追い回してはしゃいでいる子供たちを目を細めて見つめる。
「こちらの方は?」
「僕の友人だよ。今は……」
「俺はアビスモ。今は王都ピオニエーレに仕える大魔導師タンペット様に騎士として奉公している。よろしく頼む」
説明に困っているルリジオの代わりに新しい立場を話しながら、アビスモはビュリザーの前に進み出る。頭を下げてにこやかな表情で挨拶をする彼は、ビュリザーに親愛を示すように優しく手を差し出した。
「ルリジオさん……とうとう友人が出来たのですね……あのおっぱいにしか興味がないルリジオさんが……」
「タンペットも友人だけど……」
右手を差し出したアビスモの手を両手で取ったビュリザーは、感極まった様子だ。彼女の様子を見て、ルリジオは戸惑いを隠せない様子でそう付け足す。
「タンペット様とはこう……同士というか……同好会の民というかそんな感じで。でも、こんな……言ってはなんですけど何か体の部位に強烈に執着を示すだとか、そういう極端な性質ではなさそうな方とご友人になるなんて……天変地異の前触れですか?」
「参ったな。そんなつもりはなかったんだけど」
ルリジオは、困ったように笑いながら頭をかくと、照れ隠しをするかのように、子供たちに骨を手渡して戯れ始める。
「以前は、本当におっぱい以外に関心はなかったというか、こうしておっぱいと関係ないものに興味を示すふりすらできなかったルリジオさんが、子供と戯れ、友人と和やかに話すだなんて……生きているといいことがあるものですね」
ビュリザーは、子供たちと戯れるルリジオを見ながら、何かの感情を噛みしめるかのようにそう呟いた。
「でも、あなたの他にも子持ちの妻はいるだろう?あいつなりに妻を大切にしてるんじゃないのか?」
「私が知り合った時……そうですね、まだヒトの妻がいなかった時はそれはもう……『すまない。養うとは言ったけど、子供という生き物とどう関わればいいかわからないんだ』なんてヘンティルに困った顔をして頼んでいたくらいですよ。なので、こうして大きな乳房が付いている個体以外と関わっているルリジオさんを見るとなんだか母親のような気持ちになってしまって」
そう言って目頭を抑えるような真似をしたビュリザーに、アビスモは驚くと、笑いながらビリュザーの子供たちと骨をつかって積み木のように使ったり戦いごっこのようなことをしているルリジオに目を向ける。
「ルリジオが変わったのはいつかわかるか?」
「わたくしは、ここにずっといるわけではないから詳しくは言えないのですが、そうですね……
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