28話 黄金の甲虫

 灼熱の日差し。

 乾いた地表。

 吹き荒れる風に礫のように飛んでくる砂。

 それが彼女モハーナの暮らしている宮殿の周りの環境だった。


 彼女の一室は、故郷を再現しているのか、室内だと言うにもかかわらず、眩しい日差しのような魔法で作られた球体の照明が天井から吊るされ、床には非常に細かいサラサラとした赤茶けた砂が敷き詰めてあった。

 部屋の中央に用意されたオアシスのような水場から生えた熱い地域に生える大きな葉の植物を模した柱には、螺旋状に階段のような段差がついている。

 そして、その段差を登った上には色鮮やかなカーペットが敷かれ、黄金で出来た天蓋ベッドの左右にはお付きの眷属である下半身が蛇の女が二人、大きな扇を持って佇んでいた。


「その姿……多少変わったようですがアビスモ殿ですね?最近こそこそとルリジオ様のことを嗅ぎ回っているらしいということはピロポスからも聞いているけれど、なにか御用がお有りですか?」


 扉を開いて佇む訪問者に向かって、ベッドの上から半身を起こしたモハーナは語りかける。

 扉に寄りかかるようにして立っていたアビスモは、その声を入室の許可だと捉えると、彼女の方へ進み出ながら話を始めた。


「ルリジオの過去について教えて欲しい。なんていうか……こう、大きくあいつの性格が変わった時というか」


「……それを聞くということは……貴方も気がついたということかしら。私がずっと抱えていたルリジオ様の中にいるに」


 アビスモが頷くのを見てモハーナは尾を左右に揺らしながらそう答えると、ゆっくりと起き上がりベッドのある柱の上から下りてくると、水辺の近くにある岩の上へ下半身の蛇の部分をとぐろ状にしてヒトでいう座ったような形になる。


「私は、愛する夫の安否を確認するためにこの胸の宝玉を通してすべてを見ようとしていたのです……でも……何が起こるか恐ろしかった私はダヌ様にも話すことは出来なかった。貴方なら……いえ、貴方達ならなんとか出来るかもしれない。そう信じて昔話を致すとしましょう」


 手招きをされたアビスモが自分の目の前に座ったのを見ると、彼女はゆっくりと思い出すように話し始めた。



※※※



 蛇神ナーガと呼ばれているモハーナの一族が崇められている地域の小さな村が生贄を送ってきたと、ルリジオの館に一報が届いたことがはじまりだった。

 川や井戸が急に枯れ果て、これは神の怒りなのでは……と恐れた村人たちが考えた末、河川や湖を司る神の一族の元へ家畜を50頭……ほぼ村にいる全ての家畜を生贄として捧げてきたと合って蛇神ナーガの一族も無視する訳にはいかないということで彼らはその小さな小さな村の願いを叶えようとした。


 しかし、蛇神ナーガの一族が雨を降らそうとしても雨は降らず、川や井戸に水を呼ぼうとしても湧き出た水はすぐに乾いた土に沁み、川にも井戸にも水の恵みが戻ることはなかった。

 自信をなくした神々が途方に暮れていた話は、ルリジオの館にいるモハーナの元へも届いていた。

 神の身で人里に降りる訳にはいかない。人里に降り立った上なにもできなけば信仰を失ってしまうと困った神々が頼ったのは、一族の一人金色の鱗を持つモハーナを勇敢にも妻にした一人の男……当時月夜の悪魔と呼ばれていた銀狼キュノケファロスと、王都ピオニエーレの第一王子を誑かし国を乗っ取ろうとした九尾の獣を従えた英雄と名声を思いのままにしていたルリジオだった。

 彼としてはただ目の前の巨乳を口説いて求婚をしただけだったが、まだ当時何も知らない民からすればとんでもない化け物たちを殺すこと無く配下へ置いた凄腕の豪傑だと勘違いされていた部分もあったのかもしれない。

 蛇神ナーガたちは、英雄と名高くなっていた彼―ルリジオに、神殿へ生贄を捧げてきた村の調査を山程の宝石と、成功した暁には水を宿す聖なる剣を渡すからと依頼してきたのだった。


「こういう頼まれごとには慣れているつもりだったけど……これはまた酷いな」


 砂漠のオアシスのすぐ近くにある村に辿り着いたルリジオが見たのは荒れ果てた村の姿だった。

 生えている木の根や家屋の土壁ですら食べようとしたのだろうか、ぼろぼろになった家屋と口元に土塊を持っていったまま事切れた死体が壮絶な村の様子を物語っているようだ。


 虫すらも死体に群がらないその異様な様子に、さすがのルリジオも顔を顰めながら村の奥へと歩を進めていく。

 村の奥へいくと、僅かな日陰の下で数人の痩せこけた数少ない生き残った村人たちが横たわっているのが見える。

 彼らの周囲に散らばったいくつもの骨と武器をルリジオは一瞥すると、彼らへ持ってきた水分と食料を渡して、日陰になっている場所のすぐ隣りにある粗末な小屋の中へと足を踏み入れた。


「よく来てくださった」


 声は聞こえるものの、床に力なく横たわっているのか死んでいるのかすらわからない数人の男女は声を発せそうにない。

 声の出処を探ろうと辺りを見回しているルリジオの目に、机代わりのようにして置いてある砂岩を切り出して作られたブロックの上に止まっている一匹の黄金に光る甲虫スカラベが目に留まる。


「わしが、この村の長です……。お恥ずかしながらこの干ばつが起こった直後にわしはなんらかの力によりこのような姿になってしまったのです……。お陰様でわしだけ生き延びましたが……村人たちは……もうほとんど」


 甲虫は、ルリジオが自分を見ていることに気がついたのか体をもぞもぞ動かすと、虫にしては変な体制……ヒトが立って話すような格好になった。

 ルリジオは、甲虫の言うことを信じることにしたのか、聞こえてきた声にうなずきながら甲虫の近くへ向かうと片膝を付いて跪いた。


「私が今回干ばつが起きたと聞いて、原因を調べに来たルリジオと申します。その……思い当たる原因はあるのですか?」


「……魔女が……きっと魔女が呪いおったのです。そうに決まっている」


「魔女?」


「20年前、この村に呪われた子が生まれました。全身火傷をしたように皮膚はただれ、酷くたるんだ瞼は開くこと無く、そしてまるで老婆のようなしわがれた声の恐ろしい子が……」


 そう言って村の長を名乗る甲虫は、忌々し気に魔女についてルリジオに教えた。

 見た目の恐ろしいその呪われた子は、村の占い師に見せた結果、呪われた子だということで砂漠へ還そうということに決まる。

 その赤子を大きな木の葉と蔓で包み込むように巻き、そして砂漠の砂の中へと埋める。そして七回月が登った後掘り返し、その赤子を包んだ木の葉の中の骨を村の祠へ祀るという儀式をすることが決まったが、結果は芳しくないものだったらしい。

 七回目の月が登ったあと、村人と占い師が木の葉を開くと、赤子は砂に埋める前と全く変わらない姿で恐ろしいしわがれた声で泣き叫んだのだ……と甲虫は語る。


 そして占い師は、赤子を掘り起こした翌朝、変わり果てた姿で発見された。

 これは恐ろしいと焦った村人たちは、ついにその場で赤子の首を締めたが、赤子は泣きわめくだけで一向に死ぬ様子がない。

 いよいよ不気味だということで、赤子の母親が岩を赤子の頭に振り上げたが何故か母親は自分の頭を殴打して息絶えてしまった。

 その後何回か呪われた赤子を砂漠へ返そうとしたものがいたが、例外なく全員命を失ったそうだ。

 ここまで話を聞いたルリジオは、さすがに驚きを隠せない様子で村の長の話を聞いている。


「そして……わしらは呪われた子を砂漠へ返すことは諦めた。その代り、あの洞窟へ閉じ込めたのです……」


 甲虫が窓の方へと飛び立ったので、それを追うように視線を動かしたルリジオの目には、岩が積み上げられて入り口が塞がれている巨大な岩山が見えた。

 どうやら、干ばつが起こる数日前からあの洞窟の中から聞き覚えのある恐ろしいしわがれた声が響くようになったらしい。

 村人たちが様子を見に行ったが、様子を見に行ったものは誰も帰ってこなかったと甲虫は語った。


「わかりました。私があの洞窟の様子を見てきましょう」


「危険な場所へ大した報酬も出せないのにいっていただいて申し訳ありません……。家畜も全て献上してしまい……もう村にはなにも……」


「気にしないでください。私の妻が以前この村へ訪れた時よくしてもらったと言っていたので、その恩返しにと来ただけです」


 ルリジオは、前もってこういうようにと蛇神ナーガたちから頼まれていた嘘を甲虫へ伝えると、微笑んでみせた。

 甲虫は、そんなルリジオを見ると感激したようでヒトのように後ろ足2本で立つのを止め、平伏し何度も何度もルリジオの背中へお礼を言い続けた。


 足早に例の洞窟へと向かったルリジオは、多少拍子抜けをしたような顔をして洞窟の入り口……があるであろう岩が積み上げられた場所へと立っていた。

 村人が誰も帰ってこないというものだから、危険な魔物でも出るのかと思っていたのだろう。

 しかし、岩山への道のりはとても平坦でそして危険な生物は全く出なかったのだ。


 ルリジオは首を傾げながら、呪われた魔女とやらが閉じ込められているという洞窟の入り口の岩に耳を澄ませてみる。

 しかし、何の音も聞こえない。

 岩山から離れるとなにか起こるのだろうかと、半分ほど来た道を戻ってみたが、それでも何も起こらない。

 首を傾げながら、ルリジオが再び洞窟の前に戻ったときだった。


「そこにいるのはだれ」


 洞窟の中から微かに聞こえた声に、ルリジオは耳を澄ませた。

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