25話 夜の闇に紛れる者

「すごい!ガサガサしないで肌にピッタリとくっついてくるのにサラサラと気持ちよくて、こんなに布を使ってるのに鳥の羽のように軽い……それにこれ、多少火が付いても燃えないんです」


「このドレスも……魔法が込められていない剣なら弾き飛ばすわ……」


 ルリジオの館では、妻たちが様々な色のドレスや作業着・外套を羽織って歓喜の声をあげている。

 その中心にいるのは、先日からルリジオの妻になった黒蜘蛛アラクネ一族のアネモネだった。

 アネモネはまんざらでもないと言うような感じの笑顔を浮かべながら、次々と美しい織物を目の前で素敵なドレスに作り変えている。

 そして、妻たちは自分のドレスが出来上がるとすぐに着替えて見せ、できる限りの言葉でアネモネに感謝の気持ちを全身全霊で伝えているのだった。

 そんな様子で盛り上がっている広間を、ルリジオは微笑みながら通り過ぎ、来賓が訪問する館へと足を運んだ。

 今日は近隣の荘園を管理している執事がわざわざ足を運んできた依頼ということで使用人のヒトに化けた妖精ではなく館の主であるルリジオが応対することになったのだ。

 来賓用の館に入り、ブラウニーに衣類を整えてもらったルリジオは、コホンと咳払いをしながら訪問客の待っている部屋の扉を開いた。



※※※



「ルリジオには気が付かれてないな?」


「今頃はグリフィン狩りに精を出してくれてるだろうよ。今回は巨乳の介入もないだろうしな……いたとしても神や魔物のたぐいである確率はほぼない。大した問題にはならない」


 王都ピオニエーレの一角にある巨大な館の床下にある一室。

 艶めく長い紫の髪を掻き上げながらゆっくりと椅子に座っているアビスモは、その翡翠を嵌め込んだような瞳で凶風の魔女と呼ばれているエルフの美女、タンペットの顔を見つめた。

 ここはタンペットの私有地で、不老長寿の術をかけられた少女たちとタンペットしか館の敷地内に入ることは例え王族でも普段は赦されていない。

 そんな中、タンペットに引き取られたのであろうすっきりとした胸元のヒトの少女は、静かでいて洗練された仕草で机の上に果実と緑と蒼の入り混じった美しい模様の陶器のカップを並べている。


「では、お前たちは普段の仕事にお戻り。大丈夫、この少年は私の友人だ。何も怖いことはない」


 タンペットはそう言って、テーブルの上に持ってきていたものを並べ終わり、そっと佇んでいた少女の髪に指を通すように撫で付けたあと、少女を抱き寄せ頬に軽く口付けをして部屋から追い出す。

 ドアの方を愛おしげな目で見守っていた彼女は、少女の足音が聞こえなくなると、指を組んだ手を机の上に置きながら真面目な顔をしてルリジオを見つめた。


「ずっと気がついていたんだろう?ルリジオの死後の妻たちの取り決めの仕組みに」


 最初に口を開いたのはアビスモだった。

 彼の言葉にタンペットは無言で首を縦に振る。


「……お前ほどの魔道士でもどうにもならないのか」


「正直……一人ではどうしようもない。妾にできるのは、少しでもあいつが命を永らえるように手助けをすることだけさ。しかし……世界に選ばれし者……勇者と対を為す存在の魔王……つまり貴方の力があれば、なんとかなるかもしれない」


「……どういうことだ」


 自分の言葉に対して、身を乗り出して聞いてきたアビスモの姿をみたタンペットは、目の前の羊皮紙に、どこからともなく取り出したペンで図を書きながら説明をし始める。

 

「おそらく、世界とやらは魔王アビスモ以外にも破壊者を選定していた……というのが妾の仮説だ。そのもうひとりの世界の破壊者が、貴方が勇者ルリジオを討ち取った時を狙ってなんらかの仕組みを作った。おそらくその仕組みによって、魂の抜け殻となったルリジオの魔力を大量に溜め込んだ体を喰った人外や下位神たちが一つになり世界を破壊する強大な化け物になる」


「そんなことダヌが黙っていないんじゃないか?」


「ダヌ神のいる常春の国ティル・ナ・ノーグはこの世界の存続にはなにも関係ない。ルリジオの魂が手に入ればどうでもいいだろうよ」


「ダヌがルリジオにその仕組を仕掛けたっての可能性は?」


「彼女は腐っても豊穣の女神だ。今の世界を破壊して新たに神として君臨する意味はない」


「彼女の祝福に巧妙に入り込み、呪いの種を仕込めるような存在……考えただけで嫌になるな」


 アビスモは頭が痛むのか、額付近を手のひらで抑えながら深い溜息をついた。

 タンペットは、そんなアビスモの方へグイと身を乗り出して、吐息がかかるような距離に近付いて真剣な眼差しで目の前の憂鬱そうな顔をした少年を見つめる。

 

「ルリジオが生きているうちに、その呪いを無理やり発動させれば……勝機はあるはずだ。彼の魂が体に宿っていればダヌも協力せざるを得ない……はず」


「……その呪いを無理矢理発動させる役を俺がやれってことだな?」


 タンペットが自分の言葉にコクリとうなずくのをみると、アビスモは椅子の背もたれにもたれ掛かり、顔にかかる髪の毛をハラリと後ろへ払うと自分を見つめるタンペットに向かって口の片側を釣り上げて笑って問う。

 

「魔王である俺が世界の破壊を防ぐ手伝いをすることになるとはな。いいだろう。その代り、どんな結果になっても後悔するなよ」


 仰け反りながらタンペットを指さしたアビスモは魔王の威厳たっぷりにそういった。


※※※


 一方、グリフィンを無事に追い払い、依頼を申し付けてきた荘園の領主から褒美を賜ったルリジオが家に戻ると、ピロポスが彼を熱烈に出迎えた。

 羽毛に覆われた腕が肩に回されくすぐったそうに笑うルリジオはピロポスの頭を撫で、そして背中に手を回す。

 そのまま彼女の胸部に顔を埋めると、「ただいま」と呟いて深呼吸をした。


「フカフカの羽毛の中は太陽の光が当たった干し草のようにいい香りで……その心地よい香りを堪能するために顔を更に鎮めると、その先には弾力に富んでいて、それでいて硬すぎない豊かな膨らみがある。この胸の柔らかさと、心地よい羽毛のふかふかを同時に味わえるなんて僕は本当に幸せだよ」


「もう!いつもそうやって褒めてくれるんですから!愛してます私の旦那様……」


 胸の柔らかさを一通り堪能して顔を上げたルリジオにピロポスは顔を赤らめると、ルリジオの頬に軽く口付けをする。

 ルリジオも微笑んで彼女の頬に口付けをすると、右翼の先をそっと握る。

 後ろに控えているブラウニーにそっと外套と腰に携えている剣を渡すと、ルリジオはピロポスの自室へ向かうために部屋の奥にある階段を登っていく。


 彼女の部屋は館の最上階に有り、天上の高い特別に作られた部屋の中央には木を模した枝葉のついた柱があり、そこから円形に部屋が広がっている。

 寝床は柱の上の方にあるため、ルリジオが来訪した時は彼を足で抱え空を飛んで彼を寝床まで運ぶ。

 猛禽類のような鋭い爪で傷つけないようにゆっくりとルリジオを掴んだピロポスは、数回羽ばたいてあっという間に柱の上部まで来ると、丈夫で大きな葉と干し草、そして自分の羽毛で作られた寝床へとルリジオを慎重に下ろした。


「こうして二人でお話するのも久しぶりですね……。最近は新しい妻の方々が多くてなかなか二人になれなくて……。私やモハーナしかいなかった時が時々懐かしくなります」


「寂しい思いをさせてすまないね」


「あ……。ルリジオ様を責めているわけではなくて……。ヒトから狩られる心配も、他の神や魔物から狙われる心配もなく、こうして平穏に暮らせていることはとても嬉しいし、感謝しているのです」


 謝って申し訳のなさそうな表情を浮かべるルリジオに、ピロポスが慌てながらそう弁解して屈託のない笑顔を返すと、ルリジオは彼女の頬に手を当てて安心したように柔らかい微笑みを浮かべる。


「しあわせかい?」


「はい。とっても」


「よかった。僕は……君たちの人格だとか、胸以外の外見の造形には確かにあまり興味は持てないのだけれど、それでも……僕の気持ちを受け入れてくれて、僕を好いてくれる存在だけは幸せにしていてもらいたいってのは本当なんだ」


 珍しくルリジオの笑顔に陰りが見えた気がしたピロポスは、頬に当てられた彼の手に自分の羽根先を重ねて、心配そうに首をかしげる。


「大丈夫です。どうしたんですか?もしかして疲れてます?」


 ピロポスにそう言われたルリジオは、肩を回してみたり首を回したあと、徐ろに寝転がって座っている彼女の足の付根に頭を乗せる。


「そうかもしれない。最近、なんだかんだで予定を詰めすぎていたのかな」


 手を伸ばして自分の喉元を優しく撫でるルリジオの髪を、ピロポスは親が子供にしてやるようにゆっくりと優しく羽根で触れていく。


「他の人間のように……君を……君たちを……心の底から全て愛してると言えたらもっと幸せに出来るんだろうか」


 今にも寝落ちしてしまいそうなくらいウトウトとしているルリジオが、目を閉じたまま半ば寝言のようにそんなことを呟いた。

 ピロポスは驚きながらも、頭を撫で続けながら優しい声で囁いた。


「正直な話、豊かな乳房にしか興味のないあなたの言葉に救われている者も少なくないのです。皆、しあわせだからあなたの妻でいるんだと思いますよ」


「……うん」


 ルリジオは話を聞いているのかいないのかわからない反射のような返事をすると、そのまま横を向いて体を丸め、寝息をたて始める。

 彼の寝顔をしばらく慈しむような表情で眺めていたピロポスは、ルリジオを足の付け根から下ろして細い植物の茎で織ったブランケットをかける。

 ピロポスは、頬を撫でたり突いたりしても起きないルリジオから離れて一飛すると、窓辺へと向かい、鍵を外して人が入れそうなくらいの大きさの窓を開いた。


「お話は聞こえましたか?」


「ご協力感謝する」


「あとで必ず理由を教えてくだいね?私は、貴女を信じていますからね」


 夜風と共に姿を見せたタンペットに、ピロポスはそういって念を押す。

 その言葉に無言で頷いたタンペットが、片膝立ちで跪いて心臓の方に手を当てて頭を下げるポーズをすると、すぐに立ち上がり、深緑のマントで体を覆うと夜の闇に溶けるようにあっという間に姿を消した。

 ピロポスはタンペットがいなくなったことを確認すると再び窓を締め、複雑そうな表情を浮かべてルリジオの方を見つめるのだった。

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