24話 死後の契約

「な!?初対面だぞ?お前はなにを考えている?それに……私はヒトを喰う。悪魔も容赦なく喰う。怖くはないのか?」


 いきなりの求婚に驚いたのか、アネモネは八つの目を丸くして、ルリジオの手を振り払うと漆黒の髪を靡かせながら数歩後ずさりをする。


「ヒトを喰う種族や神は僕の妻たちの中に何人かいるし、怖くはないかな」


 ルリジオは、慌てるアネモネに対して、なんでもないことだと言いたげに首を傾げながら微笑んだ。


「私はお前の腕もさっき喰らおうとしたんだぞ?」


「重要な臓器だとさすがに死んでしまうかもしれないけど、手足や血程度ならほら……こんなふうに」


 自分の危険性を示したいもののそれが通じないことに動揺を隠しきれない様子のアネモネは、自分に先程自分が噛み付いて負傷させた腕を見せつけられて更に驚く。

 ルリジオの腕にはえぐられたような痛々しい傷があったはずだったが、今は橙色の淡い光が傷があったはずの場所に集まっている。

 アネモネの牙に含まれる毒は血を凝固させない性質があるのだが、それも効果は示さなかったのか彼の腕には乾いた血が少しだけついているだけだった。

 みるみるうちに傷が消えていく様子は、アネモネだけではなく、アビスモも驚いているようで、わざわざ後ろからルリジオの横まで歩いてくると、彼の腕を持ち上げしたり触って確認までし始めた。

 そして、アビスモは、ルリジオの腕に少しだけついていた乾いた血液を魔法でキレイに洗い流すと、「信じられない」とでも言いたげに目を丸くしならがらアネモネとルリジオの顔を見比べた。


「お前……本当にヒトか?」


「一応、種族的には」

 

「そ……そんなことより……私は夫になったものも容赦なく喰うのだぞ?怖くないのか?妻たちも悲しむだろう?」


「うーん……。僕の死後、体の分配をするから全部を食べるってのは難しいかもしれないな。希望の部位とかはあるかい?」


「希望の部位!?」


 アビスモと、アネモネの声が重なり合って全く同じ言葉を放つ。

 いつの間にか隣り合って並んでいたアビスモとアネモネは顔を見合わせて、微笑みを絶やさない眼の前の異常なことしか言わない金髪の美青年に目を向けた。


「さっきも話したけど、手足や血程度なら頻繁でもない限り定期的に君に与えられると思うよ。僕が死んだ後に体のどこかを欲しいのならそれは予約制だから空いてる部位しかあげられないけれど……」


「……今の予約状況はどうなってるのか聞いてもいいのか?」


「あ。俺もそれすごい気になる……」


 恐る恐るそういったアネモネの言葉に、アビスモは手をポンと打ち合せてルリジオの方へ視線を向ける。


「僕の魂は死後、ダヌの元へ送られる。心臓はペレアイホヌア、死後の血液は全てウェンディエゴへ。右目はピロポス、左目はモハーナ。髪の毛はアソオス……。そうそう、頭蓋骨はガウリで右の大腿骨はヘンティルが予約しているね」


「……こわ。妻もお前たちも怖……。っていうかルリジオお前死ぬの?なんか溶岩とかに落としても死なないんじゃない?」


「いや、不老の術はかけてもらったけど、僕にも寿命自体はあるし、致命的な怪我でもすれば命はないんじゃないかな」


 ルリジオの答えに、引きつった顔を思わず浮かべているアビスモの横で、考え込むような顔をして腕を汲んでいたアネモネは、すっと顔を上げてしっかりとルリジオの顔を見つめると決心したかのように頷いてみせる。


「……。ハラワタだ。それを貴様の死後喰らわせろ。魔力の高いヒトの肉は少量でもかなりの糧になる。普段の食事は低級悪魔でも罪人でも家畜の肉でもなんでもいい」


「うれしいよ。ありがとう」


 アネモネの言葉を聞くなり、満面の笑みを浮かべて彼女を抱擁するルリジオをアビスモは驚きの表情で見る。

 アビスモとしては、目論見通り貴重な織手を無傷で確保できたのだが、それにしても知らなくてもいい事実が多すぎた……とルリジオの死後の事情を知ってしまったことに後悔をしているのか肩を落として深い溜め息を吐いている。


「貴様の妻になっても私はヒトや悪魔を喰うことはやめられないがそれでもいいのか……?」


「一応、近隣の国で派手に食べるのはやめてほしいかな……。必要なら罪人とか奴隷を譲ってもらえるように言うけど……。それかアビスモから食用に繁殖させてる低級の悪魔を相場の1.5倍の金貨で買い取るよ」


「うむ。それなら問題はなさそうだ。私は、今からルリジオの妻となろう。契約は成立だ」


「俺がいうのもなんだけど、アネモネさん確実に人類に仇をなす存在だよね?いいの?それ大丈夫なの?あ、あとアネモネさんが定期的に織物をしてくれるなら繁殖してる悪魔はそれと交換で渡すとかでどうですかね……」


「もちろん構わないぞ。それでいいな我が夫よ」


「助かるよ。ありがとうアビスモ」


 アネモネとルリジオの楽しそうな様子を尻目に疲れを隠しきれない様子のアビスモは、頭でも痛むのか額に手を当てながら手を空へ掲げた。

 すると、アビスモの上空には橙色の魔法陣が浮かび上がり、そこからゆっくりと来たときに乗っていた馬車と、それを引く六本足の馬が舞い降りてくる。


「とりあえず、俺は疲れたから帰る。お前たちはどうする?送るか?」


「お願いしたいけど……アネモネの大きさだと馬車に乗れないかな」


 ルリジオが言ったとおり、ヒトの部分だけならともかく、アネモネの下半身は馬車の中に収まりきりそうにない。

 それを聞いたアネモネはニコニコと微笑みながら八つの目をキラキラと輝かせながら周りに散らばっていた小型の蜘蛛を集め始める。


「始祖であるアラクネ様からは、この世は我々のような知能の高い魔物にとっては危険でヒトも悪魔も最悪な存在だと言われていたが、なかなか悪いところではないようだ。特別に貴重な我が一族の力を目の前でお見せしよう」


 アネモネは、両手を前へ突き出しながら掲げると、見えない鍵盤を叩くように動かし始める。

 そこら中で気ままに蠢いていた蜘蛛たちは、アネモネの目の間へ一斉に集まってくると、糸を吐きながらお互いに足を絡ませ合ったり、噛み付き合って馬車の後ろに黒い球状の物体を形作っていく。

 漆黒の髪を振り乱しながら、見えない糸で蜘蛛たちを操っているアネモネは、幻想的で奇妙な美しさを醸し出している。

 思わずその所業に見とれていたアビスモは、アネモネの「私はここに乗っていくことにする」という言葉で我に返った。

 彼らの目の前には、立派な黒い球状の小さな鳥籠のようなものが完成していた。

 その球状の鳥籠のようなものは、馬車の後方にある取手に糸が絡められているためちょっとやそっとのことでは分離することはなさそうに見える。


「そしてこれが、お前たちが求めている黒蜘蛛アラクネ一族の蜘蛛の糸で織った服だ」


 アネモネがそう言うと、まだ残っていた僅かな蜘蛛たちが持ってきた薄く真っ黒なドレスで上半身を着飾った。

 アビスモが送った拍手をアネモネは得意げな顔をして受け取ると、残りの蜘蛛たちをドレスの裾の中や髪の毛の中へ忍ばせ、下半身の六本の足を器用に動かして籠のドアを開けて、そのまま籠へと乗り込む。

 アネモネが籠の中に入ったのを確認してから二人が前の馬車に乗りこんだ。

 アビスモの合図で六本足の黒馬たちは崖へと走り始める。

 止まることなく馬車は崖から飛び降りると、馬たちと馬車は空を駆けあっという間にルリジオの館の中庭へと辿り着いた。

 ルリジオを迎えたブラウニーは、彼の上機嫌さからすぐに何が起きたのか察すると、ルリジオの外套を受け取り、妻たちに来れるものは中庭へ来るようにと声をかけた。

 そして、すぐに中庭には見慣れたメンツが顔をそろえる。


「今日から我が家の一員になる、黒蜘蛛アラクネ一族のアネモネだ。彼女は素晴らしい織手でもある。よろしく頼む」


「アネモネだ。少なくとも、この館の住人は我が腹中に納めることはしないようにしたいと思う」


 真っ黒なドレスに身を包んだ下半身が蜘蛛のアネモネは、籠から下りてくるとそう言ってドレスの端を両手でつまみながらうやうやしくお辞儀をして挨拶をする。

 拍手で迎えられたアラクネは、下半身が蛇のモハーナや、中庭の水路の隅にいるリャピに目を向けヒトでも悪魔でもないものが共生しているらしい事実に少し安堵したような表情を浮かべた。


「さっそくだけど、君の部屋を決めよう」


 ルリジオが、アネモネの手を引いて館の奥へと無事に入っていく様子を見て、他の妻たちは胸をなでおろす。

 馬車の中からその様子を眺めていたアビスモは興味本位で妻の一人に話しかけた。


「どうしてそんなホッとしているんだ?」


「……少なくとも意思疎通が可能な妻だったからよ」


「ルリジオ様はおっぱいならなんでもいいから、時々意思疎通がままならないほぼ獣みたいのも連れてきちゃいますからね……」


「契約が新しい妻とルリジオの間で食い違っているようなら私達がルリジオ様を抑えてダヌ様を呼んで説得してもらうのよ」


 妻たちが呆れた顔をしながら語る事実にアビスモは思わず「うわあ……」と心の底からの同情したらしき声を漏らした。


「ルリジオを抑えるように……いくつか武器や魔道具を譲ってもいいから……気軽に伝書を飛ばしてくれ」


「……タンペット様も同じことを言ってたわ」


「だろうな。では、俺は城に戻る。タンペットとルリジオによろしく言っておいてくれ」


 アビスモは、疲れたような顔で笑う妻数人に労いの言葉をかけると、六本足の馬が引く馬車に乗って再び空を駆ける。


「しかし……魂を失ったルリジオの肉体を下位神や魔物に与える……ふむ……」


 アビスモは、馬車の中で一人考え込むようにそう呟いた後、懐から取り出した巻物に何かを記し、下級の小さな妖精程度の大きさの悪魔に持たせるとどこかへ行くように指示するのだった。

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