23話 八つ目の女

「ルリジオ、来てもらって助かる。お前にとっても悪くない話だと思うんだ」


 椅子に座ったアビスモは、紫色の美しい髪を掻き上げながら目の前に座るルリジオに憂いを帯びた表情でそう切り出した。


「俺の部下の一団が喰われた。といっても、損害としては大きなものではない。相手の戦力としてもバエル将軍に頼めば犯人を駆除することは簡単なんだが……それは出来れば避けたい。そこで、実力もあり、死ぬ危険性もほぼ皆無で、手加減も的確に出来るであろうルリジオに頼みたいことがある」


「うーん。僕も別に魔物や悪魔の生け捕りが得意というわけではないんだけど……僕にしか出来ないことでもあるのかい?」

 

 ルリジオは、アビスモの言葉に対して、顎に手を当てて少し考えるような素振りを見せながらそう答えた。

 ルリジオには日々領主からの魔物討伐の依頼や、要人の護衛の依頼などが舞い込んでいることはアビスモも知っている。

 いくら友人でも、なんでも頼みを聞いていては彼の身が持たないとはわかっていた。しかし、今回の頼みは彼に頼むのが一番だと思っている。

 あまり気が進まない様子のルリジオに対して、アビスモは隠していた奥の手を使うことにした。

 指を組みながら体を少し前のめりにしたアビスモが、目の前に佇む金髪の美しい貴公子の顔をしっかりと見つめながら口を開く。


「そいつは下半身が蜘蛛の魔物の女だが、腕のいい織手なんだ。魔素を含んだ蜘蛛の糸で織られた服は優れた防具にもなる。俺はまだこの目で確かめていないのだが、どうやらその蜘蛛の魔物は巨乳らしいと、生き残った下位の悪魔から聞いt」


「なるほど。引き受けよう」


「即答にも程がある」


 アビスモの予想通り、ルリジオは詳細を聞く前にはっきりとした口調で快諾した。

 予想はしていたが、余りの露骨さにアビスモは苦笑いを浮かべる。


「そうと決まれば早く行こう。そうだ……彼女に手土産は必要かな?出来れば君の部下の何人かを見繕って肉団子にでもしたいんだけど……」


「確かに一団が魔物に食い散らかされた損害は大したことないって言ったし、悪魔は肉体が完全消滅すれば20年もすれば記憶と姿を保持したまま甦れるけど……なんというか本当にお前そういうところ怖いからな」


「さすがに冗談だよ。半分くらいしか本気じゃないって」


「……冗談に聞こえないんだよ。っていうか半分は本気だったんじゃねーか……。例の魔物はここから馬で飛ばして半刻ほどの距離だ。今から行くぞ。いいな?」


 そんな冗談を交わしながら、2人は真っ黒な六本足の馬が引く馬車に乗り込んだ。

 件の場所は、城からはそんなに離れているわけではない。二人は、あっという間に廃村らしきところに辿り着いた。

 その廃村には、灰色がかった白い糸がところどころ張り巡らされている。

 糸は非常に粘着力が強いのか、小さな動物の死骸がひっかかているのが見える。本能が危険を察知するのか、馬はいななきを上げて進むことを拒絶した。

 馬を止めたアビスモとルリジオより先に馬車から降りて、少しだけ先を進む。

 先日来訪したときとは変わり果てたその村の様子に、アビスモは驚きを隠しきれない様子だ。

 建物の隅の所々に、白い糸でぐるぐる巻きにされている塊がある。その中からは、なにやらうめき声のようなものまで聞こえてくる気がする。

 アビスモは、気を引き締める必要がありそうだぞとでも言いたげに、自分の長い髪の毛を高い位置で一つに括った。

 やっと馬車から降りてきたルリジオに目を向けようとした。すると、彼は出てくるなり剣を抜きサッと横に凪ぐ。近くにある糸は、剣から出た風圧で一掃された。

 ルリジオは、警戒をする気が皆無なようだ。呆気にとられているアビスモを気にすることなくどんどん廃村の奥の方へと足を踏み入れていく。


「いきなり剣を振るとかめっちゃビックリするからな!少しは気遣いとかしろよ」


「アビスモは強いから、そういう必要はないかと思って」


 強いからと言われて少し気を良くしたのか、怒った口調だったアビスモは少し顔をにやけさせる。小さな声で「お、おう」と答え、大人しくルリジオの背中を追った。

 しかし、警戒を怠っているわけではない。アビスモの右手には真っ黒な柄の頂上に赤い大きな石を嵌め込んだワンドが握られている。柄には美しく繊細な細工が施されており、打撃のためと言うよりは魔法を使うためのものだということがわかる。

 二人は朽ち果てて糸の張り巡らされている広場を横切ると、もともとの住民たちの民家だったであろうロングハウスが密集している区域に入る。

 大通りから一本奥へ入ると、広場とは比べ物にならない量の白い糸が張り巡らされていた。一歩一歩進むにも、白いネバネバして硬い糸が邪魔をしてくる。いちいちルリジオが剣で切らなければ進めないほどの密度だ。


「ちょっと、自分の身体を強化する魔法って使えたりするのかい?」


 少し進んだところで、いきなり振り向いたルリジオはそういいながらアビスモの顔を見た。

 その顔はいつもどおりの微笑みを浮かべているだけで、真意が読めないアビスモは首を傾げる。

 しかし、いざというときのために自分の体を強化して奇襲に備えることは悪くない提案だと思ったアビスモはワンドをルリジオに突きつけながら得意げな顔をして問いに答えた。


「俺を誰だと思ってる。悪魔を召喚できるほどの魔法使いでもあるんだぞ。自己強化なんて楽勝に決まってるだろ」


 胸を張ったアビスモがワンドを胸に抱え、小さな声で呪文らしきものを呟きながら目を閉じる。

 するとワンドの頂上についた石が静かな光を放った。その仄かに赤い光は、膜のように薄く広がると、ルリジオとアビスモの全身を包む。

 全身を包んだ赤い光が透明になって見えなくなると、アビスモは目を開いて、どうだと言いたげな顔でルリジオを見た。


 ――ドン


 ルリジオと目があったそのとき、アビスモは自分の体に強い衝撃が走ったことに気が付いた。

 衝撃を認識して身構えたときには既に遅く、アビスモの体は宙に浮き、彼を突き飛ばすために両手を前に突き出したであろう笑顔のルリジオの姿が彼の目に入る。

 アビスモの浮き上がった体が、そこら中に張り巡らされた白い粘着質な糸に絡み取られる様子を見てルリジオは「いってらっしゃい」とでも言いたげに手をひらひらと振ってみせた。


「ばっか!お前どういうつもりだ!」


 そう言いながら、なんとかルリジオを殴ってやろうと手足を懸命に動かすが、アビスモの体はどんどんと糸が絡みついていく。

 ルリジオはというと、口元に手を当てながら糸が揺れる様子を観察しているのか、アビスモが手足を動かせなくなって息切れをしていても助ける様子はない。


「悪ふざけもいい加減に……」


 アビスモが力を振り絞ってそう言おうとしたとき、背後から昆虫の足のようなものが自分を羽交い締めにするように自分の体に触れたのを見た。

 幸い自己強化の魔法のおかげで外傷はなにもなかった。しかし、壁に伝わった衝撃で脆い木の建物の一部が壊れたことから、通常のヒトならこれで助骨どころか内臓まで潰されているような凄まじい衝撃だったことがわかる。


 言葉を失ったアビスモが恐る恐る振り返ると、そこには八つの茶褐色の目と大きな二股に別れた顎をもつヒトの顔が現れた。


「ヒッ……めっちゃ虫寄りの見た目だ……」


 魔物は、自分の顔を見て泣きそうな声を出しているアビスモの体に食い込ませている二対の足に力を力を入れる。糸が揺れると、それが絡みついていた家の柱は軋みながらボキリと折れた。


「ありがとう、アビスモ。この蜘蛛の巣の中を闇雲に歩くのも危険だったから囮を使いたかったんだけど、君以外に囮を任せるときっと今の彼女の攻撃で死んじゃってただろうからさ……」


 ズズズッ……と音を立てて引きずっていかれそうなアビスモのマントに剣先を突き立てながら、ルリジオはそのまま数歩進む。アビスモの体に絡みついていた二対のうちの一本の足を掴んで『彼女』と呼んでいたソレを振り向かせた。

 突然獲物を持ち帰ることを邪魔された上に体を触られたそれは、不快だったらしい。アビスモの体を巣の奥の方へ放り投げると「キシャー」と威嚇音を発しながらルリジオを睨みつけて近付いてきた。


「貸しにしとくぞ。お前のところの調理師を一日うちによこせ」


「わかった。リラに聞いておくよ」


 ルリジオが操られたわけではなく、自分を囮に使っただけだとわかり冷静さを取り戻したアビスモは、風の魔法で作り出した刃で自分の手足を拘束している糸を切断する。自由を取り戻した彼は、服に少しついたホコリを払いながら立ち上がり、ルリジオの隣へと戻った。

 ルリジオはアビスモの言葉に笑って頷くと、目の前の八つの目を持つ生き物に目を向ける。


 下半身は細かな柔らかそうな毛に覆われた頭の無い蜘蛛のようで、三対、六本の足は表面は柔らかな産毛に覆われているもののその下には甲殻のようなものでしっかりと護られている。

 上半身はヒトのようだが、その肌は黒みがかった紫色で、甲冑のように硬そうだ。

 そして、顔には八つの目が並び、大きな二股に別れた強靭な顎と鋭い牙はまるで特殊な形のマスクのようだ。開閉を繰り返しているそこからはどろっとした透明の液体が滴っているのをみると、どうやらそこは彼女の口らしい。

 漆黒の腰まで届きそうな髪の毛を振り乱して威嚇音を放っているへ、ルリジオは恐れる様子もなく近寄っていく。


「突然住処にあがりこんでしまって悪かった。君を傷付けるつもりはないんだ。話を聞いてくれるかい?」


 威嚇音を物ともせず自分に近づいてくるヒトの男に恐れをなしたのか、彼女は威嚇音を途切れさせないまま数歩後退りをする。更に、顎を開閉してカチカチと音を立てた。

 アビスモは、その様子をどこからか取り出してきた椅子に座り、ゴブレットを傾けてのんびりと見つめている。


「大丈夫。怖がらないで……」


 ルリジオがそういいながら彼女の体に触れようと手を伸ばしたとき、鋭い彼女の顎がルリジオの腕に食い込んだ。

 ルリジオは一瞬痛みに顔を歪めるが、すぐに顔を上げて再び笑顔を浮かべる。痛みはあるようで、彼は脂汗を流しながら彼女に変わらず語りかけた。

 血を大量に流しながらも笑顔を作り続けるルリジオに、彼女は根負けしたらしい。蜘蛛の魔物は顎をルリジオの腕から離すと威嚇音を立てるのをやめて更に数歩後ろに下がる。


 それから、蜘蛛の化物は、自分の尻先から糸を出して自分の上半身を器用に包んでいった。

 完全に彼女の上半身が糸にくるまれて見えなくなると、その頂上から真っ黒な小さい蜘蛛が吹き出すように這い出てきた。

 蜘蛛たちが出るにつれ彼女を包んでいた白い糸は薄くなっていく。

 狭い建物と建物の間が、真っ白に見えるほどの密度で張られていた蜘蛛の巣が、彼女から出てきた小さな蜘蛛たちのおかげで真っ黒になっていく。

 おびただしいい蜘蛛の数にアビスモが驚いている中、蜘蛛女の上半身を覆っていた糸は跡形もなくきえていた。

 そこにいたはずの八つの目の魔物は、黒髪の麗しい女性の上半身をした蜘蛛の魔物へと変わっていた。

 先程まで甲冑の表面のように硬そうだった肌も、色以外はヒトと変わらないように見えた。 

 顔を上げた女性は切れ長の八つの目でルリジオとアビスモを疎ましげに見ると、花びらのような形の小さく真っ黒な唇を開いた。


「私は黒蜘蛛アラクネ一族のアネモネ。お前ら2人のニンゲンの、その恐れ知らずな態度に免じて対話のチャンスくらいはくれてやろう」


 気だるげに髪を掻き上げながらそう言ったアネモネに、ルリジオは片膝をついて跪く。そして、素早く彼女の右腕を手にとった。

 アネモネが拒絶の意思を見せないとわかると、ルリジオはそのまま彼女の右手の甲に口付けをして、再びアネモネの八つの目が並び顔を真っ直ぐに見つめながらこう言った。


「麗しい八つ目の君……貴女を我が妻の一人に迎えたいのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る