22話 九尾の獣
「傷付けるつもりはないよ」
そう言って微笑んだルリジオは、光り輝く剣をガウリに向かってそっと振り下ろす。
ガウリを庇おうと前に出ようとしたトパシオの努力も虚しく、瞬く間に刀身から放たれた光は、細くしなやかな美しいガウリの体を一刀両断した……かに見えた。
トパシオは慟哭しながら膝をつき、タンペットは突然の出来事に目を思わず覆った。
しかし、二人は、誰の倒れる音も、悲鳴も聞こえないことを不思議に思い、目を開く。
そこには、光を失った剣を持つルリジオと、剣から放たれたまばゆい光に全身を繭のように包まれて、姿が確認できないガウリらしき物体があった。
光は内側のガウリの体に沿うようにして、まるでなにかの生き物のように蠢いている。
幻想的な光の化物はしばらく蠢いたあと、ガウリの爪先の方から徐々に離れていった。
光たちはルリジオの剣に吸い寄せられるように戻っていき、剣に元の輝きが戻ったことを確認したルリジオが、剣を鞘に戻す。
幻想的な光景に目を奪われていた周囲の人々は、ルリジオの剣にばかり注目していたが、すぐにもう一つの異変に気がついた。
先程までルリジオの目の前にいたはずの美女が、恐ろしげな獣人の姿に変わっていたのだ。
タンペット以外の面々は驚きと恐れを隠しきれない様子で後ずさりをする。
腰まであったはずの銀色の髪や、陶器のようになめらかで真っ白な肌で豊満な乳房を持つ美しい王子の妃の姿は今はない。
その代りに、白銀の毛皮に覆われた九本の尾を持つ獣人が立っていた。彼女はルリジオよりも背丈が高く、狼にしては鼻先がか細い不思議な見た目をしていた。
身につけていたドレスや装飾品の数々から、その獣はガウリであると誰もが確信する。
「な……これは」
自分を見る人々の顔を見て異変に気がついたのか、ガウリは自分の手を見つめた。
そして、変わり果てたその手で顔を撫でる。やっと自分が獣人の姿になっていることを確認した彼女は金色の瞳に浮いた瞳孔を針のように細くした。
「ガウリ……これはどういうことだ……」
「こ……これは……」
トパシオの問いに一瞬戸惑ったガウリだったが、彼女はトパシオの元に駆け寄って縋り付くように抱きついた。そして、ルリジオを指さしながらトパシオの瞳をじっと見つめる。
「そう! 呪いです……。この者がきっとわたくしに呪いをかけてこのような姿にしたに違いがありません……」
ガウリの訴えに対してなんとか返事をしようとしたトパシオの額を、小さな旋風が貫く。
トパシオは精悍な顔を歪め一瞬のけぞると、額に手を当てて軽く頭を振った。
そして、はっとしたような顔をしてガウリを見る。
「……な……なにを言うんだ!この国に女神の加護をもたらした英雄ルリジオ殿がそのようなことをするはずはないだろう!」
「そんな……」
トパシオに突き飛ばされ、尻餅をついたガウリは驚いた様子彼を見つめた。
懸命な彼女は、すぐに何をされたか気が付き、旋風を放ったタンペットを金色の瞳で睨みつける。
「
「なに。新たに魅惑の魔法を付与されないうちに第一王子殿には正気に戻っていただいただけだ」
「おのれ……許しはせぬぞ……」
声を震わせながらそう言って立ち上がろうとするガウリの背後には、黒い炎のような靄がゆらめいて見える。
臨戦態勢にも見えるガウリを見たタンペットは、数歩後ずさりをして口元でなにやら呪文を唱えた。小さな旋風が起こり、タンペットとルリジオ、そしてトパシオの前に半透明の結界が現れる。
「王家の者を邪悪な魔法で虜にした忌々しい獣を捕らえよ」
「トパシオ様……お待ち下さい!」
トパシオが片手を掲げ、部屋の兵士たちをガウリに差し向けようとしたその時、先程までじっと黙ってガウリを見つめていたルリジオが大声を上げた。
トパシオが大慌てで兵に待つように言うとルリジオは、ガウリの方へ近寄っていく。
ガウリはそんなルリジオに対して威嚇するように牙を剥き、全身の毛を逆立てながら唸り声をあげた。
「彼女を傷付けるのはやめていただきたい。どうしても傷付けるというのなら……僕が相手をさせていただこう」
「ルリジオ殿!?クッ……私の監視を掻い潜ってルリジオ殿に魅了魔法を使われるとは……いつの間に……」
ガウリの前に立ち彼女に無防備に背を向けて、スッと剣を構えながら微笑むルリジオに、タンペットは動揺した。
なんとか魅了の魔法の解き方を探ろうと神経を張り巡らせようとしたとき、思いもよらない声が耳に届く。
「どういうつもりなの?妾の計画を邪魔した張本人でしょあなた?」
「え?」
タンペットは、自分のよりも狼狽えているであろうガウリの声に耳を疑った。
ガウリはというと、先程までの背後に揺らめいていた禍々しいオーラは消え失せ、先程まで優雅に左右に振られていた美しい九本の尻尾はすっかりと垂れ下がっている。
耳を後ろに倒しながら怯えたような瞳でルリジオを見ているガウリを、その場にいた人々は息を呑んで見守るしか出来ずにいた。
「ピオニエーレ王国が滅びるのは困るから、確かに君の正体を暴きはしたけど、君が傷つくところを見るのは嫌だ。だから、僕は君に味方するだけだよ」
「ルリジオ殿……其の者は貴公を陥れた。下手をすれば処刑されていたかもしれないのですよ?そのような忌々しい存在の味方を、我ら王国のものと敵対してまでする理由はなんなんですか」
トパシオが思わず大声で口を挟むと、ルリジオは相変わらず美しい微笑みを少しも崩さすに、声の主をまっすぐと見つめてこういった。
「だって巨乳ですよ?」
トパシオは、それを聞くと額に手を当てて頭を左右に振った。
兵士たちとタンペットが唖然とした様子でルリジオのことを見ていると、彼はガウリのことを見つめながら更に話を続ける。
「ヒト型の時に胸の完成度が高かったのは元から君自体がこんなに素晴らしい巨乳の持ち主だったからなんだね。うん。ヒトの姿のときよりも今のほうがずっといい。狼とはちがうこの細い毛……手を滑らせると最上級の絹にも負けないくらいの手触りの良さ、そしてこの艶……みてごらん月明かりに照らされた彼女の毛皮はまるで新雪の降り積もる夜の平原のようだ。そして……その平原に終点にそびえるこの高らかな双子山と深い谷間……この巨大な山を覆っている胸元の毛皮はさらにやらかくて……それに嗅いだことのないいい香りが漂っている。こんな素晴らしい
「いや……その……ヒトではない時点で私とガウリの婚約はなかったことになったというか……私は彼女に魅惑の魔法で操られて婚約をしたので……だよな?ガウリの方はどうだ?」
「妾……いえ、わたくしも……本性がバレた時点で婚約の方は継続できるなんて微塵も思っていませんし、こういうのも失礼だというのは承知ですが、国を乗っ取りたいだけでトパシオ様個人をお慕いしていたわけではないので……」
あまりにも真っ直ぐに「ガウリとトパシオが婚約している」ことが継続されていることを信じていることに驚いた二人は、本来なら騙し騙され敵対すべき間柄だということを忘れたように、しどろもどろになりながらお互い気まずそうな視線を交わす。
ガウリとトパシオが、お互い婚約はなかったことになっていることを確認し合ったのを聞くとルリジオは目を輝かせた。そして、ガウリの毛皮に包まれ透明の鋭い爪がちょこんと顔をのぞかせている手をとって握りしめた。
「……では、僕が今ここで君に求婚しても問題ないということだね?滑らかな毛皮に覆われた美しい
「魅惑の魔法を使ったわけでもなく……しかも貴方を陥れようとしたにも関わらず……本当の姿の妾を愛してくれるのですか?ヒトの貴方が?」
「ヒト型のときももちろん素敵な姿だったけど、今の姿のほうが素敵だと僕は思ってるよ」
「妾……ニンゲンが嘘をついているのか匂いでわかるのですが……本当にこのヒト嘘をついてない……真の姿を愛してくれて……魅惑の魔法にかけられなくても国を相手取って妾のために戦おうとしてくれるなんてぇ……降参ですぅ……」
へたへたと座り込んだガウリが尻尾をゆらゆらと左右に揺らしながら涙を零すと、ルリジオはその場にしゃがみこんでガウリの涙を指で拭う。
その様子を見てすっかり毒気の抜かれた面々は大きなため息を付きながら、二人を残して部屋を後にするのだった。
※※※
「え?それで……一国の王子をだまくらかして国をしっちゃかめっちゃかにしようとしていた獣人が……なんのお咎めも無しでルリジオの嫁になったのか?」
「隣国へは、妾が持っていた白い熊の死骸と財宝を渡して王子が魔物に騙されていたということに納得してもらいましたしぃ……妾ちゃんとしたことの責任は果たしましたぁ……」
アビスモは、やや前のめりになりながらそう口を挟むと、ルリジオに頭を撫でられているガウリは「べー」っと舌を出してすねた様子でそう答える。
「僕が隣国に話し合いに向かおうとしたらみんなが止めてくれたし、ガウリが私財をなげうってくれるなんてね。本当に僕は良い妻に恵まれたと思うよ。そのとき、国を救った英雄としてタンペットは国の魔道士として雇われたんだ」
ルリジオが微笑むが、アビスモを含め他の妻たちは「話し合い」を止めたその当時の人たちの様子を考えて、複雑そうな表情を浮かべた。
「エルフがヒトの国に仕えるなんて珍しいとは思っていたんだが……。タンペットはどうしてその条件を飲んだんだ?」
「ヒトの女の子を弟子や下働きとして好きなだけ雇っていいって条件を認めさせたんだっけ?」
「あんの
「タンペットは行場のない僕の家に嫁がされる、僕の好みの胸ではない少女を引き取ってくれるから助かってるよ」
忌々しそうにそういったガウリの真意に気が付いていないのか、ルリジオはのんびりとした口調でそう答えた。
ガウリは言うだけ無駄だというように短いため息をつくと、頭を撫でるルリジオの手に集中するかのように目を閉じる。九本の尾をゆらゆらと優雅に揺れた。
「ガウリ殿、そろそろ交代だ」
クゥンと甘えるような鳴き声を出しながらルリジオの頬に鼻を擦り付けに来たのは、白銀の毛皮の狼ヘンティルだった。
ガウリと毛の色は同じだが、毛の質が違うのか少し灰色がかった銀の毛皮は美しく滑らかな狐の毛皮とはまた違った美しさがあった。
「仕方がないですねぇ。では客人、ご機嫌よう」
ガウリが渋々ルリジオの膝から離れると、ヘンティルもガウリと同じようにルリジオの膝に頭を乗せ腹ばいに横になる。
ルリジオはガウリに手を振って見送ると、今度はヘンティルの頭から背にかけてをゆっくりと撫で付けた。
「なんだろう……圧倒的敗北を感じる」
アビスモは、ルリジオを見つめながら小さな声でそう言うと、新しく手にしたゴブレットのなかの果実酒を一気に喉へと流し込んだ。
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