旧き神編

21話 傾国の美女

「確か、僕がピオニエーレ王国の第一王子がパーティーを開くからと呼ばれた僕の部屋に来てくれたんだよね?当時、ヒトに化けていたガウリは、確か下女のふりをしていて……」


 ルリジオにそう言われ、ガウリは背筋をピンと直した。

 そんな彼女の頭を相変わらず優しい手付きで撫でるルリジオは、昔を懐かしんでいるかのように遠くを見つめながら思い出を話し始めた。



※※※



 ピオニエーレ城での盛大な第一王子の生誕祭は、第一王子が下働きの白銀の髪を持つ娘と結婚すると大々的に発表したおかげで、当時は城も城下町も大騒ぎだった。

 城下町では、平民が王族に見初められたと人々が喜び、隣国の第一王子の許嫁だった姫や他国の王は「どういうことだ」と問い詰めるために使者を送った。

 ピオニエーレの者たちはそんなドタバタのせいで疲れを隠しきれないように見えた。


 どんなに王たちが説得しても、第一王子の決意は固く、変わらないものだった。

 だから、王は言ったのだ。「ならば自らの口で許嫁や民衆を説得してくれ。それが敵わないのなら諦めて元の許嫁と婚姻を交わすのだ」と。

 その条件を突きつけられた第一王子は、ある日、城の城門前の広場で大規模な民衆も招待するパーティーを開くことにした。


 その第一王子主催のパーティーに呼ばれた来賓のうちの一人が、当時、次々と武勲を打ち立てていたルリジオだった。

 問題行動を時折起こすものの、邪悪な魔法で見にくく変えられていた女神を救いピオニエーレに女神の加護をもたらした英雄だ。

 更に、北の国を銀狼キュノケファロスの群れの脅威から救いもした。

 彼ならば、この国の混乱をなんとかしてくれるのではないかという希望もあったのかもしれない。


 王や家臣たちは城に訪れた金髪の貴公子を手厚く出迎えると、第一王子の目の前に案内をした。

 パーティーの前夜の城は、楽団が穏やかな音楽を奏で、吟遊詩人が英雄の活躍を声高に紬ぎ、色とりどりのドレスに身を包んだ淑女たちが所狭しと歩き回っている。

 そんな中にはルリジオと同じく各地で武勲を立てているであろう精悍な顔つきをした英雄たちが多数招かれていた。彼らは緊張した面持ちで王族たちの前に片膝立ちで跪き剣を掲げ挨拶をしている。


 逞しい褐色の黒い髪の男が、身の丈ほどもある槍を掲げながら片膝立ちで跪き、立ち上がった後更に一礼をして下がると、ルリジオも他の英雄と同じように片膝立ちで跪き剣を掲げ挨拶をした。

 王の労いの言葉に礼を返し、そのまま下がったルリジオが、城の下女の一人に連れられて宛てがわれた客室へ入っていく。

 鎧を脱ぎ、剣を置いたルリジオが一息ついているところへ、ふと芳しい花のような香りが漂ってきた。

 足元に落としていた視線を上げたルリジオの目には、一人の女性が目に入った。

 彼女は、腰まである銀色の髪を揺らしながら真っ白な絹のドレスを身にまとっている。スッと通った鼻筋に小さな口、そして大きく少しつり上がった目。彼女は絵画に描かれた女神のように美しかった。

 女性は、後手で客室のドアの取手に木の板を嵌めて施錠をする。そして、妖しく光る金色の瞳を輝かせながら、ルリジオの元へ近付いてきた。彼女は寝具に腰を下ろして、くつろいでいるルリジオに近寄るとそのまましなだれかかる。


「北の領地を犬どもから取り戻してくれたたくましいお方……お初にお目にかかります。わたくし、この度第一王子のトパシオ様の妻になる予定のガウリと申します」


 真っ白なドレスの大きく開けた胸元をルリジオに強く押し付けたガウリは、吐息混じりに囁く。そして、部屋に灯っている蝋燭の火を吹き消した。

 彼女は、寝具の上にルリジオを押し倒して妖艶な微笑みを浮かべる。

 窓から差し込む月の光を反射して宝石の粉を散りばめたようにガウリの白銀の髪はキラキラと輝き、豊満な胸のわりにほっそりとした腕はルリジオの胸の上に置かれている。


「下女のわたくしを見初めてくれたトパシオ様も愛しているのですが……どうしても女神の加護を受けた英雄ルリジオ様にお会いしたくて……そして、お会いしたら……ほら……」


 ルリジオの身体に白いドレスの妖艶な美女が跨がる。

 抵抗の意思を示さないルリジオの指に、細く長い指を絡めたガウリは、自分のはちきれんばかりの胸へ彼の手を持っていく。そして、真っ白な肌と肌の谷間に彼の手を挟んだ。


「伝わっていますか?わたくしのこの胸の高鳴り……体の火照り……」


 谷間に誘導していた手を放し、彼の手を自らの細い腰に誘導しながらガウリは前に倒れ込んだ。そして、熱い吐息混じりの声をあげながら、潤んだ瞳でルリジオの碧眼を見つめる。

 やわらかな谷間、そしてヒトにあるまじきその美貌を目の当たりにして、冷静さを保っていた男などいなかった。ガウリは自信に満ちた表情を浮かべていた。そんな彼女の肩をルリジオの手が掴む。

 肩を掴まれ、そのまま自分を押しのけて上半身を起き上がらせたルリジオを、まんまと罠にかかったと言わんばかりの満面の笑みで見つめた。しかし、自分を見つめるルリジオの瞳には、他の自分を目の前にした男が瞳に宿すような邪悪な熱っぽさがない。

 違和感を覚えたガウリは、表情を少し強張らせる。


「……本当にこの谷間の見た目、この肌と肌の重なる比率、そして質感……特に月の灯に照らされて、この陶器のように白い肌に薄っすらと透けた血管は最高に素晴らしい。垂れているとまではいわないが、不自然でもない豊満な乳房の形も素晴らしい。理想的だとすら言える。でも……ちがう。この質量の谷間で挟まれたら、もっとこう……圧迫感を感じるべきだし、なにより谷間の間の独特の熱気と湿度が足りない……。どんなおっぱいも全て素晴らしいので否定や文句は言いたくはないんだが……贋作に関しては、より良い至高の宝おっぱいを作成するためにも僕は心を鬼にして意見を言いたいと思う」


「え?なに?え?」


「肌の質感は、谷間以外は最高の水準だ。きめ細かい肌、ないわけではないが目ではほぼ見えない毛穴の再現……。本当に……唯一と言ってもいい惜しむべき点は、今僕が触らせて貰った谷間と……そう。この胸の下の部分」


「きゃ……きゃあっ」


 さっきまでの妖艶な笑みを浮かべて、ルリジオにしなだれかかっていた人物と同じとは思えないくらいに目を丸く見開いたガウリは、きょとんとした表情を浮かべている。

 男が、自分を見つめながら残念そうな声色を出しているのが信じられないと言った様子だ。

 ルリジオは、解説をしながら彼女の大きく開いたドレスの胸元に手を無遠慮に差し入れ、豊満な乳房の下の部分を触って納得をしたような表情を浮かべる。


「ここ。乳房と体が接触する部分。ここにも僕好みのヒトおっぱいは汗をかくのだけれど、やっぱり君はここの汗の再現もしていないね。君の本来の姿は自分の皮膚を実際に目にする機会のない毛皮に包まれた種族なんじゃないかな?」


「な……貴様……」


 咄嗟に振り上げた手を抑えられ、今度は逆にルリジオに押し倒される形になったガウリは口角を持ち上げてニヤリと笑った。そのままの姿勢で、彼女は耳をつんざくような悲鳴を思い切り上げた。

 ドタドタという足音がすぐ部屋の前まで聞こえてきたかと思うと、いつのまにか施錠が外れていたドアの向こうから、兵たちが姿を現した。


「こ……この者が急にわたくしを押し倒して……」


 怯えたような表情を咄嗟に作ったガウリを救うべく、兵たちがルリジオに近付いていく。

 ルリジオはというと、まいったなぁと緊張感の欠片もない調子で呟きながら、ガウリの上から退いた。敵意も抵抗する意思もないとでもいいたげに両手をあげている。


「ルリジオ殿、これはどういうことだ」


 部屋に入ってくるなり、兵士に取り囲まれているルリジオに対して声を上げたのはピオニエーレ王国の第一王子でガウリを妻にする予定のトパシオだ。

 波状のラインを上品に描く赤みの強い金髪の大男トパシオは、今にもルリジオに掴みかかりそうな勢いでいる。

 ガウリは泣きつくふりをしながらトパシオの元へ駆けていくと、トパシオの熱い胸板に顔をうずめた。そして、大げさにかぶりを振ってみせた。


「トパシオ様も親しくしている英雄の方だと言うのでご挨拶に伺いましたら……急に……」


 目をうるませながら自分を見てそういうガウリの言葉で、トパシオは頭に血が登ったらしい。

 両手を上げて弁明すらしようとしないルリジオに殴りかかろうと腕を振り上げた。しかし、その手を岩のようななにかが止める。

 トパシオが怒りを顕にして岩のような手の主を見ると、そこには小型のゴーレムと、それの主であろう女エルフが静かに佇んでいた。


「凶風のタンペット……客人である貴女の出る幕ではない。これは我が国の……いや私の威信の問題だ」


 トパシオが力を込めて拳を振り抜くと、小型のゴーレムの腕はそのままボロリと崩れる。

 しかし、タンペットは涼し気な表情を崩さないまま前に進み出た。そして、トパシオとルリジオの間に入って話を続ける。


「貴公が殴ろうとしているその相手が、貴公を食い物にしようとしている哀れな獣から貴公を救おうとしている者でもですか?」


 なんのことだ?と言いたげに表情を曇らせるトパシオと、彼にしっかりと肩を抱かれているガウリにタンペットは冷たい視線を送る。

 彼女は、もったいぶった様子で部屋をぐるりと一周して元の場所に戻ると、ため息を付いた。


「……その銀髪の女は……招待されている英傑たち全員と関係を結んでいますよ。……もちろんここにいる金髪の剣士を除いてですが」


「ひ……ひどいですわ……タンペット様……。わたくしが下賤の育ちだからといってそのような決めつけを……」

 

 両手で顔を覆い泣き崩れるガウリのことを愛しそうに抱きしめるトパシオは、涙をポロポロと落とすガウリの涙を指でぬぐってやる。

 それからすぐに、血走らせた目でタンペットとルリジオをにらみつけた。


「どういうことだタンペット!我が妻になろうというガウリをそのように辱めるというのか」


「では、ピオニエーレの国宝である真実の姿を映すという鏡でその女の姿を写してみればよろしい」


「もうそのような宝などない!アレはガウリが気に入らないと言うので私自らの手で割ってやったのだ!」


 深緑の衣を翻しながら大声を張り上げたタンペットに対して、トパシオは胸を張りながらそういうとガハハと何故か自慢げに笑ってみせる。


「なんて愚かなことを……」

 

「わたくしがトパシオ様を裏切ったなんて嘘よ!この高飛車なエルフと英雄ぶった剣士の策略なのよ!きっと貴方の許嫁の父親の差金だわ……」


 それを聞いて呆れたような声をあげるタンペットを見て、これがチャンスだといわんばかりに、ガウリはトパシオの服の袖をひっぱった。

 彼女は、ルリジオとタンペットを指さしてわめきたてる。


「どうだ英雄ルリジオ殿。この獣に食い物にされ狂いゆく国から逃げ出すなら妾が力を貸すぞ?」


 後ずさりをしながらルリジオに近付いたタンペットは、先程から微笑みを絶やさないルリジオを少し不思議に思っていた。しかし、それを考えるのはあとにすることにして、一人の英雄に耳打ちをする。


「そうだな……。でも僕は一応この国にたくさん恩もあるし……見捨てる前に少しだけ恩返しでもするとしよう」


 タンペットが魔法を使おうと杖を深緑のマントの裏側から取り出すのを、ルリジオは片手で静止した。

 彼は机の上に置かれていた自分の剣をさっと手に取ると、こちらを睨んでいるトパシオとガウリに歩み寄る。


 場に飲まれて呆然としていた兵士たちが我に返ったのか、剣を持ったルリジオを抑えようとにじり寄ってくる。

 彼は、そんな兵たちを鞘のついたままの剣で一薙ぎした。兵たちはわけもわからないまま尻もちをついて、彼を見つめている。

 ルリジオは、兵たちが起き上がらないのを見るとにっこりと微笑んだ。そして、まるで太陽の光を剣の中に封じ込めたかのように輝く刀身をゆっくりと鞘から引き抜いた。

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