20話 世界の破壊を行う者
「
ルリジオの館に足を踏み入れた魔王アビスモは、玄関で出迎えた妻たちの面々を見て、心底感心したようにため息混じりにそうつぶやく。
目の前にいる数人の妻から目を離さないまま、彼は細い体躯に似合わない重々しい真紅の外套を小柄で毛むくじゃらの手伝い妖精ブラウニーに手渡した。
つい先日、抜き身の剣を携えて対峙した相手に対する態度とは思えないほどにこやかにアビスモを迎え入れた館の主人であるルリジオは、紫色の髪を持つ美しい顔をした新たな友人の白く細い手をそっと取りしっかりと握手を交わす。
玄関でアビスモを迎え入れた数人の妻たちは、予想よりも幼く、そして美しい魔王の姿に驚きの声をあげながらひそひそと好き勝手なことを話している。
それがアビスモの耳にも届いているはずだが、それよりも彼にとっては普段魔王城では見ることのない妖精たちが、館の中でせわしなく飛び回る様子に夢中なようだった。
「この前の女エルフは今日は来ないのか?」
「仕事が忙しいみたいで今日は来れないって言ってたよ」
「仕事は宮廷魔導師だったよな?仕えてる国でも破壊すれば暇になったりしないか?」
辺りを見回しながら、アビスモは急に思い出したようにタンペットのことを尋ねるが、返ってきた言葉に肩を落とす。
そして少し思案したような間を置いていたずらっぽく笑いながら物騒なことつぶやいた。
「流石に食い扶持を破壊する相手とは二度と会ってくれないと思うけどなぁ」
魔王であるアビスモの冗談のように聞こえない言葉に、ブラウニーは目を丸くして思わず足を止めた。しかし、そんなブラウニーに反して、ルリジオは呑気な調子だ。
「……お前本当に巨乳が絡まないと普通なんだな」
アビスモは感心したようにそう呟いた。
長い廊下を通り、中庭を通り抜け食堂に到着するとアビスモも初めてその場に招かれたかつての妻や友人と同じく、その食堂の広さと異様さに驚きの声をあげる。
そして、別の入り口からのっそりと入ってきた巨人族の妻達を見て「なるほど……巨人族のためのこの広さか……」と納得したようにぼそっとつぶやいた。
「あら、アビスモ様?快気祝いにかけつけてくれたんですの?」
巨人族の妻の髪を、優雅に巨人族の頭に座りながら結っていたアソオスがこちらをみた。
夫の姿に気がついた彼女は、元気な様子で背中の羽根を羽ばたかせながら嬉しそうな声をあげて近付いてくる。
「来てやってくれってお前の夫がうるさくてな。部下の娘ってだけで、面識も親交もほとんどないと言ったんだが」
「せっかくルリジオと仲良くなったんだし、これから仲良くしましょ」
「うるさいくっつくな。そういうのはいい。ルリジオが怖いからやめて……あと、胸を押し付けてくるな」
暁色の長い髪をゆらしながら微笑んだアソオスがアビスモの横に立った。
自分に腕を絡ませて体を密着させるアソオスに、アビスモは慌てると、彼女の腕を振りほどく。
慌てるアビスモを面白がったアソオスは、彼に再び自慢の体を密着させた。
「照れなくてもいいですよー」
ふざけた調子で言うアソオスに対して、アビスモはすがるような目つきでルリジオを見つめる。
「嫌がっているのを無理矢理にとか胸を傷つけないのなら、妻が誰と仲良くしようが誰と関係を持とうが僕は一切気にしないよ」
「その関係性がわからないし、なにかの拍子で胸を傷つけた後のお前はマジギレしてくるのわかるからホントにこわい」
ニコニコとしながら振り向いたルリジオに対してため息混じりにそういったアビスモは、自分に纏わりついてくるアソオスの腕を振りほどく。そして、案内された席へ着く。
アソオスは少しも反省した様子を見せず、ひらひらと手を振って自分の席へと向かった。
食卓には猪の肉を香ばしく焼いたもの・米をミルクに浸して煮たものに木の実と香草をまぶしたものなどが並び、空を飛ぶ妖精の少女たちがぶどう酒の入ったゴブレットをヒトに配り、普段は料理に携わっているオークたちは巨人族へぶどう酒の入った樽を配膳していく。
「では、我が愛しの妻の一人であるアソオスの怪我の回復と、新たな友人であるアビスモの来訪を祝して皆で楽しいひと時を過ごそう」
ルリジオの一言に皆は手に持った盃を掲げて口をつけると、妖精たちやピロポスの眷属たちが美しい音楽を奏で、食事会は和やかに開始する。
アビスモが食事に口をつけて思わず顔をほころばせたのを見てルリジオが微笑む。
そこへ、一人の妻が現れた。ギリギリまで厨房に立っていたために、配膳が終わってから自分の席へ向かおうとしているリラは、シンプルなドレスを身にまとっている。
ルリジオは、そんなリラを自分の方へ呼び寄せると、アビスモへ紹介した。
「なるほど。良い料理人を雇えたな。我が城にも料理人はいるのだが、そのリラという男ほど細やかな料理というか繊細な味付けは出来なくてな。多少料理のしづらそうな変な……コホン……個性的な装いをしていてもやはり料理人は見目よりも料理の腕が一番だな」
腕組みをしながら、アビスモは目の前に立った巨躯を持つリラを賛美する。
慣れているのか、リラは男性と間違われているにも拘わらず、その賛美に「ありがとうございます」と言いながら深々と頭を下げる。
「いや、リラは妻だよ。わからないかい?この豊満な胸はどこからどう見ても女性じゃないか……。僕はリラの女神のような美しさに一目惚れしてその場で求婚をしたんだ」
「……。すまない。料理を作ったと聞いて男性だという先入観が」
二人のやりとりを見て、間髪入れずにそう訂正したルリジオにアビスモは慌てて謝るが、リラは両手を前に突き出して左右に振りながら頭を下げるアビスモに慌てふためいた。
「大丈夫です。男性に間違われることには慣れていますから。それでも、そんなわたしのことをルリジオ様は美の女神だと言って会うたびに褒めてくれるんですよ」
「美の女神……この兵士や力仕事を頼みたくなるような体格、オークのように上を向いた精悍な鼻、目から頬にかけて抉れた戦士としての勲章……戦の神ではなくて……美の女神……そいつの目はおかしいんじゃないのか」
「毎日怖いくらいに褒められているので、貴方みたいなことを言う人が久しぶりで少し安心しました。これからも夫と仲良くしてあげてくださいね」
リラは、そんなアビスモの軽口に顔をほころばせると、ドレスの裾を持ち上げ軽くお辞儀をして自分の席へと戻っていく。
どうにか丸く収まったとでも言いたげに胸をなでおろしたアビスモだったが、急に横から伸びてきた手に肩を掴まれたことに驚いて視線を上げる。
何かと思って驚いたルリジオへ、ルリジオがランランと光る目をこちらに向けている。
「アビスモ、よく聞いてくれ。 彼女のこの美しいドレスの下にあるふっくらとした胸部の膨らみを見るんだ。筋肉ももちろん申し分なくついているが、その上にしっかりとやわらかさがあり、普段から鍋や薪などの重いものを持つことで鍛えられているからか重力に負けることもなくこうして美しい曲線を維持している。なに、重力に負けてしまっている大きな乳房ももちろんそれはそれで素晴らしいのだけれど」
「おっぱいの話になると早口になって瞳孔が開くの本当に怖いからな」
「だって巨乳だぞ?この至高の宝を目の前にして冷静でいられるはずがないじゃないか」
嫌な予感が的中したと言わんばかりに、眉間にシワを寄せてそういったアビスモに、ルリジオは真剣な様子でそう返した。
アビスモは呆れながらため息をつくと、今しがた妖精が運んできた新たなゴブレットに注がれている葡萄酒を口に含み頬杖を吐きながら目の前の不可解な生き物でもある新たな友人ルリジオをしげしげと眺める。
そして、気怠そうな様子で再び口を開いた。
「それよりも、だ。俺が世界の破壊と支配を諦めたことについてとか聞くことはあるだろうが」
「あまり興味がない」
「え」
端正なその顔を少しも歪めないまま真っ直ぐこちらを見て発せられたルリジオの、そのあまりにもはっきりとした物言いに、アビスモは思わず口をぽかんと開けたままあっけにとられた。
そんなアビスモの表情を見て、ルリジオはにこやかな表情を崩さずに話を続ける。
「確かに世界の破壊をされることは、僕にとっても困ることだから阻止はするつもりだったけれど、君は友達だ。僕の妻たちに危害を加えないのなら君の素行に口をだすつもりはないし、関心もあまりない」
「本当に変わっているなお前は」
呆れたような、それでも何故か嬉しそうに口元に笑みを浮かべたアビスモは手にしていたゴブレットのなかにあるぶどう酒を一気に喉に流し込んでルリジオのことを見つめた。
「お前がそういうやつだから、友達ってやつになろうと思ったんだけどな。この前も話したけどさ、神が地から去ったこの世界を破壊して俺が新たな神話の始まりになるのは諦めた……というかやる気が無くなった。ただ、契約している悪魔たちの食い扶持のためには殺戮が必要なんだ。悪魔はヒトの恐怖と憎しみを食べて現界しているからな」
「んー。魔王としても命令ではなく、友人としての君からの相談なら乗らなくもないよ」
「命令も相談もない。俺はこれからもヒトを殺すし、略奪もする。だけどその対象からルリジオとタンペットは極力除外したいって思ってるのは言っておきたかった」
呑気な返事を返すルリジオにアビスモは笑いながらそう言うと、デザートとして出された氷の魔法で凍らされた野いちごを口に放り込む。
そして小さな声でこう付け加えた。
「敵対したとして……お前には勝てる気がしないしな……」
ルリジオが目をそらしたアビスモの翡翠のような瞳を覗き込もうと身を前のめりにする動作にあわせるようにスッと白い影がルリジオの背後へと近付く。
「それにしてもぉ……神が地から去ったとか、新たな神話の始まりとか妾としては気になりますぅ」
「私共も、一応神の端くれ。地から去った神というのは上位神のことなんでしょうが、新たな神話というものがなんなのかは気になりますわね」
白い影の正体はガウリだった。
ガウリは、ルリジオに甘えた声を出しながらしがみつくが、後からきたモハーナによって少し乱暴に引き剥されると残念そうな声をあげた。
彼女は、なめらかな毛皮に包まれた美しい九本の尻尾を乱暴に振り回す。
そんな様子を慣れた様子でいなしながら、モハーナは腰に手を当てながら尾を揺らして鱗を仄かに逆立た。そして、警戒した様子で目の前の魔王と呼ばれている美しい少年のことを見つめた。
質問に答えるべきか迷ったように視線を宙に泳がせていたアビスモが口を開こうとした。しかし、それは美しい暁色の髪を揺らしながら近付いてきたアソオスによって阻まれる。
「魔王が勝てばヒトの時代の来訪は遠のき、ヒトが勝てば神の時代は終わりに近づく。ヒトは魔法や神秘……神の祝福と呪いの枷から開放される。枷から開放されたヒトは世界のすべてを食らい付くして終わらせる神の作ったか弱い邪悪な獣。私たち悪魔が神になるための愛しい糧」
二人の間に立って妖艶な微笑みを浮かべたアソオスは歌うような調子で言葉を放つ。
「お前たちが新たな神の座に治まるためにこの少年を利用しているということだったのですね」
「利用されているわけじゃないさ。転生するときの条件として、俺が魔王になりたいと望んだ。
絶大な力を持って世界の破壊を行う者として君臨したいという望みの対価が、神の時代の終わりの延命だ」
「私はアビスモ様と強い契約を交わしているわけではないので、こうして好き勝手できるんですけどねー」
「この時代の勇者に最も近い存在と、魔王の右腕の娘が結婚するってのは流石に自由すぎるだろ……」
アビスモはアソオスに後ろから抱きつかれ、彼女に回された腕を軽く叩いてやめろという意思を示しながら、ため息混じりにそう言って肩を落とした。
「転生……つまり妾と同じように異世界から来たってわけなのね」
「……多分、お前と近い世界に元はいたと思うぞ。俺の世界に王や権力者を誑かす女狐の伝説はわんさかあったからな」
「昔は色々な世界で悪いこともしましたけどぉ!今は妾ルリジオ様のためにいい狐でいるんですぅー」
自分の悪事を暴かれまいと、ガウリは誤魔化すような調子でそういうと、再び勢いよく目の前にいるルリジオに抱きついた。
ルリジオはそんなガウリのふわふわとした毛並みに包まれた頭を、つやつやの手触りを楽しむようにゆっくりと撫でる。
「ガウリは……確かピオニエーレの王子と結婚しようとしていたんだっけ?」
ルリジオのその言葉に、甘えたような表情をしていたガウリは「しまった」と言いたげに金色の瞳の中に浮かぶ細長い瞳孔を更に細長くしてルリジオの顔を見つめた。
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