19話 赦されざる者

 城にいる悪魔や魔物、そして駆けつけてきたタンペットが見守る中、アビスモは召喚の呪文を唱える。

 彼が呪文を終わると同時に、濃い紫の靄のようなものが魔法陣の中に満ちていく。

 その煙は徐々に赤い鎧とマントを身にまとったスラリとした騎士の姿に変わった。


「久しぶりだなベリト。吾輩の義息子を貶めようとしたことまでは悪魔の性として咎めずにいたが、愛娘の胸を切りつけたことは許すことは出来ぬ」


 腕組みをしながら後ろに下がったアビスモと入れ替わりに、バエルは魔法陣の中にいるベリトの目の前に進み出た。

 怒りに満ちた声でベリトを攻めるバエルと向き合ったベリトは僅かに兜を傾けた。

 兜から微かに見える表情だけでベリトも不機嫌だということがわかる。バエルは目の前にいる悪魔を見下ろしたまま数歩近付いた。


「なにか言い訳はあるか?」


 黙ったままなにも答えようとしないベリトの前に、ルリジオが音もなく姿を現した。彼の手には抜き身の剣が握られている。

 ルリジオの纏う異様な雰囲気にベリトは一瞬ビクッと身を竦ませた。


「はじめましてだね。なにか言い残すことはあるかい?」


「すまなかったと思ってる……でも聞いていくれ……吾も実は巨乳なのだ……」


 剣を振り下ろそうとしていたルリジオの腕の軌道が急に変わった。

 上半身を隠すように覆っていたベリトのマントを翻し、胸部に豊かな曲線を描いた鎧を確認してから、彼は剣を止めた。

 その胸部の曲線の下に本当に胸が詰まっているのかは外からは確認できないが、どうやらルリジオの動きを止めるだけの効果はあるようだった。


「卑怯な……ルリジオ殿を誑かすつもりかベリトめ……」


「え?あれに引っかかるのあの金髪くん?嘘でしょ?あれ絶対ベリトの嘘ってわかるでしょ……」


 焦るバエルと、それに驚くアビスモの横に、駆けつけてきたタンペットが佇む。

 彼女は、無言のまま防御用の結界を自分たちの目の前に展開し始めた。


「風使いのエルフよ。どうしたのだ?そなたはルリジオ殿の友人だろう?彼が誑かされる心配どころか結界を張り始めるとはどういうことだ?どんな人格であれ見た目であれ巨乳なら許すのが彼だろう?」


「……違いますバエル将軍。彼は巨乳以外に関心がないから他のことはどうでもいいだけです」


「巨乳以外に関心がないなら余計この状態は危ないのではないか……?」


 タンペットが無言で首を横に振り、それに対してバエルが更に質問をしようとした。しかし、ベリトとルリジオのやりとりが始まったためバエルは口を閉じて前を向く。


「吾を許してくれるのなら……この鎧の下にある本当の姿おっぱいをお見せしよう」


「それは」


 上ずった声で、真っ赤な鎧から僅かに除く瞳を輝かせながらベリトは口元にひきつった笑みを浮かべる。

 魔法陣の中にいる悪魔に、笑顔のまま歩み寄ったルリジオは、その表情を崩さずに剣を薙ぎ払った。


「君の余分な部分を切り落としたら自分で確認することにするよ」


 ベリトの右太腿が鎧ごと一刀両断された。噴水のように噴き出した血が魔法陣の間近にいたタンペットの結界に跳ね返され、辺りには血なまぐさい臭いと、ベリトの絶叫が響き渡る。


「さて、次は右腕だね。本当は指の一本一本を切り取ってやりたいくらい僕は怒っているけど、素敵なおっぱいなのかもしれないから最大限優しくしているんだよ?僕は魔法は不得手なんだけど、止血の魔法だけは得意なんだ。僕の大切な妻の胸を傷つけた罪をしっかりその記憶に刻みつけてから永遠の眠りについてくれ」


 白く輝く細い光の輪がベリトの太腿に発生し、そのまま断面の側面に張り付く。噴き出していた血は止まり、ベリトは僅かに落ち着きを取り戻す。

 言葉を紡ごうとしているが、声が出ずに口を開閉させているベリトに、ルリジオは笑顔のまま剣を振り上げる。

  またもや鎧ごと切り落とされたベリトの体の一部はゴロリと転がった。ルリジオが指をサッと横に振ると光の輪が現れ直ちにベリトの右肩も止血を施される。


「あが……な……なぜ……吾は……巨乳かもしれないのだぞ……」


「だから君の巨乳だけは大切にするよ。余計な部分はいらない。さ、次は左腕だ」


 やっとのことで言葉を口にしたベリトに無表情のままそう返したルリジオは、容赦なく赤い悪魔の左肩にも血にまみれた剣を再び勢いよく振り下ろした。


「僕があのすばらしくやわらかいこの世界の至高の宝おっぱいについているその他の部分も大切にするのは、僕に役に立つことがある上に、生きた個体についている胸は湿度、手触りが日々違って毎日違う表情を見せてくれるし、それに年令を重ねることで得られる変化を楽しめるからなんだ。でも、僕の役に立つどころか僕の大切な妻たちを傷つけたお前の胸以外の部分は僕にとっては無価値だ」


 さすがの悪魔も体を生きながら切られる痛みには耐えられないのか、四肢を失ったまま地面に無様に横たわった。そのまま呻くベリトの首に、ルリジオは剣を突きつけた。

 空いた手でベリトの頭を覆っている兜を掴み、彼女の目を見ながら口元にだけ笑顔を浮かべる。彼は、ベリトに冷たい目を向けながら話しかけた。


「最後に言い残すことはあるかな?」


「この……異常者が……」


「そうだね」


 鼻で笑いながら頷いたルリジオは、ベリトの首へ剣を振り降ろした。

 切り落とされた首を、彼は興味なさげに放り投げる。

 そして、残った胴体の鎧に剣を軽く当て、鎧の胸部装甲を剥いだ。

 そこには、確かに膨らみのある巨乳があった。彼は、やっと普段の優しげな表情を取り戻した。


「さすがの僕もベリトの言葉が本当だとは思わなかったよ。最後の最後に正直だったことだけは褒めてあげたいね。もう聞こえないだろうけど」


 どこからともなく現れた妖精の少女たちに、ベリトの胴体を運ぶように指示をしたルリジオはそう言ってタンペットとバエルとアビスモの方へ微笑みながら振り向く。

 その美しい顔には、悪魔からの返り血がべったりと付着している。

 数々の凄惨な拷問をしたであろう悪魔のバエルですら、普段の行動との余りの隔たりに思わず表情を強張らせる。

 そんな中、タンペットだけが呆れたように溜息をついて、結界を解いた。そして、ルリジオに歩み寄って顔の血を拭うための布を渡す。

 慣れた様子の彼女を見てバエルとアビスモは驚きの表情を浮かべている。

 顔を拭ったルリジオは、さっきまでの残酷な処刑などなかったかのような笑顔をこちらに向けて剣を鞘に収めながら振り向いた。


「貴方が協力してくれたお蔭でとても助かりました。妻たちを護るためとはいえ、素敵な胸を持つ人を傷つけていない相手をこういう目に遭わせるのは僕としても本意ではない」


「……ええ……俺あのとき断ってたら似たような目に遭ってたの……」


「はは……さすがに首までは取りませんよ。大切な妻の父の上司ですから」


「そこの女エルフ!よくこいつと友達でいられるね!?」


「普段はとても気のつくやつだし、巨乳さえ関わらなければ仕事も確実にこなす。そして妾にヒトの子をよく紹介してくれるのだ。少年のような美しいフォルムを持っている……しかし服を脱いだときにほんのりと胸部に曲線を描いているヒトの子の美しさを理解は出来ないものの、行場のないルリジオの嫁になれと半ば家を追い出された家の娘を何人も紹介してくれた……こいつは他人の顔への興味が薄いので時折オークとのハーフを紹介されることもあったが……友人としては申し分のない相手なのだよ。ところで、ルリジオ、このエルフのように美しいヒトの子の少年は誰だ?」



 怯えた様子で大げさに体を仰け反らせた少年が、自分の背後に隠れるのをタンペットは笑顔で見つめる。そして、少年の頭を優しく撫でた。


「魔王アビスモ」


 タンペットは、ルリジオのその言葉に目を丸くした。


「まさか……。冗談はよせ。長年……それこそお前が生まれる前から王都だけではなくこの世界を危険にさらしていた魔王がこんな少年のはずがないだろう」


「我こそがヒトの身でありながら時の枷から開放され、数多の悪魔を従えこの世界の支配と破壊を目論む魔王アビスもである……!って名乗りをあげたいところなんだけど、もうあんな凄惨なショーを見た後だと世界の破壊とか支配とか滑稽以外のなんでもないな」


 アビスモは、翻したマントをはためかせ名乗りをあげたあと、ため息を付きながら額を掻いて肩を落とす。


「金髪が言ってることは本当だ。俺が、魔王アビスモ」


 目を皿のように丸くしているタンペットに少しだけ調子が戻ったのか、アビスモは口角を上げて笑う。


「なんていうか……やる気が萎えた。この世界にはもう神は関われないっていうから、俺が世界を支配して新たな神話になってやろうとしてたんだけどさーなんかもう下位神の大軍を引き連れて、悪魔ですら支配下に置けなかった巨人族の軍も掌握してるやつがいて、そいつがその大軍よりもヤバイ戦闘能力持ってるとかさ……話がちがうっていうか……。まあいいや。とりあえず食事でも食べていけよ。今の所こっちには敵意はない」


 警戒の表情を浮かべるタンペットに、アビスモは頭を掻きながらそう話を続けると、くるりと背を向けて中庭から城の中へ歩いていく。

 ざわざわしていた悪魔や魔物たちもいつの間にかバラバラと解散し始める中、側近の悪魔は中庭の中央に残った三人に頭を下げてアビスモの後を追いかけていった。


「……罠ではないのか」


「僕は大丈夫だと思うよ。そこまで悪い人ではないんじゃないかな?こちらに協力的だったし」


「我輩もご一緒しましょう。いざというときにはルリジオ様に助太刀致す。それでどうですかな風使いのエルフ殿」


 ガハハと3つの頭で豪快に笑いながらそういうバエルを見上げたタンペットは、顎に手を当ててしばらく考え込んだ後、仕方なさそうに言うが、その目の輝きからは好奇心が抑えきれないといった様子が隠しきれないようだ。


「……まぁ、一応敵国の将軍を信じるかはともかく、ルリジオがいるなら大丈夫だろう。わかった。魔王とやらから誘われた食事に付き合って差し上げよう」


 タンペットの好奇心が抑えきれないウキウキとした声を聞いてバエルは、また豪快に笑うとアビスモが歩いてきた方へと大きな足を踏み出していく。

 ルリジオとタンペットも、バエルの後を追って中庭を後にした。

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