18話 魔を統べる者
「大変ですアビスモ様……大軍が……大軍がこちらに向かってきています……」
「なんだそんなに慌てて。何千……いや、何万のヒトの子らの兵など悪魔と契約を果たした我らの軍を突破できるわけがないだろう。まぁ、他の将が何人倒されたところでバエルさえいれば、
家臣らしき背中に黒い羽根の生えた悪魔が駆け込んで来る様子を、革張りのソファーに横たわっていたアビスモは鬱陶しそうに見る。
黄金に輝くゴブレットを傾けて、果実酒に口をつけた彼は、その香りと味を楽しみながら鼻で笑って見せた。
「神です!神とその眷属がこちらに大挙しています!」
「なんだと?この世界ではヒトの戦争に神は干渉しない契約がされてるんだろ?」
「ヒトと暮らしている下位神はその契約では神に換算されていないのです……」
のんびりとした様子だったアビスモも、家臣が告げる異常事態にはさすがに驚き、慌てて身体を起こした。
想定外の自体に焦ったアビスモは、手に持っていたゴブレットをテーブルに置くと、優雅な朝食を中断して立ち上がると外套を羽織って見張り台へと向かう。
「なんだ……これは……」
見張り台から遠眼鏡を使って外を見ようとしていたアビスモは、辺りを見た瞬間、小さな声を漏らして立ち止まる。
目の前に広がっていたのは、空を覆い尽くすほどの軍勢だった。彼らは雲のようなものに乗った見慣れないひらひらとした着物を来て長い弓を携えているのが見える。
そして、城門へと目を向けると、そこには決してヒトには慣れないという巨大な火竜が3頭大人しく座っている。
それだけではない。火竜の後ろにも数え切れないくらいの軍勢がいある。黄金の鎧を身にまとった兵士や獣人らしき群れ……。アビスモは思わず額に手を当てて顔を顰めた。
「あ……アビスモ様……」
ズシン……ズシン……という音の正体を探っているアビスモは、怯えている家臣が指をさす方向を見て目を皿のように丸くする。
彼の目には、城の見張り台に頭が届きそうなくらい巨人と、1つ目の巨人が共に群れをなしてこちらに近づいてきているのが見えている。
巨人たちも、城壁の手前まで来ると何故か大人しく立ち止まった。
「……巨人族……何十もの悪魔と契約し、知能のある魔物の大半を配下に入れたこの俺ですら手持ちの軍にいないんだぞ……?何が起きている……。バエルはいないのか!?」
「先程から探しているのですが見当たりません!」
「クソ……肝心なときに……。強制的に呼び出すしかないか……いやまずはこれで呼びかけてみるとしよう」
見張り台で落ち着きなくあるきまわりながら、アビスモは手にしている赤い宝石の付いた指輪を撫でると、召喚のための呪文を唱えた。
※※※
「焦ったアビスモは、なにやら赤い指輪を使用してバエルを呼び出そうとしているようだ。それにしてもこのマントは素晴らしいな……これを纏うだけで妾のネズミに化けた使い魔一匹通さない魔王城に張り巡らされた監視の目に全く引っかからないとは……」
「ありがとうタンペット。君は友人だ。頼まれればいつでもこれを貸そう」
バエルが元々持っていた姿を消す深緑色のマントを脱ぎながら、タンペットは火竜の頭の上にいるルリジオに見てきたことを伝えた。
ルリジオは、近くにいたペレの命を受け付けて駆けつけてきたスプリガンにタンペットから受け取ったマントを渡しながら微笑んだ。そして再び真顔になると、見張り台へ鋭い目を向けた。
「さぁ……僕の大切な妻を傷つけた犯人を引き渡してくれるようにお話をしに行こうか」
「我が娘の偉大なる夫よ!この馬に乗るがいい。丁度吾輩もアビスモ様に呼び出されたところだ。共に参ろう」
ルリジオがそう言って立ち上がると、ゴウという音と共に、急に巨大な頭が3つの屈強な男が現れた。突然現れた悪魔の大男に、タンペットは目を白黒させるが、ルリジオは落ち着き払っている。
駆けつけてきたバエル将軍の差し出した手を取ったルリジオは、足が六本ある羽の生えた黒馬にまたがった。
「え?え?」
「義理の父と親交があるのが珍しいのかい?」
黒馬にまたがったルリジオは、混乱して取り乱しているタンペットを気遣って声を掛ける。s
しかし、彼女は口をパクパクさせながらバエルを指差すばかりだ。
「我が名はバエル。アビスモ様の配下であり、66の悪魔の軍を指揮する偉大な悪魔である!しかし心配するな風使いのエルフよ。義理の息子と娘を傷つけた相手をどうにかするための交渉に向かうだけだ。大切な娘の夫を焼いて食うなどせぬ」
ルリジオが困った様子でバエルの方を見ると、彼は豪快にガハハと笑いながらタンペットにそう名乗った。
そして返事は不要!とばかりに颯爽と馬の横腹を蹴って城の方へと風のような速さで空を駆けていく。
タンペットからすれば、長年王都や他の国々を脅かし続けた挙げ句、今から突入しようとしている城に仕える将軍が唐突に目の前に現れたのだ。そして、そいつが何故か友人に馬を貸して共に城へ向かおうなどと誘っている。予想すらしていない事態に取り乱しているタンペットにルリジオは朗らかな笑顔を向けた。
「こちらの指揮はまかせたよ。いってくる」
混乱するタンペットに、ルリジオはそう言い残して馬を走らせた。
空を駆ける馬はあっという間に城の見張り台へと到着し、二人の人影の前にルリジオは降りた。彼を降ろすと、馬は煙のように消えてしまった。
「ありがとう」
消える馬に例を言ったあと、ルリジオは目の前にいるアビスモを見る。
先に到着していたバエルの目の前に立っているのは、紫色の長い髪と翡翠のような美しく輝く瞳を持つ少年だった。
全身を強張らせて、目を吊り上げる色白の美少年に、ルリジオは微笑み向ける。
「魔王アビスモは、貴方でいいんですか?」
「そ、そのとおりだ。魔王を討ち倒す勇者にでもなりにきたか……。しかし、俺はヒトの子には負けないぞ。天上の女神の加護を受けた剣でしか俺の体はきれな……」
「魔王を倒すなんてことに僕は興味ありません。僕の妻の胸に槍で深い傷をつけたベリトという人物の身柄をこちらに引き渡していただきたいというお願いに来ました」
「……へ?」
自分に対してゆっくりと、剣を携えながら歩み寄ってきたルリジオに、アビスモはそう言ってのける。しかし、予想をしていなかったルリジオの一言に、毒気の抜かれたようだった。彼は戸惑いの表情を浮かべながら、隣に立つ家臣の悪魔と目を見合わせた。
無言で家臣と顔を見合わせているアビスモの肩に、そっとルリジオの手が置かれる。
ギョッとしたアビスモは、目の前の金髪碧眼の見た目だけは美青年に視線を戻した。
「食べ頃の葡萄の実のような瑞々しい弾力、胸の下に太めの棍棒を置いても上からは見えなくなるほどの規格外の大きさ……そしてそれだけの質量を持ちながらも職人が作ったどんな鐘よりも美しい釣鐘型……そんな貴重なおっぱいを無残にも槍で切りつけて瀕死の重傷を追わせた不届き者の身柄を引き渡していただきたい」
「ルリジオ殿の言う通り、吾輩の妻譲りの女神のように美しい美貌、そして妻にまさるとも劣らぬ曲線が美しく、それでいて豊満な体……陶器のように白くなめらかな肌を持つ我が愛する娘を傷つけたベリトを許してはおけぬ」
ルリジオが開き気味の瞳孔で自分を見つめながら早口で「ベリトを引き渡せ」という旨のことを言っていることは理解できた。しかしアビスモには、それ以外を理解できない。少し怯えた表情を浮かべながら、アビスモは部下であるバエルを見上げた。
助けてほしいというその視線の意味は気づかれず、急に押しかけてきたルリジオと似たようなこと、最も頼りにしていた家臣も話し出した。
「……まって。この金髪……ルリジオ?だっけ?こいつはともかくそういうやつなんだとして……バエル?バエル将軍はどうしてしまったんだい?」
激しく動揺したアビスモは、しどろもどろになりながらバエルの腕を掴んでそう質問した。
「吾輩は元より巨大な乳房を愛してやまない者。巨大な乳房を切りつけた不埒者がいるだけでも頭が沸騰しそうになるというのに、さらに傷つけられたのが我が娘とあっては黙って居れませぬ。現界している将軍クラスの悪魔は契約者の許可がないとこの世界から抹消することが出来ずにいずれ復活してしまう……という訳で、アビスモ様にはベリトの所有権をこちらのルリジオ殿に移して頂きたいのです」
「待って……ちょっと待って……おっぱいの話はもういいから……」
額に手を当てながら、アビスモは困惑した顔になる。
威厳もなく、年相応といったような感じで話すアビスモは深い深い溜息を吐いてルリジオへと視線を戻した。
「ベリトの身柄を引き渡していただければ、この城の周りで待っている妻の配下たちを大人しく帰らせると約束します」
「もうなんか外の軍勢とかより君が怖いよ金髪君……。わかった。帰ってくれるならベリトの身柄を渡そう。でも、それには一つ条件がある」
真っ直ぐに自分の顔を見ながら、半ば脅迫のようなことを言ってくる男の顔は、まるで乙女に挨拶をするかのような綺麗な微笑を浮かべている。
普通ではない。そう感じたアビスモは、あっさりとベリトの身柄を引き渡すことを口にした。
条件を口にすると、身を乗り出してきたルリジオを見て「話を聞くつもりはあるらしい」と少しだけ希望を持てたアビスモは、話を続ける。
「アレは強力な悪魔だ。キチンと俺の目の前で処刑するならしてくれ。それと、ベリトが指揮する軍の所有権は渡せない」
「ベリトさえいればこちらとしては問題ありません。その条件を飲みましょう」
「交渉成立だ。早速ベリトの強制召喚を始めよう。呼んでも絶対来ないからなあいつ」
ルリジオがすばやく差し出してきた手を、アビスモは掴んでがっしりと握手をする。自分の命が守られたとわかるとアビスモは彼に背中を向ける。魔法陣を描くための石灰を取ろうとしたのだ。
「すみません……僕の妻の胸を傷つけたものがどのような目に合うのか知らしめたいので、この城の中庭をお借りしてもいいですか?見たところ手入れもされていないですし、多少血で汚れても大丈夫だと思うんですが」
背中に投げかけられた言葉を聞いて、アビスモは表情を引きつらせる。
「別にいいけどさ……金髪……お前のほうが魔王に向いてるんじゃないか」
石灰や召喚に使う家畜の血の入った壺を用意したアビスモは、家臣の悪魔にそれらを手渡した。そして、ルリジオとバエルを引き連れて、中庭へと向かう。
突然の来訪者と、中庭に集まるように命を受けた他の悪魔や知能の高い魔物たちは驚いていた。しかし、外の軍勢を率いる総大将だという噂がすぐに広まったのか、誰もルリジオに襲いかかることも、罵倒をすることもしなかった。
「本当に……最初に俺の目の前まで辿り着いたこの世界のヒトが魔王退治なんて興味が無いなんてな……。さぁ……ベリトの召喚を始めるぞ。俺がするのは強制召喚と所有権の譲渡だけだ。悪魔は主人に決して逆らえないわけではない。お前に何があっても俺を恨むのはやめてくれよ?」
アビスモは、ルリジオにいたずらっぽくそういうと魔法陣を石灰と家畜の血を使って中庭の石畳の上に描いて呪文を唱え始めた。
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