15話 各々の規範

「……確かに……この子の胸はヒトの子の中では飛び抜けて大きいのはわかるけど……」


「ヒトの子なんて私達を怖がるだけだし……ねぇ?」


「断れずに引き取ってしまったのなら妾が喰ってやるぞ?」


 モハーナとピロポスの後ろからニュッと顔を出してきたのは、九つの尾を持つ狐の獣人ガウリだ。

 ガウリが、牙を見せてからかうように笑って、シャルルーは一層顔を険しくして、後ろから自分の手をそっと抑えていたルリジオの手を振り払おうと暴れるも、受け流されてイライラしている様子だ。


「妻同士、全員仲良くしろとは言わないよ。でも他の種族だからだとか、新入りだからといって脅したり、からかうのは見過ごせないな」


 ルリジオが暴れるシャルルーをいなしながらも、悲しげな雰囲気でそういうと、三人の妻たちは先程までとは打って変わって悲しそうな顔をして口々に謝罪の言葉を述べるのだった。


「からかうとか!そんな問題じゃないでしょ?こいつらヒトじゃないのよ!?私のこと本当に食べようとしてるに決まってるわ」


 シャルルーだけは納得がいかないと言った感じで更に食ってかかろうと鼻息を荒くしながらそういった。


「シャルルーも……そうやって決めつけて相手を侮辱することは控えてくれると嬉しいな。

 彼女たちはみんな僕の大切な妻で、君の家族だよ」


「はあ!?妻たちですって?」


 自分をたしなめるためにルリジオが置いた肩を振り払いながら、シャルルーは半ば泣きそうになりながらそう叫ぶ。

 そんなシャルルーに対して、妻たちは少しワクワクとした表情を浮かべ、ルリジオはそれとは反対に少し困った顔をしながら首の後に手を当てて項垂れる。


「君の父上には話したはずだんだけど、そうか……。聞いていなかったのか。これは困ったなぁ」


「やはりヒトの子はヒトの子の親の元へ送り返して差し上げるのがよろしいいのでは?」


「ガウリ?」


「だってぇ……。スン……ごめんなさい」


 ルリジオに自分の発言を窘められ、耳も九つの純白の尾も垂れ下げたガウリは、しょんぼりとしながらピロポスとモハーナに連れられて食堂のテーブルに付いた。

 シャルルーは黙ったままルリジオのことを睨みつけている。


「今、僕の妻は君も合わせて8人いるんだ……。

 そうだね……帰りたいというのなら、僕は君の意見を尊重するよ。婚約を取り消しにした罰金もいらない」


「……いい加減にして!」


 シャルルーはそう叫ぶとそのまま来た道を一人で引き返していく。ルリジオは、近くの妖精に彼女が危険な目に合わないように見ていてくれとだけいうと、先に食事をしていた妻たちの方へと額に手を当てて困った顔をしながら歩いていき、腰を下ろした。


※※※


シャルルーは部屋に入るなり扉を強く締めた。幸いなことに錠前が吐いていて内側から鍵を閉めることが出来る……とホッとしたのもつかの間、部屋には自分の世話をする用に言いつけられているシルキーがいるということに気がつく。


「な……なによ……」


 シャルルーは、シルキーがなにか言いたげな顔で自分を見ている気がしてすごんでみたけれど、シルキーは相変わらず物を言わぬまま涼しい顔をして家事を黙々と続けるために視線をシャルルーから逸らし、ガラスの窓を磨く作業に戻った。


「出ていって!もう」


 思わずそうシャルルーが叫ぶと、シルキーは銀色の煙になり姿を一瞬で消えていく。

 こんなにあっけなく部屋から邪魔者を排除できるとは思わなかったシャルルーは、どっと疲れた気がして、柔らかな感触のベッドに倒れ込むと、天井を見上げた。

 知らない場所に突然嫁がされることは、この世界のある程度の階級の娘にはよくあることだった。

 シャルルーは、もちろんそれを知っていたし、平民とはいえ、自分の生まれた土地を救ってくれた英雄の妻になることはやぶさかでもなかった。

 とはいえ、齢14歳でしかないヒトの世界で生まれ育った少女とも言える年齢の彼女に、突然ヒト以外と家族になれと言われ、それを受け入れるのは難しいことだろう。


「帰る場所なんて……私にはないのに……どうしよう」


 外では虚勢を張っていたシャルルーだが、急に心細くなったのか、バラ色の頬には涙が一筋の痕を作る。

 シャルルーは、彼女の父親にとって8人目の子供で、家にいても居場所がない。教育のためと言って物心がついてすぐ近くの神殿へ教育のために養子へ出されていたのだ。

 そんな立場の彼女が、聞いていた話と違うからといって結婚を破棄しても帰る場所なんてないどころか、名誉や体裁を重んじる両親から嘆かれてしまうだろうということはシャルルーにもわかっている。

 枕に顔を押し付けて考え事をしている間にシャルルーは眠ってしまっていたのか、彼女がベッドから顔を上げたときには空には太陽が登り始めたところだった。


―トントン


 ノックの音が響く。

 シャルルーは気を奮い立てて起き上がると、重い体を引きずって扉の方へゆっくりと向かう。


「朝食を持ってきたよ。昨晩も食事をとっていないし、お腹が減ったろう?

 これだけでも受け取ってくれないか?」


 扉の向こうからのルリジオの言葉で、急にお腹が空いていることを思い出したシャルルーの体はお腹をキュルキュルと鳴らし始めた。

 シャルルーは錠前の鍵を外し、扉を半分開けて警戒するように外を見る。そこには朗らかな笑顔のルリジオが、シャルルーの食事を持っていた。


「館の主人ともあろう人がそんな執事のような真似をするなんて……」


「僕は平民だからそういう仕来りには疎くて。

 それよりも、君が心配でたまらなくて君の元気な姿をこの目で見たくて来てしまったんだ。気に触ったのならごめんよ」


「あの……そうじゃない……そうじゃなくて……」


 申し訳なさそうなルリジオの顔を見て、シャルルーは後悔する。

 せっかく食事を持ってきてくれたルリジオに対して、そんなことを言いたいわけではなかったシャルルーは、温かい香草入りのパンと果実のジュースを受け取りながら口ごもる。


「ありがとう……ございます……」


「よかった。昨日は色々説明もしないで他の妻たちに会わせてしまってすまなかった。

 落ち着いたらまた話をしたいし、君がここから出ていきたいのなら親御さんに話を通そう。なにも気にすることはないからね。では……」


 お礼を言ったシャルルーの小さな……まるで消え入りそうな声をしっかりと聞いたルリジオの顔には花が咲いたようにパッと笑顔が浮かぶ。

 その笑顔に思わず見とれている間に、ルリジオはシルキーを残して要件だけを伝えて足早に廊下を歩いてどこかへと姿を消した。


「シルキーさんも昨日はごめんね」


 シルキーは相変わらず無言だったが、目があって微笑んでくれた気がしてシャルルーは少しだけ軽い気持ちになる。

 気持ちは軽くなったのはいいものの、部屋の中にただいるだけでは退屈になったシャルルーは手持ち無沙汰になり、部屋をうろつく。

 裁縫をしようにも服はほとんど卸したてのきれいな状態で、綻んでいたはずの服もキレイに手入れがされている。

 部屋にある本を読もうと思っても、なかなか気乗りしないシャルルーは、部屋にいるシルキーに昨日のお詫びが出来ないか考え始めた。


 太陽は空高く上り、少し開けられた窓からはバラの香りが心地よい風によって運ばれてくる。

 椅子にかけ、熱心に手元を動かしていたシャルルーは、ぱっと顔を輝かせると立ち上がって手元に持っていた薄紅色の布を目の前に広げて得意げな顔を浮かべている。

 シャルルーの目の前に広げられた布をよく見てみると、可愛らしい黄色い花が詩集で縫い付けられていた。

 彼女は、出来上がったばかりのその刺繍入りの布を持って、部屋の隅で敷き詰められている絨毯の手入れをしているシルキーの元へと歩いていく。


「あのね……これ……」


 シャルルーの声を聞いたシルキーは、はっとした顔を浮かべると、シッと息を漏らし、シャルルーの唇に自分の人差し指を当てて首を横に振った。

 シャルルーは驚いた顔でシルキーを見つめるが、シルキーはなにも語らず、銀の煙を残してその場から姿を消してしまう。


「え?」


 突然言葉を遮られたことにも、シルキーが消えてしまったことにも驚いて呆然としていたシャルルーだったが、部屋をノックする音でやっと我に返る。

 慌てて扉を開くと、手に小さな木のコップを持ったルリジオが立っていた。


「あの……その……私……シルキーが消えてしまって……仲良くなりたかっただけなのに……」


 シャルルーが涙ながらにそう言うと、ルリジオが腰を落とし、泣いている彼女に目線を合わせながら、木のコップを差し出した。

 ルリジオは、牛乳で満たされているそのコップを両手で抱えるように持ち不思議そうな顔を浮かべてコップを見るシャルルーの金色の波打つ髪を優しく撫でと諭すそうな口調でゆっくりと話し始める。


「妖精たちは、僕たちヒトの子とちょっとルールが違う世界で生きているんだ。

 決まった方法でなければ仲良くなるどころか、怒らせてしまうこともある」


「私……シルキーを怒らせてしまったの?」


「危ないところだったけど、君はまだ絹の君シルキーに御礼の品をてはいないだろ?」


 シャルルーの頭をポンポンと撫でると、ルリジオは立ち上がって彼女の部屋へと入り、暖炉の前までゆっくりと歩いていき、シャルルーに「おいで」と手招きをした。

 隣に来たシャルルーに、ルリジオはまた視線を合わせるためにしゃがむと暖炉の上にある飾り棚を指さし「そこにそのコップを置いてごらん」と優しい声で支持をする。

 シャルルーが言われたとおりの場所に牛乳入りのコップを置くのを見て、ルリジオは微笑みながら、再び彼女の波打った金色の髪を撫でると、彼女の手を引いて暖炉から離れ、ベッドに腰掛ける。

 涙も乾き、落ち着きを取り戻し始めたシャルルーがルリジオに何をしているのか聞こうとすると、口元に人差し指を当てながらルリジオが暖炉の方を指さした。


「……あ」


 そこには、シャルルーが置いたコップを手に持ち、嬉しそうに微笑むシルキーが立っていた。

 驚いて声を漏らしたシャルルーを、ルリジオは後ろから抱き寄せて自分の膝の上に座らせる。


絹の君シルキーへのお礼は、コップいっぱいのミルクをどこかにそっと置いておくっていうのが彼女シルキーたちの規範ルールなんだ。

 それ以外のものを渡すことは、彼女たちを怒らせることになる」


「あ……だから、シルキーは私の言葉を遮って消えてしまったの」


「うちにいる絹の君シルキーはヒトのルールも知っているようだからね。君に規範を破らせないように気を使ってくれたのかもしれないね」


「あの……ありがとう。シルキーも……ルリジオ様も……。

 ワガママも言ったし、ひどいことも言ったのに……」


 ルリジオは、自分の胸に顔を埋めて、再び泣き始めるシャルルーの頭を何も言わずに優しく撫で続ける。


「私……ずっとここにいたい。

 家に帰っても居場所がないからっていうのもありますけど、ルリジオ様とこの家でもっとたくさん色々なことを知りたいの」


※※※


「というわけで、お父様みたいに優しいルリジオ様に胸を打たれたわたくしは、ここに残ることにしましたの」


「その後に一回癇癪を起こして家出騒動を起こしていなかったか」


「そ……それは……まだわたくしも幼かったですし」


 得意げに話し終えた後、ヘンティルから指摘をされて顔を真っ赤にしたシャルルーを見て回りの妻たちはどっと笑うと、シャルルーは「もう!」と言って頬を膨らませてそっぽを向く。

 そこへ丁度戻ってきたルリジオがやってくると、シャルルーはルリジオに真っ先に抱きつきながらこういうのだった。


「もう!みんながいじめるからルリジオ様からもいってくださいませ!

 シャルルーは立派なレディーに成長したんだって」


「よくわからないけど、シャルルーが成長したということは誰よりもわかっているつもりだよ。

 なんとなくわかっていたんだ。シャルルーはもっと成長するということが。大人とはいえヒトは年齢が14になっても更に成長を続けるということはなんとなくわかっていてこの子は絶対に今後も胸の豊満さは増し続けるだろうということの予想が」


「そうじゃない!」


 シャルルーが頬を膨らませてルリジオから飛び降りるのを見て、妻たちは再び笑い声を上げる。

 申し訳なさそうに頭を掻きながら謝るルリジオと、そっぽを向くシャルルーを中心に、温かな時間が流れていた。

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