14話 気高き者

 館に戻ったルリジオは妻たちから熱烈な歓迎を受けた。

 夫がいない間に起ったことを妻たちが捲し立て、スクォンクが勇気を振り絞って液体になったままピオニエーレ城までルリジオを探しに行ったこと、ダヌがルリジオを常春の国に連れて行こうとしていたことなどを夜が明けるまでずっと様々な妻たちから聞かされたルリジオは穏やかな笑顔を浮かべてずっと聞いていた。

 ガウリも、タンペットをルリジオに変化させたことや、自分がタンペットに化けて王の隣にいても気が付かれなかったことを上機嫌で話す。


「君たちを僕が守り切ると言ったけど、今回は君たちやタンペットに助けられたね。本当にありがとう。そして、相談もせずに僕一人犠牲になればいいと勝手なことをして本当にすまなかった」


 頭を下げたルリジオに対して、妻たちはまた一斉にきゃあきゃあとそんなことはないだとか、惚れ直しただとか言うのだった。

 やかましいけど愛おしい平穏が帰ってきた……とでも言いたそうな表情で、ブラウニーはそんな様子を少し遠くから見守るのだった。


 そんな中、しばし館を留守にしていたアソオスが姿を現した。

 妻たちの中で微笑むルリジオに彼女は抱き着くと頬に口付をして、彼の両腕の中へと納まる。


「貴方を陥れようとしていた犯人のことがわかったの」


 アソオスの抜け駆けに文句を言おうとしていた妻たちは、そのアソオスの一言で静まり返った。

 ルリジオの膝上に座っているアソオスは、ルリジオに詳細を話すように促されるとルリジオの腕に自分の腕を絡めて甘えるような仕草をしながら妖艶な微笑みを浮かべる。


「アビスモ様の部下の一人……将軍ベリトが、あの悪魔を差し向けたんだと思うわ。26の軍団を率いる嘘吐きの紅い騎士……。お父様にも手伝ってもらって拷も……コホン……調べたことだから確かな情報よ」


「ありがとうアソオス」


 ルリジオはそれだけいうと、アソオスを膝から降ろして立ち上がった。


「ええ?何かないの?自分を陥れた相手よ?」


「注意はするよ。調べてくれたことにはとても感謝してるけど、僕からなにをしようってつもりはないかな」


 納得がいかなそうなアソオスだったが、ルリジオに腰を持って抱きよせられ、至近距離で目を見つめながら微笑まれると何も言えなくなってしまうのだった。

 他の妻たちも、有無を言わせないようなルリジオの表情とは正反対の強い意志のようなものを感じて思わず口を閉ざす。


「さて、家を留守にしていたことだし、部屋の外に出ない妻たちにも挨拶をしてくるよ」


 ルリジオはそう言って館の奥へと消えていく。

 本当に、彼には自分のために他者に危害を加えるという発想が少ない。そもそも自分のために何かすること自体巨乳関係以外にはないのではないか……と妻たちは、ルリジオの姿が見えなくなると一斉に話し始めた。


「私はまだルリジオの妻になってから間もないからわからないのだけど、アレが村人を拷問して血のシャワーを浴びて楽しんでいた私を猛烈に口説き始めたヒトと同一人物とは思えないわ……。悪魔を殺せって言った人にいつもの『でも巨乳ですよ?』をしたっていうのに」


「おっぱいのこととなると、本当に倫理観も道徳観念も怪しくなるのに……普段は本当に聖人というかなんというか……」


 妻たちの中には、初対面の時、ルリジオを殺そうとした者も少なくない。

 怪力の君も、話していることのニュアンスはわかるのかなにか納得したかのように首を縦に振っている。


「わたくしも……最初は彼の妻になるのが嫌で嫌であばれたり、わがままをいったのだけれど、そんなことものともしないルリジオ様に根負けしたというか、結局素敵な人だなと思ってしまって……」


 シャルルーは、そういいながら絹の手袋を自分の頬に当てて頭を左右に振る。

 彼女は貴族の娘で、父親が勝手にルリジオの妻にすることを決められてここに来た。

 貴族出身の何人かの妻たちも似たようなものだったが、シャルルーは特に気が強く、血気盛んな性格をしている。


「そういえば……あなたはヒトの子なのに私の姿を見ても怖気づくどころか文句をつけてきたものね」

「ヒトの子といえば私のような翼人や、少し変わった生き物を見るとピーピー怖がって泣くものだと思っていたのに驚いたよ」


 モハーナとピロポスが懐かしむような口調でそういうと、シャルルーはやめてくださいと頬を赤くして二人を制止しようとする。


「楽しそうね。詳しく聞きたいわ。あまりこういう機会はないし」


 それを面白がったのか、アソオスはシャルルーに背後から抱き着きながら小鳥のように首をかしげて上目づかいでこう頼んだ。

 何人かの妻も、アソオスに続いて「私も気になる」と言い出したのを聞いて、シャルルーは、「仕方ないわね」と言いながらも、少しうれしそうにルリジオの館に来た時のことを話し始めた。


※※※


「近寄らないで!妻になったからと言って貴方に気安く触れられたくなんてありません!それと!そのよくわからない毛むくじゃらも近寄らせないで!」


 館に連れてこられた初日、シャルルーは警戒心が強い野良猫のように怯えを隠すようにヒステリックな金切り声をあげていた。

 家の案内や、持ち込まれた荷物を運ぼうとしていたブラウニーが困った顔をしてドアの前で立ち尽くしていると、小さな羽根の生えた少女の妖精たちに手を引かれてルリジオがやってくる。

 シャルルーは、それを目ざとく見つけると、ツカツカと興奮した様子でルリジオに近付いてきた。


「お父様の領地からグリフォンのつがいを追いだした英雄だと聞いて、家柄はいまいちだとはいえ期待していましたのに……来てみれば屋敷の中には毛むくじゃらの化け物や魔物がうようよいるじゃない!どういうことなの!?」


「ヒトの子はあまり長続きしないので、この土地の持ち主の知り合いを雇っているんだ。良く働いてくれるしね。身の回りの世話は……そうだね……彼女ならいいかい?」


「……そ、そうね。女の人?っぽいしこの子ならいいわよ」


 自分の剣幕に対して、怒るでも不服そうにするわけでもなく、ただにこやかに話すルリジオにシャルルーは少しペースを乱しながらも不服そうに頷く。

 シャルルーは、ルリジオに連れてこられた全身がうっすら銀色に輝く背の低い女性を部屋に招き入れると一先ず引き下がった。


「あ、そうそう。彼女は絹の君シルキー。決して彼女に服やお礼を渡さないでほしい。

 どうしてもお礼をしたいなら僕に言ってくれ。暖炉の上に置けるように牛の乳をコップ一杯分渡すからね。では、また夕食の時に会おう。君が早くここに慣れてくれるとうれしいよ」


 ルリジオがそう言って立ち去ると、部屋の中で掃除や、持ってきた衣類の整頓を、シルキーに任せて、シャルルーは改めて部屋の中を見回してみる。

 広々とした室内には見たこともないようなふかふかとしたベッドがあり、その他にも艶のありきめ細やかな彫刻の施された机やクロゼット、そして大きな暖炉があり、窓には美しい透明なガラスがはめ込まれている。

 それに、机の上には王都で話題になっているという神話をもとにした詩集がそっと置かれていた。

 窓際に立つと、中庭の噴水と薔薇の庭園が見え、ここが岩山に囲まれた僻地だということを忘れてしまいそうになる。


「家の中の住人はともかく……貴族の生まれでもないのに趣味のよい庭園と部屋だこと……それに個室なんて……私……養子として拾われたわけではないわよね?」


 思わずそうつぶやいたが、シルキーはなにも言わない。

 そのことにも少し腹を立てたシャルルーは、「もう!なんなのよ」と言いながらいすに腰掛けると、時間を潰すために机の上にあった詩集に手を伸ばし、退屈な時間をこれからの不安に思いを馳せるのだった。


 窓から差し込む光が赤くなり、もうそろそろ日が暮れるという時間になると、窓には外側から何やら薄い布のようなものがかかり、部屋の壁や机の上においてあった細い木の皮で編まれた籠の中にポッと灯りが灯り始めたのを見てシャルルーはとても驚いた。

 籠をもちあげてみてみると、中にはなにやら光る小さな毛玉のようなものがふわふわとひとつだけ漂っていて、その毛玉が淡い光を放っているようだ。


―トントン


 木で出来た扉が小気味よい音を立てる。シャルルーは思わず籠を片手に持ったまま扉を開くと、ルリジオが立っていた。彼はシャルルーのことを見て一瞬驚いたように目を丸くしたが、それはすぐに微笑みに変わる。

 妙に思ったシャルルーが、ルリジオの視線を追うと、それは彼女が手に持っている光る毛玉入りの籠に向けられている。


「それ、気に入ってくれたかい?」


「え……、ええ……まぁ。珍しいものは嫌いじゃないわ」


「狩りも好きだとは聞いていたんだけど、読み書きも好きだと聞いてね。日が暮れても本が部屋で読めるようにと誂えてみたんだ。この毛玉くんは夜の闇と美しい乙女の吐息を食べる妖精の一種でね……」


 ルリジオの低く柔らかな声と、微笑み、それに特別に誂えた珍しい光源にシャルルーは言おうとしていた文句もどこかへ行ってしまい、ルリジオにエスコートをされて連れられるがまま食堂へと案内されていく。

 夜だというのに館の廊下には、妖精たちの羽の鱗粉や、球のような光でキラキラとして火もないのに明るい様子にシャルルーは言葉を失った。


 しばらく歩き、中庭を横切る渡り廊下を通ると、高い天井の広間に到着する。

 そこそこ大きな木ならまるごと入ってしまうんじゃないか……とシャルルーが考えていると、部屋の奥にはそのとおり、少し大きめの木が何本か備え付けられている。


「ここが食堂だよ。奥にある木は巨人族と妖精たち用の席なんだ」


 ルリジオがそういうと、シャルルーは信じられないというような顔をした。

 広い広い空間が、食堂ということも信じられなかった上に、一度だけ行ったことがあるピオニエーレの大地の女神ダヌを称える神殿にあった巨大で豪華なシャンデリアのようなものが天井からぶら下がっていたからだ。

 それは暖かな陽だまりのような光で彩られており、その周りを幾人もの羽根の生えた子どもたちが楽しそうに飛び回っている。


「あら、新しい妻はヒトの子なのね」


「ヒトの子が同族と付き合うのはなんら問題はないのに、ルリジオ様だと驚いてしまうわね……」


 自分以外の女性がいるとは思っていなかったシャルルーは、背後から突然聞こえてきた声に驚いて慌てて後ろを振り向く。

 そして、シャルルーは背後にいた燃える翼夫人ハルピュイアピロポスと黄金の鱗夫人ナーギニーモハーナの姿を見て目を丸くしたかと思うと、懐に仕込んでいたナイフをサッと構えて後ろに二、三歩後ずさりをした。


「わ……私を食べようって言ったってそうはいかないんだから!」


 顔を真っ青にしながらも凛々しくそういうシャルルーに対して、ピロポスとモハーナは、顔を見合わせて驚いた顔をした。


「私達を前にして、ヒトの女の子なのにピーピー泣き出さないのは褒めてあげるけど……ねぇ?」


「ルリジオ様、こんな偏屈そうな普通の小娘なんで妻にしたの?いくら貴族からの感謝の品っていっても他のもっと使いようがあるものでよかったんじゃない?」


 ルリジオは、小さく震えながらナイフを構えているシャルルーの手を、後ろから優しく抑えると、ほんのり殺意を顕にしてシャルルーを見つめる二人の婦人に対してこういった。


「でも巨乳ですよ?」

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