13話 守るべきもの

 ルリジオへの罰が決定した報せが届く。

 

 貴族の家出身のヒトの妻数人に睨まれながら。ルリジオへの罰を読み上げる王都からの使者は顔を真っ青にして、逃げるように館を出て行った。


「聖水にルリジオ様を半日沈めた後、手足を聖なる炎で焼き、ルリジオ様が無事ならば無罪とする……ですって」


「どこのどいつがそんな悪趣味な拷問を考えたんだい?」


 常春の国ティル・ナ・ノーグへと戻ったダヌとウェンディエゴ、スクォンク…片鰭の君を抜いた残りの妻たちは、食堂に集まって口々に不満を述べる。

 ちょうど、リラの作った料理を口に運びながら愛しい夫の奪還計画を練っているところだったのだ。

 夜も更けたころ、タンペットが館へと訪れると、下半身の蛇の部分にある黄金色の鱗を逆立てたモハーナが、不機嫌そうにカチカチと音を立てながら出迎えた。

 彼女は苛立っているようだったが、来客であるタンペットにはかろうじて浮かべたのであろう不機嫌そうな笑顔を浮かべている。


「それでタンペットとやら何かいい情報は持ってきたんでしょうね?これでルリジオが死ぬようなことがあれば、私達は全力でこの世界を呪うことにするからそのつもりでいなさい」


「はい。ルリジオ様を悪者に仕立て上げようとした者について、ようやく目星がついたところです」


「詳しく聞かせて頂戴」


「議会で声を挙げ、議論を誘導した男は、王都ピオニエーレにも、近隣の諸国にも存在しませんでした」


「確かなんでしょうね?」


「はい。私の全ての耳、全ての目を総動員した結果です」


「そういうことか……」


 モハーナとタンペットがそんなやりとりをしながら、食堂の扉を開くと、そこにいた妻たちの視線が一斉に注がれる。

 タンペットは、モハーナに話したことと同じことを他の妻たちの前でも報告する。すると、暁色の髪をふわっと揺らすアソオスが、蝙蝠のような羽根を広げて目の前にさっと降り立った。

 王都一の魔導士とはいえ、こんな至近距離で悪魔を見ることなどなかったタンペットは、緊張を露にする。そんな彼女の顔を見てアソオスは柔らかい笑みを浮かべるとタンペットの服の裾にそっと触れながら小鳥のように小首を傾げた。


「その者の処遇は私と、私のお父様に任せてくださいな」


 表情こそ優しく柔らかいものの、そんな女神のような微笑みから滲み出てくる狂気と殺気にタンペットは背筋を凍らせる。そして、心の底から「敵対関係にならなくてよかった」と思うのだった。


※※※


 いよいよルリジオが刑に処される日がやってきた。

 ルリジオの館の前には見張りがたてられ、王都にも厳戒態勢が敷かれる中、ルリジオは中央広場の聖なる水が入れられた巨大な瓶の前に立たされている。

 彼の両手にはもちろん手枷と鎖がはめられていた。


 民衆は、水瓶の前で俯いて佇む彼に対して罵声を浴びせたり石を投げる。

 石は、ルリジオの額に当たり、彼は顔を僅かに歪めると額から流れる血を拭うことも出来ずに立ち尽くすことしか出来ない。


「それでは、今より、ルリジオ・ヤークトフントを、悪魔に唆され民を不安に陥れた罰として聖水責めの刑に…その後、聖なる炎で体を清め、その体が無事な場合罪は神に許されたとして処刑を取りやめにすることとする」


 橙色と緑の宝石に彩られた首飾りをしっかりとつけた王が、ルリジオへの罪状と刑を言い渡すと、広場へ集まった民衆は歓喜の声を挙げた。


「刑の執行の前に異議申し立ての時間を設ける。この悪しき者を救いたいもの、いるならなにか申してみよ」


「ここに!」


 早く刑を執行しろという野次の中、凛とした声が響き渡った。

 民衆をかき分けて王の前へ進み出てきたのは、一人の少女だった。

 予想外の少女の登場にさっきまで盛り上がっていた民衆たちが静まり返ると、少女は息を胸いっぱいに吸い込み、意を決したような表情で王の目を見つめる。


「ルリジオ様は……竜に攫われたわたくしを助け出してくれました……。竜に爪で鎧を切り裂かれ、竜の炎でその身を焼かれながらも、わたくしをまもってくれたのです…故意に我らヒトの子が竜の巣を荒らしたことを知っていながらも……危険を冒して…」


「名声欲しさにだろう」


 心無いいくつかの野次が飛んでくるが、少女は民衆のことを毅然とした表情で見つめると野次はすぐに収まってしまった。

 少女は、更に話を続ける。


「名声のためではありません!彼は…竜の身を案じて竜を逃がしたばかりにこのような目に遭っているのです。彼は巨乳のためならどんな危険も冒すという方もいますが…わたくしの胸はこの通り…平原のようになだらかです。それにもかかわらず…ルリジオ様はわたくしのことを助けてくれたのです」


 少女の話を聞いて、民衆はざわめき始める。

 聞いていた話と違うと怒鳴る者、胸の小さな少女を助けるなんて信じられないと狼狽える者、うそつきは誰だと喚く者…。

 立ち尽くすルリジオと王を取り囲む人々はなにか悪い夢から覚めるようにルリジオが悪者だという思い込みから覚めていくようだった。


「騙されるな!ルリジオが悪魔を妻にした事実は消えないぞ!」


 徐々に大きくなるざわめきの中、ひときわ大きいその声は、民衆の心をまたルリジオが悪いという方へ誘導しようとしたように感じた。


「洗脳をされていなければ、英雄は竜を討つものだ!悪魔の眷属である火を吹く竜を助けたのは魔王軍へ献上するためにちがいな……」





――みぃつけた――




 まるで、冥府の底から響いてきたような恐ろしく、そして心が凍ってしまいそうなほど冷たい声が、その場にいた全員の頭に響いた。

 そして、あっと今に声を挙げていた男は、地面から出てきた巨大な手の影のようなものに掴まれて地面の中に引きずり込まれて消える。

 一瞬の間を置いて、広場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。当たり前だ。急に謎の声が聞こえてきたと思ったら人が一人消えたのだ。

 何が起こったのかわからず、恐怖で走り回る人々を、近衛兵たちはなんとか宥めようとするが、人々は聞く耳を持たず我先にと広場の出口へと殺到する。


 一番最初の人が広場から出ようとしたとき、地面から急に巨大な扉と石壁が現れ行く手を遮る。

 それはどの出入り口も同じようで、ここから出られないとわかった民衆はより一層混乱し、広場には絶叫や鳴き声、怒号が大きく響き渡った。


「みなさん、御機嫌よう。私は、アソオス。魔王アビスモの忠臣、66の軍団を指揮する大将軍バエルの娘」


 広場の各出口、そして広場の中心に急に現れた暁色の麗しい見た目の悪魔に人々は男も女も心を奪われて見とれている。が、自己紹介を聞いて再び阿鼻叫喚と化す広場を見てアソオスは楽しげに微笑む。そして優雅な手つきで、右手の人差し指をさっと振って広場の中心の空を見るように言った。


 アソオスが指差した先には、全身紫色の成人男性ほどのやせっぽちの何かが、体に食い込んだ縄から逃れようと体を捩っている姿が見える。


「あとは、王都の大魔導士タンペット様に話をしてもらった方がいいでしょうね」


 広場の各所にいたアソオスたちは、広場の真ん中にいる彼女本体の元に集まりながら声を発した。

 数人いた彼女たちは、融合して一つになると、額から血を流すルリジオの横に立ち妖しく微笑む。


 人々が固唾をのみながら見る中、ルリジオだったその人影は小さな人一人分の竜巻と深緑の木の葉に包まれる。

 竜巻と、それに巻き上げられた木の葉が消えた場所にいたのは、ルリジオではなく額から血を流すタンペットの姿だった。

 タンペットの足元から現れた九つの尾を揺らす獣人、ガウリは、優雅に体に巻きつけた布を風に靡かせながら、タンペットの両手の自由を奪っている手枷と鎖を鋭い爪で断ちきった。


 タンペットは、ガウリとアソオスに頭を深々と下げる。そして、頭上でもがく黒いやせっぽちのなにかを指差して人々に諭すように語りかけた。


「アレが、私達の心をルリジオ殿への憎しみに染めてしまった犯人です。あれはヒトの心の隙に漬け込む悪魔の一種……」


 人々は、タンペットが指差したそれを恐る恐る見つめた。

 頭に小さな角が生えているやせっぽちの悪魔を見て顔を曇らせる。

 アソオスは、空へ飛び上がると、やせっぽちの悪魔の頭を掴んだ。そして、それを水瓶の前へと立たせると口角を持ちあげて残酷そうな微笑みを浮かべた。


「今から私がすることはあなたがたヒトの子の世界へ私が危害を加えるつもりはないという表明と共に、警告でもあります。コレは同族である私と父バエルの責任の元今ここで処理します。それで文句はありませんね?」


 アソオスは、体を捩るやせっぽちの悪魔を聖水の中へゆっくりと沈めていく。

 やせっぽちの悪魔が絶叫を挙げながら煙を上げて水瓶の中へ消えていくあまりの壮絶さに人々は言葉を失った。

 絶叫が終わり、やせっぽちの悪魔の体が水瓶の外からすっかり見えなくなると、アソオスは水瓶に足を掛け、力を入れて巨大な水瓶を自分とは反対側へ蹴り倒す。

 水瓶の中にあった聖水は、真っ黒に濁り、石畳の上に広がって流れていく。

 水が地面に吸われた後に残ったのは肉塊だった。

 プスプスと僅かに煙を上げていた丸くて赤い眼が着いている肉塊を、アソオスはしっかりと踏み潰してにっこりと微笑んだ。それから、何事もなかったかのようにタンペットとガウリの隣へ戻っていく。


 タンペットは、アソオスと入れ替わるように前へ進みでる。

 すっかり怯えてしまっている王の元へと向かい、片膝をついて跪いた。


「王よ……真の犯人は処分されました。ルリジオ殿の罪はどうされますか」


「も、もちろん……騙された我々を責めることもせず、妻を護るために自らを犠牲にした英雄へ刑を下すなど考えられぬ…しかし…そなたがルリジオ殿の身代わりとなっていたということは…彼は今どこにいるのだ」


「こちらに……」


 タンペットは徐に立ち上がると、王が身に着けていた首飾りを両手に包みこみそっと息吹を吹き込むようなしぐさをする。

 首飾りの宝石から発せられた光は徐々にヒトの姿になっていく。


「……?や、やあ君たち。僕は確か城の地下にいたはずなんだけど。……王までこのようなところへ?一体何が……」


 光から出てきてきょとんとしているルリジオへ、アソオスとガウリは争うように抱き着いた。

 二人を受け止めきれなかったルリジオはその場にしりもちをつく。


「ルリジオ様ぁぁぁ」


「酷い目に遭っていないようでなによりですぅぅぅ」


「そう言うことだ。とにかく、君は無実だった。妻たちとこれからも仲睦まじく暮らしていてくれ」


 怯えた瞳でそういう王に、ルリジオは首を傾げながら頷いた。

 王の言葉を聞いたガウリとアソオスは、やっと解放された夫の腕と自分の腕を絡ませる。


 三人の足元に魔法陣が浮かび上がり、その姿が光に包まれて消える。

 それと同時に、広場にあった石の壁と扉も消え、王都の人々は安堵のため息を吐いた。


「タンペット…本当にすまなかった…。エルフの君がその身を危険に晒してまで此の国の為に尽力してくれるとは…」


「いえ…今回のことで思い知りました。妾の力など…ルリジオの妻たちにとってはそよ風でしかないと…。この世界の危機を救えたのなら…額の傷など勲章のようなものです…」


 この話は各国へと広まり、彼を疑っていたものは認識を改めたり、彼の妻の所業に恐怖し口を閉ざしたお陰で、ルリジオとその妻は再び平穏を取り戻したのだった。

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