12話 不穏な風

「わかりました。わたくしがここに留まり刑罰を受ければ妻たちのことは不問としていただけるのなら、ここに留まりましょう」


 王都の議会の中心で、ルリジオは凛とした表情でそう言った。

 その両手には自由を奪うための鎖が繋がれる。


 王は狼狽え、何かを言おうとするが、議会の面々の拍手喝さいを目の前に何も言えないままでいた。

 どうすることも出来ないまま、ルリジオは鎧を身に纏った近衛兵に連れられ議会から出て行ってしまう。

 王の横に座っているタンペットは、額に手を当てて深い溜息を吐くのだった。


※※※


 丁度5日前、王都ではルリジオへの不満と不信が爆発していた。

 その理由は、誰かが「悪魔アソオスに洗脳されたかつての英雄」という喧伝の元、民衆をたきつけたことにあった。

 魔王に対抗しうる力を持つルリジオを失うことも、軽率な行動で彼を敵にすることも避けたい領主や王は、彼が敵ではないと民に印象付けるために火竜から貴族の娘を救った英雄という物語を紡ごうとしていた。


 しかし、その画策の結果は「悪しき火竜をどこかへ逃がした裏切り者の英雄」という物語だった。

 物語には尾ひれがつく。貴族の娘は助けられた。だが、事実は変わってしまうものだ。

 英雄は貴族の娘を見殺しにしただとか、貴族の娘を悪魔の生贄に捧げたなどという恐ろしい噂が広まっていく。


 王は、急遽ルリジオを議会へ呼び寄せ、なんとかこの騒動を鎮静化しようとした。彼自身の言葉を聞けば、民たちも落ち着くだろう……と。

 しかし、時は既に遅かった。王都に入ったルリジオは石を投げられ罵倒をされながら城への道を歩む。

 例え石が当たったとしても、傷は癒え、微笑みを絶やさない彼の姿は、邪悪な元英雄という思い込みの前では洗脳され偉業の力を身に着けた悪魔にしか見えなかったのだろう。

 玉座にまで届く民たちのルリジオへの呪いの言葉に王は頭を抱えた。

 議会で王はルリジオに取引を持ちかけた。


「せめて、魔王の部下の娘だけでもこちらに手渡して処刑をさせてくれないか?」


 しかし、ルリジオがそんなことを聞き入れるわけがない。


わたくしは妻をこの命に代えてでも護るという誓いの代わりに、この人智を超えた力を手に入れました。それに、わたくしを信じて妻になり、この世界に干渉をするのをやめている我が妻を生贄にするくらいならわたくしが罰でもなんでも受けましょう」


「しかし……それでは」


 それでは、ルリジオを失うことになってしまいかねない。それに夫を傷つけられたと知った妻たちがなにをしてくるかわからない。どうするのが最良であるのか考えあぐねている王を差し置いて、一人の男が立ち上がり、声高に話し始める。


「それがいい!民を不安に陥れている元凶を捉え、手足の二、三本でも斬ればこの騒ぎは鎮静化するでしょう」


「わかりました。わたくしがここに留まり刑罰を受ければ妻たちのことは不問としていただけるのなら、ここに留まりましょう」


 この男の言葉に、議会の人々は拍手を送り、賞賛の野次を飛ばす者までいる。

 そして、ルリジオはそれを承諾してしまった。王は言葉をはさむ間もないまま、彼の拘留は決定された。そして、彼は両手に鎖をつけられ、そのまま牢へと連れて行かれたのだった。


「ルリジオの館へ使いを走らせろ。王都やヒトを傷つければお前らの夫は死刑だと」


 横から口を挟み、ルリジオの幽閉に一役買った男は、さも当然のようにそう指図をしたようだった。

 熱気に包まれた議会が解散したあと、王は足早に自室へ戻り、一人頭を抱え込んだ。


「このままでは……王都は破壊される……皆知らないのだ……彼の妻たちの恐ろしさを……」


「……王よ、落ち着いてください。このタンペットが御傍に居ります。妖しい気配を感じました。あの男を追い、ルリジオを助けられないか動いてみます。貴方は、此の部屋から出ないでください。それにこれを」


 王の後ろにいつの間にか立っていたのは、深緑の衣に身を包んだエルフ……タンペットだった。

 タンペットに諭され、少し落ち着きを取り戻した王は、彼女から差し出された綺麗な橙色と緑の宝石の飾られた首飾りを手に取ると不思議そうな顔をした。


「これは……」


「王の命を護る……いえこの国を護るための魔法がかけられている大切な代物です。肌身離さず持っていてください。それと、議会で声の大きかったあの男、見覚えはありますか?」


「それが……思い出そうとしてもアレが誰なのか思い出せないのだ……。代替わりした貴族議院の息子か何かだろうとは思うのだが……」


「なるほど……。ありがとうございます。後のことは私にお任せください」


 タンペットはそう言うと、夜の闇に溶けるように音もなく姿を消した。


※※※


 一方、主が不在のルリジオの館には早々に王都からの使いが訪れていた。

 たまたま居合わせたピオニエーレ王の従妹の娘であるシャルルーが応対した。

 彼女は、ルリジオが牢に入れられているという報せを聞いて壁に飾ってある宝剣を目にもとまらぬ速さで手に取った。

 そして、怯えた使者の「手をだせばルリジオを処刑する」という一言を聞いて、使者の喉元に振り下ろした剣を寸止めする。


「私は気が立っているわ。殺されないうちに直ぐに立ち去りなさい」


 シャルルーはそう言って使者を追い返すと、屋敷しもべ妖精たちに妻たちの招集をするように言いつけた。

 そして、ブラウニーに、妻たちの前で使者が持ってきた巻物を渡して読み上げさせたのであった。


 タンペットが夜の闇に溶けそっとルリジオの館についたとき、館の広間は蜂の巣を落としたような有様だった。

 髪を振り乱して怒り狂う者、両手を顔に当てて泣いている者、鬼のような形相で必死に怒りを耐え他の妻を諭しているものなど混乱の極みと言った様子だ。


「タンペット殿!」

「王都の犬がなんのようだ」

「悪い知らせなら貴様の首を跳ね飛ばしても構わんのだぞ」


 タンペットが姿を現したのを発見した妻たちから、歓迎の声と怒りの声が同時に降り注ぐ。

 敵意はないという代わりに深々と頭を下げると、若い葡萄酒色の髪の女性が彼女の肩を抱いて、広間の中心へと連れて行く。


「タンペットという魔導士ね。名前は夫から聞いているわ。会うのははじめましてよね?私はダヌ。仲良くしましょう」


 ダヌの微笑みにタンペットは背筋を凍らせる。

 数十年前、王都に豊穣の恵みを授けた地母神が、わざわざに来ているということの意味を考えたからだ。


「さて、貴女が来たのはどういう了見なのかしら。ちょうど、私たちの夫ルリジオ常春の国わたしの元へ連れて行って少しの間かくまってしまえばいいんじゃないかって話し合っていたところなのよ。そうすれば、彼を捉えた愚か者たちに、それが愚行だったと思い知らせることが出来るし……ね」


常春の国ティル・ナ・ノーグになんて送られたら、そちら側へ行けない我ら獣人族はどうする!」

「巨人族の私たちもそちら側へはいけないわ!ルリジオを傷つけられる前に王都を滅ぼせばいい話でしょ」

「自らの夫のために我慢すらできない愚妻たちのことは無視しましょう!今すぐルリジオ様を我らが国へ連れて行くべきです」


 様々な種族の怒号にも近い様々な意見に、タンペットは恐れ戦いた。しかし、この事態をなんとか収拾すべく、自らが調べたことについて正直に彼女たちに教えることにした。

 そうでなければ、ルリジオがこの世界から消えても消えなくても悲惨なことになると確信できたからだ。

 少なくとも王都は彼女たちによってめちゃくちゃに破壊されてしまう。タンペットは館を包む熱気からそんな空気を感じ取っていた。


「王は……ルリジオ殿を捉えることに賛成というわけではありません。それだけは先に申しあげておきます」


 緊張した面持ちでタンペットは言葉を続ける。


「それに、王都を破壊したとして、周辺国はルリジオ殿を恐れ、次々と戦争を仕掛けてくるでしょう……そうすればルリジオ殿は近辺の国、いえ、世界の人間をほとんど消し去らなければ平穏を手に入れられないはず」


「ほうら、それならやはり、ルリジオは常春の国わたしの元に……」


 ダヌが微笑みながらそういうのを遮って、タンペットは必至で話を続ける。

 今、自分のこの発言に自分の国の……いや世界の存亡がかかっているといっても過言ではない。そう思うと、言葉にも自然に熱がこもる。


「ルリジオ殿を陥れた存在がいます。その正体を暴けば、きっとルリジオ殿の無実は証明され、あなたたち全員に日常が戻ってくるのです。どうか、我らに協力してくれないでしょうか?」


 ふわっとした光の透ける不思議な煙っぽい香りのする衣をまとって、タンペットの隣に現れたのは真っ白な毛皮を持つ女性だった。

 前に突き出た細長い鼻と顎は狼のそれとは違う。狐型の獣人だ。

 異界の神でもある彼女は、九つ尾の妻ガウリだとタンペットはすぐに気が付き、大慌てで片膝をついて頭を下げる。

 ガウリは、九つのふわふわとした尾と、二つの豊満な乳房をゆらしながらタンペットの手を取り立ち上がらせた。


「妾はこの耳長の話に乗るぞ、ダヌよ」


 それから、鋭く真っ白な牙を見せて妖艶な微笑みながら再びダヌの方を向いた。


常春の国ティル・ナ・ノーグに行くにはわたしも骨が折れる。ガウリ殿とタンペット殿に力を貸したい」


 ガウリの隣に立ったのはヘンティルだ。タンペットが固唾をのんでダヌがどう出るのか見る。

 結局、地母神ダヌの機嫌を損ねれば、王都はたちまち魔物に襲われ不作の恐怖におびえなければならない……。

 王都の存続も大切だが、なるべくなら豊穣の恵みも失いたくないタンペットは冷や汗をかきながらただダヌの顔を見つめる。

 手段がまだあるのなら、ルリジオの常春の国ティル・ナ・ノーグ行きを望まないという声が徐々に大きくなり始める。

 その声を聞いたダヌは腕を組み、品定めをするようにタンペットとガウリ、ヘンティルを見つめる。


「……それもそうね。あの子も、きっとこの世界に居たいというでしょうし、打つ手があるうちはこちら側にいられるよう最善を尽くしましょう」

 

「ありがとうございます……」


 仕方がなさそうに微笑んだダヌを見たタンペットは力が抜け、その場にへたりこんでしまいそうになりながら、やっとのことで絞り出した感謝の意を妻たちに伝えるのだった。

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