11話 帰宅を待つ者
ヘンティルがルリジオとの出会いを話し終わる時、ペレの目に灯っていた怒りの炎はすっかりと萎えていた。
肌も岩のようにゴツゴツとしていたが、元のような滑らかな肌へと変わり、色も健康的な褐色へと変わっていた。
「同郷の凄腕の戦士たち相手に大立ち回りをして、討伐対象を妻にする……しかも子供もまとめてだと……全く……どんな神経をしていたらそんな選択をするというのだ……」
「僕がこんな2つでも素晴らしいのにそれが4つもあるご婦人に剣を向けられると思うかい?
色々な
「もう良い。怒る気力も失せた」
ペレは、片手をあげてルリジオの話を中断させると深い溜息を吐いた。それから先程までの怒りに満ちた業火をはらんだ視線ではなく、慈悲にあふれた……憐みも多く含んでいそうな視線を、片膝をついて跪くヘンティルへ向ける。
「ヘンティル……お互い苦労するな……。今回のことは不問にする。それで今回の訪問の理由はなんなのかしら」
「それで……その……今回は……討伐するはずの火竜を……その手懐けてしまいまして……」
ヘンティルが、ペレがまた怒りださないかハラハラしながらそういうと、ペレは目を丸くして驚いた。それから、肌を黒く変質させながらルリジオのことを睨み付けた。
「待ってくれ。ヒトに巣を荒らされ、帰るに帰れずに居ただけの火竜を殺すなんていくらなんでも可哀相だろう?」
「本当に……そなたと関わると退屈しないなルリジオ。その火竜とやらを呼んで見せてくれ」
珍しく慌てるルリジオに毒気を抜かれたのか、肌を元の色に戻しながら笑ったペレに、ルリジオもヘンティルもホッとした表情を浮かべる。
ペレに竜を呼んで見せてくれと言われたルリジオは、両手を口の前へと持っていく。そして、低い唸り声のような地響きのような声を出した。
竜の鳴きまねだ。ヒトから発せられるとは思えないその声は長く長く狼の遠吠えのように響いた。
しばらくして、聞き覚えのある羽ばたきが聞こえたかと思うと、地上と繋がっている天井の穴から、ゆっくりと一匹の火竜が舞い降りてきた。火竜はペレが差し出した腕へと止まる。
火竜は、ペレと比べるとまるで鷹使いと鷹のような大きさに見えた。目の前の女神の偉大さにヘンティルは改めて畏怖の念を胸に抱く。
「こんな生き物がヒトの子をそこまで恐怖させるのか……。よくわからないものだ」
ペレは自分の肩に頭をこすり付けて甘える火竜を見て意外そうな声をあげる。
顎の下をペレに指で優しくなでられ、うっとりとした表情の火竜を見てルリジオもヘンティルも安堵の表情を浮かべた。
「また妻たちと共に来るといい。そなたの妻の話を聞いていたら、嫉妬などするのが馬鹿らしく思えてきた」
島の真ん中にそびえる山の火口付近で、朗らかに笑う褐色の女神ペレに送り出された二人は、カラフルな巨大オウムに跨った。
巨大オウムがその極彩色の羽根を広げて羽ばたき始めてしばらくすると、ヘンティルはマントについたフードを脱いで深呼吸をした。
館にも女神はいるが、やはり神としての力が大きい存在との対峙はヒトと同じ地に住まう神々とは違った緊張感があるとヘンティルは思う。
「ペレ殿は館には呼ばないのか?」
巨大オウムで並んで空を飛びながらヘンティルは思い出したように疑問を口にした。
「あの灼熱を発する活火山のような光を放つ豊満な胸をいつでも見られたらと本当に心の底から思うけど、彼女があの島から離れることを望んでいない上に、流石にあそこまでの熱を発しても大丈夫な部屋を作るのも難しいし、次々と生まれるドワーフたちを養うのは少し難しいからね」
「てっきり他の妻たちと争うからかと思ったが違ったのか」
「どんな形でも、契約さえすれば夫婦の契りは結べる。僕は、みんなのしたいことをなるべく尊重したいだけさ」
まっすぐ前を見据えてそう言い切るルリジオの体を傾きかけた赤い太陽が照らしていく。
ヘンティルはそれでもよくわからなくて尚も疑問を投げかけた。
「……何故、ルリジオはいちいち夫婦の契りを交わすんだ?単純に館に招くだけでもいいという娘たちは多いだろうに」
「少しでも
「お前に守られるのではなく、隣に並び共に戦いたいという妻はどうなる……」
「……そうだね。どうするのが最善なのか僕の答えを用意しておくよ」
ルリジオは少し間を置いた後、そう言って静かに笑う。
それは、儚い花が散る間際のような、危うげで儚い美しさを感じさせた。
今のところは自分の命をある程度優先している彼だが、そのうち大勢のためなら自分の命を差し出してしまうんじゃないかと、そんな不穏な考えがヘンティルの脳裏を過る。
「わたしのためにも、他の妻のためにも、命だけは大切にしてくれよ」
「そうだね。僕の魂や身体を君達が分け合って慈しんでくれて悲しんでくれるのも嬉しいけど、僕にはまだ寿命もあるし、これから先も魅力的な胸の持ち主が現れるかもしれないから死ぬわけにはいかないしね」
館にやっと帰った時には、もうすっかり日も暮れていて、心配した他の妻たちもルリジオを出迎えていた。
「今日も無事に帰ってきてくださってガウリは嬉しいです。妾の毛皮はお役にたちましたか?」
「ありがとう、ガウリ。これがなければ僕もヘンティルもただでは済まなかったよ」
九つ尾の君ことガウリは、しゃなりしゃなりと真っ白な毛皮に包まれた九つの尾を靡かせて綺麗な鈴の音を響かせながらルリジオに歩み寄ると、薄灰色になっている火鼠の毛皮で作ったマントを笑顔で受け取った。
「ヘンティルさん……?この毛皮のお礼にペレアイホヌアさんのことでも教えてくださる?」
ガウリは、ルリジオが別の妻の方へいって談笑しているのを確認して、素早くヘンティルの首根っこを掴んだ。彼女はガウリを自分の元へ引き寄せると、顔に笑顔を張り付けながらも瞳孔を針のように細くしてまくしたてた。
「ガウリ殿が心配するような相手ではなかったぞ。相手は巨人族以上、ダヌ以下くらいの巨大な豊穣の神だ」
「……豊穣の神はみなさんお胸の実りの方も素晴らしいですものねぇ……かくいう妾も豊穣の神としての側面は持ってましたし……」
「なんでもここから遥か遠く、南東の砂だらけの土地には猫の頭を持つ豊穣の女神がいるらしいぞ」
「……これ以上獣の妻が増えるのは御免です!ルリジオ様が南東に行くのだけは阻止して見せます……」
ガウリはヘンティルの軽口に対して表情をころころ変えながらそういうと、尾をそれぞれ揺らしながら再びルリジオの元へと駆けていく。
ヘンティルは、同じ獣人と分類されている自分とガウリでは育った場所も能力も力も違うということに考えを馳せた。
ガウリは多分どこかで神として崇められていた存在で自分なんかがこうして話すなんて出来ないような存在だったんだろうなとまで考え、そんな立場も能力も差がある存在を胸が人々の平均値よりもかなり大きいという点だけでなんとなく共存させているルリジオの凄さに、ヘンティルは改めて感動を覚えるのだった。
「ヘンティル」
名前を呼ばれて我に返ったヘンティルは、気が付くと横に立っていたルリジオの顔を見る。
二人きりの時に見せたあの儚い笑顔ではなく、いつも通り、朗らかに笑っている彼を見てなんとなく安心をした彼女は思わずルリジオに抱き着いて彼の胸に顔を埋めた。
「今日助けてくれたお礼をしたいから、なにがいいか考えておいてくれと言おうとしたんだけど……どうしたんだい?」
「なんでもない……ただ……安心したから妻らしいことをしたくなっただけだ」
ヘンティルはごまかす様にそういうと、心配そうに自分の顔を覗き込むルリジオから体を離すと、いつもの調子を取り戻してそう言った。
そして、お礼について言われていたのを思い出し、顎に手を当てて目を閉じて考えるそぶりを見せた。
「そうだな……お礼……。大きめの骨と、丈夫な鞣した皮をくれないか。久しぶりに何か作りたいところだったんだ」
「わかった。いいものがあったら君に分けるようにブラウニーに伝えておくよ」
ルリジオは、一瞬疑問のようなものを顔に浮かべたが、すぐにいつものような涼しげな穏やかな表情に戻ると、ヘンティルの肩をポンと軽く叩いて微笑んだ。
「ルリジオ様!もう!毎回無茶ばかりして!気が気じゃありません」
「ルリジオさまー私の歌を聴いてくれるって約束はいつになるんですか?」
最近忙しかったお陰で構ってもらえなかった妻たちの不満がさく裂しているのか、珍しく玄関近くの広間はごった返しになっている。
いつもは当番制で出迎えを決めている上に、基本的にはルリジオが妻の部屋を訪問しているのだが、ここ最近の訪問ラッシュでそれも出来なかったうえに、今回の火竜を譲りに行くために丸一日留守にしていたのだ。
しばらくルリジオを独り占めできたヘンティルは、他の妻たちに怒られないうちに早めに部屋に帰ろうと、ルリジオを引っ張りまわす妻たちのいる広間に背を向けてゆっくりと自室へと向かうのだった。
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