10話 大地を喰らう者

 ジメジメとした洞窟の中は、奥へ進むにつれて蒸し暑さが増していった。

 まるでサウナのようだ……とヘンティルは肉球に汗をかきながら思う。

 この毛皮は暑さも防いでいてくれるということだったけれど、どうやら効果は当てに出来ないらしい……とマントの中で密かに覚悟を決めた。そのまま歩き続けていると、視界が急に明るくなって彼女は戸惑う。

 前を歩いているルリジオの肩越しから前を覗き込んだヘンティルは、橙色の光が壁一面を埋め尽くしている光景を目にして目を丸くする。

 どんどん進んでいくルリジオに続いて、明るい空間に足を踏み入れた。すると、さっきまでの不快な暑さが一気に引いた。

 そして、彼女はある違和感に気が付いた。自分のマントの色が真っ白に変色していたのだ。目の前を歩いていたルリジオの身に纏っている毛皮も、さっきまでの汚れた溶けかけの雪のような色だったはずなのに、いつのまにか降りたての雪のように真っ白になっていた。


「なるほど……暑さが足りなかったということか……」


 ヘンティルは苦笑いしながらそう言うと、黙々と歩き続けるルリジオの後を追いかける。グツグツ煮えたぎるマグマの中に、頼りなく走る一本の細い道を慎重に歩いて進んでいった。


 細い道は、いつのまにか真っ黒い岩のごつごつした道に変わっていた。

 相変わらずそこかしこで橙色に光るマグマが粘度のあるしぶきをあげている。

 時折、マントに当たるその飛沫を横目で見てハラハラしながら、二人は階段のようなものがある場所までたどり着いた。


 階段を上りきると、景色が一変したことにヘンティルは気付く。

 さっきまでの自然観溢れる黒と橙の死の空間とは違っていた。正方形の人工的な空間が広がっているその場所に驚いたヘンティルはあたりを見回す。


 壁や床に所々に開けられた丸い窓のようなものは透明なガラスのような物体がはめられていて、そこから橙色のマグマの光が差し込んでいる。

 一面黒い岩の天井にも、少し大きめの円が等間隔で並んでいてそこからマグマの光が取り入れられているお陰で室内は煌々と明るい。


 その空間の左右には、ひげがもじゃもじゃの小さいが屈強そうな男たちが立ち並んでいた。

 厳めしい鎧と兜、そして手には巨大な戦斧が握られている。

 よく見ると部屋の左右にはいくつかの穴が開いていて、そこから何人かの同じような大きさの男たちが忙しそうに出入りをしていた。


「あれがドワーフだよ。溶岩が固まった石から生まれる鍛冶のスペシャリストさ」


 珍しそうに小さな男たちを見ているヘンティルに、ルリジオは耳打ちをして教えると、部屋の奥へと歩いていく。ヘンティルも慌ててそれに続く。

 彼らが向かった先、部屋の最奥には天井がなく、光は刺していなかった。しかし、そこが外と繋がっているということを、ヘンティルにはなんとなく察することができた。


 天井がない部分には、巨人かトロールが三人は入れるんじゃないかというくらい大きな穴がポッカリと口を開けている。

 穴は煌々と輝くマグマに満たされていて、火山の火口のようだ。

 ルリジオが穴の前に担いでいた大きな皮袋を下ろしたので、ヘンティルも同じ位置に自分の持っていた袋を並べた。すると、急に火口のように口を開けている穴のマグマがぐつぐつと激しい音を立て始める。

 ヘンティルは体を竦ませて、隠れるようにルリジオの後ろへと下がる。不安になった彼女は、ルリジオのマントの裾を思わず握った。


「お久しぶりです。いつも通り、貴女の好物を少しばかりお持ちしました」


 ヘンティルをかばうようにそっと前に出たルリジオは、マグマから頭を出し始めた巨大な女性に恭しく頭を下げてそう言った。

 無礼があってはいけないと、ヘンティルもルリジオの後ろにいながらも片膝をついて跪き、頭を垂れる。


「そう畏まらなくとも良い。そなたは私の夫なのだぞ」


 褐色の肌にズズズズ……とマグマを体に纏わりつかせて出てきたペレは朗らかな笑顔を浮かべてている。

 腰まである真っ黒で豊かな髪を揺らしながら、彼女は床に空いた穴の上に胡坐で座った。


「ほう……これは……美しく磨かれた翡翠と紫水晶か……。それに北の大地にあるという溶けない氷の宝石……それにこちらの袋にあるのは野苺……」


 ペレは、腕を伸ばしてルリジオたちの持ってきた皮袋を指でつまみ、手のひらの上にぶちまけた。それから、袋の中身をしげしげとみつめてホウッと溜息を吐いた。

 それはがっかりしているわけではなく、感心の溜息だということは顔に浮かべられた笑顔を見ればわかる。


「これだけ旨そうなものがあればうちのやつらも喜ぶはずだ。礼を言おう。そなたはいつも私の喜ぶものを持ってきてくれるのだな」


 笑顔のペレは、ルリジオの方へ僅かに身を乗り出した。


「それにしても、急な来訪とは珍しい。何か急用でもあるのかしら?」


「そのことなんだけど……」


「……待て。其処の女。それはなんだ……」


 ルリジオが火竜について話そうとした瞬間、ペレの視線がルリジオの後ろにいるヘンティルに向かい、止まった。


「……私の城に他の妻を呼ぶとはどう言った了見だルリジオ。答えによっては貴様の体をマグマの抱擁で骨も残らないようにしてもいいのだぞ」


 先程まで朗らかな笑顔を浮かべていたはずのペレは、恐ろしい声でそういうと、褐色の肌を真っ黒に変質させた。

 それはさながら火山岩のような色艶で、体の所々にはマグマ色の線が走り、その線からは眩いばかりの光が放たれている。

 姿を変質させたペレは、まるで噴火した火山の煙のように真っ黒な神を逆立たせて、体に走る線からも、二つの目からも炎のように激しい光を放ちながらルリジオに詰め寄った。

 先程の穏やかな面が、豊穣の神としての姿なら、こちらの姿は嫉妬深く気性の荒い暴力の女神としての姿なのだろう。

 ヘンティルは、ペレの放つ怒気に当てられて足を竦ませながらもなんとかルリジオだけでも逃がす手はないかと必死で頭を働かせる。

 ここで自分だけ生贄になることでルリジオは許してもらえないだろうか……もうそう言ってしまおうと意を決して前に進み出ようとすると、ルリジオはそっとヘンティルを静止して微笑みを浮かべた。

 毒気を抜かれて立ち尽くすヘンティルを、再び庇うように前に出たルリジオはユラユラと蜃気楼のようなものを立ち上らせているペレに、微笑みを浮かべたまま近寄っていく。


「貴女のその熱いマグマの滾る豊かな胸に抱かれながら骨まで焼かれるのもとても魅力的ではあるけれど……今は待ってほしいかな」


「私がそんな虚勢の自己犠牲で感心すると思っているのか?」


 ルリジオが燃え盛るペレに一歩ずつ滲み寄っていく。

 ペレが脅すように顔を近づけると、決して焼けないと言われている純白の火鼠の衣がチリチリと少し火の粉を散らす。


「虚勢じゃないことなんて貴女が一番よくわかっているだろう?」


 そう言ったルリジオが、火鼠の毛皮のマントを脱ごうと、マントの留め具に手をかけるのを、誰かの手が止めた。

 驚いた顔をしているルリジオの前にヘンティルは進み出ると、恐怖で震えながら懸命に声を絞り出してこういった。


「その……すまない。わたしが……ここへ来てみたいと言ったんだ」


 ペレの鋭く熱い視線が自分に注がれる。熱さを防ぐはずの火鼠の毛皮で作られたマントの中にいても、料理場のかまどの中に投げ込まれるような熱さが体中を刺すように襲ってくる。

 それでもヘンティルは、髪の毛を逆立てて自分を見るペレをまっすぐに見据えた。


「国の外から出たことがないわたしの頼みを聞いて……その……気を悪くさせたのなら謝る。ルリジオのことを殺したりしないでくれ。わたしの命の恩人で……大切な夫なんだ……夫を亡くしたわたしを子供ごと養ってくれた大切な人なんだ」


「……狼の女、その話を詳しく聞かせてみなさい」


 ヘンティルは、自分とルリジオの出会いの話をゆっくりと思い出すように語り始めた。


 それは、最北の森林で最後に残った銀狼キュノケファロスの一族への迫害の話でもあった。

 美しい毛皮を持つ彼らは貴族たちの衣装のために危険を顧みない狩人たちに襲われることが増えたのだ。


 元々ヒトに対して優位を誇っていた彼女たち銀狼キュノケファロスも頻度の多い敵襲や、様々な魔法・鼻を利かなくさせる悪臭を利用した罠に打ちのめされて数を減らしていた。同胞を守るために奮闘をしていた。


 ヒトも、それ以外も自分たちの縄張りに入れば理由を問わずに即座に命を奪った。そうしなければ、自分たちの身を護れなかったからだ。

 それでも、ヒトは諦めずに銀狼キュノケファロスたちの毛皮を欲しがり続けた。そして、とうとうヘンティルの元夫が他の一族の子供を囮に使われ命を落とした。

 彼に幼い子供がいたことが仇になったのだろう。

 夫を殺されたヘンティルは、怒り狂い、縄張りのなかに入ったヒトだけではなく近隣の村も襲い始めた。

 夜な夜な村を襲い家畜を殺しまわり、見せしめのように村人の死体を木の枝に括り付けるヘンティルは、いつしか月夜の悪魔と呼ばれるようになっていた。


 そして、とうとう被害を見過ごせなくなった領主は高い金を払って月夜の悪魔を倒すために選りすぐりの英雄が何人も呼び出した。

 その中の一人にルリジオがいた。


「『待て!そいつは月夜の悪魔と呼ばれる獰猛な怪物だぞ!子供諸共殺してしまえという命令だ!何故そんな化け物を庇う』という弓兵に対し、ルリジオはわたしを庇うように立ちながらこう言ったんだ。『でも巨乳が4つですよ?』と……」

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