9話 紅き竜


「妾を呼びつけておいてまたオークだ怪物だって言ったら容赦しな……あら。本当にヒトの子じゃないか。これは驚いた」


 ルリジオがさっきまで橙色に輝く欠片を通して会話をしていた人物はそう言って顔をほころばせた。

 長い耳が特徴的なその女性は、長い銀色の髪を靡かせながら歩いてくる。


「そのとがった耳……月色の髪……深緑のマント。もしかして貴女様は……王都の盾……偉大なる魔道士……タンペット様……」


「ふふ……畏れずとも良い。我が娘になるヒトの子よ。そのとおり。妾こそ大国ピオニエーレ随一の大魔導士、凶風のタンペット」


 驚きを隠せないといった様子のポルピに対して、得意げに微笑みながら自己紹介をしたタンペットは、長い髪を手で払って靡かせて微笑む。

 タンペットは、まだ事態が呑み込めていないポルピの目の前にかがむと、少女のバラ色の頬に手を当ててしげしげと少女のことを見つめる。

  そして、うっとりとした表情を浮かべた。


「この可愛らしい丸い耳……それに栗毛色のふわふわとした長い髪……なによりこのなだらかな胸部……素晴らしい……素晴らしい……。妾の娘として何の不足もない」


「え、永遠にも近い寿命を持つエルフであり、名誉も栄光も手に入れた王都の大魔道士様が……こんな田舎育ちの下流貴族でしかないわたくしを……?なんのとりえもない上に……胸が貧相だと馬鹿にされてお嫁にもいけないわたくしをどうして……」


「その貧相な畑だと馬鹿にされるそなたの胸が妾にはいとおしくて仕方ないのだ」


 彼女は、ぎゅうっと音がしそうなくらい強くポルピを抱きしめた。緊張の糸が切れたのか、ポルピは急に大きな声を上げて泣き出す。

 タンペットは、小さな淑女が泣き止むまでそっと背中を撫でながら、愛おしそうに腕の中を見つめていた。

 ひとしきり泣いて落ち着き始めたポルピが、やっと小さな声で「ありがとうございます」というと、タンペットは微笑みながら指で彼女の涙を拭う。


「これから貴女は妾の娘になるんだ。これくらい当たり前のことだよ」


 タンペットは、優しい声で諭すようにそう言いながら肩にそっと手を添えてあげた。

 暫しの歓談の後、タンペットとポルピを見送るためにルリジオとヘンティル、そしてブラウニーは庭へと出向いた。

 タンペットは、ポルピを巨大な白い鳥の首元につけた蔵に座らせ、ルリジオに歩み寄って握手を交わす。


「ありがとうルリジオ。妾が直接この娘の父親に会いに行ってうまく言いくるめることにしよう。その方が角も立たない」


「とても助かるよ。ありがとう」


「それにしても、相当噂になっているぞ。例の悪魔を妻にしたことは」


 お礼を言ったルリジオの手を少し引っ張り、サッと耳元に顔を寄せたタンペットは、小さな声でこういった。

 ルリジオはまいったなとでも言いたいように鼻頭を指で掻く。


「お前のことだ。心配はしていないがね。なにかあれば力になる。いつでも頼るがいい」


 ふっと笑って、ルリジオの肩を叩きながらそう言って体を離したタンペットは、颯爽と身をひるがえし、巨大な鳥にまたがった。

 巨大な鳥が翼を広げ羽ばたいていくのを見送りながらヘンティルは呟く。


お前ルリジオ凶風の魔道士タンペット……胸の好みが正反対だというのに仲違いしないとは……不思議なものだ」


「美しいものはそれぞれ違うからね。僕にはそう思えなくても、それを美しいと思う人がいるのなら、その人の元へ送って幸せになれるのが一番さ」


「さて……残る問題は……竜か……」


 ヘンティルは、庭の隅で堂々と昼寝をしている紅の鱗を持つ大きな生き物に目を向けた。

 竜は薄目をあけてルリジオたちを確認したが、大きなあくびをして再びぐうぐうといびきをかき始める。

 よほど居心地がいいのだろう。立派な鱗がびっしりをならぶ体を軽く叩かれても竜は身じろぎもしないでいる。

 

「僕の忠誠心を計るための勅令だったというのは理解してたんだけどな……どうもこういうことは苦手らしい。巣に戻せば本格的に討伐されてしまいそうだし……さすがに討伐しろと言われた対象を、このまま飼うわけにもいかないしね」


 まるで討伐しろとさえ言われてなかったら、この家で養うこともやぶさかではないといいたげなルリジオは、火竜の寝顔を見つめている。

 いくら今暴れていないとはいえ、火竜は気性が荒く知能も高い。飼育をするには向かないと言われている竜だ。しかもこの竜は何故か金や宝石を好む傾向にある。


 「盗品をここに持ち込まれたらたまったものではないです」


 ブラウニーは頭を抱えながら捲し立てるブラウニーに、ルリジオは珍しく表情を曇らせる。

 ヘンティルも「まさか飼うなんて言わないだろうな……」と確認をしようと口を開きかけたとき、ふっと背中に冷たい気配を感じて振り向いた。

 そこには暁の空の色としか言い合わらせないような不思議な揺らめく色合いの髪色の女性が立っていた。


「確か、ルリジオは炎を司る神様と知り合いじゃなかったかしら?あのマグマがぐつぐつしてるところに住んでる……誰だったかしら……」


「やあアソオス。大地を喰らう姫ペレアイホヌアのことなんてよく知っているね。ここには住めないと言って遠くに住んでもらっているんだ」

 

 アソオスは背中の羽根でふわっと浮くと、ヘンティルを飛び越えてルリジオの横に立った。そのまま彼にしなだれかかると、男なら誰もが抱きしめてしまいたくなるであろう甘い声で彼女は囁く。


「火竜なら、その女神サマに任せてみればいいんじゃないかしら?」


「なるほど。溶岩の女神ならヒトも手出しは出来ない……か。暁の悪魔アソオス殿のことはよく知らなかったが、わたしと違って博識なのだな」

 

「あら……横入りしてしまってごめんなさい。話が聞こえたからつい……」


 ヘンティルの声にアソオスは、ハッとした顔をした後慌てて謝るが、ヘンティルは不思議そうな表情で首をかしげる。

 そのあと、アソオスは自分とルリジオの時間を邪魔してしまったことを詫びているということにやっと気が付くと、朗らかな笑顔を浮かべ「気にしなくていい。夫は誰か一人の者ではないし、困っていたら知恵を貸したいのが妻というものだ」と笑うのだった。


「そうだね。ここでこうしていても仕方ない。アソオスの言う通りペレに頼んでみよう」


 さっきまで難しい顔をして悩んでいたルリジオは、二人の妻の肩を叩くとそう言ってにっこりと笑顔を作りながらそう言った。


※※※


「それで、この毛皮を着ていくっていうのか?溶岩が流れるようなところへ?わたしの自慢の銀色の毛皮の上にか?」


 薄汚れた雪のような色をした毛皮のマントで体を包んだヘンティルは、不服そうな声でそう言いながら、首元に革のベルトといくつかの大きな皮袋をぶら下げている火竜を見上げてそう言う。

 そして、火竜の首の根元に座るルリジオの元へとひょいっと飛び乗ると、そのまま座って彼の腰へと手を回した。


九つ尾きゅうびのきつねの君から借りたんだ。なんでも彼女の世界にいた火の中に住む鼠の毛皮らしい」


「ガウリ殿の着物か……こんな色をしているとはいえ汚して返したら怒られそうだな……」


 ヘンティルはそう言って笑うと肩をすくめる動作をした。

 九尾の狐ガウリとヘンティルは、姿も近く(といっても獣人である位の近さしかないが)よく話すため、ヘンティルは彼女の恐ろしさや残酷さをよく知っているので出た言葉なのだろう。


「なんでも火の中に入れると降りたての雪のように真っ白になるらしいから平気じゃないか?彼女も炎燃え盛る場所へ行くために借りたいと言ったら洗う手間が省けると喜んでいたし」


 ヘンティルは、ルリジオが語るガウリの様子に一瞬驚いた顔を浮かべるが、そのあとフフフと小さく笑い出した。


「ルリジオ……凶悪そうで一筋縄ではいかない女でも、夫である貴方に対してはコロッと協力してしまうのだから本当に不思議なものだな」


「月夜の悪魔と言われていた君にそういってもらえるとはありがたいよ。さぁしっかりつかまっていてくれよ。誰にも見つからないように高くを飛ぶから風が強いぞ」


 ヘンティルは、「これは一本取られた」という顔を浮かべ、おとなしくルリジオの腰に回した手に力を入れる。

 ルリジオの声を合図に紅の鱗に覆われた巨体は、その体を飛ばせるだけの更に大きな翼を広げて羽ばたき始めた。

 飛び上がる勢いをつけるためか、庭の石畳を火竜の鉤爪が何か所か抉ったあと、その紅く美しい体は、バサバサと力強い羽音と共に月明かりに照らされた黒い雲の合間へ飛び上がる。


 火竜というものは、他の小さな竜とは違って、この大陸でも珍しいものだ。何十年かに一度目撃情報があるかないかというくらいに……。

 今では馬の替わりに小型の竜に乗る竜騎士などもいる。それに、運搬にも竜が使われていることは珍しくない。しかし、高い知能と巨大な体を有する火竜はそれらとは別格とされている。


 竜の首を容易く切ると言われているルリジオでさえ、竜を大量に倒しているというわけではない。

 過去に精神を病んでしまった竜人族の守り神、その巨大な水竜の首を介錯しただけに過ぎないのだった。


 火竜は、どんどんスピードを上げて夜の空を飛んでいく。

 ルリジオとヘンティルは体を低くして竜の首元に生えた鬣にしっかりと捕まり、振り落とされないように必死になった。

 頬を指す風は氷のように冷たく、まるでウェンディエゴのいる空間みたいに冷え込んでいる。幸い身に纏っている毛皮のお陰で二人は凍えずに済んだ。


 そろそろ空が白んでくる頃、頬に当たる風が優しく、そして濃厚な甘い香りを運んでくることに気が付いた。

 火竜が飛ぶ速度を抑えゆっくりと下降し始めている。


 黒い岩に囲まれた小さな島は、深い緑の木々が生い茂り、真ん中に聳え立つ高い山からは真っ黒な煙が常に上っていた。

 ヘンティルは、生まれてこのかた見たことにない珍しい光景に、鼻を鳴らしながらきょろきょろとあたりを見回している。


 火竜は、ある程度の高さを保ったまま、山の頂上にある真っ赤に開いた火口を横切り、山の麓にひっそりとある洞窟の真横にドスンと音を立てて止まった。

 二人はひょいと火竜の首元から、やや湿った土の上に飛び降りる。


「ありがとう。言った通りの場所に来てくれたね。いくら火竜といってもこの距離を飛ぶのは疲れただろう。ゆっくり休んでいてくれ」


 ルリジオはそう言って火竜の胴を軽く叩くと、火竜は目を細めグルルルルと低い音を返事をするかのように発する。

 ルリジオは、竜の体に括り付けていた皮袋の一つを下ろすと、その中から丸々と太った猪を取り出して火竜の目の前に放り投げた。


「些細なお礼だけど受け取ってくれるかい?」


 火竜は返事こそしなかったが、グルグルとまるで猫みたいに喉を鳴らしながら猪に食らいつく。

 ルリジオは、どうやらよろこんでいるらしい火竜の様子に目を細めると、残りの皮袋を火竜から下ろして背中に担いだ。

 ヘンティルも、残りの皮袋を一つ背中に背負う。


「じゃあ、大地を喰らう姫……ペレアイホヌアに会いに行こうか。ヘンティル、喉が焼けるといけないから口元もしっかりマントで覆ってくれ」


 ルリジオに言われてヘンティルは慌てて口元にマントの布を当てると、ジメジメとした暗い洞窟へと進むルリジオの後を追った。

 その先に待つ館に住めない妻の一人と会うために……。

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