6話 双角の悪魔

 依頼を終えたルリジオが館のドアを開くと、香ばしいパンの焼ける香りが鼻をくすぐった。

 ドアの前ではブラウニーがいつものように、館の主であるルリジオを出迎える。


「今日の食事会は、リラ夫人が腕を振るってくれるとのことで台所仕事はそちらに任せております」


「出会った日に彼女が出してくれた猪肉の塩漬けローストは絶品だったな……これは楽しみだ」


 ブラウニーの報せを聞いたルリジオは、リラと出会った日に鉱山の麓の村で食べた食事を思い出して思わず頬をほころばせる。

 今日は、家族で集まって食事をする特別な日だった。

 この食事会は一年のうちに4回ほど設けられているもので、普段は個人個人で取ることの多い夕食を、家族が可能な限り共に集まり親交を深めようという特別な日だ。

 リラや、怪力の君と呼ばれる新しい妻たちが来てから初めての食事会で、人間でもあり、下働き経験もあるリラは張り切って夕食を作ったのだろう。

 鼻をくすぐる様々な香りを肺いっぱいに吸い込みながらルリジオは、脱ぐために外套に手をかける。


「ルリジオ様、お召し物が焦げ付いていましてよ」


「何かありましたの?」


 いつもは小さな妖精たちが来るはずだが、今日は珍しく妻二人がルリジオを出迎えた。

 一人は下半身が金色の鱗の蛇になっている女性、黄金の鱗夫人ナーギニーモハーナだ。

 モハーナは、褐色の肌の豊かな胸をルリジオの腕に押し付けながら、腰まである漆黒の髪を揺らすと麗しい黄金の瞳で彼の顔を覗き込んだ。 

 もうひとりの妻である燃える翼夫人ハルピュイアピロポスは、顔から胸までが人間の女性で、腕と下半身が猛禽類のようになっている。

 赤みを帯びた羽根の生えた腕でルリジオから外套を受け取ったピロポスは、外ハネの肩にかかるくらいの羽根と同じ赤い髪を揺らして、色白で豊かな胸を、モハーナと反対の腕に押し付けた。

 ブラウニーや妖精たちは、ルリジオの服がどんなに汚れていても気にしない。彼に驚異的な再生能力があるため、衣類の汚れなど取るに足らない些細な変化だからだ。

 しかし、妻たちにとってはそんなわけにはいかない。ヒトが起こす火などでは決して燃えたり破れたりしないはずのルリジオの服が焼け焦げていることは二人にとっては大事件なようで、二人の夫人は彼を挟んでああだこうだと心配や文句を、豊かな胸を揺らしながら話し続けるのだ。


「村を襲った火竜がいたみたいで、焼けた家屋から村の人を助けていたんだ。そのおかげで折角の服が少し焦げ付いてしまってね……」


 妻たちの話が一段落したのを見計らってルリジオが微笑みを絶やさないまま事情を話すと、妻たちは目を丸くして彼の顔を凝視する。


「村人全員助けたんですの?」


「手遅れになっていない息のあったものは……ということになってしまったけどね。あの村の荒れよう……この目で見ていないとはいえ、火竜も気が立っているようだったし、後で都に報せを飛ばしておいた方がいいかもな……」


「胸がない人もですか?」


 事情を話すルリジオに、そうではないとヤキモキをしながらモハーナが口早にそう告げる。モハーナの言葉を聞いたピロポスも、自分が聞きたいのはソレだと言わんばかりに首を激しく上下に揺らす。


「え?」


「その……巨乳じゃない人も助けたんですか?」


「人助けに性別も胸の大きさも関係ないだろう……?愛しの我が妻たちは揃って面白いことを言うね……。そんなところも素敵だから君たちが待つ家に僕は帰ってきたいと思うのだろうけど……」


 矢継ぎ早に投げられる質問を軽くいなしながら、彼は室内用の蜘蛛の絹スパイダーシルクで織られた上着をブラウニーから受け取る。


「そ、それもそうよね」


「ルリジオ様も、人助けするときくらいはおっぱいを気にしないわよね」


 頷きあって顔を見合わせる二人の妻に挟まれたまま、ルリジオは大食堂へと向かうために歩き出した。


 食堂へ到着すると、ルリジオはあたりを見回した。

 巨人族の妻が立ち上がっても平気なくらい高い天井を、硝子で幾重にも反射された魔法の照明が暖かな陽だまりのような光で彩っている。

 巨人族の妻たちが使いやすいように誂えた巨木を用いた大きなテーブルが天井まである巨大な重々しい両開きの扉の前に置かれている。

 そして壁には、木の枝が張り巡らせてあり、洞を模した休憩場所や、ヒトの人差し指ほどのサイズしかない妻たちが使えるような小さなテーブルが置かれている。踏まれたりしないようにと言う心遣いから壁に席を設けられたようだった。

 そしてルリジオたちと同じサイズの妻たちが使うのは、美しい彫刻が刻まれた木製の大きなテーブルだ。

 大小様々な席が並べられているこの部屋では、配膳係の妖精たちが絹の君シルキーの指示に従いながら忙しなく飛び回っている。


 ルリジオは、妻たちを席まで案内してから、自分は暖炉の近くで指示を出している絹の君シルキーの隣に立って妖精たちの働きを見て頷く。

 それから、妖精の一人が今持ってきた革袋とコップを受け取ると、コップに革袋の中にある今朝とれたばかりの牛の乳を注ぐ。

 妖精と人間では規範や礼儀が違う。絹の君シルキーに対して労いの言葉をかけるのは、彼女に取っては侮辱なのだ。

 ルリジオは、感謝の気持ちを込めて、牛の乳を注いだコップをそっと暖炉の上へと置くと、絹の君シルキーの手にしている木の板に刻まれたメモのようなものに目を通す。


「ウェンディエゴとスクォンク……片鰭の君は自室で食べる……か。仕方ないとはいえ残念だね」


 自分の方を見て悲しげな顔をして頷く絹の君シルキーに片手をあげたルリジオが次に向かったのは、台所だ。

 台所ではオークやゴブリンたちに混ざって、凛々しく火の仕事もこなすリラの様子を見るためだった。

 怒号や火の粉が飛び散る台所の入り口付近でルリジオがしばらく様子を見ていると、リラは同時期に来た怪力の君と協力をして作業を行っている。

 言葉は通じないながら和気藹々としながら、リラと怪力の君が二人で熱された鉄の鍋を持ち上げ、大量の芋を放り込み、巨大な木の杓でスープのようなものを混ぜていた。

 男手がたくさん必要で危険なことも多い台所仕事で、男に負けじと働いている二人の妻の仕事の邪魔をしないタイミングを見計らってルリジオはゆっくりと妻たちに近付いた。

 ルリジオは、台所を飛び交う大きな物音にも負けないように、大きな声を出しながらも柔らかな雰囲気で声を掛ける。


「精が出るね。二人が仲良くしてくれてうれしいよ」


「はい!こうして一緒にお料理をしたり、お話が出来る友達まで出来て……お陰様で楽しく暮らせています。ルリジオ様にはなんとお礼をしたらいいかわからないくらいです」


「ウウホウウ ウウホ ホウホホ ホホ ホホウホホ ホホウ」


 常若の国ティル・ナ・ノーグから取り寄せた牛ほどの大きさの猪を素手で火から取り出して皿の上に乗せた怪力の君も(恐らく)満面の笑みでルリジオの元へ駆け寄ってきた。


「素晴らしく美しい胸の双丘を持つ美の女神を僕の妻に迎えられただけではなく、こうして家の働き手になってくれるなんて……本当に僕は恵まれているよ。ありがとう」


 ルリジオは、そう言ってリラの灰で汚れた鼻頭を指で拭うと、薄く形の良い唇の両端を品よく持ち上げて微笑む。その笑顔はどことなく儚げで男性を好むものなら誰もが胸をキュウと締め付けられそうなほど美しかった。

 リラは、そんな夫の仕草を見て胸の辺りを抑えると、感極まったのか目頭を赤くして何度もお礼を言いながら頭を下げる。 


「もう少ししたら、仕事は他の者に任せて食堂に来てくれたまえ。働く我が妻たちも、もちろん美しいけれど、ドレスで着飾った君たちの更に美しい姿も見たいからね」


 頭を下げるリラの肩をポンとたたき、台所から去って行くルリジオを熱い視線で見送った二人の妻は、愛する夫へ振る舞うための料理を仕上げるために精を出すのだった。


 こんな調子で、ルリジオは食事に参加する予定の妻総勢20人程に対して、一人ひとり声をかけ、胸の素晴らしさを心の底から褒め称えながらも、妻たちが選んだ服装の華美さを褒めたり、働いている妻には働きへの感謝を送り、戦うことが好きで武勲を上げていた妻に対しては、その武勲や武勇伝を褒めて歩き回る。

 それが終わり部屋にほぼすべての妻たちがそろった巨大な食堂は、大小さまざまな蝋燭の火が灯り始める。夕闇に染まった部屋をロウソクの火と、硝子で反射された魔法照明が暖かく照らす部屋はため息が出るほど幻想的な美しさだ。


 戦の女神、巨人族、妖精、妖魔、怪物、ヒト、王族の娘、神族など錚々たる面々がそろい、大きな争いをすることなく共に食事をする場は、この場以外にありえない。今の世界は魔王が平和を脅かしている危険な世界というだけではなく、様々な種族たちがお互いの生きる場所を確保するために必死に行きているからだ。

 しかし、ルリジオの元では全員とは言わないまでも、種族の隔たりのない暖かな団欒がたった一つの「胸が非常に大きい」という共通点の元行われている。

 ブラウニーやシルキーは、そんな様子を忙しなく動きながらも内心とても喜ばしい気持ちで眺めていた。


 食事も終わり、宴もたけなわと言ったところで、ルリジオは厳かに立ち上がる。

 その静かで美しい挙動を妻たちも、飛び回っていたはずの配膳係の妖精たちも息を呑んで見守っている。


 ルリジオが口を開こうとした瞬間、彼の隣に黒い靄が現れた。

 ザワザワとする一同を尻目に、ルリジオは黒い靄に向かって手を広げると、その靄は濃い紫の光を時折放ちながらどんどん人の姿へと変わっていく。


 靄から出てきたのは背中には蝙蝠のような羽根、頭には漆黒の雄牛のような一対の角、金色の山羊の瞳を持つ暁の空のような不思議な色合いの髪の女性だった。彼女はマントに身を包んだままルリジオに肩を抱かれると、真っ赤な唇の両端を持ち上げて妖艶な微笑みを浮かべた。


 ―冥府に住まう魔なる者。


 誰もが、その女性が悪魔だということに気が付き、戦慄した。

 異世界からやってきた、この世界に害を及ぼす元凶。凶暴で悪辣で生きとし生けるものを堕落させ、生きる者の不幸を食べるこの世ならざる存在であって、決して心を通わせることなど出来ないと言われているのが悪魔だ。

 そのような神と対なす超常的な存在が何故この場へ……というざわめきは、暁色の髪をした悪魔が、身を包んでいたマントの前面を開いたことで終息した。


 この世ならざる光沢を放つ漆黒の革のドレスの胸部から除いていたのは、この場にいる女性の中でも特別に大きい、まさにはちきれんばかりの豊満な胸だった。


「暁色の髪を持ち、素晴らしい新鮮な葡萄のように張りつめた美しい胸を持つ彼女は、今はまだ妻ではないが、彼女の父上殿の了解を得られれば彼女もここの家族になる。悪魔という珍しい生い立ちだが、家族となった時は皆に危害は加えないと契約をした。よろしく頼む」


「魔を総べる王アビスモ様に仕えるバエル将軍の娘、アソオスと申します。この世界に慣れないことも多いと思いますが、家族となれるその日を楽しみにお待ちしています」


 ドレスの両端を持ち上げて深々とお辞儀をしたアソオスは、それだけいうと、隣に立つルリジオの頬をそっと手の甲で撫で、黒い靄になって姿を消した。

 妻たちだけではなく、魔法の水晶を使って様子をそっと見ていたダヌや、下働きの妖精たちさえも声を失って唖然とする中、ルリジオの「本当に今日はありがとう。次は家族がまた増えるといいね」という言葉で食事会は終了となった。


 館の主が去った後も妻たちはしばらく呆然としていたが、やがてざわめきを取り戻し、口々に好き勝手「この世の不幸の元凶を……」「魔王の部下の娘をなんで妻になんて……」のようなことを言い合っていたがその場にいる全員が、アソオスの豊満ではちきれそうな胸を思い出し、自分の胸を見比べ、そして他の妻たちの胸を見回した後「だって巨乳だものね……」と納得とあきらめの籠った呟きをして、各々の部屋へと帰っていった。

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