真性文学少女たち

矢部やべちゃん、おはよう」

「ああ、久内くないさん、おはよう・・・重そうだね」

「うん。レポートの資料用にね。図書館でごっそり借りたよ」

「いいなあ」

「矢部ちゃん、まだ続けてんの?」

「スポンサーの意向だからね」

「そんなもん、無視すればいいのに。バイトだってしてるんだから、いくらも買えるでしょ? ばれなきゃいいんだし」

「なんていうか、もはや哲学の問題と化してるんだ。僕と父親の間じゃ」

「かわいそうに・・・」


 そう言って久内さんはやや見上げるぐらいの僕の頭を、ぽんぽんとはたくように撫でてくれた。


・・・


「本を買うな。図書館にも行くな」


 父親の言葉は何かの比喩かと思った。けれどもそうではなく、本当にストレートにそのままの意味だった。


 僕と父親の関係は高校1年の時までは良好だった。自分で言うのもなんだけれども、小・中とそれなりに成績も良かった。自分の志望であったし、父の希望でもあったので、通学圏内の中では一番の進学校に合格できた。高校1年の終わり、文系・理系選択の最終申請書類を僕は親に相談せず、担任に提出した。


「何で理系じゃないんだ」

「・・・数学、嫌いなんだ」

「嘘付け」

「じゃあ・・・弁護士か司法書士になりたいから」

「適当なこと言うなよ。何なんだ、あの本は」


 僕の自室の机に図書館で借りた数冊の本を無造作に置いていた。どれも、ウサマビンラディンのオートグラフィ的な本だ。

 そして、もう1冊。

 これは買った本だけれども、ピートタウンジェントの、「四重人格」。書店のブックカバーをかけてあったから、ページを開いて中身を確認したんだろう。


「俺は自分の会社の仕事をお前に聞かせたよな。エンジニアっていうものが、小さな努力を積み重ねて世に貢献する製品を生み出していくということを」

「うん、聞いたよ」

「じゃ、何で文系なんだ。日の目を見るかどうか分からない理系的な努力が虚しいからか?」

「そんなことない。エンジニアっていう仕事も父さんのことも尊敬してるよ。ただ、自分にはしっくりこない、ってだけだよ」

「ウサマビンラディンが誰だか知ってるのか? テロリストだぞ」

「うん、そうだよ」

「それならなんで読む? それに、市の図書館で借りたなら履歴が残るぞ。噂でも立ったらどうする」

「・・・図書館とか市の職員てそんなに低レベルなの?」

「一般論だ。それにもしテロの事が知りたいのなら、被害者や懸命に救助に当たった人たちの視点に立った本を読めばいいだろう」

「それだけじゃ分からないこともある」

「何!?」

「本当に大事なのは、ウサマビンラディンがテロリストとして生きない道を選ばせることだったんだろう。なら、生い立ちや育ち方から見て行かないと本当の解決にはならないんじゃないの」

「屁理屈言うな。それに何だ、”四重人格” って」

「何って」

「お前、精神が病んでるのか?」

「・・・・・・・こういうのを病んでるっていうならそうなんだろうね」

「分かった」

「え」

「も本は買うな。買う金も出さない」

「・・・」

「図書館にも行くな」

「それって・・・」

「高校は半分義務教育みたいなもんだから、教科書代は出してやる。それ以外は受験参考書もダメだ。それでもやっていけるというんなら文系へ行け」

「・・・分かった。そうさせて貰う」


 この日を境に父との会話は、ぶつっ、と途切れた。


 受験では苦労した。幸い、学校で使う問題集は一種のテキストだから、使用可だ。ひたすら繰り返した。ごく親しい友達は、参考書を貸してくれようとしたけれども、父の意向ではそれもNGだ。赤本も買ったり借りたりできないので、センター試験の比重が高い大学を選ばざるを得なかった。


「おお?」


 思わぬ高得点となったセンター試験の結果を見て担任はしきりに難関校を受けろと言ったけれども、過去問を一切解いていない僕にそんなリスクは取れない。市一つ挟んだ隣県の国立大はセンター試験の配分が高く、何とか合格できた。それでも奇跡だったと思っている。

 まあ文系とはいえ、今時は大学の課題や卒論すらネットの資料である程度の下調べはできるだろうし、学業にも支障はないだろう。

 文学部じゃなければ。



「矢部ちゃんは健気だねー」


 そう言って久内さんは手の甲で僕の頬をぺちぺちする。

 入学して2か月。なんとなく大教室での講義の時は久内さんと一緒だ。なんとなくお昼も一緒に食べる。

 頭をぽんぽんしたり、頬をぺちぺちしたりして慰めてくれる。けれども僕は決してリア充ではない。美人とは決して言えないが、かわいらしいと言えば言えなくもない久内さんといつも一緒なのを見て羨む男子もいるんだろうか。

 彼女とはそういう関係ではない。”ご同人” と言えば一番意味が通りやすいかもしれない。


「んで、矢部ちゃん、読んだよ!」


 そらきた。


「ああ、ありがとう。どうだった?」

「甘い、よ」

「・・・やっぱり」

「あそこまでリアルにリアルに話進めといて、何あのラスト? 張りぼてが、べりん、て倒れた感じ」

「厳しいなあ・・・」


 本を買えない、図書館にも行けない、電子書籍も駄目となれば、ネット小説しかなかった。まあ、ネット小説父の基準もぎりぎりかな。

 そして、読めないなら書くしかなかった。高2の時からずっとそうだ。


「よし。以上。今度は矢部ちゃん、お願い」

「うん。傷つかないでね」

「やだ、緊張しちゃうよ」

「あの主人公の女の子ね」

「うん」

「とても女子が考えたキャラとは思えない」

「えー」

「女子の気持ちが分かってない」

「なーによ、男子の矢部ちゃんに分かるって言うの」

「分かる」

「じゃあ、今のわたしの気持ち、当ててみてよ」

「僕のこと、好きでしょ」

「あほ」

「じゃれ合いはここまで。真面目な話、キャラ設定はお互いきちんとしないと」

「分かってはいるんだけど」

「あの主人公にモデルっているの?」

「まあ一応。高校の時の友達」

「美人だった?」

「うん」

「嫉妬してたでしょ。その子に」

「え! 何で分かるの?」

「なんでわざわざそういう子を主人公にするかなあ」

「だって、身近な美人っていったらその子しか浮かばなかったんだもん。他の子はみんなぱっとしなかったからさ」

「うーん」

「わたしと同じで」

「・・・根は深いよね」

「でも、いつまでもわたしのような冴えない女子ばっかり主人公にしてたらそれしか書けなくなるでしょ。幅を広げたいんだよ、わたしは」

「久内さんが冴えないってことはないけど・・・まあ、美人の気持ちねえ・・・」

「よ! 朝っぱらから、しけてるねー!」

「ほら来た、美人」


 久内さんはカヤノンを見てふくれた。萱野かやのさんなので、カヤノン。

 安直だ。


「何何、2人とも深刻な話? ドロドロ?」

「・・・美人のカヤノンにはわたしの気持ちなんて分からないでしょ、って話」

「何それ」

「久内さん。カヤノンを主人公にすれば?」

「えー。美人だけど、あほだもん。ストーリーが成立しない」

「なんだ。2人とも、またネット小説の話か。よく続くよねー」

「カヤノンも書いたら?」


 久内さんがそう振ると、カヤノンは手をぴらっと振って拒否した。


「やーだよ。わたしは読み専門」

「じゃあ、わたしたちの投稿、読んでよ」

「アマチュアには興味なし」

「ひどーい」


 こう言うカヤノンも根っからの文学少女だ。僕らの大学の文学部は、学部はどこでもよかったという学生が大半。

 けれども、500人いる学部生の0.5割ほどは子供の頃から文庫本を手放さずに生きて来たコアな文学志向者だ。ただし、圧倒的に女子が多い。おそらく久内さんもカヤノンも真性文学少女だ。

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