第6話 その男吝嗇につき

 知っての通り、ヘンリーは打算的な人間である。加えて金は多いほど良いという信念もあるため、犯罪すれすれのやり方でも利益があるなら躊躇はせず、むしろ積極的にそれを推し進めている。おかげで、魔王国の財政は滝を上る龍のごとくとなった。

 そんな彼の城もその金銭に見合う絢爛たるものなのか、と問われればそうではない。三重の高い塀で当たりを囲み、警備員には「上空から来るものはとにかく打ち殺せ」と命じている。さらに城の周りには水路を巡らせており、魔王といえどこの城に入るには、船着き場から船に揺られなければならない。ちょうどその船には、ヘンリーとジャックが揺られていた。甲板の中央には狭い部屋があり、しかし内装は王家の馬車のように鮮やかな赤や金の装飾が光っている。向かい合うヘンリーとジャックの手元には、ブラックのテーブルに置かれた葡萄酒がわずかに波に揺れていた。

 ジャックは窓枠からヘンリーの領地の様子を目にして、愉快そうに笑う。

「ここを臨時の魔王城にする、というのも良いですね。防御機能におきましては、この国で右に出ることもないでしょう」

「フン、これを城と呼ぶなど烏滸がましい、ましてや魔王様を迎え入れるなど」

 ここまでの防御機能を備えた要塞が守っているのは、ヘンリーの蓄えた莫大な財産。彼にとってこの建物は巨大な金庫である。

「それにしても、Miss.マーコウィッツには呆れたものだ。自分の領地経営をろくにやっていないと見える。それもこれも、魔法の研究に没頭しすぎているからだ」

 ヘンリーの領地は水の都。街の主だった箇所には道路の代わりに水路が設けられ、人々は主に船を利用して生活している。そして魔王国の中では唯一、敗戦国となる以前のままの姿である都市。というのもヘンリーの領地は、奇跡的に勇者一行の襲撃を免れていた。彼の城があまりに難攻不落であるということと、勇者らの目的はあくまで魔王の討伐であり、死ぬ思いをして金だけ奪っても仕方がないという結論にいたったから、らしい。

 ヘンリーは賑やかな店の明かりや人々の声に耳を傾けながら、手にした葡萄酒のグラスを口へ運ぶ。

「見たまえ、Mr.クラウン。我が領民の豊かなこと。戦火を浴びていないここへ逃げてくる者も多くてな、近頃はますます助かっている。そんな領民に、髭の焼け落ちた貧層な面を見せられるか?」

「もう髭の話は良いではないですか。ところで、王国側から慰謝料を取る算段、ついておられるのですか?」

「ゲッヒッヒ、そうだった、そうだった。そこで厄介なのが、あの婚儀においては魔王様が嫁に行かれた、ということ。これでは王国側での裁判となってしまう。いや、兎角この話は、屋敷の中で」

 鈍い音と共に船は流れるのを止め、ヘンリーは髪を少々整えた。しばらくしてパープルの制服に身を包んだ使用人が扉を開けると、ヘンリーは真っ先に船着き場へ降り立ち、自分の要塞を興味津々に見渡すジャックへ満足げな笑みを向けた。

「ようこそ、我が宝箱へ」

 勇者襲来からは忙しくて誰も屋敷へ呼べなかったためか、ヘンリーの声色は底抜けに明るかった。船着き場からは巨大な鉄城門がこちらを見据えて胡坐をかいている。そして城壁の上には、三メートルおきに大砲が空を睨む。

「どんな敵を予想されているのか」

 城門をくぐると、煉瓦の箱の中にポツリと館が正座している。箱入り娘と言わんばかりである。館の玄関にはヘンリーの妻が立っていた。

 それにしても、とジャックはあたりを見渡す。館はさることながら、城壁や大砲にまでこれほどの金をつぎ込むとは。魔王城普請の際にも、ヘンリーはここまでの情熱と金銭は注がなかった。この男の金への執着は、狂っていると言わんばかり。とはいえ、こんなにも金を惜しげなく使う器量は持っているというのに。

「あっ! ちょ、十G、十G玉が落ちているではないか! ちょ、これ誰のかな? 誰のでもないわよね? 我輩が見つけたんだもの、我輩のものよねえ?」

「旦那様。お客様の前でみみっちい真似はお止めくださいまし」

 ヘンリーの妻は年季の入った腹の底から響くような声で夫を怒鳴りつけると、一変してやんわりとした表情を作り、ジャックへ一礼した。が、顔を上げてジャックの姿を見るなり、紅い唇を震わせて挙句の跳てに泣き出した。

「官房長官様、ジャック・クラウン官房長官様ではございませんか。お怪我はもうよろしいのですか? 以前の戦いで昏睡状態に陥り、政務どころか城のほとんどは主人に任せられたきりだと、お聞きしたのですが」

 ジャックが説明を求めてヘンリーを見ると、ヘンリーは素知らぬ顔でジャックの手を引いて、妻の近くへ連れて行く。

「ああ、我輩や他の皆の祈りが通じたのだろう。一昨日の朝、目を醒まされた。全く、悪運の強い奴め、このこの」

 呆気に取られて反応できないジャックに、ヘンリーが顔色を変えた。

「ちょ、もうちょっとほれ、喜ばないかね。ね、ね?」

 ここで意地悪などしても仕方ない。ジャックは小さく咳払いして、自身の役者スイッチをオンにした。

「嗚呼、これはこれは奥方様、またお会いできて幸栄で御座います。先だっては、わたくしが至らぬばかりに、魔王様や財務大臣殿にまで辛い思いをさせたこと、このジャック・クラウン、忸怩たる思いでございます。しかし、何の奇跡か、再びこうしてお二人の顔を目にすることができたこと、神に感謝しております。より一層、魔王様と魔王国のために尽力する所存でございます」

 ヘンリーの妻は感慨深げにうなずいて涙をぬぐうと「どうぞ」と館を指して先に姿を消した。ジャックは気苦労も相まって鉛のようになった腕と頭を同時に落とした。

「いやあ、助かった、助かったよ、本当に。貴公はほんに、我輩の大親友だ」

「いえ、このくらいであれば」

「その調子で、これからも頼むぞ。家の者らにもあることないこと言ってるのでな」

「は?」

 ヘンリーはご機嫌に足元でタップを踏みながら、館へと入る。ジャックは重い足取りで玄関口の段差を踏み、ため息をもう一度して館へ入った。その直前「奢らなきゃよかった」と口にした。

 玄関口を入って早々、メイドがひきつった顔をして歩みを止めた。

「クラウン官房長官、旦那様をかばって勇者様にやられたのでは?」

「ええ、一時は生死を彷徨いましたが、何の不幸かこうして生きております。神のもたらす奇跡とは、このことでございましょう」

 紅いカーペットの敷かれた廊下を曲がると、荷物を運んでいた使用人がへたりと座り込んだ。

「クラウン官房長官、勇者様に操られ旦那様との望まぬ決闘の末敗れたのでは?」

「ええ、まあそうですね、はい。生きてます。急所を外してくれたみたいです」

 ヘンリーの部屋で腰かけると、お茶を持ってきたメイドがそれらを床へ落とした。

「クラウン官房長官、勇者様らの操縦する船に小型機で特攻して果てたのでは?」

「船ですか。あ、もはやそこから、ああ、そうですか」

 メイドは自分が紅茶やお茶菓子を床に散乱させてしまったことに気づき、慌ててそれらを掃除して、新しいものを取りに退出した。

「すまん」

「本当ですよ」

 ジャックがステッキをヘンリーの鼻先に突きつけた。

「一応わたくし、六魔将の統括役ですからね。あなたの処分もわたくし次第ということ、ゆめゆめお忘れなきよう」

「本当ごめん、本当に、マジで、マジでごめん。いや、でもほれ、貴公が生きておるのが奇跡、というのは本当だろう? あばら五本だったか? それで済んだのは中々に幸運だと思うがね」

「ええ奇跡です、が。話を盛り過ぎですよ、メガ盛りじゃないですか」

「Mr.クラウン、今は国の話をしようではないか。な、頼むよ」

 ヘンリーは咳払いして、引き出しから取り出した小さな櫛と卓上に置かれた銀縁鏡

で自分の髭を整える。余談だがこの男、家中の人間にも付け髭のことは話していないらしい。そしていよいよ二人の悪巧みが深みを増す。

「どうにかして、魔王国の領土で裁判を行えないものかねえ」

「難しいでしょう。魔王様がお嫁に行かれた、というのが痛手ですね」

「弁護士も皆、王国側の人間になるのか?」

「さて、前例のないことですから」

 足を組みながら考え事をする風を装うジャック。この時点で彼の脳裏には、明確な策の筋道が立てられている。かつては軍師として魔王を支えてきた彼にとって、こうしたことを考えるのは容易である。そしてその頭には、魔王国でも王国でもない風景が映っている。

「裁判長にあたるポジションが王国側でまとめられない限り、どうにか我らの出る幕もありましょう」

「適任がいるのかね」

「おりますよ、北の山に。どちらにもつかず日和見を続けた彼らなら問題ないでしょう」

「なるほど。では早速、我輩たちも王国へ向かうぞ。王国側の人間に裁判のことを伝えねば。北の一族へは、手紙で我輩から伝えておこう」

 翌朝、城から一艘の船が出港した。それと同時に、魔王国と王国を今までにない混乱に陥れる手紙が、北の山で暮らす龍の一族に向けて送られたのである。

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