第5話 デスパレートな術師たち
銀箔を撒いたような夜空。魔法使いは館の窓枠に頬杖をついていた。祭のような活気にあふれる国王の城付近とは違って、紅い煉瓦の館の周りには羊の影が点々と見える丘が波のように広がっているだけ。灯りらしきものは自分の館と星や月ほどしかなく、妙に肌寒い。魔法使いは山積みにされた魔法の歴史書を、酒と共に一人で楽しんでいた。その春の陽気に似た酔いは、丘の向こうから吹く風が首筋を駆けるたびに、心の重みに代わってゆく。
「私って、こんなことがやりたくてあいつと旅に出たんだっけ」
魔王討伐の功績やその魔術の才能を改めて認められた彼女は、国内の魔法使いを育成するための学級を受け持つことになった。勿論彼女の年齢ならば本来その学級の、もうひとつ前の学級で椅子に腰かけてせっせと勉強に励むはずだから、国内でも異例中の異例。新聞に取り上げられていたが、生憎それ以上のビッグニュースのおかげで彼女の記事は数多の文字に圧し潰された。
ふと、涼しかった風に奇妙な生ぬるさを感じとっさに首筋を抑えつける。魔法の天才であり、勇者と共に魔王城へ向かった歴戦の強者たる彼女は、すぐさまその気配が魔王国の者が発する独特なものだということを悟り、机の魔導書と、立てかけてあった銀の杖を手にとって、窓から身を乗り出した。内臓を蛇に絞められるようなこの気は、月を背に立つ二人から発せられている。それに気づくやいなや、魔法使いは呪文を唱えた。館の窓や扉が全て開き、そこから雪崩のように家具やオブジェが飛び出して、あっという間に夜空の二人を取り囲んだ。鴉のオブジェが青銅の翼を羽ばたかせて距離を詰め、魔法使いの声で嘴を動かした。
「なに。リベンジ?」
箒に乗った魔女リヴァリンは、さすがは怯える様子も見せずに笑い、猫をあやすように笑う。
「望むところ、だけど今はそんな場合じゃないわけ。いいから館に入れて頂戴」
「戦う気がないのはわかったけど。隣の細いのは?」
死霊術師プロ―ズェンが命じると、彼の跨る骨はみるみる形を変えて、彼を乗せる大きな掌になった。そのステージで、プロ―ズェンは礼儀正しくお辞儀する。
「六魔将兼司法大臣の、プロ―ズェン伯爵と申します」
「知らないわね」
「一応、お会いしたことはありますが」
「瞬殺されたビビり野郎でしょ。名前なんて聞く間もなかったから」
なんとか声には現れなかったが、彼の顔色が死体より青白く、恐怖と緊張で足が小刻みに震えていたことは、リヴァリンが知るのみである。魔法使いが杖を振り上げると、頭についた翡翠色の宝玉が光り、それを指令に二人を包囲した家具たちは、彼らを玄関へと導くように整列した。
「明日仕事あるんだから、早めに終わらせてよね」
どこからかカップが三つ、それを追うようにソーサ―が飛んできて、自分たちで紅茶を淹れる様子を見届けてから、魔法使いは玄関の前に二組のスリッパを並べた。館の扉を開いて魔王国の大臣二人を迎え入れると、扉が閉まるのを合図にインテリアたちは自分の持ち場へ戻っていく。
「ほら、さっさと上がって。暇じゃないんだから、こっちも」
家具やオブジェが元どおり整列し、カラスが靴棚の上でぴたりと固まると、いよいよ洋館の置物たちの糸が切れたようになる。
リヴァリンは足元のスリッパには目もくれず、土足のまま館の絨毯を踏んだ。小心者のプローズェンは二人の顔を交互に見比べながら汗をにじませている。対して魔法使いはあどけない笑顔をこちらへ向けると、杖で絨毯をノックした。直後、スリッパからネズミ捕りのような鉄の牙が飛び出した。空を噛んだそれは魚のように跳ね、先ほどよりやや乱雑に絨毯へ埋もれた。
「あのねえ、子供じゃないんだから。悪戯はやめなさいよ」
「あの程度じゃどうせ死なないでしょ? あんたたち魔物なんだから」
魔法使いは先ほどより機嫌を良くしたと見えて、勝気な猫のような顔で笑う。二人はオレンジのソファに腰かけて、木目調の家具たちに睨まれながら英雄の一人と向かい合った。プロ―ズェンは城で相対した時しか彼女と会っていないので、常に杖がこちらへ向くことを恐れながらティーカップに口をつけた。魔王国の茶に比べると多少渋味が勝ちすぎているが、上等な茶なのだろう。
「言っとくけど私の暗殺なんて、目論まないことね」
「相変わらずの自信家ね、嫌いじゃないわ」
「あんたらのために言ってんのよ」
リヴァリンが身を乗り出し、魔法使いもそれに応える。ほの暗い部屋、聞こえるのは夜風だけ、密談には最適。
「魔王様と勇者様が?」
魔法使いが小ばかにしたトーンで笑った。しかしリヴァリンの表情を見て、彼女の胸に緊張が悪寒と一緒にやってくる。空だったカップに茶を注ぐ手つきがぎこちなくなり、飛沫がテーブルへ散る。リヴァリンは少しだけ、満足げな顔をした。
「国の皆がなんて言うかしら」
衝撃の事実に国内が動揺し、閣僚らが必死にそれを宥めていたのはなにも魔王国だけではない。「それにしても」と魔法使いはカップを置いて首をひねる。すでに動揺している様子はなく、冷静に対処法を模索しているようだ。
「あまりに早すぎないかしら。こう言っちゃなんだけど、あいつ一途だから。魔王の性格がよっぽど酷いとかじゃないと、こうまで早く決断しないわよ」
「それについて、なんだけど」
プロ―ズェンとリヴァリンが顔を見合わせた。
「実はあの二人を結婚させたの、私らなのよ」
「あんたらが仲人ってこと?」
時は魔王城にてホネツグがやられた時分。部下の魔物が息を切らせながら六魔将がいた部屋へやってきて、ホネツグのことを知らせた。五人はすぐさまジャンケンをして、その結果プロ―ズェン一人がチョキを出したのが不幸。
「仕方ありませんね、行きましょう」
勝負服として背中に十字架が刺繍されたロングコートを羽織り、自分の持ち場へ急ぐと、プロ―ズェンはロザリオを手に霊魂を呼び寄せた。
「二百、僕に力を貸しておくれ。ただの子供とはいえ、あのホネツグさんが瞬殺。念には念を入れておいた方が、確実に勝てる」
それに呼応して彼が待つ部屋は二百の霊魂が浮かび上がり、踊るように渦を作り出す。その直後、部屋の扉が開かれた。勇者らはおびただしい霊魂の数に驚いた後、なぜだか義憤をこめた目でプロ―ズェンを睨みつけた。「こんなに大勢の魂を操って、許さない」というような台詞をほざいたので、思わずあくびを噛み殺す。
「誤解しないでいただきたい。ホームレスを雇用しただでございます。それに不当な労働を強いているわけでもありませんよ」
「話しても無駄なようだ」
「無駄って、いや、え?」
勇者は腰に据えた黄金の剣を掲げ、何やら目を閉じた。すると瞬く間に、太陽がその場にやってきたような強い閃光が部屋をみたし、あっという間に霊魂たちが成仏してしまった。当然、想定外の出来事。プロ―ズェンの顔色が急変した。
「これはダメだ、僕の人海戦術がまるっきり通用しないらしい。それにあの妙な剣、あれじゃ他の面子も、下手をすれば魔王様も瞬殺だぞ」
それから先を考えるより先に、プロ―ズェンの身体は糸が切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。気絶したように見えるが、彼が行ったのは自分の魂を肉体から分離させる、所謂幽体離脱。そして霊魂のまま、部屋で魔導書をぶつぶつと読んでいたリヴァリンに霧のようにまとわりつく。
『リヴァリン、ヤバいです。あいつらの実力を侮っていました、このままじゃ確実に全員やられます』
リヴァリンは周囲に気を配り、自分の頭に直接響くプロ―ズェンの声に対して魔導書で口元を隠した。
「私に何しろっての」
『以前開発した惚れ魔法、あれを勇者に使ってください』
「私に惚れさせろって? 嫌よ、私付き合うなら絶対魔王国の人って決めてるから」
『私はこれから魔王様の下へ向かい、前もってその魔法をかけておきます』
思わずリヴァリンが部屋で「え」と大声を上げたので、オセロをやっていたジャックとヘンリーが思わずこちらを向いた。
「Miss.マーコウィッツ、そんなに我輩は拙い手を打ったかね」
「あら、確かにそこに置いてしまうと、わたくしがここへ置けば」
「あ、ちょ、タイム、タイムにして、お願い。今の無し、今の無し」
リヴァリンは声を抑えた。
「あんた何? あの二人を結ばせようっての?」
『ええ。そうすれば一先ず、魔王国の棟梁がいなくなるのは避けられます』
「もうちょっと他に、うーん……」
『武力で敵わない以上、こうするしかないでしょう。では、よろしくお願いします』
プロ―ズェンの声が薄れて遠くへ行った。リヴァリンは自分の顔を叩いて気合を込め「押忍」と叫んで立ち上がった。
「ネクロがやられました。次、私が出ます」
「あらあら、プロ―ズェン司法大臣まで。これはもしかすると、もしかするのでは」
「馬鹿々々しい。下衆がやられた程度で騒ぐんじゃない、ゲヒヒ」
リヴァリンは強く魔導書を握りしめ、自分の持ち場へ向かった。
「というわけで、無事にお二人は恋に落ち、結婚。我が国はどうにか首の皮一枚繋がったのです」
「あんたらって、馬鹿じゃないの?」
魔法使いが冷めた紅茶を口にする。
「そんな未発達な魔法なんか使うからよ。私に内通してくれれば、っていうのは変ね。兎に角、一枚噛ませてくれても損はしなかったのに」
「私たちを舐めないでほしいわね。これでも魔王国魔法学の権威二人なの、そう易々と解ける魔法なんて使わないわ」
「じゃあ、なんでこんなことになってんのよ」
「あの二人の結婚式って、王国の教会でやったじゃない? そのせいで、私ら魔物の魔法がきれいさっぱり浄化されちゃったみたいなのよね、あはは」
「あんたらって、馬鹿じゃないの?」
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