第4話 あたし宰相だから

 会議室の椅子が埋まるというのは、勇者襲来以前ならば考えられないようなことだった。そう考えれば、あの一件は魔王国にとって「良い刺激」になったとも言える。いや、正確に言えば魔王国にとっての刺激ではなく、魔王国を取り仕切る参議、通称「人狼宰相」への良い刺激である。彼は顔の通り犬のように吠えたてて、六魔将を半ば無理やり会議へ連れてくるようになった。当然といえば、そうだ。

「良いですか諸君、我ら七人は尊大なる魔王様に代わりこの広大な領地の政を一任される立場にあります。すなわち、我ら七人は等しく魔王様の分身であり、足並みが乱れるようなことがあってはならないのであります」

 リヴァリンが鋭い目つきで参議を睨みつけた。

「あのねえ、今日は頭がガンガンしてんのよ。ちょっと後にして欲しいのよね。どうしてそんなにお国の話をしたがるのよ」

「宰相ですから」

 出社する日に二日酔なんかするな、と誰か叱ってくれるよう宰相は皆に視線を配ったが、悲惨なことにここにいる面子は彼を除き、殆ど宿酔を患っている。唯一、ヴィラ外務大臣にだけはその表情が見られない。宰相は頭を抱えた。よりによって昨晩酒を飲んでいないのがコイツだけか。

「あら、皆さんお疲れですね。まだ私何も言ってないのに。どうしたんです? 肩こりですか? 私って羽あるじゃないですか、あれで飛んでるから肩こりとか、あんまりならないんですよね、良いでしょう?」

「Miss.ツェーベル。宰相以上に我輩たちの頭をガンガンさせるのは止めたまえ」

 ヘンリーが死体のような顔色を組んだ腕から持ち上げた。同胞の奢りだからとはしゃぎ過ぎた、若者じゃあるまいし。再び彼は顔を突っ伏せる。しかししばらくして、また頭を持ち上げて、隣のヴィラに目をやった。

「Miss.ツェーベル。さっき君は、まだ何も言ってないのに、と言ったがね、本日は我輩たちがこれ以上頭を痛めるような話があるのかね」

 リヴァリンが「ちょっとお」と机にこぼしたスライムのようになる。

「やめて、本当にやめて。今日ばっかりは勘弁してよ、小難しい経済やらなんやらの話は。こっちは夜通し仲間と飲んだくれて、そのうえ研究室で徹夜してここに来てんのよ」

「仲間。あ、くふ、下衆仲間ですね」

 ジャックがアイマスク代わりに顔に被せていたシルクハットの中から「ぶふ」と音がした。真っ先に気づいたのがホネツグ。

「聞こえましたよ貉殿、今笑いましたよね、ねえ?」

「いえ、違うんですよ」

「違わない時に言う台詞ではないですか!」

 宰相の掌と掌が、ホネツグの言葉を遮った。

「会議が進みません。外務大臣、なるたけ手短に、内容をお伝えしてください。なるたけ、手短に」

「魔王様離婚するんですって、以上でーす。ね、ね、この前王国の料理店がうちにも店舗構えたじゃないですか、あれみんなで行きましょうよ。焼き鳥ダメな人とかいませんよね? 二時間お酒飲み放題のコースで、一人三千Gなんですよ」

 嬉々として焼き鳥屋の情報を語るヴィラをよそに、全員の二日酔が醒めた。

 真っ青になるリヴァリン。

 ペンを落としたプロ―ズェン。

 下顎を落としたホネツグ。

 石のように凝固して動かないヘンリー。

 バランスを崩して椅子から滑り落ちたジャック。

 立ち尽くしている人狼宰相。

「そうなんです、驚きですよね? 安いですよね?」

 真っ先に席を離れたのはリヴァリン。茫然として動けないプロ―ズェンの襟首を掴むと、「おほほ、少々用事を思い出しましたわ」と言い残して会議室を去った。しまった扉の向こうでドタバタと足音が遠ざかっていく。リヴァリンとプロ―ズェンはお互いに、真っ青になった顔を見合わせた。

「どうすんのよ、ネクロ、あんたこれどうすんのよ」

「……申し訳ない」

「いや、いいわ。あんたの策に乗ったのは私だし。兎に角、早い所魔王様のところに行かないと不味い。あの方は今どこ?」

「一応は新婚ですし、まだ向こうの城でしょうよ。でもねえ、ただの勘違いじゃないですかね、この話」

「なんでわかんの」

「皆の様子。僕ら下将はともかく四天王の誰も離婚の話を知らないなんて、可笑しいですよ。あの魔王様だ、離婚を考えたらすぐに僕らの誰かに相談してくるはず。そして相談するにしても、ヴィラはない」

 至極真っ当な推理である。というかヴィラも様子を見るかぎり詳しいことはまだ知らないようだ。ならば彼女が外交官として王国へ出向いた際にそういう噂を耳にしただけだとか、彼女が適当を言っただけだとか、そういう仮説も十分に成り立つ。どちらにせよ、早いうちに真相を確かめねばなるまい、あの蝙蝠娘はあてにならない。二人の意見は合致していた。

 リヴァリンは自作の箒に跨り、ひょいっと空へ浮かんで風船のように上昇していく。プロ―ズェンもそれに続いた。

「あんたの箒、趣味悪いわよねえ」

 プロ―ズェンが跨っているのは箒ではなく、大きな腕の骨。穂先の代わりに五本の指が不気味に動いている。

「ネクロマンサーですから」

 二人が飛んでいく様子を、宰相は会議室の窓から身を乗り出して窺っていた。生暖かい風が尖った耳のそばを駆け抜けていく。

「あの二人、何か隠しているでありますな」

 ジャックが「そうですかねえ」と宰相の隣にやってきて、魔界の厚い雲に隠れた二人の姿を探す。宰相はジャックのファッションを間近でみると、薬でもやったように目がくらくらする現象に見舞われる。

「官房長官、会議の時はもう少し地味な恰好で来るであります。目に悪い」

「何を仰います、これは私の戦闘服、いわば正装。むしろここぞという時にこそ袖を通さねば」

「いやしかし、その鳩が飛び出しそうな帽子ぐらい何とかならんでありますか」

「嗚呼、非情」

「もう結構」

 すると今度はヘンリーが「Mr.クラウン、少々良いかな」とジャックを手招きする。ヘンリーとジャックは、会議室にある太い大理石の柱の影で、何やらひそひそと話し始めた。

「Miss.ツェーベルの話、信用に値すると思うかね? とすれば、チャンスじゃないかしらねえ、これって!」

「チャンス? とんでもない。離婚した魔王様と勇者様を戦わせても、勇者様が勝利しておしまいですよ。あの伝説の剣がある限り。嗚呼、絶望」

「そうじゃないってば鈍いわねえ! 離婚といえば、あれではないか、あれ」

 ヘンリーの下品な笑顔を見て、ジャックは彼の考えをくみ取ったらしい。

「慰謝料狙いですか」

「その通り、ゲヒヒヒ。王国側の財政が傾くほどの慰謝料を、がっぽがっぽりいただこうではないか、ゲッヒッヒッヒ」

「わたくし、あなたのそういうところ大好きですよ。くっくっく」

 柱の影で何やら悪だくみめいた笑い声を漏らす二人に、宰相は「こっちも何かある、であります」とため息をついた。と同時に胃袋が破れていくような痛みを覚え、顔をしかめる。

「いてて、ストレスでありますなあ。おや、土木大臣までどこかへ行ってしまった」

「ここにおります、人狼殿」

 ホネツグの声がするのは自分の足元。目をやると、発掘されたて、と言わんばかりに会議室の絨毯の上で散らばっていた。

「ショックで、力が抜けてしまいました」

「無理もないことです。それにしても、何故魔王様は突如離婚など」

「そんなことより人狼殿、我が国はこれからどうなるんです? また王国が攻めてくるとしたら、こちらは為すすべなく敗走するしかありませんぞ」

 また胃が痛み出した。宰相は魔王国二は珍しい平和主義という名のヘタレで、戦争のイロハなんて全く知らないど素人。魔王が離婚のショックでふさぎ込み、自分が指揮を取れと言われてみろ。忌々しい勝鬨が鮮明に耳に届いた。

 国民だって黙ってない。今、宰相は「勇者と魔王が結婚した」という衝撃の事実を、魔王国民に説明している真っ最中だ。何しろこれまで魔王国民は「勇者は敵」と教育を受けさせてきたのだから。二人が結婚してしばらくは「魔王様には失望した」と国内でクーデターの動きすらあったため、彼はこの時も胃を痛めながら説得に向かい、何とか事なきを得たのである。それから一年もしない間に「やっぱ、勇者は敵だ」なんて言えるはずがない。

 投げだしてしまいたい。全てを投げ出して、妖精の国で大きなプリンを食べるんだ。プリン、プリンが食べたい。プリン、ぷるぷるのプリン。でもやるしかない。何故なら自分は、宰相だから。一国の政治を預かる身だから。

「土木大臣、ひとまずこのことは内密にお願いします。内乱の種であります」

「ご安心ください、見ての通りあたし、口は堅いので」

「口、ばらばらじゃないですか」

 散らばった骨がクンと起き上がり、骨粉なども持ち上がって、ようやく立ち上がった。そしてシャツを着て、ズボンをはいて、上から軍服の上着を着て。

「人狼殿、一つ思ったのですが、あたし骨ですし、全裸でも恥ずかしくないんじゃないでしょうか」

「ええ、先ほどの報告で錯乱しているのはよくわかるであります。兎角、この件は他言無用。その間に、魔王城の再建を急ぐであります。戦争が再開された時、あのボロの要塞が機能するとは思えないであります」

「合点いたしました」

 ホネツグが帽子を小脇に抱えて「ベキ」と奇妙な音を立てて直角にお辞儀する。彼が礼儀正しくしたのはそこまでで、礼が終わるとすぐさま駆け足で持ち場へ向かった。それを見て、ジャックとヘンリーも足早に退出した。

「外務大臣、貴女は王国へ向かって欲しいであります。事の真偽ニついて、魔王様に詳しくお伺いして欲しいというのもありますが。特に、司法大臣と文部大臣に何のたくらみがあるのか、よく見はっておくように、であります」

 その頃、ヴィラはまだ焼き鳥屋の話で一人、盛り上がっていた。

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