第3話 外交官、苦労だ
ヴィラは魔王国の外務大臣。選ばれた理由は「人当たりが良いから」という単純なもの。だが六魔将の他のメンバーを見れば、妥当な人選と言える。ウィッチの魔子と違って身だしなみにはそれ相応に気を配っている彼女は、魔界の流行カラーで自慢のロングヘアを染め、襟や裾にフリルのついたシャツに袖を通している。しかし上から大きなマントで身を包んでいるので、確認できるのは美しい髪の他に、厚底ブーツと耳のピアスだけ。
外務大臣はこの日急な呼び出しで王国、つまり勇者のもとを訪れていた。グリーンの燕尾服が「少々お待ちを」と退出したのを確認して、彼女は伸ばしていた背筋を背もたれに押し付けた。王国の城は魔王国とは違う建築法で、窓が極端に大きく、そのため明るい。その静寂と陽だまりの中で、「くふ」と彼女の笑い声が漏れた。
「くふふ、くふ、ねえねえ、問題です。正解したら十ポイント、不正解ならマイナス十ポイントです。デデン、魔王様は六魔将のホネツグさんと黄泉さんと魔子さんのことを、まとめて何て呼んでるでしょーか。正解は、「下将」でしたー残念! で、それ聞いて私くふふふふ、それ聞いて、それ聞いて私、こう言ったんですよ、くふふ、くふふ」
「下将三人衆って略したら下衆ですよね、ですよね。もう十回ほど、姫様の口からお聞きした覚えがございます」
ヴィラのマントがもぞもぞと動いたかと思えば、胸元から一匹の白い蝙蝠が顔を出し彼女の肩まで這い上がった。蝙蝠は埋め込まれた宝石のような大きな眼をヴィラの横顔へ向けた。
「そんなに笑えますか、その話」
「だって下衆ですって、大臣三人を下衆呼ばわりですよ、これ笑わないと魔物じゃないですよ。あ、お腹空きました、外務大臣秘書長官に命じます、なんか買ってきてください」
「お断り致します。姫様はこの後で料理を振舞われでもしたらどうするおつもりです。あ、さっき軽く食っちゃったんで、いいっす。などと、仰るおつもりですか」
「じゃあ、会見中にお腹が鳴っても良い。などと、仰るつもりですか」
「我慢してくださいよ、城の中に店なんかありませんし」
ヴィラは残念そうな様子も見せず「ふーん」と大きな目を部屋のあちこちへ向けている。彼女は心の底から空腹を覚えたわけではない。王国の外交官が来るまでの間、いとまつぶし、として蝙蝠と話したかっただけ。
「ねえねえ、秘書長官。ホネツグさんがプロ―ズェン司法大臣を黄泉、リヴァリン文部大臣を魔子って呼んでるじゃないですか」
「御二人の本名を無理に口にすると、顎が外れてしまうんですよね」
「ピンポン、ボーナスでプラス二点。では問題、デデン、ホネツグさんは、ヘンリー財務大臣のことは何て呼んでるでしょうか。テッテテー、正解は天狗でした」
「あの、シンキングタイムとか、ないですかね」
ドアが開いたので、白い蝙蝠が慌ててマントの中に潜り込み、ヴィラは背筋をピンと伸ばしてみた。相手側の外交官は全身真っ黒なヴィラとは対照的に、帽子からローブまで、純白。四角い帽子には、淡いブルーの十字がゴールドで縁取られている。ヴィラはこの外交官の顔を知っていた。
「ご無沙汰しております、ヴィラさん」
礼儀正しく頭を下げると、彼女がかぶっていた帽子がタイルを転がった。冷静に澄ました顔を真っ赤にして帽子に手を伸ばしたが、パニックになっているため手がおぼつかずにどこまでも帽子は転がってしまう。ようやく逃げた帽子を捕まえた彼女はヴィラの方を見て更に顔を赤くして、帽子を自分の脇へ置く。そして改めて、ヴィラに頭を下げた。
「その、改めまして、ご無沙汰しております」
「アヒルの雛みたいでしたよ、愉快ですね」
顔を隠す手のひらまで真っ赤にして照れているこの少女は、魔王国を討伐した勇者の一行に加わっていた僧侶。元来魔物にもなるたけ慈悲をもって接していた彼女ゆえに、外交官にはぴったりだと勇者が選んだらしい。
マントの隙間から僧侶を目にした蝙蝠が、目を爛々と輝かせ彼女をくまなく監察する。即座に彼は、僧侶が平然を装っているものの何か重大な要件を抱えてきたことに気づいた。
「姫様。あの外交僧、本日中々に危ういことを話すつもりですぞ」
「危ういこととは、なんでしょうか」
ヴィラが突然そう言ったので、僧侶の鼻から「ふぐ」と妙な声が漏れた。自分の心を読まれでもしたのか、と動揺している様子がヴィラにもわかる。そしてそれは、胸元の蝙蝠にも伝わっていた。
「明かに様子が変ですね、我らに何をどう話そうかと考えております。何か不平等な条約を持ってきたのやもしれません。ゆめゆめ、油断なされませぬよう」
「私たち魔王国と、不平等条約でも結ぼうというのですか? ふてえ野郎ですね」
ヴィラの不敵な笑み、に見えなくもない能天気な笑顔に僧侶は顔色を変えてわたわたと手と首を振って否定した。
「いえ、その、条約云々のことではなく、もっと重大といいますか」
「同盟破棄ですね? じゃあ、今から敵同士ですし、戦いましょうか」
魔王国外交官がおもむろに牙を見せつけたので、王国外交官は泣きそうになっている。
「やりすぎですよ姫様」
「あら、同盟破棄ではないんですか? 悪いことしましたね、立てます? すみませんね、あなたろくに戦えもしないのに。くふふ。で、つまるところ要件はなんです」
僧侶は深呼吸をしてはヴィラの目を見て、また深呼吸して、の過程を往復し、ようやく話そうとするときには、ヴィラの姿勢は崩れていた。
「その、勇者様と魔王様のことなのですが」
その口調で、蝙蝠が「あ」と声を出す。
「姫様、お二人の結婚式ですよ」
「あ、そういえば結婚式、行ってませんでしたね」
これを話すには、勇者が魔王討伐のために城へ攻め込んできたところまで話を戻さなくてはならない。ヴィラは六魔将の二番手であるから、自分が戦うであろう部屋の天井にぶら下がり、ワクワクと目を血走らせていた。
「くふ、くふふ、悲鳴が聞こえますね、ホネツグさんは負けたみたいです。まあ、あの人に負けるようでは私の暇つぶしなんてできませんものね。あ、違いますね、あの人じゃなくて、あの骨ですね、くふふふ」
主人の鼓動が激しくなっているのは、胸元に隠れている白い蝙蝠がよく分かった。ヴィラは「待ちきれませんね」と蝙蝠を胸元からつまみ出す。
「外務大臣秘書長官に命じます、勇者たちの様子を見てきてください」
「畏まりました」
蝙蝠はハタハタと城の中を飛び、驚きの光景を目にする。霊魂による人海戦術を得意とするプロ―ズェン司法大臣があっという間に敗れたのである。勇者が黄金の剣をかざすと、まばゆい光と共に霊魂が成仏してしまい、丸腰になったプロ―ズェンは気を失ってその場に倒れこんだ。蝙蝠はとんぼ返りで部屋に戻り、ヴィラの耳を引っ張った。
「ダメです、逃げましょう。やつは伝説の剣を手にしています」
「面白そうですね、伝説の剣の切味鑑賞会と行きましょうか」
「なりません」
「は?」
「姫様、恐らくこの戦いは我らの負けです。六魔将も、下手をすれば魔王様も討死なさるでしょう。その時、残された国民たちを誰が率いろというのですか」
「まあ、私しかいないでしょうけど。でも私は今戦いたいんですぅ。良いじゃないですか、適当に誰かがやって、なるようになりますよ。私じゃなくても」
「ダメです。許しません。姫様には生きてもらわねば困ります」
「えー」
結果、ヴィラは勇者たちがやって来たとき
「御足労いただきありがとうございます。ですが私、戦わないので、これで失礼しますね、くふふ」
と言い残し、開いた窓から、魔王国の夜空へと飛び出した。しかしこの決戦の行く末は、蝙蝠の想像の斜め上を行った。勇者と魔王が恋に落ち、結婚したのである。ということは、王国と魔王国は同盟関係。「不味いことになった」と蝙蝠は、結婚式の招待状を持つ手を震わせた。式にヴィラが顔を出せば、彼女に怪我が全くないことを不審に思われるだろう。よって、蝙蝠はヴィラを怪我の療養のため欠席、という扱いにしたのである。
そのため、結婚式の件で僧侶に呼び出されたとすれば、だいたいの察しはつく。
「姫様、ご祝儀を払えと言われるか、ウソがばれたか、どちらかですな」
ヴィラはマント越しに蝙蝠を握りしめ、笑顔のまま舌打ちした。ほら見なさい、やっぱりあの時きちんと戦っておけばよかったじゃないですか、と。とはいえ、ヴィラは魔王国の幹部たちの中で唯一、勇者たちからすれば実力が未知数な存在。外交官の僧侶しかり、王国側の人間が彼女を侮れない魔物として警戒しているのは、僅かな功績と言える。
「いででででで、ででででででで、姫様、姫様、本当にダメ、それ本当にダメなやつででででででででででで」
「ご祝儀っておいくらなんでしょう。五万ぐらいでしたっけ」
ヴィラの言葉に、僧侶が首を横へ振った。
「いえ、ご祝儀というか、そういうことではなく。実はその、勇者様と魔王様が離婚の危機なんです」
ヴィラの手から力が抜けた。
「は?」
魔王国建国以来の大騒動が始まろうとしている。
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