第30話 よく見えるように

 エルニカはライールの声に反応し、大穴の方に目を向けた。

 アウローラがいたはずの場所に、ローブの背から羽根と尻尾を生やしたテオがいる。両足も完全に爬虫類じみた姿である。エルニカは戸惑った。


「どう言うことだ?」

『ばれてしまっては隠す必要もあるまい。アウローラ、もういいぞ』


 甲冑姿のテオが、水面の波紋のように歪み、その姿がアウローラのものに変わる。


「なんだって――?」


 アウローラは幻像魔術イマギナムでテオに姿を変えて見せていたのだ。口を開かず、声を魔術で飛ばしていたのも、アウローラであることを隠すためだったのか。

 現れたのは襤褸ぼろを纏い、左肩から腕にかけて甲冑を纏ったいつもの姿。

 いや――いつもと違う所がある。

 汚染された部位が甲冑からはみ出しており、左頬から首にかけて、黒光りする尖った鱗に覆われている。羽根と尻尾も生えていることから、汚染は背中にも広がっていると思われた。ここが境界域になっていなければ、汚染された部分が壊死を始めていることだろう。


「アウローラ……君、何でこんな事を」


 エルニカは、アウローラがテオに唆され、無理矢理協力させられているのだと考えていた。しかし、エルニカを襲っていたのがテオではなくアウローラだったとなると、彼女は積極的にテオに協力していたことになる。


「知れたことだ。婆様が、私が、妖精郷の迷い仔ワンダラーズ達が生き続けられる世界を作るためだ」


 アウローラの顔は別人のように見えた。あの余裕のある笑顔は消え、顔は憔悴しきっている。目は濁り、充血し、濃い隈が出来ている。かなりの葛藤と苦悩をしてきたのが見て取れた。


「テオの言う境界域さえ作れば、婆様もこちらに戻ってこられるはずだ。それに、婆様を救う方法を探して妖精郷を飛び回っている間に、私の汚染も大分進んでしまった。最早、光神の守りカフヴァールだけでは進行を抑えられぬ。私と婆様が以前のように暮らすには、境界域が必要なのだ」


 なるほど、アウローラが積極的に協力しているのならば、妖精達の妙に統制の取れた行動は納得がいった。アウローラの超常の才覚ギフトと指揮能力があれば、妖精と意志疎通を交わして行軍させる事など造作もないことだろう。アウローラがいたからこそ、テオは儀式魔術の脅威となる魔術師達を素早く排除する事が出来たのだ。


「馬鹿な事をしたもんだね、アウローラ。エインも言ってたろう、そもそも婆さんは寿命が近いんだよ! 大体、婆さんの汚染は妖精郷のせいだけじゃない、大魔術マグナマギカの反動でもある!」

「だが少なくとも、妖精郷の空気による部分は中和できる。老化の速度もある程度は緩やかになる。そうなれば婆様の寿命も延びる。ヴァルプルギスの魔女は、汚染さえなければ千年も生きられるはずなのだ。シルヴィー姉様がそうであるように」


 そう言う間に、アウローラは穴の向こうから妖精の軍勢を呼び寄せている。


「だけど、これじゃあロンドン中の人間が汚染される!」

「大丈夫だ、境界域では確かにある程度緩やかに汚染されていくが、その汚染が境界域の空気と釣り合う時が来る。それは私が自分の体で証明済みだ。穴を空けてからは、私達の汚染は進んでいない。人間でも妖精でもない存在になるだけだ。確かに人々は皆迷仔ワンダラーズのようになるだろうが、この魔術が完成すれば、何の不自由もなく生きていける」


 アウローラはエルニカに向けて手をさしのべる。


「そなたなら分かるはずだ、エルニカ。婆様に拾われて、そなたは変わった。婆様からたくさんのものを貰ったのだろう。それを与えてくれた婆様と、そなたとてもう一度暮らしたいはずだ」


 出来ることならエルニカも、コルネリアともう一度あの日々に戻りたいと願っている。

 だが――


「奥義を伝授されたそなたと違い、私が婆様にしてあげられることはほとんどない。悔しいがそれは認めよう。だが、境界域を作り出すことは私にしか出来ぬ。私はようやく、婆様に恩を返すことができる」


 アウローラは顔に笑みを浮かべた。

 だがそれは、かつての余裕のある笑みではなく、何か一つのものを盲信する者が浮かべる恍惚の表情――そして、不安を塗り潰すために無理に浮かべている表情にも見えた。


「協力してくれ、エルニカ。異界創造の奥義を伝授されたそなたがいれば、この儀式魔術はさらに確固たるものになる。永続する境界域をも作ることが出来るはずだ」


 エルニカは言葉に詰まった。

 どうにかアウローラを説得してやめさせるべきだが、どうしても言葉が出てこない。

 彼女の話は、エルニカにとって――極めて蠱惑的だった。

 確かにこのままではロンドンは壊滅する。代わりに妖精郷でも人間の世界でもない新しい世界が生まれ、そこには妖精でも人間でもなくなった新しい生き物が暮らすことになる。

 だが――それならそれでいいのではないか?

 誰かが死ぬわけではないのだ。妖精郷の迷い仔ワンダラーズ達も苦しまずに済むようになる。新しい環境に慣れるのには時間がかかるかも知れないが、とにかくそこで生きていくことは出来る。

 そして、アウローラの言う通り、コルネリアの寿命はもう少し保つかもしれない。

 エルニカの心はぐらぐらと揺れた。


「エルニカ、そなたも私も、この世で一番大切なものを失いつつある。だがそれは覆せるのだ。そなたと私とが協力すれば」


 ガンガンと頭の中で音がする。

 エルニカの中で何かが囁く。失ったものを取り戻せと。

 それはエルニカ自身の声だった。


(僕は、この世の全て、何もかもを手に入れたかったはずだ)


 だがエルニカの思うものは、この世の全てなどではなかった。

 金や地位、名誉や権力は、この世の一部の、更にほんの一握りでしかない。

 それを彼は老魔女から教わった。


(この世で最も大切なもの。僕はそれを婆さんに貰ったはずだ)


 アウローラも言っている。老婆は実に多くのものをエルニカに与えた。

 だがそれに形はない。金にも変えられず、地位ももたらさない。

 エルニカに足りなかったのは金でも地位でもなかったのだ。

 コルネリアは惜しみなく、アウローラに、真珠の家の子ども達に、エルニカに与え続けていた。

 それに名前を付ければ陳腐になる。同情、優しさ、善意、誠意、そして愛。

 どれも当てはまりそうで、どれも当てはまらない。

 エルニカは老婆と過ごした日々を思い出す。



 老婆は――そう、丁寧だった。

 技術を一足飛びに扱おうとすることを良しとしなかった。必ず段階を踏んで学ばせた。

 素材を自分で育て、手に入れることを大切にした。

 素材の特性を熟知する事に重きを置いた。

 丁寧で精緻な細工にこだわった。

 自分の作った物に自信を持っていた。

 作ったものを大切に扱った。



 それはコルネリアの、子ども達を育てる姿勢にも見て取れた。

 年齢ごとに応じた付き合いをした。子どもに大人のような働きは求めなかった。

 一人一人、自分が手をかけて育てていた。

 彼らの個性を把握し、最も無理のない、楽しめる道を示していた。

 丁寧できめ細やかに声をかけ、励まし、慰め、共感した。

 子ども達をよく褒めた。

 全ての子ども達を――大切にした。



 エルニカにとって、それは心の中の足りないものを埋めていく日々だった。

 孤児だったエルニカに、仮初めとはいえ家族ができた。

 裏切りと陰謀の日々は、信頼と感謝で塗り直された。

 酷薄非常な彼の心は、暖かいもので満たされていた。


(だけど婆さんの命は風前の灯火だ。僕は、折角手に入れた本当の『この世の何もかも』を失おうとしている)


 それが再び訪れるなら、何もかも投げ出し、犠牲にしても――


(――いいんじゃないか)


 ガンガンという音は止まらない。

 頭が痛い。

 鳥男の羽を入れた外套のポケットが、熱を帯びたように錯覚する。まるで火がついて燃えているような感覚。

 ジョージと鳥男の声が『あにき』と響く。


(仕方ないじゃないか。あの時はああしなけりゃ、僕までやられていた)


 妖精郷でジョージを見捨てた事は、エルニカの心の奥にずっと引っかかっていた。

 彼はエルニカを信頼していた。エルニカはそれを切って捨てた。

 鳥男がジョージだったかは分からないままだったが、少なくとも生きてはいまい。


(このゴミ溜めみたいな世界の中で、生き残ろうと思ったら仕方ないんだ)


 テオとアウローラに協力するということは、再び自分の利益のために誰かを陥れることに他ならない。


(だけどそんなの、誰だってやっていることだ――)


 境界域を作るということは、鳥男のような人々がロンドン中に溢れかえるということである。

 ロンドンの中では生きられるかもしれない。しかし一歩境界域の外へ出れば、汚染部分から壊死して果てる。

 それは籠の中の鳥と変わらない。


(だけど、籠の中でも婆さんとまた暮らせるなら――)


 エルニカはアウローラの気持ちがよく分かった。

 延々とこの思考を繰り返して、世界よりコルネリアをとる方を選び、その結論に――

 ――常に問われているのだ。本当にそれでよかったのかと。

 ガンガンという音はどんどん大きくなる。

 耳の奥まで大きく響く。

 エルニカにはとても嫌な音に感じられた。


(静かにしてくれ、ゆっくり考えたいんだ――)


 エルニカが頭の中の雑音を振り払おうとかぶりを振ったその時、音に変化が生じた。 

 ばきりという乾いた音。

 それはエルニカの頭の中ではなく、腰の辺りから聞こえてきた。

 虫のような影がエルニカの目の前に飛び出してきたかと思うと、眼球に激痛が走った。



「いったあ――――――!」



 フィーの前蹴りがエルニカの右目に突き刺さったのだった。

 フィーはコルネリアが作った魔術工芸品アルティファクトゥムの籠を、ひたすら蹴り飛ばしてついには粉砕し、飛び出してきたのだ。

 エルニカが痛みで悶絶していると、彼の頭に飛び乗り髪の毛をダース単位で引き抜き始めた。


「いだだだだだだ、痛い痛い!」


 痛みで意識が頭の中から現実に引き戻される。

 涙でよく見えない目で前を見ると、フィーが小さな体で精一杯ふんぞり返り、腕組みをして、こちらを睨みつけている。


「フィー、何て事を! 君はこの中じゃなきゃ汚染が進んでしまう――」


 そこまで言って、ここが境界域になりかけていることを思い出した。フィーは籠から出ても平気なのだ。それにしても危険を省みない、無謀な行いではあった。

 フィーはきいきいと喚き散らしている。

 エルニカには意味は分からなかったが――。

 言わんとしていることは、何となく、分かる。


「ああ、分かってる」


 エルニカは頭の上のフィーを両手で包んで、そっと下ろした。

 こんな姿になっても中身は全く変わらない彼女の振る舞いに、思わず笑ってしまう。


「済まない、目が覚めた」


 エルニカは外套のポケットから羽を取り出した。

 燃えてなどいないし、ましてや熱を持ってもいない。ただのくたびれた羽だった。


「まったく、僕こそが汚染されて、君が残っていれば、アウローラもあんな風にグレなかったかも知れないね。本当に、心の底からそう思うよ」


 ふと、じんわりと右手の薬指が熱くなったような感覚に気付く。

 コルネリアから貰った毛糸の指輪が薄い光を放っている。

 コルネリアが育てた子ども達が、一番最初に染めた糸で作られた指輪。

 コルネリアとの日々は、子どもたちとの日々でもあった。

 エルニカはコルネリアにだけ支えられていたわけではない。

 コルネリアから魂の一部を受け継いだ、何人もの子ども達にも支えられていた。

 フィーにも、アリアにも、エリオにも、チェルシーにも、もちろんアウローラにも。


「僕は婆さんに――大事に育てられた」


 そしてまた――自分もコルネリアから受け継いだ魂で、子ども達を支えていたはずだ。

 コルネリアはまだ死んでいないし、仮に肉体が死んでしまったとしても、それでもまだ完全に死ぬわけではない。エルニカは、かつてコルネリアに言われたことを忘れていた。

 完全に汚染されて全身が壊死する危険性がありながら、コルネリアが折角命を削ってまで作ってくれた籠を壊し、ただエルニカの目を覚まさせる、それだけのために飛び出してきた、フィーに蹴り飛ばされるまでは。

 それはまるで、エルニカとフィーを妖精郷から救い出しに来たときのコルネリアのようだった。


「フィー、君の中にも婆さんはいるんだな。僕の中にも」


 こくりと頷くフィー。


「うん。そういうことなんだ」


 毛糸の指輪から零れた光が、そのまま鳥男の羽に纏わりつく。エルニカは羽をこよりのようにくるくるとよじって細くすると、指と指輪の間に差し込んだ。



 ――よく見えるように。



 エルニカは再びフィーを頭の上に載せると、やけにさっぱりとした顔になって、空中を歩いてアウローラの方に近付き始めた。

 アウローラに、手を差し伸べる。

 その手は指輪から零れた光で、煌めいている。


「分かってくれたかエルニカ。さあ、私達と新しい世界を作ろう」


 エルニカは満面の笑みを浮かべて言い放った。


「断る」

「な――に?」

「僕が君の手を取るんじゃない。君が僕の手を取るべきだ」


 アウローラはとっさに身を引いた。

 腕っ節ではアウローラに敵わないことは、エルニカにも分かっている。戦術や戦略を練ったら足元にも及ばないことも。勝てる可能性があるとしたら、手先の器用さと、口先のハッタリだけだろう。

 たったそれだけの武器で、エルニカはアウローラに立ち向かうことに決めた。

 いや、立ち向かうのはアウローラにではなかった。

 アウローラと自分の心の中にある、灼熱の泥のような、闇色の何かにである。

 エルニカはすたすたと歩みを進める。

 フィーの先導。エルニカはもう迷うことはない。


「止まれ、エルニカ。儀式魔術の邪魔をすると言うなら、そなたを排除せねばならぬ」


 アウローラは穴から妖精達を呼び寄せて、自分の周りに布陣する。その中には穴の一番奥から出てきた、犬ほどの大きさの竜も何匹か含まれている。


「やってみなよ」


 アウローラは苦々しげな表情を浮かべて、妖精達をエルニカにけしかける。

 エルニカはその妖精達に対して、見えざる手アポート/デポートで操ったナイフで迎撃する。

 空中でぶつかり合う妖精とナイフ。

 ある場所では妖精が、ある場所ではナイフが撃ち落とされる。


「だけど覚えておくといい。僕を害したり、儀式魔術を完成させてロンドン中の人々が汚染されるような事になったら、それこそ本当に婆さんは死んでしまうんだと」

「え?」


 アウローラの動揺したような目を確認したエルニカは、いける、と思った。


「フィーを見なよ。彼女は婆さんから大きなものを受け継いだ。その在り方を。生き方を。人のために善行を為す、高潔な魂を残した」

「魂――?」

「そうさ。本来それは僕達にも与えられているはずなんだ。僕は忘れてしまい、君は悪い方に使ってしまっているけれど。婆さんが本当に死ぬとしたら、それは僕達が婆さんの魂を殺してしまった時だ」


 エルニカは無造作に歩を進め、アウローラに近付いていく。

 アウローラは散発的に妖精をけしかけて寄越すが、エルニカは身じろぎもせずに、ナイフを操って叩き落とす。

 一歩進むごとに妖精は数匹ずつ送り込まれ、その度、ナイフに弾かれる。

 アウローラの指揮は明らかに精細を欠いていた。

 本当にエルニカをどうこうするつもりなら、呼び出した妖精全てでエルニカを襲えばいいのだ。

 そうできないのは、アウローラがエルニカの話を『聞いてしまっている』からだ。


「婆さんは、別れ際に僕に言った。人は死んで終わりじゃない。魂を受け継がせて、人の心に生き続ける。だけどその魂をどう働かせるかは、引き継いだ本人次第なんだ。前向きに、憧れとして受け止めれば、魂は生き続ける。婆さんだってそうやって、いろんな人から魂を受け継いで、その心の中で生かし続けていたはずだ」


 エルニカとフィーはじりじりとアウローラに近付いていく。一方、アウローラの方は後ずさりするように彼から離れていく。


「婆さんは死ぬだろう。生き物である以上必ず死ぬ。でも僕らが婆さんのしてきたことを引き継ぐ限り、その魂は死なないんだ。けれどね、アウローラ」


 竜の爪がエルニカの頬を掠める。頬に一筋走った赤い線から、血が流れる。


「君が、婆さんから受け継いだ魔術工芸品アルティファクトゥムを使って境界域を作り出し、ロンドン中の人々を汚染させたなら――その時、君は自分で、君の中の婆さんの魂を殺すことになる。たとえ婆さんが生きながらえたとしても、だ」


 アウローラの顔が怯えたように歪む。

 それが、エルニカには今にも泣き出しそうになるのをこらえているように見えた。


「だが――では――私はどうしたらいいというのだ! 私は婆様のいない世界で生きるなんて事、考えたこともなかった! 婆様がいなければ生きている意味なんてないんだ!」


 エルニカは空中をつかつかと歩く。

 もうすぐアウローラに手が届く。

 アウローラはついに妖精達を一斉にエルニカに差し向けた。

 だが――妖精達は、エルニカに触れるすんでの所で動きを止めた。

 アウローラが止めたのだ。

 彼女はどうしても――エルニカを傷つけることを躊躇してしまったのだ。


「ほら、君の中にも婆さんはいるんだ」


 アウローラはもうエルニカのすぐ目の前だ。

 エルニカは大きく息を吸うと、少し体を反らして、そして――

 思い切りアウローラに頭突きした。


「いったあ――!」


 そのまま額を押しつけ、アウローラの頭を鷲掴みにする。


「アウローラ。婆さんは、僕達より先に死ぬ。それが順番だ。順番なんだよ」


 アウローラは抵抗しない。


「僕達は婆さんに、あの子達にもっとああしてやればよかったと、まだまだ心配だと心残りを作らせてあの世に送り出すべきなのか? 自分のしてきたことは不足だったと、婆さんの憧れた世界はついに作られる事がなかったと思わせて?」

「それは――」

「婆さんは、婆さんの願った世界を見ることはないかもしれない。でもそれはきっといつか来ると、僕達を残していって大丈夫だと――やり切ったと思わせて送り出すべきなんじゃないのか。そのためには僕達は、婆さんの魂を自分の中で生かしていることを示さなけりゃならない」


 この四年、エルニカはずっとそれを示そうとしてきた。

 そして、これから先も示し続けなければならないと思っている。


「フィーの中にも、僕の中にも、真珠の家の子ども達の中にも婆さんの魂は眠っている。だけどその魂を生きたものにするには、婆さんのように与える側の人間にならなきゃいけないんだ」


 エルニカはアウローラから手を離し、少し距離をとる。エルニカに憧れを残した、あの日の老婆のように振る舞い始める。


「婆さんは僕の間違いを正してくれた。今度は僕の番だ。僕が君の間違いを正す。そうすることで、僕の中の婆さんは生き続けるはずだから」


 声高らかに、エルニカは宣言する。


「我が名は憧憬の魔女の守護者、エルニカ! 我が謂いは未だただの虚勢にすぎぬが、ただの虚勢では終わらせぬ!」


 エルニカはコルネリアのセリフをほぼそのまま盗んだ。

 この盗みに関しては、コルネリアも許してくれるだろう。


「僕はやる。この指輪と羽に誓って。……とは言え、僕は本当に口先だけだからね。君の力が必要だ、アウローラ。僕の姉弟子よ。君はこの世で最も大切なものを失いつつある。でもそれは覆せる。君が僕の手を取ってくれるなら――僕達ならきっと出来る」


 エルニカは更に、アウローラの言葉も盗んだ。ちょっとした意趣返しだった。


「こんな私が……できるのだろうか? 婆様の魂を示せると思うか?」

「できるさ。というか、僕にとっては君は初めっからそうだった。フィーと同じように。今回はちょっと間違っただけでさ」

「その間違いは――私の過ちは、取り戻せるものだろうか……?」

「むしろ取り戻さなきゃいけないんじゃないかな。婆さんの弟子なんだったら」


 アウローラはしばらく黙って、それからぼろぼろと大粒の涙をこぼしはじめた。

 叱られた子どものような顔。


「ほ、本当は――頭では分かっていたのだ。こんな事をしても婆様は喜ばないと。でも、どうしても――心の底では我慢ならなかった。すまない、エルニカ。ごめん、みんな」


 アウローラは消え入りそうな声で、ごめんなさい、婆様、と呟いた。その頭の上にフィーが胡座あぐらをかいて座り、ぺしぺしと細い腕を叩きつけた。慰めているのかも知れないが、殴りつけているようにも見える。


「すまない、すまないフィー。ありがとう」


 それから、アウローラは、震える手でエルニカの手を取る。


(終わった――)


 これで作戦完了だと、エルニカは胸を撫で下ろした。


「さあ、アウローラ。選定の戴冠石リア・ファルを止めてくれ。このままじゃロンドンがえらいことになる」

「それが……すまないエルニカ、わ、私では止められないのだ」


 意外な言葉に、エルニカはどういうことか分からずに、へ、と間抜けな声を上げた。


「今、戴冠石リア・ファルを起動させているのは――テオなのだ!」

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