第29話 罠

 明けて、十月二十九日。

 儀式の完成まであと二日。

 作戦会議の後、すぐに外交派によって王宮や貴族への根回しが行われ、セントポール大聖堂の大市には、出店や、夜通し騒ぐための野営設備が設置されていた。

 ロンドン市民は突然用意され始めた祭りの準備に呆気にとられていたようだったが、外交派が広めた噂を聞きつけた者が集まり始めていた。


「本当にここにいれば、妖精から身を守れるのかい?」

「貴族がみんな集まってきてるって言うからな、本当らしいぜ。まぁ俺はタダ酒が目当てだけどな」


 王宮からは麦酒エールが振る舞われ、大市のあちこちで酔っ払いの陽気な声が聞こえてくる。

 彼らの財布の中身を狙って、商人はここぞとばかりに出店していた。

 こうなってくると噂が噂を呼び、市民は続々と集まっていた。

 落日の家サンセットの子ども達も総出で、妖精除けの護符は既に順調な売り上げを見せている。

 まだこの催しのことは市民全体には知れ渡っていないらしく、大聖堂に集まったのはロンドン市民の三分の一程度であった。





 更に翌十月三十日。

 儀式の完成まであと一日。

 夜通しの騒ぎを聞きつけて、人々は更に集まっている。

 皆不安を解消したいし、鬱々とした気持ちをはらす機会を待っていたのだろう。大市は見たことのないような盛況ぶりである。

 ロンドンの民衆のほとんどが、セントポール大聖堂に集まっていると思われた。

 その状況を確かめ、魔術師達は大市の盛り上がりが最高潮の昼前頃から動き始めた。

 囮の魔術師達は、王宮の計らいでロンドン塔の中に集まっていた。ロンドン塔は、塔と言うよりは砦である。また、政治犯に対する牢獄でもあり、極めて堅固な作りをしている。ここならば高い城壁にも囲まれ、人目にも付かず、神秘が漏洩されることはない。更に図像派の魔法陣によって、外から城壁の中は見えないように魔術で隠蔽されている。セントポール大聖堂の大騒ぎのおかげで、城壁内の動きに気づく市民も少ないだろう。

 女王以下廷臣達は既にホワイトホール宮殿に避難しており、図像派の描いた妖精除けの魔法陣に守られていた。


「さぁて、ご指名されたからにゃあ、あたしから口火を切らないとねえ」


 カマラが両界曼荼羅布を地面に広げると、それを遮ってシルヴィーが香を炊き始めた。


「景気を付けようと思ったのにさ……そりゃなんだい、シルヴィー」

「ライールから妖精が好む香りを教わったので、ハーブを調合して再現してみたんです。妖精除けならぬ妖精寄せですね」


 げぇ、と真理派魔術師達から嫌悪の声が漏れる。しかし表向き志願したことになっているので、文句は言えないようだった。既に空にはちらほらと黒い鳥の群れのようなものが見え始めており、香の効果はそれなりにあることが分かる。


「アレにあたし等が驚異だって事を知らせれば、大挙して押し寄せてくるってわけだ」


 カマラは魔術師達からかき集めた、魔力を貯めた品々を布の上に置く。


「これだけの魔力を集められたのは久しぶりだね。これを全部『返済』に充てられれば、あたしの引退あがりも近付くんだろうが……まぁ仕方ない、世界を救ってやろうじゃあないか」


 カマラは大音声だいおんじょうによる呪文マントラを唱え、踊るように印を結んだ。


「顕現せよ、八部衆!」


 カマラの周囲に、以前呼び出したガルダの他に、翼のない龍、大蛇、半人半鳥の異形、半人半馬の異形、恐ろしい顔の巨人が現れた。カマラ自身の姿も変化し、腕が六本になり、額に第三の目が開き、体は赤銅色になった。どう言うわけか、その姿は若々しい娘に変わっている。


「へぇ、カマラ、あんたそんな美人だったんだな。うっかり惚れちまいそうだぜ」


 若返ったとはいえ、異形の姿となったカマラに、ヘルバルトが軽口を叩く。


「お呼びでないよ、大体あんたが惚れちまいそうなのは、この金剛杵ヴァジュラだろうに」

「バレたか。その雷霆の神宝アルティファクトゥム・ミソロギア、俺に使わせちゃあくれねぇか」

「無理さ。こいつは神宝なんかじゃあない。天帝・帝釈天インドラの加護そのものさ。厳密には創造でも召還でもないんだよ。あたしの創造魔術で依代よりしろを作って、そこに加護として神威しんいを宿しているのさ。だから加護のあるあたしの手を離れりゃあ、魔術で出来たガラクタだよ」

「ほう、するってぇとあの半人半馬ケンタウロスやら半人半鳥ハルピュイアやらも、外身はハリボテなのかい」

「中身は本物さ」

「そいつぁ心強ぇ、妖精なんかひとひねりじゃねぇか」

「そう簡単に行けばいいけどね、あの穴の一番奥にはドラゴンの群れがいた。竜となれば、この八部衆と同格さ。群れで襲われたらひとたまりもないかもよ」

「おっかねぇ。竜が出てきたら退散だな。その前にエルニカ達が儀式を止められりゃあいいが」


 妖精の群れは香に惹かれて集まり、やがて魔術師達の姿を認めて襲いかかってきた。

 カマラはガルダの背に乗り空を飛ぶと、派手に雷を放って妖精達を引きつけ、魔術師達の方へ誘導する。魔術師達はそれを魔剣の力で撃ち落としていった。

 シルヴィーはつる性の植物を種から急成長させ、妖精達を絡め取って身動きを封じている。

 火炎や紫電、巨大な植物が舞い、異形の妖精や神獣達が争う姿は、しかしロンドン市民からは全く見えない。こうして、ヘルメス院の総力を挙げた戦いが、極めてひっそりと始まった。





 そんな地上の様子を尻目に、エドガー、ライール、エルニカの三人は、闇帽子ハデスクラノスに隠れながら、風を踏みつけて上空の大穴を目指している。

 闇帽子ハデスクラノスは広げるとテントのような大きさで、一つの布で三人をすっぽり覆い隠した。エインの言っていた通り、サンダルは空を飛ぶなどというものではなく、長い階段を登っているのと変わらなかった。エルニカとライールが風を操作して足場を作らなかったら、そもそも登ることすら出来なかっただろう。


「これは、年寄りには堪えるのう」


 エドガーは息を荒げて、何とかエルニカとライールに追随していた。エルニカが風を操作して、後ろからエドガーを押し上げている。


「僕がいて本当によかったですね、エドガー先生……」


 そういうエルニカも、二人の妖精に関する知識に助けられながら、何とかここまで見つからずに来れている。闇帽子ハデスクラノスは姿は隠せても、匂いや音までは消してくれない。妖精に気づかれそうになる度に、二人の妖精派が対処してくれていなければ、すぐにでも襲われていただろう。


「二人とも、静かに。到着しましたよ」


 ライールの声で上を見上げると、空の穴はすぐそこに見えていた。思いの外すんなりと辿り着けてしまい、エルニカは拍子抜けした。もちろんロンドン塔で囮役の魔術師達が奮戦してくれているせいもあるだろうが、穴の周りがここまで手薄なのはどう言うわけか。


「なるほど、あれがテオの本来の姿ですね。こちらが手薄なのも頷ける。厄介ですね」

「どう言うことです?」

「テオが半分竜の姿だから――じゃよ。竜に立ち向かうとなれば、それこそ昏睡中の闘争派や操魂派、戒律派や伝承派の達人アデプトの力がなければ話にならん。それほどまでに竜の力は強大じゃ」


 なるほど、テオは自分の実力に自信があるからこそ、妖精の大軍の大半を地上の魔術師を排除するために使えるのである。このままテオに気付かれないようにアウローラと戴冠石を奪還したとして、果たして逃げ切ることが出来るのか――。

 エルニカの頭には、すぐさま『さらに囮を出す』という考えが浮かんだ。テオの注意を囮が引きつけている間に、気付かれないようにアウローラを奪還し、あとはロンドン塔の魔術師達と合流して、何とかアウローラを逃がせばいい。空の大穴さえ塞がれば、妖精の増援が来ることを防げるし、そうなれば少しずつでも妖精の数を減らしていけばいいはずだ。

 では、誰が囮になるか。

 エルニカの頭の奥で、ジョージと鳥男の声が響く。


 ――『あにき』――


 ずしりと体が重くなったような感覚。胸がじくじくと痛む。

 これは幻聴だ、分かっている。

 エルニカは上着の奥の羽を探し、軽く触れる。


(これでもフィーの時は逃げなかったんだけどね)


 ――『間に合わなかったじゃないか』――


(今回は間に合わせるさ)


 エルニカは幻聴を振り払うように頭を振った。


「どうしました、エルニカ?」

「いえ――こういうのはどうですか。僕がテオの目を引きつけている間に、先輩と先生がアウローラを助けて下さい」

「言うたじゃろう、竜には一人では太刀打ち出来ん」

「太刀打ちしなきゃいいんでしょう。頃合いを見て退散しますよ。でも一応戦うそぶりは見せなきゃ。この中でそういうことが出来るの、僕くらいでしょう? なぁに、ハッタリと逃げ足には自信があります。昔とった杵柄というやつですね」

「しかしのう……」

「ここでこうしていても時間ばかり過ぎますよ。ロンドン塔の魔術師達が持ちこたえている間にやらなきゃ、どの道失敗です」

「エドガー、ここはエルニカに任せましょう。でも決して無理をしないで下さい、良いですね」

「そちらこそ、アウローラの確保をお願いしますよ」


 エドガーは心配そうな顔をしていたが、ついにエルニカに同意した。

 エルニカはエドガーとライールの姿が露わにならないよう注意して闇帽子ハデスクラノスから抜け出し、風を操作して足場を作り、テオに向けて駆け出した。

 彼の外套の裏には、エルニカ特製のナイフが何十本も仕込まれている。おかげでここまで登ってくるのに重さで随分とくたびれた。その全てを見えざる手アポート/デポートで操る。

 百人力ハンドレット・ハンドのエルニカの面目躍如。これだけの物体を同時に操作できる魔術師は、彼以外にいなかった。体の周りにナイフを巡らせ、その内十本をテオ向けて放つ。が、甲冑に弾かれる。

 テオは振り返ってエルニカの姿を認めると、身構えた。

 エルニカは更に、テオの視界を遮るように顔ばかり狙ってナイフを放つ。その間に空中を駆けて、テオの意識を大穴から逸らした。

 テオはエルニカの方へ体の向きを変え、大穴に背を向ける格好になる。

 エルニカはそのままテオを大穴から引き離そうと、ナイフで攻撃を加えながら、ひたすら走る。

 甲冑の守りを当てにして、大雑把にナイフを振り払いながら、テオはエルニカを追い始めた。


(かかった!)


 テオはどんどん大穴から離れていく。

 だがその一方で、竜の羽根による飛翔の速度は、エルニカの駆け足など比にならないほど速く、あっという間に追いつかれそうになる。

 エルニカは足を止めて振り返ると、腹の底から大声を出して口上を述べ始める。

 人差し指を立ててテオに向けた。


「テオドール、このクソ悪党、よくも僕達を騙したな! だけどあんたはもう終わりさ!」


 テオはエルニカの口上を聞く気になった――と言うわけではないだろうが、とにかく気を取られて空中に止まった。


「ちょっと派手に動きすぎたね。あんたは魔王に指定された。ヘルメスの魔術師の全戦力がロンドン塔に集まってる。妖精をあらかた片付けたら、今度はあんたの番だ!」


 テオは口を動かさずに、幻像魔術イマギナムでエルニカの耳元に声を発生させた。大声で叫ぶエルニカとは対照的に、静かな語り口である。


『今やヘルメス院に残った魔術師全員が力を合わせても、儀式魔術はおろか、妖精達の進軍すら止めることは出来ないだろう。君はここに何をしにきたというのだ? 一人で何が出来る?』

「もちろん、僕一人じゃ妖精も儀式もどうにもならない。でもあんた一人が相手ならどうかな」

『君は竜の膂力りょりょくを知らないと見える。半分は汚染で人間の姿になったとは言え、十や二十の人間でどうにかなるものではないぞ』

「僕みたいな臆病者が、何の策もなしに一人で来ると思うかい? 僕は勝てない勝負はしない主義なんだ」


 エルニカはテオの死角――彼の足元で操っていたナイフを上昇させ、奇襲をかけた。


『策というのはこの程度かね』


 テオの甲冑の腰のあたりから、ずるりと丸太のようなものが出てきたかと思うと、ひと薙ぎでナイフを弾き飛ばした。竜の尻尾である。


「いやはや、本格的に人間じゃないんだね……」


 エルニカは緊張からくる冷や汗で衣服をぐっしょり濡らしている。全てはハッタリなのだ。エドガーとライールが、急いでアウローラを助け出してくれることを心の底から祈った。





 一方、エドガーとライールは大穴の中心、アウローラのもとへ辿りついていた。妖精除けのおかげか、彼らも大穴の中に入っているのに妖精が襲ってくる様子はなかった。

 エドガーは闇帽子ハデスクラノスを両手に掲げて広げ、テオと彼らの間を遮るようにした。これでテオがこちらに注意を向けても、何をしているのかは見えない。ただ、アウローラの姿も消えてしまうため、その違和感に気付かれると厄介ではあった。

 アウローラは白い両腕を水平に伸ばし、足はだらんと垂れ下がり、ぐったりと力なくうなだれている。ライールが近付いて様子を観察する。


「魔術で空間に固定されています。外傷はないので、気を失っているだけのようです。魔術で眠らされているのかも知れませんが」

「アウローラを起こせば、戴冠石を止めてもらってすぐに解決するんじゃがのう。拘束を解いて逃げる事にしよう。どれ、わしに見せてみなさい。今は耄碌しておるが、これでもかつては大達人デュクス・アデプタスの位階におった。三分もあれば解除して見せよう」


 エドガーはアウローラの手首と腰のあたりに魔術がかけられていると考え、手を伸ばし――途中でその手を止めた。


「どうしました、エドガー? 急がないとエルニカが――」

「何かがおかしいのじゃ。違和感がある」


 言われて、ライールは改めてじっとアウローラを見つめ、はっとした。

 彼女は白い両腕を虚空に晒している――本来甲冑に包まれている左腕も。その腕は白く、汚染された部分などない。


「エドガー、離れて下さい! それは幻像魔術イマギナムです!」


 エドガーがライールの声に反応して退くより早く、アウローラの腰の辺りから伸びてきた丸太のようなものがエドガーを襲った。

 竜の尻尾。

 エドガーは打ちのめされ、有翼のサンダルタラリアの制御を失って落下した。ライールがあわてて駆け寄り、受け止める。


「もう少し気付くのが遅れてくれれば、確実にしとめられたものを」


 アウローラの姿が、水面に波紋が広がるように、ぐにゃりと歪む。その歪みは霧が晴れるように消え去り、テオの姿が現れる。


「エルニカ、罠です!」


 ライールは声の限り叫んだ。

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