第28話 窮地

「なんと言うことだ!」


 ジョン・ディーの私設図書館に集まった達人アデプト達の前で、ヘルメス魔術学院の学長は顔を覆って嘆いた。エルニカも初めて会う学長は、顔に深い皺の刻まれた、痩せぎすの老人であった。白髪を短く刈り込んで、上等な布でしつらえた紺色のローブを纏っている。


「残った達人アデプトはたったのこれだけか!」


 これだけとは言うが、それでも二十人ほどのアデプト達人が揃っている。学長が嘆いているのはその内訳だ。ほとんどが、研究肌で工房に閉じこもってばかりの者達である。だからこそ妖精の襲撃を避けられたのだとも言える。

 積極的に妖精に対抗しようと行動を起こした魔術師達は、位階が上の者――事件の解決に寄与できそうな者から襲撃され、軽い汚染と魔力の枯渇による昏睡状態に陥っている。妖精達は通常の気まぐれな行動からは考えられないほど組織だっており、統制が取れていたため、ほとんどの魔術師達は不意をつかれたようだった。

 この状況に無視を決め込んでいる者や、既にロンドンから脱出している者もおり、残ったのは妖精へ対抗する術を身につけている妖精郷の迷い仔ワンダラーズ、工芸派の一部、外交派の一部、真理派、占術派、図像派らである。


「これじゃあテオを魔王として討伐しようにも、戦力が足りないな。ほとんど修羅場をくぐったことのない魔術師ばかりと来た」


 残っている達人アデプトの中でも戦力として有望なエインが口を開いた。彼はちゃっかり妖精除けの護符を落日の家サンセットに注文して難を逃れていた。


「修羅場なら幾らでも見てきたぜ。若造が分かったような口を利いてんじゃねぇや」


 ヘルバルトは、工房に籠もりっきりで難を逃れた一人である。


「誰が残っていようと、ここにいる我々で対処しなければいけないことには代わりありませんよ。そうでしょう、学長」


 ライールやエドガーは妖精郷そのものに詳しく、対処法を心得ていた。妖精派は学院では傍流とされ、彼らほどに妖精郷を研究している魔術師はいない。今や貴重な戦力だった。


「全くその通りだ、ライール。だが愚痴の一つもこぼしたくもなると言うものだ。私の学院がこんな状況になってはな。真理の探究を目指すべき魔術師が、こんな事件を起こすなど……」 


 学長はヘルメス院で唯一、外陣アウターグレードである魔導師メイガスの位階を持つ魔術師であり、真理派の長老でもある。しかし彼自身に事態をどうこうする力はない。真理派はヘルメス院での政治力でこそ頂点に位置するが、実践となると他の流派と比べると心許ないのが実状である。


「『アイデクセ』テオドールを魔王に指定する。我々はこれより魔王討伐を行う。とは言え、彼自身はさしたる驚異ではない。問題は彼の率いる妖精の大群と、上空に空いた妖精郷への通路だ。これほどの魔術は儀式魔術でなければ行使できないはずだ。準備が整うまで時間がかかる。ディー博士、あの儀式魔術が完成する刻限をいつと見る」


 図書館の所有者である、ジョン・ディー博士が学長の陰から進み出た。彼は達人アデプトの位階ながら、ヘルメス院では占術派を統べる特別待遇を受けている。


「はい、学長。この規模の儀式魔術では、星辰の配置が重要になります。恐らく諸兄も過去の事例から予測している事と思いますが、この儀式の完成は十月三十一日の夜から十一月一日の明け方にかけて――即ち、万聖節の前夜祭オールハロウズイヴごろになるでしょう」


 エルニカを含む妖精派の面々にとっては、今更聞くまでもない情報だったが、その刻限が問題だった。今日の日付は、十月二十八日である。


達人アデプト諸君、聞いた通りだ。ロンドンが妖精郷に変貌するまで、あと三日しかない。既に逃げ去った者もいるようだが、私はヘルメス院の学長として、また魔術師連合ウニオマグスの長老として、或いは戒律派の監督役としてこれ以上の神秘の漏洩、及び世俗への魔術による関与を防がねばならない。よってここに集まった諸君に厳命する――」


 学長は、忌々しげな表情を隠さず、右手を掲げて達人アデプトたちを睥睨へいげいした。


「儀式魔術を食い止めよ。逃げ出すものは戒律により裁かれる」





「困ったもんだ、魔術師に死守命令だって? こちとら由緒正しき引き籠もりであって、王に忠誠を誓う騎士じゃあないんだ。こうなりゃ多少汚染されても、妖精に襲われてベッドに転がってた方がマシだったかも知れないぜ?」


 学長が去った後の図書館でエインが軽口を叩くと、ヘルバルトが彼をこづいた。


迷仔ワンダラーズの前で、口が裂けても汚染されたいなんて言うもんじゃあねぇ」

「そいつは悪かったよ。だけどこの命令が無茶だってのは間違いないことだ。当然学長様の直轄である真理派には策があるんだろうな?」


 水を向けられた真理派の達人アデプトたちは、この二人の工芸派魔術師の事をあまり好ましい目で見ていないらしく、苦々しげな顔をした。

 真理派はもちろん、策を用意していた。実利学派エクスセクティオには机上の空論ばかり唱えていると揶揄される彼らだが、逆に言えば机上での計算は得意なのだ。

 まず、テオは戴冠石の祭器ファクティキウスとしての機能を暴走させる事で、妖精郷への入り口を拡張し続けていると思われる。戴冠石を起動できるのはアウローラしかいないため、彼女が捕らえられている。ならば、戴冠石またはアウローラを奪還すれば、儀式魔術は成立しない。ここまでは誰でも容易に理解できる事である。問題は、妖精の大軍をどうくぐり抜けるか、だった。


「極めて単純な策だが」


 真理派の達人アデプトたちは説明を続けた。


「妖精達は通常あり得ないほど統制が取れている。恐らく何らかの方法でテオドールが指示を通しているのだろうが、恐らくその動きには一定の法則がある。襲撃している魔術師の優先順位だ」


 優先順位はこうだ。まず、直接儀式を妨害することの出来る魔術師は優先して襲われる。破壊魔術を得手として魔術を攻撃に使える戒律派や闘争派、精霊や霊魂を従える操魂派も同様である。更に、位階の高い魔術師も含まれる。だからこそ、ヘルメス院には打撃力になり得る魔術師はほとんど残っていない。


「一見不利な状況だが、これを逆に利用すればよい。優先的に襲われそうな魔術師を囮にして、妖精達を引きつける。その隙に他の魔術師達は、落日の家サンセットの護符で妖精を避けながら、アウローラまたは戴冠石を掠奪する。優先順位が高く、より襲いやすい対象がいれば、妖精除けを持ち、優先順位が低い対象は見逃されやすくなるだろうからな」

「誰を囮にするつもりですか。下手を打てば、汚染されるどころの騒ぎじゃ済まない」


 エルニカが口を挟むと、真理派魔術師達は皮肉げな笑いを浮かべて、二人の魔女を指差した。


「一騎当千の魔女殿がおわすではないか。霹靂の魔女の創造魔術は一軍を相手取って引けを取らないという。新緑の魔女の植物操作も、他の追随を許さぬとか。うまく使えば、囮以上の戦果をあげられるのでは?」


 こんな場面でも嫌がらせかと、エルニカが食ってかかろうとすると、カマラに肩をつかまれた。


「妥当な判断だね。良いだろう、囮役は買って出てやろうさ。だが条件がある」

「申してみよ」

「創造魔術は魔力を馬鹿食いする。魔力を貯めた工芸品なりが大量に必要だよ。さもなきゃ囮になる前に干からびちまう」

「用意しよう」

「それから、流石に二人だけじゃあ、引きつけられる数にも限界があるね。位階が高けりゃ打撃力がなくても狙われるんだろう? 隠秘学派オカルトゥスからも達人アデプト以上の魔術師を何人か出して欲しいね。なぁに、きっちりあたしらヴァルプルギスが守ってやるさ」


 この発言は、明らかにカマラの意趣返しである。

 真理派を含む、隠秘学派オカルトゥスの魔術師がざわめいた。さすがに自分で矢面に立ちたくはないのだろう。エルニカはそれを見て、先ほどの真理派魔術師に似せて、皮肉げな笑みを浮かべた。


「へぇ、隠秘学派オカルトゥスって、普段は魔術師の主流は自分達だと喧伝して、こう言う時には逃げるんですね。まぁ別に構いませんけど、ヘルメス院で一番位階が高いのは学長でしょう? 当然学長は誇り高き真理派の長老であらせられるから、僕らの作った護符は使わないでしょうし」


 はっとして、にわかに焦り始める隠秘学派オカルトゥスを見て、エインやヘルバルトは思わず吹き出した。


「もし学長が襲われたとき、隠秘学派オカルトゥスはより安全なところにいたとなれば、この事件が解決した後にはまぁ、良くて冷遇されるか――悪いと、どうなっちゃうんですかね?」


 隠秘学派オカルトゥスが騒ぎ始めたのを見てたまらなくなったのか、ヘルバルトが呵々大笑した。


「こいつらの先の事なら心配ねぇよエルニカ! 学院と長老の権威を守るためだ、忠義深い隠秘学派オカルトゥスの魔術師殿が、まさか学長を見捨てはせんだろうぜ! なぁ兄弟?」

「そ……その通りだ、長老を失うことは流派の損失だ……もちろん我らも囮になろう」

「漢気溢れるねぇ、兄弟! そんな手前等に俺から贈り物をさせてくれや!」


 ヘルバルトが自分の工房の徒弟に目配せをすると、徒弟達はがしゃがしゃと鞘に入った剣を運んできた。その数、ゆうに五十は下らない。


「ゾーリンゲン工房渾身の魔術工芸品アルティファクトゥム、ゾーリンゲンの魔剣。こいつぁ魔力さえ流せば誰にでも魔術が使える。炎の魔剣に風の魔剣、毒の魔剣に呪いの魔剣、何でもござれだ」


 ヘルバルトがその内の一振りをすらりと引き抜く。エルニカの目から見ても鞘の細工も精緻で見事な物だったが、刀身の出来映えも、力強さと美しさを兼ねた素晴らしさがあった。


「こんなもん作っても役に立たねぇ、魔術師にしか使えないが、武器を使う魔術師なんか闘争派くらいだと言われてずっとお蔵入りにしてたがよ、ようやく日の目が見られるぜ。こいつを持てば手前等も『位階が高い魔術師』から『位階が高くて打撃力がある魔術師』に早変わりだ。囮としては申し分ねぇな? なぁに、勿論ゾーリンゲン工房も総出で囮になるからよ」


 剣工は二人の魔女に目配せした。本当にこの人は魔術師らしくない、とエルニカは苦笑した。


「それで、囮は私たちで良いとして、実際にアウローラと戴冠石を奪還するのは誰にするんですか? 妖精郷の入り口に近付きすぎると、汚染の危険がありますよ」


 冷や汗をかき始めた真理派魔術師達に、シルヴィーは尋ねた。


「それについては、迷仔ワンダラーズが適任だろう。妖精の生態について最も詳しいのは彼らだし、半ば境界域となっている今のロンドンでは、むしろ調子が良いようだからな」

「わしとライールに依存はないよ」


 エドガーが前に進み出た。そして難しい顔を作る。


「しかしわしらに空を飛ぶすべはない。どうしたものかのう。カマラの召還術では妖精を呼び寄せてしまいそうじゃ。それに、テオに気づかれずに近付くのは至難の業じゃろう」

「それなら工芸派を代表して、俺からも贈り物がある」


 今度はエインが徒弟に荷物を運ばせた。


「『闇帽子ハデスクラノス』と『有翼のサンダルタラリア』のレプリカだ。工芸派一堂、倉庫をひっくり返して探してきた。どちらも有名だから、昔はこぞってレプリカを作ったらしいが、流行遅れでな。見つけるのに苦労したぜ。帽子はターバン状になっていて広げられる。サンダルの方は空を飛べるって訳じゃないな、風を踏むことが出来るだけだ」


 この二つの道具は、魔術師ならば誰もが知っている魔術工芸品アルティファクトゥムである。有翼のサンダルは、ギリシャ神話に登場する伝令の神ヘルメス――ヘルメス院で重要視される、三重に偉大なトリスメギストスヘルメスと同一視される――が使う、空飛ぶサンダルである。闇帽子ハデスクラノスも同じくヘルメスが冥界の王から賜ったもので、被ると姿を消すことが出来る。本物であれば神話級の工芸品アルティファクトゥム・ミソロギアである。


「これでテオに気付かれずにアウローラと戴冠石を取り戻せるというわけですね。これなら非力な私達でも何とかなりそうです」


 ライールがしげしげと二種類の魔術工芸品アルティファクトゥムを観察しながら言った。


「あとは世俗への影響を抑えることだ」


 真理派魔術師の一人が言った。


「外交派から王宮と貴族に働きかけてもらおうか。数日の間、可能な限り民衆を一ヶ所に集めたい。万聖節の前夜祭を、今年は大々的に行うと喧伝して、セントポール大聖堂に集めて頂こう。三日間宵越しの祭りで、野営の設備をしてもらえれば尚よい――可能な限り大聖堂に人を留めるために。教会ならば神聖な力に護られて魔力の影響を受けにくい。汚染も妖精の襲撃も最小限に押さえられる」

「待ちたまえ」


 外交派が異を唱えた。


「万聖節はヘンリー八世王が新教派プロテスタントに鞍替えしてからと言うもの、聖人信仰は不要だという事で廃止されたのではなかったか」


 真理派はしまったと言う顔をしたが、それは大丈夫ですねとライールが引き継いだ。


「確かに国教会は大々的に祝日にしてはいませんけれど、今でも地方では細々と続いてるんですよ。民衆に一度根付いた風習を、完全に消すのは無理と言うものです」


 そうだそうだとヘルバルトがはやし立てた。


「『塔の魔術師』と『館の貴族』はご存知ないかも知れねぇが、国が変わったからって下々はそう生活を変えられねぇんだよ。まだロンドンの民衆全部が万聖節を忘れたってぇ訳じゃねえ。こんな状況だ、少しでも何かにすがりてぇ気持ちがありゃ、教会に礼拝にくらいくるだろうよ」


 それに、とエルニカは付け加えた。


「こんな時だからこそ、人は集まると思いますよ。今は町に人通りがなくて、無理に店を開けている所も、商売あがったりですからね。妖精に襲われる心配がない場所で大きな祭りがあるとなれば、憂さを晴らしたい民衆は集まりやすいでしょうし、そうなれば商人や興業屋にとっては稼ぎ時だ。出店の周りは安全だと噂が広まれば更に人が集まる。そうなると裏街道者にとっても稼ぎ時ですから、雪だるま式に人が集まるんじゃないですか」

「なるほど、では諸侯には我々からうまく言っておこう」


 外交派の魔術師は難しい顔はしたものの、請け合った。囮に比べれば随分楽な仕事だろう。


「図像派は大聖堂の周辺に妖精除けの魔法陣を描く。この図像は落日の家サンセットの商品を模倣させてもらうが、よもや異論はあるまいな、エルニカ」

「ないですよ。目玉商品の企業秘密を漏らすのは痛いけれど、そうも言ってられない。そうそう、落日の家サンセットの子ども達も大聖堂にいた方が安全でしょうから、ついでに妖精除けの護符を売りに出しても良いですよね?」

「商魂たくましいことだな」


 こんな時にまで、と真理派は侮蔑するような目をエルニカに向けたが、確かに民衆が自分自身で妖精除けを持っていた方がより安全ではあるのだ。


「ふん、まぁよろしい。占術派は儀式魔術の観測をし、異変があれば各所に知らせること。達人アデプトより位階が下の魔術師は、それぞれの師の指示により動くと言うことで構わんかな?」


 反対する者はいなかったが、ただ一人エルニカが口を挟んだ。


「僕は迷仔ワンダラーズと一緒に行きます。そのサンダルが風を踏むものなら、風を読むのは僕の得意とするところだし、戴冠石やアウローラについて、この中で一番よく知っているのは僕ですよ」


 そして何より――エルニカは、自分の家族は自分で救いたいと思っていた。

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