第27話 空の穴

 慌ててエドガーの工房に転がり込んできたエルニカから全てを聞いたライールは、珍しく焦った様子だった。


「そうですか、テオが……。私も、彼とアウローラが同じ妖精郷の汚染を受けていそうだということまでは、コルネリアから聞いていたのですが……」

「先輩も婆さんも知ってたんですか?」

「テオの足の包帯の下を見たことがありますか? 爬虫類の鱗・・・・・のようになっているんです。まるで黒い刃のような鱗――だから彼の二つ名はアイデクセトカゲと言うんですよ」


 黒い鱗――それは確かにアウローラの汚染と同じものだ。


「しかしまさか、妖精の取り替え仔チェンジリングの片割れだとは――」


 そこにエドガーが口を挟んできた。具合のいいことに、彼はちょうど正気である。


「急ぎ、学院に伝えるのじゃ。これほどの災害――止めるには、学院の総力で当たらねばなるまい。或いはテオを『魔王』に指定してもじゃ」

「先生、僕は未だに魔王になった人というのを知らないんですが、そうなるとどうなるんですかね? 討伐されるって聞きましたけど、処刑みたいなものですか?」


 この状況においても、カイは好奇心旺盛だった。好奇心というより、知識欲が強いのだろう。


「処刑? いや、そのような手続きは踏まれんよ。文字通り討伐じゃ。『魔王』に指定された魔術師は、最早人間とは見なされん。一種の災害――よくても、そう、おとぎ話に出てくる龍退治の龍、と言うところじゃな」

「捕らわれのお姫様はアウローラさんってことですね。あ、すみません、不謹慎でした」


 そう、この件の要はアウローラなのだ。

 テオが戴冠石の力を使ってこの妖精郷出現を起こしているのだとしたら、戴冠石を奪うか壊すかすればいい。もっと簡単なのはアウローラを助け出すことだ。戴冠石はコルネリアとアウローラしか起動させられないようになっているはずで、アウローラがいなければ、そもそもテオにこれほどの魔術は起こせない。


「わしの予測では」


 エドガーが眉根を寄せ、深刻そうに言った。


「半分妖精郷であるような領域が、常に存在することになれば――少なくともロンドンには人が住めなくなる。テオの言うことが正しければ、我々迷仔ワンダラーズでなければ生きられぬのじゃろう。悪ければイングランド中の人々が、大なり小なり汚染の被害を受けることになる」


 エルニカはぞくりと寒気を覚えた。不安から、エドガーに質問をする。


「あの――それは当然、真珠の家のある辺りも含まれますよね?」

「無論じゃ。テオの言う境界域が妖精郷との出入り口を開きっぱなしにする事で出現するのなら、人間の世界が妖精郷に徐々に飲み込まれていくようなものじゃ。向こうの方が、空気中に存在する魔力が強い。物事は水のように高い方から低い方へ、霧のように濃い方から薄い方へと流れていくのじゃ」


 やはり、アウローラが真珠の家の子ども達が巻き込まれてしまうような事に協力するはずがない、とエルニカは思った。


「何としても――止めましょう」


 エルニカは決然として言った。

 まずはテオとアウローラの居場所を突き止めるのが急務――と言うことになる。





 ヘルメス院はライールからの報せを受け、すぐさまテオの居場所を探しにかかった。エルニカの話だけならば動きはしなかっただろうが、既に状況はそんな次元ではなくなっている。恐らく、テオは自分の障害となるであろう魔術師を排除するために妖精に襲わせているのだ。

 襲われた魔術師達は、どうやら魔力を根こそぎ抜き取られているようだった。魔力がなければ魔術は使えない。ほとんど抵抗できずに襲われたものと思われた。

 魔術師にとって魔力とは生命力にも直結するものである。これはただ気を失っているだけでなく、命に関わる問題でもあった。更に妖精に対抗できる魔術師が数を減らしていくとなれば、これは学院の存亡にも関わる。

 兎に角テオを捜し当てるのが急務ということになった。

 探索となれば知覚魔術に秀でた魔術師が活躍することになる。幸い、隠秘学派オカルトゥスに属する占術派の魔術師達は先の調査団には加わっておらず、無傷で残っていた。

 彼らの占いによれば、テオはロンドンにいることはいるらしい。だが、そこにいるはずと言う場所を探してもなにも出てこない。テオが何らかの方法で知覚魔術を攪乱していると思われた。何しろ相手は稀にみる幻像魔術イマギナムの使い手である。しかし占術派は、頑としてこの結果に間違いはないという。

 エルニカはそれを聞き、ライールが言っていた『出現している妖精郷に対して、妖精の数が多すぎる』という状況が気になった。どこかにまだ見つかっていない妖精郷があり、テオはそこに隠れているのではないか?

 この思いつきをエルニカが直接伝えたところで、真理派は動かないだろうからと、彼はエインに協力して貰うことにした。

 エインは思いの外乗り気で、


「占術派の知覚魔術はあくまで『予測』だからな。どうせならもっと特化した魔術師に調べさせた方がいいぜ。例えば生命魔術、その中でも人体に特化した奴が、『人間でも妖精でもない存在』を探せばいいわけだ。だがそんな魔術師はヘルメス院にはそうそういない。フィレンツェの施薬修道院にでも留学に行った魔術師でなければ……」


 難しい顔をしたエインリヒは、次の瞬間おどけた調子で、


「おっと、それは俺のことだな」


 と言って、素早く準備を始めた。

 エインは若手の魔術師に顔が広いらしく、図像派の魔術師達に協力を仰ぎ、ヘルメス院の地下通路を使い、ロンドンの市壁内をぐるりと囲む、大がかりな魔法陣を描いた。地下にいれば妖精の襲撃も避けられる。

 魔法陣は、かつてエルニカが風の知覚魔術の練習に使った敷物の拡大版で、市壁の内側にあるものなら知覚可能、と言う効果範囲の異様に広い代物だ。


「学院側は、最初から占術派じゃなくてエインに頼めばよかったんじゃないかな」

「俺だってこんな大仰な事一人じゃ出来ないさ。規模だけで言ったら大魔術マグナマギカだ。図像派が十人以上協力してくれるから出来るのさ。術式が複雑になるから、術式自体を細かい部品に分けて、それぞれ別々に起動する。俺はその中の重要かつおいしい部分だけを担当するってわけだ」


 コルネリアの大魔術マグナマギカを起動したことのあるエルニカは、エインの話がすぐに飲み込めた。巨大な術式を一息に起動するよりも、細かい術式を幾つもつなぎ合わせた方が効率はいい。これが工芸派魔術師のやり方なのだろう。

 そして――エインはついにテオの居場所を突き止めた。

 妖精でも人間でもない者で、ヘルメス院の妖精郷の迷い仔ワンダラーズを除いた存在が二つ。占術派が間違っていたわけではない。確かに彼はロンドン市内にいた。むしろ中心にいるといってもいい。


「ああ、真理派はあれだ、机上の空論ばかり研究しているから、思考が平面的なんだな。そこへいくと俺達工芸派は普段から現実を扱っているから、立体的に物事を考えられる」


 エインリヒは優越感を隠そうともせず、ニヤリと笑った。


「上だ。テオはロンドンの上空にいる」


 空にいるとなれば、いくら市内を占術で探しても見つからない訳である。

 しかし見た目には空に異変はない。つまり、空を覆い隠すほどの幻像魔術イマギナムが使われているということになる。そこで詳細に空を調べると、恐ろしい事実が分かった。

 空に大穴があいている。

 妖精郷と人間の世界をつなぐ穴。妖精達はそこから次々人間の世界へ降り立っているのだ。


「アウローラも空にいるんだね?」


 エルニカはエインに確認した。


「ああ、二人とも穴の中心にいることは間違いない。ただ目視が出来ないからな、テオを捉えるのもアウローラを取り返すのも難儀だ。幻像魔術ってのは厄介だな」

「まさしく幻影めくらましだったのじゃ」


 エドガーは難しい顔で言った。


「夢想郷は、ロンドンに出現している数多の妖精郷を隠すための目くらまし。そしてその妖精郷自体が、上空の穴を隠すための目くらまし。数年かけて、周期的に妖精郷との出入り口を開いていたのも、法則性を感じさせるための仕掛けだったのじゃろう。ひょっとすると、コルネリア犯人説を流したのもテオだったのかもしれん。何もかもを欺いて、奴めの狙いは着々と進んでいたという訳じゃ」


 エドガーによれば、はじめは複数の妖精郷を同時に出現させることで境界域を作ろうとしたのではないか――しかしそれがうまく行かず、今度は一つの妖精郷との繋がりを強いものにすることでそれを成し遂げようとしているのだろう、と言うことだった。


「先生、最近は正気でいる時間が長くなりましたね」


 カイが不安そうに口を挟んだ。エドガーが正気でいる事自体は喜ばしいはずだが――。


「境界域が徐々に出来上がってきているという事じゃろう、カイくん。迷仔ワンダラーズは人間と妖精の中間の存在じゃ。より境界域に適応し、本来の機能を取り戻す――転地療養先の空気が合って回復したようなものじゃ」


 しかしそれは、逆に言えば普通の人間には毒となる世界が生まれつつあるという事だ。なるほどカイが不安がるのも無理はなかった。


「今度は僕が先生のお世話になる事になるかもしれないんですね。どうしよう……」

「それを防ぐためには、とにかく空に上がってみるのが早いでしょう」


 ライールの言葉に、エルニカは素朴な疑問を持った。


「そういえば、空を飛べる魔術師を見たことがないな……。僕の印象だと、魔法と言えば箒にまたがって空を飛んでいる魔女というのが強いんですが」

「やろうと思えば出来ますが、魔術師は魔術師連合ウニオマグスから神秘の漏洩を堅く禁じられています。空を飛ぶような真似をすれば、人目に付くでしょう? だから誰もやらない。動物に変身する伝承学派トラディティオの親獣派なら飛べるのでしょうが、伝承学派トラディティオは世俗はおろか我々魔術師とすら没交渉ですからね。その内、空の飛び方は失伝してしまった」

「でもそれじゃあ――どうやって空を飛ぶって言うんです」


 エルニカの質問に対しては、エインが答えた。


「普通の魔術師ならやらんだろうが、常識はずれの連中もいる。確かお前んとこの工房に二人ばかり出入りしてるんだろう? 二人とも空は飛べるはずだぜ」





 妖精除けの護符のおかげで、エルニカは妖精に襲われることなく、郊外の落日の家サンセットまで辿り着くことが出来た。ロンドンから離れるほどに妖精の数は少なくなっているようだった。そもそも落日の家サンセットでは貴族の発注で護符を生産している所だったから、ここを襲うと言うことはあまり考えられなかった。

 事の顛末をシルヴィーとカマラに伝えると、二人は早速身支度をして、西の丘へ向かった。


「急がないといけませんね。エルニカ、私の後ろについて下さいね」


 シルヴィーは箒にまたがり、後ろにエルニカを乗せると、ふわりと浮き上がった。落日の家サンセットの子ども達から歓声が上がる。


「こんな事ができたのか……知らなかった」

「全ての木々は我が友ですから。例え命を終えていても、私に力を貸してくれます」

「シルヴィーは生命属性魔術、特に植物の適性に特化してるのさ。ヘルメス院風に言うと、植物の操作魔術ってとこだね」


 そういうカマラは、腰に巻き付けた布を広げて宙に翻し、印を結んで呪文を唱えた。


「オン・タトゥ・プルシャヤ・ヴィドゥマヘ・スヴァルナ・パクシャヤ・ディマヒ・タンノ・ガルダ・プラチョダヤトゥ」


 布から、巨大な鳥が出現する。全身が黄金色の羽毛に覆われ、その輝きは炎のように揺らめいている。赤い羽根を持ち、目はぎょろりと飛び出していた。


「これが……カマラの創造魔術?」

「創造魔術とはちと違うね。これが須弥山からの加護って奴さ。あっちの世界から喚び招いた・・・・・んだよ。ヘルメスじゃあ召喚魔術って言うんだろう。新しい借金こさえることになるから、ちゃんと準備しとかないと使えないんだがねぇ」


 カマラの手には、落日の家サンセットの『魔力を貯める護符』が十枚ほど握られていた。魔力の供給はそこから行っているのだろう。


「では行きますよ」


 シルヴィーは合図をすると、箒を上昇させ始めた。眼下に子ども達が手を振っているのが見える。箒は次第に速度を上げ、風を切り――


「ちょっと、早すぎるよ!」


 抗議の声も届かない程、風を切る音が大きくなる。箒は矢のように真っ直ぐ突き進んだ。風圧で息が出来なくなるのを、エルニカは顔周りの空気を操作して何とかやり過ごす。しっかり捕まっていないと振り落とされそうだ。

 確かにこれは目立つ。どう考えても鳥には見えない。今が日中であることを考えるとさぞ目立つだろうと思われたが、今なら妖精に紛れてしまえる。

 あまりの速さに、目的のロンドン上空には、ものの数分で辿り着いた。


「もっとゆっくり飛んでもよかったんじゃないかな……」

「そんな、妹の危機にのんびりしてはいられません!」

「そうは言っても、幻像魔術イマギナムのせいで正確な場所は分からないんだよ」

「大丈夫です、カマラがガルダを連れてきていますから」


 あまりの速度で振り返る余裕もなかったが、後ろにはガルダに乗ったカマラが控えていた。


「神話によれば、ガルダは捕らわれの母を救うため、天界からアムリタを盗み出した。神々の目を盗んでお宝を手に入れる霊鳥だ、人間の作り出した幻影まやかしなんか目隠しにもならないね」


 ガルダは何かに狙いをつけるように、大きな円を描いて旋回しはじめる。次第にその円軌道を狭め、獲物を見定めたように首を動かしたかと思うと、シルヴィーの箒が子どもの遊びに思えるような速度で、空気を貫くように真っ直ぐ上昇した。

 数瞬の後、降下してきたガルダは、口に正八面体の黒光りする金属を咥えていた。


「テオの魔術だ! カマラ、それを壊してくれ!」


 エルニカが叫ぶや否や、ガルダはどう見ても嘴よりも堅そうなそれを噛み砕き、飲み干した。


「見て下さい、幻影が晴れます!」


 霧が晴れるようにして、青空は霧消し始めた。

 代わりに――穴が現れた。直径十ヤードにはなろうかという巨大な円。

 その向こうにはかつてフィーが汚染された、発光する森の妖精郷が見えた。更にその向こうにも同じ規模の穴が空き、別の妖精郷が見える。更にその向こうにも、更に――。

 アウローラがコルネリアのために連続して妖精郷への道筋をつけた時と同様の光景。穴の向こうには空を飛ぶ妖精達が飛び回っており、その一番奥には黒々とした暗雲が立ちこめ、犬ほどの大きさの黒い竜が見えた。

 その穴の中心――空中に縫い止められるようにして、赤い髪の少女が浮いている。

 いつも着ている襤褸ぼろは更にくたびれ破れており、十字架にかけられる聖人のように――あるいは火炙りされる魔女のように、白い両腕を水平に伸ばし、頭はぐったりとうなだれている。


「アウローラ!」


 彼女はエルニカの呼びかけに応えない。気を失っているようだった。彼女の首にかかった選定の戴冠石リア・ファルは赤く輝き、祭器ファクティキウスとして起動していることが分かる。エルニカは、そんな彼女の姿に違和感を覚えた。それがなんなのかはわからないが、妙に引っかかる。

 カマラは戴冠石を見て、眉根を寄せた。苦虫を噛み潰したような表情。


「あれは必要以上の魔力を注ぎ込んで、戴冠石を暴走させているようだね。これほどの魔力、どこから供給している――? アウローラから吸い取っているのか? いずれにしろ――こいつは不味いね」


 エルニカ達三人がアウローラに近付こうとすると、その間を遮るようにして妖精達が大挙して押し寄せてその行く手を阻んだ。

 その後ろに、黒い龍が控えている。

 否――黒い龍のような、テオである。空を飛ぶ魔術師など滅多にいないと言われていたのに、彼は悠々と空を飛んでいた。その背中に、暗雲の中の竜と同じ羽根が生えている。黒い鱗は顔や頭にまで至っているが、本来その鱗が彼の汚染されていない部分なのだろう。つまり羽根は、元々彼の体の一部なのだ。臨戦態勢ということか、テオは黒光りする甲冑を身につけている。

 エルニカは精一杯の凶相を作り、テオに向かって声の限り叫んだ。


「テオ、アウローラを返すんだ! あんたのやろうとしている事は学院中に知れ渡っている、魔王に指定されて討伐されるのも時間の問題だ!」


 対してテオはニヤリと笑った。


『この魔術を止められる魔術師がどこにいるというのだ』


 テオは口元を動かさない。声は幻像魔術イマギナムで発せられているのか、妙に大きく空間に響いた。


『既に有力な魔術師達は昏睡状態に陥っているはずだ。残った者もこれからそうなる。彼等が目覚める時は、境界域の空気が彼等にふさわしい状態になった時だ』


 テオが右手を挙げると、穴の向こうから様々な妖精達が、更に雲霞のごとく押し寄せてきた。濁流のようにエルニカ達を飲み込もうとする。


「エルニカ、シルヴィー、一旦引くよ!」


 カマラの声に反応して、シルヴィーが急降下した。内蔵がひっくり返りそうな急発進。

 カマラが印を結び鋭く呪文マントラを唱えると、暗雲が立ちこめて雷電が迸った。幾らかの妖精は雷に撃たれて墜落していったが、相手の数が多すぎて、大した損害になっていない。


「こいつぁ、あたしの魔力の方が先に切れるね……」


 カマラはすぐに見切りを付けて、シルヴィーの後を追った。


「シルヴィー、妹を助けるんじゃないのか? いつも困っている人は見逃せないって言ってるじゃないか!」

「見逃せませんが、このままでは勝てません。物量が違いすぎます!」


 いつも向こう見ずに突っ込んでいくシルヴィーをして冷静な判断を余儀なくされるという事は、それほどの事態なのだとエルニカは悟った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る