第25話 幻像魔術《イマギナム》
◆◇◆
「エルニカ、君、背が伸びたな」
「え? そうですか?」
染色済みの羊毛を工房に納品するエルニカに、テオドールが声をかける。自分の背と比べてみて、
「子どもだと思ってたら、いつの間にか追い越されてしまった。顔はまだ紅顔の美少年といった風なのにな」
「それは自分でも気にしているので、言わないで下さい……」
「コルネリアがアヴァロンに渡って四年か。それは大きくもなるな。もう二十歳は過ぎたのかね?」
「僕は自分の正確な年齢を知らないので……多分そのくらいだとは思いますが」
「そうか……真珠の家の子ども達も、さぞ成長しているのだろうな」
「ああ、最近は仕入れや仕出しも任せて、ヘルバルト師の工房にも行かせてたりするんですけどね、徒弟の人達がアリアやチェルシーを紹介してくれとうるさくて。ゾーリンゲン工房の人達は何であんなに女性に飢えているんですかね……」
「男所帯とはそういうものだろう。しかし君は何というか、子ども達の兄や父親のようになってきたな」
既にコルネリアがいなくなって四年。アウローラが姿を消して三年経っていた。
真珠の家の子ども達は、一番年下の子でも十歳は越えている。アリアやチェルシーら年長の子達も、もはや少女の殻を脱ぎ捨て、大人の女性の一歩手前まできていた。そのせいか、言い寄ってくる男が出始め、エルニカがそれをあしらう事も多くなっていた。
「別に保護者を気取っている訳じゃありませんけどね。魔術師の徒弟なんかと恋仲になったら、日の当たるところで生きていけなくなるじゃないですか」
「君だって子ども達を徒弟として登録しているのだろう?
「いや、あの子達は徒弟じゃないんですよ」
真珠の家、改め
エルニカは、いつか子ども達を表の世界に帰すために、彼らを『魔術師の徒弟』ではなく、あくまでも『エルニカの身の回りの世話を焼く奉公人』ということにしておいた。
「この後、あの子達と落ち合うことになってるんです。そろそろ迎えに行かないと」
炉の熱がこもって汗が噴き出すような暑さになっていたゾーリンゲン工房では、アリアとチェルシーが徒弟たちにもてなしを受けて引き止められ、困ったように笑っていた。
エルニカはその間に割って入り、満面の笑顔で丁重にもてなしを辞退した。
「いやあ、すみませんね。この後も納品がありますから」
徒弟たちは不満げに口を尖らせたが、エルニカはこの工房では結構な功労者という扱いを受けているので、逆らう者はいなかった。
アリアとチェルシーは、工芸品やその素材の納品の仕事をするようになっていた。掴んだ顧客を離さないためには、ヘルメス院ではあまり評判のよくない上にいつも腰に虫籠をぶら下げて妖精を飼っているようにしか見えない怪しい風体のエルニカや、馬鹿なことをしでかしてしまう男の子連中ではなく、愛想のいい女性が顔を見せておいた方が良いだろうと、アリアが言い出して始めたのだ。
「エルニカ兄さん、ありがとう。正直困っていたから……」
アリアがほっとした顔でエルニカに近寄ってくる。アリアもそうだが、元来あまり人付き合いの得意でないチェルシーはほとんど固まっていた。それでもチェルシーがアリアに連れてこられたのは、この四年で彼女が見違えるほど美しく成長したので、装身具や、衣服に仕立てた織物を彼女に着せると品物が見栄えして、顧客からの注文が増えるからだった。チェルシーの決して品物を値切らせない頑固さも役に立っていた。
「おうエルニカ、嬢ちゃんたちはなかなか商売上手でいやがるぜ。工房で必要な分とは別に、うちの徒弟にも商品を買わせちまうからな」
奥から汗だくになって出てきたヘルバルトに対して、エルニカは耳打ちした。
「親方、売上が上がるのは良いことなんですけどね、うちの子たちに手は出させないで下さいよ?」
「その辺は大丈夫だろうよ。お前さんが思うより嬢ちゃん達はしっかりしてらあ。コルネリアもアウローラもいなくなったってのに、よく気丈に働いてやがるぜ」
子ども達は、コルネリアやフィーに続いてアウローラまでもが姿を消したことに、最初はかなりの動揺を見せていた。しかしカマラの指導を受けた彼らは、自分の生計は自分で立てるという意識が根付いていたため、悲しみこそすれ、落胆で動けなくなることはなかった。
ある程度安定した収入を得ることが出来るようになり、アイルランドへ渡った子ども達も徐々に戻って来られるようになっている。孤児院としての運営はまだ覚束ないが、かつての家族を迎え入れる準備くらいはできていた。
「ま、それもお前さんが頑張ってるからだろうがな」
「よして下さいよ、僕なんか婆さんの足元にも及びません」
「いやいや、こうしてしっかり稼いでやがんだから、大したもんよ」
「それがそう順調というわけでもないんです」
エルニカの言葉を、チェルシーが補足する。
「ちょっとした不買運動が起こっているの……ここの工房のように、私達を歓迎してくれる所ばかりではないわ……。そうね、やはりあの噂のせいかしら……」
彼らにまつわる噂と言えば毎度同じで、妖精郷の出現に関することだった。
コルネリアが姿を消した後、妖精郷の出現はぱたりと止まっていた。ところが、アウローラが姿を消すと同時に、再び出現が始まったのだ。妖精郷は、コルネリアが姿を消した年にはサウォインの時期にたった一度観測されたきりだった。アウローラが姿を消した年にも一度きり。しかし、その次の年は四大祭の時期の四回に増え、昨年は四大祭と四節気の時期、計八回に増えている。これはエドガーが記録していた過去の妖精郷の出現と重なっており、今年は更に回数が増えている。過去の例から考えれば、そろそろドリームランド夢想郷が頻出してもおかしくない。
このコルネリアの隠遁、アウローラの失踪と妖精郷の出現状況から、妖精郷の出現はアウローラの手によるものであるという、新たな憶測がヘルメス院を包み込んだ。つまり、元々妖精郷の出現はアウローラのせいであり、汚染の治療のために開けた妖精郷への通路が塞がりきっていないために起こった。それはコルネリアを失ったショックで一旦落ち着いていたが、コルネリアの汚染を治療する方法を探すために再び頻繁に妖精郷へ通路を開くようになった――というものだ。
一応筋は通っているため、この噂はかなりの信憑性を持って受け止められていた。
エルニカの後援者となっているテオなどはアウローラを養護して、『通常、神秘の発生が周期的ならば、人為的なものでなく、大地の営みや天体の影響と見るのが妥当だ』という論を展開していたが、その『周期』がここ十年以内に発生したものであるため、恒常的に起こる大地や天体の法則には結びつかないとされ、他の魔術師たちには相手にされなかった。
そして――
「今や
「
ヘルバルトを始め、工芸派魔術師の一部が根強くエルニカを支持しているのは、彼らが職人気質の頑固者だという理由だけではない。エルニカはアデプト達人になってからも彼らの工房に出入りし、研究を手伝っている。かつて十人前の作業を同時にこなし、ヘルバルトに重宝されたエルニカは、今や魔術の精度を上げ、数十人分の作業を並行してこなせるようになっていた。
「俺なんかおかげで研究がはかどってはかどって、今じゃ位階も上がったってのに」
ヘルバルトは研究成果が認められ、今や
エルニカとヘルバルトが話し込んでいると、工房の地下への通路から、ひょっこりと少年が顔を出した。鳥の巣頭のエリオである。
「あーいたいた、エルニカ兄ちゃん、今日もめちゃめちゃジュチュウしてきたぜー」
エリオも大分背が伸びていたが、まだ十一、二歳といったところで、まだまだ少年の域を出ていない。とは言え、カマラの指導で算術の能力がめきめき伸びて、今では価格交渉担当として、世俗の者を相手にした商売をしていた。人に好かれやすい性質なのか、客からは随分かわいがられていた。
「もーさー、キゾクの方々は妖精に震え上がっちまってるからさ。売れ売れだぜ?」
大打撃を被るかに見えた
「無理もねぇ、今やロンドンはどこが妖精郷になっててもおかしくねぇからな。汚染される世俗の民もかなりいるらしいぜ」
「そそそ、今日売り込みに行ったダンシャク様もさー、こないだのシシャク様からの紹介だったんだけど、自分とこのホーコーニンが汚染されたってんで、青くなっちゃってさ。自分の家族だけじゃなくて、ホーコーニンとその家族の分まで発注してくれたぜ! 大儲けよ大儲け! 妖精郷様々だねこりゃ」
「ちょっとエリオ、不謹慎よ。確かに私達の護符が役に立つのも実入りが増えるのも良いことだけど、その分困っている人もいるって事なんだから」
「いでで、アリア姉ちゃん、耳ひっぱらないでくれよ」
「へぇ、なんでぇ、世俗相手の商売はうまくいってんじゃねぇか」
ヘルバルトは、やるな坊主と言ってエリオの頭を力強く撫でた。
「いいえ、ヘルバルトさん。それがまた魔術師の方には癇に触ってるらしくて、『
腰に手を当てて頬を膨らませるアリアの横で、そうだったとエルニカは頭を抱えた。
「それもちょっと困ったことになってまして。世俗に
「はぁ? 護符なんてお守りみたいなもんじゃあねえか。ウチでだって少しは作ってるし、工芸派魔術師だけじゃねえ、
「そうして頂けるとすごく助かります」
こういうわけで、エルニカのヘルメス院における立場は非常に危ういものではあるのだが、支援者のおかげで何とか生計を立てていける状態は保っていた。
「先輩、僕はそろそろ胃痛で倒れそうですよ」
エルニカはエドガーの工房で、
「おや、エルニカもそんな心境になることがありますか」
成長して背が高くなったエルニカとは対照的に、ライールは少し背が縮み、若々しくなった。
「何ですかそれ。僕は繊細なんですよ」
「この数年間君と付き合ってきて分かったのは、君は虎視眈々と獲物を狙うような生き方をしているということです。てっきり、もっと面の皮を厚くしているものだと思っていましたが」
エルニカは自分でも、よく
「先輩、知ってますか。また女王が妖精郷事件の解決に報奨金を出したんですよ」
「前回は解決する前に終息してしまいましたからね」
「ええ。率直に聞きますけど、先輩、お金欲しくないですか?」
「率直? 私には遠回しな言い方に聞こえますよ。素直に手伝ってくれと言ったらどうですか」
「素直に言ったら手伝ってくれるんですか」
エルニカはライールの考え通り、妖精郷の調査を手伝って貰おうと思っていた。また以前のように断られるのが落ちだと思っていたので、どうにか言質を取ろうと、質問の仕方を考えていたのだ。いや、手伝ってくれなくてもいい。ライールを始めとして、妖精派の面々が調査に乗り出し、この状況が解決され、
このままではいつか子ども達に累が及ぶ。コルネリアと違い、自分にそれを一人で押し留められるほどの力がないことは分かっていた。エルニカは少しだけ、先のことを見据えている。
「いいですよ。手伝いましょう。昔ならともかく、今や君は
「それは心配ないです。魔術師からの受注生産はほぼありませんからね。工芸派への納品はほとんど糸や木材なんかの素材ですし。世俗の受注だけなら子ども達だけでも充分やれます。それに王宮から報奨金がもらえるとなれば、僕にもいよいよ宮廷付き魔術師になれる好機です。そうなれば他の魔術師も流石に僕らに手は出せないでしょう。女王はこの国で最大の魔術師の庇護者ですからね」
エルニカは相変わらず上昇志向が強いふりをして見せていたが、実のところ彼を調査に駆り立てたのは、コルネリアの汚染を進める原因を作ったことへの罪悪感である。この数年、忙しくはしていたが、汚染の治療に関する研究も少しずつ進めている。もっともそんな事はおくびにも出さない。出していないつもりでも、魔術師には見抜かれてしまうものなのかもしれないが。
かくしてエルニカとライールは、妖精郷の調査を開始した。
秋の過ごしやすい日柄で昼も近いというのに、ロンドンには人通りが少ない。妖精に襲われる事を避けているのだろうか、出歩いている人々も足早に目的地へ向かっている。皆一様に、不安の表情を浮かべている。
「以前より市民の反応が強いですね。数年前の騒ぎで、皆警戒しているんですかね?」
「それもそうでしょうが……今回は過去の事例と明らかに違うことがあるのです」
「というと?」
「前回は
二人はまず、妖精郷の中には踏み込まず、その種類と数を調べ始めた。するとたちまち地図の上には虫食いのように妖精郷を示す印が増えていった。
そもそも、地図に記録するまでもなく、ロンドンの様子が異常であることは目で見て取れた。
路地裏に完全な円錐形のキノコが並んでいる。
商店の屋根の上に、青く発光する苔や植物が生えている。
酒場の小屋には子鬼のような妖精が隠れ潜み、空には羽が四枚ある怪鳥が飛んでいる。
ある区画から見た空は緑色に見えるようになっていた。
またある区画では夜には月が二つに見える。
まるでこの世と妖精郷の継ぎ接ぎ細工だ。
この世が妖精郷に侵食されているのか、その逆なのか、それすらも判別し辛い状況。
前回より迷い出てきた妖精の数と種類も多い。自然と市民と妖精の接触も増える。
「先輩、あそこにも倒れている人が」
路上に、俯せに倒れる中年の女性がいた。
「手当します。エルニカ、私の鞄から気付けのハーブを出して下さい」
世俗の人々は魔力に対する耐性がない。妖精と接触しただけで、軽度の汚染で昏睡してしまう者も少なくない。二人は何度も市民を手当てしなければならなかった。
「ああ、気が付きましたか」
ライールに手当をされて目が覚めた女性は、しかし顔色は蒼白で、唇は紫色になり、血の気がなかった。
「ああ……ご面倒をおかけしました……。恐ろしい、恐ろしい怪物がいて、それで……足を撫でられたと思ったら急に目の前が真っ白に……」
「そうですか……もう大丈夫ですから、今日は家から出ないで、しっかりと栄養を取って休んでいた方が良いでしょう」
「いいえ、いいえ、店を開けないと明日の食べ物にも困ってしまいます……店を開けないと……」
女性は覚束ない様子ながら、店を開けると言って聞かない。仕方なく、エルニカは妖精除けの護符を渡してやった。
「これは怪物から身を守るお守りです。お代は結構ですから、他の人にも広めて下さい。セントポールの大市に出すこともありますから」
女性はまだ前後不覚といった体だったが、ふらふらと立ち上がると、中身が無事な酒樽を抱えて去っていった。ライールは心配そうな眼差しでそれを見送った。
「私達が世俗に出来る関与はこの程度が精一杯ですね……」
「僕達の護符もあまり売ると戒律派に睨まれますしね。でも確かに、世俗ではよほど蓄えに余裕がないと、商売を休むなんて事は出来ないですよ。これは……困ったな」
人が少ないとはいえ、確かに店を開けているところは多い。ロンドンは商業で成り立っている部分が大いにある。船大工や職人も勿論仕事をしているが、それらにしても仕事をしなければ生活が苦しくなる。皆不安を抱えているものの、閉じこもっているわけにはいかないのだ。
このように妖精や妖精郷に接触して昏倒している市民は少なくなく、二人が出来るだけ介抱してみても、焼け石に水という状況だった。
「前回肩すかしを食らったのとは随分状況が違いますね。実害が多すぎる」
事態は深刻であった。いつも飄々としているライールも、驚きの表情を隠せていない。
「私が見たことのない妖精もいますね。これは過去に例を見ない規模の妖精郷出現です」
「先輩、これって本当に自然に起こったものですかね? テオは僕をかばって『自然発生説』を推してますけど、僕は前回からこれが人の手によるものだと思ってるんです」
「何故ですか?」
「
「もしそうなら、その仕掛けを解除して回れば、少なくともこの騒動は収まりますね」
「でもそれじゃあ出入り口が消えるってことですよ? こっちに帰って来れなくなる」
「
ライールが妙に自信満々に言うので、エルニカはひとまず彼に従ってみることにした。
二人は積極的に
ライールは仕掛けを検分して、一つの結論を下した。
「詳しいことは分かりませんが、この仕掛けは
「幻像――と言うと、感覚を飛ばすことが出来るっていう」
エルニカは、テオの
「そうです。例えば遠く離れた場所の音、匂い、景色などを別の場所に伝えることが出来ます。実体を伴うわけではないので『幻像』と呼ばれていますね」
「つまり、
「そうなります。何のためかは分かりませんが。そもそも
「何の足しにもならないって事ですか」
「普通ならば。しかし普通ではないことを成すのが魔術師というものです」
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