第23話 魚の釣り方

 三日後、子ども達の数が減った真珠の家では、日常生活はどうにか普段通りに戻っていた。アウローラの采配がうまく回り始めたのだ。エルニカは模擬戦以外でのアウローラの指揮の手腕を見たのは初めてだったので、ただただ感心した。しかしアウローラを見てばかりではいられない。その間に、エルニカはカマラから指導を受け、工房としての機能を取り戻す方法を検討していた。そのためには、まず仕事を得なければならない。

 エルニカは、ヘルバルトが真珠の家から工芸品の材料を仕入れていると言っていたのを思い出し、まずは彼にかけ合ってみた。ヘルバルトは質さえ確かなら、継続して仕入れる事はやぶさかではない、と請け合ってくれた。

 更にエルニカはコルネリアの工房を探し回って、真珠の家の顧客リストを発掘し、何人かの魔術師に渡りを付けることも出来た。これで少なくとも、加工済みの糸や木材の販路は確保した。織物の方も取り引きしたかったが、まずは今出来ることから着実に、とカマラに諭された。

 販路を確保したからには、商品を作らなければならない。いよいよエルニカによる工房機能の建て直しが始まった。口先で人を騙して動かすことはあっても、大人数を真っ当に組織した経験のないエルニカのために、カマラは様々な質問をエルニカに浴びせかけ、彼の考え方の傾向を確認した。結論として、


「うん、あんたにゃ人をまとめるのは向いてないね」

「だからそう言ってるじゃないか!」


 話す中で、エルニカは徐々にカマラに打ち解けて、言葉遣いも遠慮がなくなってきた。


「これだけの人数をまとめるのは、あんたじゃなくたって難しいさ。ま、諦めるんだね」

「じゃあどうしろって言うんだい」

「まとめなくていい。明確に役割分担を決めて、それぞれを育てるのさ。そこはアウローラと逆だね。後はそうだね……子ども達が自分達で勝手にまとまるような仕組みを作ればいいのさ」


 エルニカは、染料探しの際に、コルネリアがエリオを動かしたことを思い出した。染料探しに飽きたエリオにドングリ拾いを許可したら、アウローラがついでに貴重な染料も集めさせてしまった。あれは単に、やる気を出させるために好きにやらせたのとも、報酬をぶら下げて物で釣ったのとも違う。仕事自体を楽しんで、のめり込んでしまうような、ともすれば遊びに変えてしまうような、そんな方法。

 考えてみたが、うまい方法が思いつかない。カマラに聞いてみても、「それはあんたが考えるべきところ、考えなければいけないところさ。自分で考えな」と言って請け合ってくれない。


「頭であれこれ考えたって始まらないのさ、まずは実際やってみな」


 エルニカはまず、子ども達を独断と偏見でいくつかの作業チームに分けた。今まで『エルニカ教室』で見てきた手先の器用さや性格から、彼なりに適材適所を試みる。当面織物のことは考えなくていいので、製品として用意しなければいけないのは、染料そのもの、染めあがった糸、素地が様々な色の木材、染料で染めた木材の四種類である。そのために必要な作業は、大きく分けて、染料や素材の調達、糸紡ぎ、染色の三種類。調達は活動的な子、糸紡ぎは大人しいがコツコツと仕事をする子、染色は難易度が高いため、比較的年長の子を選び、概ね十人前後にチーム分けする。ひとまずこの組分けで工房の作業を再開させることにした。

 ところが、最初の出荷から問題に突き当たった。品質にばらつきが出たのである。これは当然のことで、子ども達の熟練度の違いで、製品の仕上がりにも差が出てしまう。エルニカはそれらも含めて全て出荷してしまおうとしたのだが、カマラはそれを押し留めた。


「客に卸すのは上物だけにしな。粗悪品を混ぜると買い叩かれる。今は一時的に金が入っても、長い目で見ると苦しくなる。巷で取り引きされている他の商品と比べられて、客が流れたら一巻の終わりさ。他と比べて質が高いから、工芸派の魔術師はここの品物を買ってるんだろう?」


 結局、相当数の在庫が出た。真珠の家の染料や木材は貴重な物が多く、外から仕入れている羊毛とてタダではない。結果として、代金は仕入れや子ども達に払う賃金、生活費やカマラとシルヴィーを雇うための金で全て使い切ってしまい、最初の出荷で得られるはずの利益はほぼなくなった。これではエルニカが魔術師達から脅し取った金を返すには足りず、色をつけて返すなどという事はほとんど不可能であるように思われた。

 エルニカは忙しくなり、中々ヘルメス院には通えず、週2日ほど工芸派のところへ徒弟奉公へ行く程度になった。彼等との繋がりを絶っては、製品の販路を一から開拓すことになる。どんなに真珠の家の状況が気になっても、工芸派のもとに通うのをやめるわけにはいかなかった。





「さて、エルニカ。この方法でうまくいかないのは分かったね。まぁ最初は誰でも失敗するもんさ。これでもまだ良い方かもしれない。さぁ、失敗の原因は何だったと思う」


 カマラは、夕食後にコルネリアの工房にエルニカを呼び出し、指導を始めた。と言っても、彼女は直接解決法を教えることはしなかった。常にエルニカに問い、自分で考えさせる。


「品質に関して、基準がなかった事……かな」

「基準を作っただけで子ども達はそれを守って作業が出来るのかい?」

「……年長の子達はできるだろうけど、それ以外は難しいだろうね。だからって、他にどうしたらいいんだい?」


 エルニカの声で工房内を照らす蝋燭の明かりが揺れ、二人の影が踊るように揺らめく。


「そいつをあんたの頭で考えるのさ。ヒントはきっと、今まであんたがここでしてきた生活にあるはずさ。コルネリアとやってきたことを思い出してごらん」

「もっとはっきり教えてくれてもいいじゃないか。そのためにあんたを雇ったんだから」


 カマラはエルニカから視線を外して、蝋燭の明かりを見つめた。


「古い諺に、『魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ』というのがある。飢えている者に魚を釣って与えれば、その場しのぎで腹はふくれるが先がない。魚の釣り方を教えれば、その先も自分で魚を釣って食べることが出来る。今あんたに答えを教えるのは簡単だけどね、それでこの先もやっていけんのかい」

「だからって、致命的な失敗をしたらどうするんだ。僕では取り返しのつかないような大失敗とか……」

「そのためにあたしがいるのさ。あんたが大失敗しそうなときは止めてやるし、いよいよって時にゃ助けてやるさ」


 コルネリアも、失敗は大事なことだと言っていた。失敗から学ぶことがある、と。そう考えると、エルニカも不安が少しは和らいだ。

 エルニカは考えた。ヒントはエリオのドングリ拾いにある気がする。あの時エリオは、染料集めを仕事だとは思っていなかった。そもそも最初は染料を集める気すらなかった所に、アウローラが途中から競争の要素を加えたために貴重な染料も集め出したのだ。染料などの素材集めはあの方法をそのまま使うとして、問題は糸紡ぎと染色である。染料集めの方法――つまり、点数制による競争をそのまま適用していいものかどうか。


「例えばだけど――糸紡ぎも染色も、大体十人はいる。これを二つか三つの組に分けて、お互い競争させるっていうのはどうかな?」

「競争に勝つとどうなるんだい」

「賃金が増えるとか、夕食にデザートが付くとか」

「毎回勝つ組が固定しちまうと、やる気をなくさないかねぇ。大抵そういうのは同じグループが繰り返し勝つもんさ。競争自体が悪いとは思わないけどさ」


 確かに、模擬戦ではアウローラの陣営が毎回勝っていて、子ども達も「アウローラに勝つのは無理」と思っていた節がある。一方で、フィーのように今回こそと果敢に挑む場合もある。

 それをカマラに伝えると、


「そういうのは、他のメンバーを鼓舞できる強力なリーダーが必要なのさ。フィーは相当喧嘩っ早かったんだろう? 負けん気も強かったんじゃないかね。競争ってのはそういう連中にゃいい方法だけどさ、今残っている面子にそういう子はいるかい?」

「いるにはいるけど――それほど器用じゃないからね、調達班に回ってもらってるよ。手先が器用なのは、どちらかというと大人しい子達さ」

「大人しめの子ども達はむしろ、競争を嫌うんじゃないかねぇ。それに、単に競争させりゃあいいってもんじゃない。今後のことを考えたら、技能の高い子が他の子を育てるような仕組みが必要だ。組ごとの競争となると、技能の高い子は、自分が高品質の製品をたくさん作ればいいと思って、年少の子達をほかしちまうんじゃないかい」


 確かに、競争に勝つのに効率のいい方法を取るとなると、結果的にはそうなりそうである。一時的に製品の品質は確保できそうだが、人は育ちそうにない。


「エルニカ、あんた、ここで生活してて嬉しかったことはなんだい? 何があんたをここにいさせたんだい? 金や地位を得るだけなら、他にも方法はあったろうし、何も真珠の家にいなくてもよかったんじゃないかい?」


 元々は宮廷との繋がりを持つために踏み込んだ魔術の道だが、確かに真珠の家にこだわることはなかった。工芸派や妖精派とも繋がりを持てたし、テオやヘルバルトなどはかなり近しくなったのだから、そちらに弟子入りすることも出来たはずだ。実際エルニカが身につけた魔術を、ヘルバルトは手放したがらなかったではないか。回り道だと堂々宣言しているコルネリアの工房に、それでも居続けたのは何故か。惰性だったのだろうか。


「――僕は多分、僕を認めてくれたのが嬉しかったんだ。僕の成長を、婆さんや子ども達が喜んでくれるのが。だから恩返しをしたいと思ったんだ」


 蝋燭が照らすエルニカの顔は穏やかだった。


「へぇ、あんたもそんな顔するんだねぇ」


 エルニカは急に恥ずかしくなって、顔を背けた。


「じゃあそれでいこうかね。あんたにゃ人の心をおもんぱかって、それに合った方法を考えるなんてのは向いてないよ。自分だったらどうやったら動くかを考えた方が近道だね」

「どういうことだい?」


 エルニカにはカマラの言うことがよく分からなかった。今の話のどこに品質向上のヒントがあったというのか。


「競争と報酬よりも、成長と暖かい励ましってことさ。子ども達が成長できてそれを認められる。そういう仕組みを作ればいいんじゃないかい」





「地位と名誉だな」エインは言った。「世間に既にそういう仕組みがあるだろう。まぁ、貴族の爵位は土地の領主になれるから、これは報酬に当たるんだが、魔術師連合ウニオマグスの位階なんて完全に名誉職だからな」


 エルニカは自分一人では良い考えが浮かばないと判断して、ヘルメス院でも新しいやり方で成功しているというエインの工房を訪れ、相談しに来ていた。


「名誉職? エインは達人アデプトなんだろう? それで学院から金を貰ってたりしないのかい」

「学院が達人アデプトだからってだけで予算なんか組むもんか。勿論『徒弟を取っていい』って免状にはなるけどな、それで実際徒弟が集まるかどうかはそいつの実力次第だし、それで足りなきゃ世俗に支援者を探すより他ない。魔術師連合ウニオマグスの主流派は隠秘学派オカルトゥスで、序列の一位は真理派だが、二位は実利学派エクスセクティオの外交派だぜ。魔術師自身が貴族って連中が多いからな。結局金は自分で稼ぐより他ないんだ。例外は戒律派くらいだぜ。奴らは真理派に飼われてるからな」


 エインは皮肉っぽく笑いながら言った。


「じゃあ、魔術師の位階って何のためにあるんだい。金にはならないんだろう」

「だから、社会的地位で、名誉なんだよ。魔術師なんてのは元々金に興味のない連中ばかりだ。そうでなきゃこんな稼業を選んでないぜ。研究のために必要だから金を工面しているだけだ」


 成り上がりのために魔術師になろうと考えるエルニカは少数派、というわけだ。


「いいか、魔術の研究に分かりやすい到達点なんてない。普遍の真理なんてもんに辿り着いた奴は数えるほどしかいない。そんな中で、やる気が保たない奴だっている。挫折して下野する奴らも出るだろう。ところがそれじゃ魔術師連合ウニオマグスは困る。神秘が漏洩する。世界のあまねく神秘を独占するのが連合の目的なんだから、これは防ぎたい。だから到達点ではなく、『分かりやすい通過点』を用意したのさ。それが『位階』って仕組みだ」


 魔術師連合ウニオマグスの位階は十段階に分かれており、下位四位階を予備位階ポータルグレード、中位四位階を内陣インナーグレード、上位三位階を外陣アウターグレードと呼ぶ。達人アデプトと呼ばれるのは内陣の下から二番目で、全体としては下から六番目にあたり、エインは達人アデプトである。外陣にあたるのは学派の長老や、学院の学長などであり、最高位となると本当にいるかどうかも分からないという。位階を上げるためには外陣の魔術師に研究成果を披露し、審査を受けねばならない。エルニカは適性検査を受けているので下から二番目、カイは適正がなかったため一番下の位階になっている。


「自分は今、一人前の魔術師に近づいているのか? 或いは自分の研究が真理に近づいているのか? この指標になるのが位階というわけだ。位階が上がれば周囲からも認められるしな。張り合いの出る奴は大勢いるだろうぜ。そうなれば脱落者は減り、神秘の漏洩の危険は下がって、戒律派の仕事は減る。コストのかからんうまい仕組みだ」


 何も人を動かすのは、金銭などのわかりやすい報酬ではないということだ。自分の実力が上がっているという実感でも人は動くし、それによって周囲から認められることでも同様だ。エルニカは早速この仕組みを使ってみることにした。

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