第22話 しおれた赤い髪

 真珠の家に向かう道すがら、エルニカはカマラと離れて歩いていたシルヴィーに呼ばれた。


「ごめんなさい、エルニカ。気を悪くしないで下さいね。カマラは昔いろいろあって、損得勘定とか、物事に対価を支払うことについて、ちょっと厳しいんです」

「別に気を悪くなんてしてませんけど……色々って何ですか?」



 シルヴィー曰く、カマラは元々インドの生まれで、ある日異国との戦乱に村が巻き込まれ、焼け出されたのだという。五人の弟妹を連れて逃げ出したカマラは、砂漠をひたすら彷徨った。水も植物もない不毛の地を歩く内に、炎天下の渇きで一番下の妹が死んだ。ようやくオアシスを発見し、乾きは癒えたが、飢えを凌ぐことが出来ず、次に小さい弟が死んだ。彼女は最早どうすることも出来ず、泉の守り神として置かれていた、石の神像に祈るしかなかった。すると奇跡が起きた。石像が彼女に応えたのだ。石像は神の依代で、須弥山という神々の棲む異界の加護を与えてくれた。彼女には無から有を創る力が与えられた。魔術師の言う創造魔術である。真っ先にカマラが創り出したのは、当然食料である。穀物と肉、果物を生み出し、残った三人の弟妹は命を拾った。

 ところがここで、カマラは対価を要求された。根本的に弟妹を助けるためには、そもそもの原因である戦乱をこの世から取り除かなければならない。さもなくば同じ事が繰り返され、いずれ同じ目に遭う。それでは願いを叶えたことにはならない――。

 カマラは代償として、異国と本国との戦乱に介入し、それを止めるという使命を与えられた。最初の内こそ、人外の力をふるい、弟妹だけでなく戦乱に苦しむ人々を救うことに喜びすら覚えていた彼女であったが、力を振るうためにはその都度対価が必要であった。それは借金を重ねるようなもので、対価の返済のために、より大きな戦乱を止めなければならなくなる。より大きな戦乱を止めるためにはより大きな力が必要で、また借金がかさむ――。


「典型的な詐欺じゃないですか。神々ってのは悪どいんですね。加護? 呪いじゃないですか」

「神々の時間の感覚や倫理観は、人間には計れないことですから。私達にとって理不尽に思えることでも、彼らにとっては当然のことであったりするんです」


 これが人間同士のことならば、恨み辛みがたまっての刃傷沙汰になりかねないが、カマラの場合は凶行に走ってこの理不尽を止めるというわけにはいかないのだ。


「カマラさんのことは分かりました。対価を支払う以上はしっかり面倒を見てくれそうですね」

「ええ、きっとそうです。カマラは冷たいわけではありませんから」





 三人が真珠の家に到着すると、周囲に子ども達の姿はなかった。冬の始まりとはいえ、日差しも暖かく、屋内に籠もって作業をする必要はないはずである。小さな子の泣き声は聞こえるので、中には人がいるらしい。エルニカはやや訝しみながら、軋んだ音のする木の扉を開けた。

 家の中は荒れ果てていた。食卓には食器が散乱し、暫く放置された食べ滓が嫌な臭いを放ち始めている。幸い気温が低いので虫はわいていなかった。

 辺りには子どもたちの泣き声と、その対応で走り回る子たちの叫び声が響きわたっている。阿鼻叫喚だった。

 エルニカは慌てて他の部屋を見て回った。

 片づけも掃除もされていない。数十人の子どもが生活しているのだ、放っておけば埃やゴミはすぐにたまる。衣類も脱ぎ散らかされ、肌着も洗われていない。工芸関係の道具にたまった埃から、工房としての機能は完全に止まっており、染織作業は行われていないように見えた。

 年下の子達は暗く沈んだ表情でその場から動かなかったり、泣き濡れていたり、癇癪を起こしたりしている。年上の子たちは、その対応に追われて、家事や仕事に手が回らないでいる。

 この家には今、子どもしかいない。予想できた事ではある。だからこそエルニカは、アウローラに切り盛りを任せたのだ。彼女の指揮指導力ならば、この程度の状況は解決できるはずだ。

 エルニカは忙しく走り回っていたアリアを呼び止めた。


「アリア、遅くなってごめん。今帰った。酷い有様だね、アウローラはどこに行ったんだい?」

「あっ、お、お帰りなさいエルニカ兄さん。姉様はしばらく前に婆さまの工房に籠もったっきり出てこなくって……あぁ、マイケル、大丈夫よ、泣かないで。婆様はいないけどお姉ちゃんたちがいるからね……! さあ、汚れたおしめを取り替えましょう」


 どの子を見ても同じような状況で、エルニカや客人に気付く子はほとんどいない。これはまずいなと、エルニカは思った。彼は経験上、衛生環境の悪化は病気を蔓延させるきっかけになることを知っていた。彼が所属していた犯罪組織では、上がりの良い者は清潔な身なりを保つことが出来たが、そうでない者はいつまでもぼろを着ていて、ノミやシラミにたかられていた。彼らは頻繁に体調を崩し、熱を出し、終いには風邪をこじらせて死ぬ者さえいた。

 エルニカは二人の魔女を連れて、慌ててコルネリアの工房へ向かった。工房の煙突や換気口からは煙も湯気も出ておらず、本来の機能を果たしていないと分かる。扉は内側から鍵がかけられており、扉を蹴破って中に入る羽目になった。

 工房の中は薄暗く、埃が舞っており、蝋燭の光だけが揺らめいている。アウローラは暗がりの中で、目を血走らせて文献を読み漁っていた。


「アウローラ! 家の中が大変な事になってるって言うのに、何をやってるんだい!」

「エルニカか……ちょっと黙っていてくれないか、どうしても婆様の汚染を食い止める方法が見つからぬのだ。だが大丈夫、もうすぐ、もうすぐ見つかりそうな気がするから。私の勘は当たるぞ。ここで駄目なら次はジョン・ディーの図書館に行かなくては……」


 アウローラの眼窩は落ちくぼみ、頬はこけ、風になびいたような癖のある赤髪はしおれた花のようになっている。快活そうで自信ありげな表情は見る影もなく、焦りと不安が彼女の心を支配しているのがありありと分かった。


「しっかりしろ!」


 エルニカはアウローラの肩をつかんで揺さぶる。

 これがコルネリアがいなくなった影響だというのは、エルニカにも分かり切っていた。

 アウローラは揺さぶられながらも、文献を紐解く手を止めようとはしなかった。


「こりゃあ、ちょいと気付けが必要さね。エルニカ、どいてな。あたしがやろう」


 カマラはエルニカの肩をつかんでアウローラと引き離すと、アウローラの背中に手を置いた。


雷帝・帝釈天に帰依し奉るナマー・サマンタ・ブダナン・インダラヤ・スヴァー


 弾けるような音とともに、小さな火花が散る。アウローラの体がびくんと跳ねる。


「目が覚めたかい、アウローラ」

「あ……カマラ婆様」

「あたしのことは姉様と呼びなと言ったろうさ。もう一度感電させてやろうかい」

「カマラ姉様、何故ここに」

「あたしだけじゃない、シルヴィー姉様もいる。コルネリアが隠遁したって聞いたんでね。助っ人さ」


 アウローラの眼が正気の光を帯びたのを確認して、エルニカは彼女に詰め寄った。


「いいか、アウローラ。婆さんの体には、少なくとも十年以上の猶予があるはずだ。君の気持ちは分かるけど、汚染を治療する方法を探すのは今じゃない! 第一、婆さんが何十年もかけて分からなかった事だ、婆さんの本を読み漁ったって分かる訳ないだろう!」


 アウローラはエルニカの言葉に反応して、激昂した。


「そなたには言われたくない! そもそもそなたが全ての原因を作ったのではないか! そなたは婆様がいなくなった事が少しも悲しくないというのか!」


 よし、とエルニカは表情には出さずに安心した。怒る元気はまだあるようだ。


「そんな事は分かってる、だけどそれで僕が悲しみに暮れて引きこもって、何か状況が好転するのかい? 少なくとも僕は子ども達が食っていけるように手を打ってる! それに引き替え君は何だ! 皆のために何かをしているのか!」

「それは……だけど」


 アウローラは気まずそうに目をそらした。


「だけどじゃない! このままじゃ皆、食いっぱぐれるぞ! いいかい、婆さんがいない今、僕たちが生きるためには働かなけりゃならないんだ!」


 エルニカはこんなに真っ当なことを大上段で言っている自分が不思議でならなかった。少し前なら、真珠の家など飛び出して、巾着切りをして糊口ここうをしのいだろう。復讐のリスクを取ってまで、顔の知れている相手に脅しをかけて金をせびることにしてもそうだ。エルニカなら顔も見せないどころか、全く気付かれずに金をくすねることだって出来る。

 アウローラもそれは意外だったようで、目を大きく見開いている。

 出会って最初の頃とはあべこべの状況だなと、エルニカは苦笑いした。

 カマラはそんなエルニカを見て、ニヤリと笑う。


「言うじゃないか。それであんたは、アウローラの目を覚まして、何をさせようってんだい」

「僕じゃ真珠の家の子どもたちをまとめられない。ずっと野良犬みたいに生きてきたんだ、どうしていいか分からない。だからそれは君がやるんだ、アウローラ」

「皆を……まとめる?」

「そうさ、得意だろう。みんな言ってたよ、君が指揮を執れば、どんな問題も立ちどころに解決するって。それに年長者の責任というものがあるだろう? 腕を見せてくれ、アウローラ」


 アウローラは、自分がコルネリアの役に立てるのは子ども達をまとめることくらいだと言っていたことがある。コルネリアが消えたショックから彼女を立ち直らせるには、それがいかに真珠の家にとって重要な事であるか、アウローラに再認識させる必要があるとエルニカは思ったのだ。

 彼はやせ衰えたアウローラを工房から引っ張り出して、真珠の家の方に連れて行った。荒れ果てた現状を目の当たりにさせる。


「これは……ひどいな」

「だろう? みんな君がいなくちゃ駄目なのさ」

「……分かった。シルヴィー姉様、お願いがあるのだが、聞いてくれるか」


 シルヴィーはやっと出番が回ってきたと、花が咲いたように笑った。


「私に出来ることなら、何なりと」

「七歳以下の子ども達を、アイルランドのアルトス院で預かってほしい。工房の仕事をしながら幼子の面倒を見るのは無理だ。あの子たちだって子どもなんだ。孤児院は一時休業だな」


 アウローラはカマラと同じ結論にたどり着いたようだった。


「子ども達、寂しがるんじゃないでしょうか?」

「共倒れになるよりはよい。工房としての機能が軌道に乗ったら戻すつもりだ」

「分かりました、アイルランドに連絡を取りましょう。大丈夫、向こうも慣れていますから、大船に乗ったつもりで任せて下さい」

「ありがとう、姉様。それとエルニカ、日常生活の方は、婆様とフィーがやっていた分の仕事まで役割を配分し直す。これは私が洗い出して、当番で仕事が回せるようにする」

「当番を回す? 仕事をしっかり割り当ててしまった方がいいんじゃないか? 料理なんかは、フィーみたいに専門にしたほうが……」

「フィーは台所に人を入れようとしなかった。そなたを除いてはな。確かに食事の質は高かったが、フィーがこうなってしまった今では、当番制にしておいた方がよかったと思わぬか?」


 エルニカはこっそり腰の籠の中を除いたが、フィーはどこか拗ねたように座り込んでいた。


「他の仕事もそうだ。一通りのことは、誰でも出来るようになった方がよい。専門家が適所に配置されている組織は強いが、その仕事を代われる者がおらぬと、逆に弱味になってしまう」

「それもそうだね……でも、掃除洗濯は兎も角、料理に関してはフィーの専権事項だった。他の子達が今から始めるのは難しいんじゃないか?」

「私がフィーに聞きながら皆に教える」


 フィーが籠を蹴る音がした。自分の城を荒らされるのが嫌なのだろう。しかしそれ以前に、


「フィーは今、人の言葉を話せないよ」

「エルニカ、私の超常の才覚ギフトを忘れたのか?」


 エルニカは、アウローラが万物と対話できることを思い出した。


「妖精――妖精になった人間とも話せるのかい?」

「フィーは元々人間だ。犬や鳥より、ずっと話しやすい」


 その気になれば植物や鉱物とも会話が出来るのだから、きっとそのくらいはやれるのだろう。

 フィーの籠への魔力の供給は、特にエルニカでなければならないという事はなさそうだったので、台所にいる間はアウローラが行うことになった。フィーは不服そうだったが、アウローラが話して、今の真珠の家の状況では仕方ないと納得させた。


「あとは――工房の方は私では回せぬ。そなたがやるのだ、エルニカ」


 エルニカはてっきり、そちらも彼女が采配すると思っていたので、一瞬ぽかんとした。


「いやいや、さっき言っただろう? 僕はそういうの出来ないって……」

「何を言う、エルニカ教室でのそなたは良い教師であった。出来ぬとは言わせぬぞ」

「それも僕が始めたんじゃないけどね……」

「年長者としての責任があるのだろう?」


 さっきの台詞をそのまま言い返されて、エルニカはぐうの音も出なかった。自分で使っておいて何であるが、口先三寸手八丁で生きてきたエルニカにとって、責任という言葉ほどなじみのない言葉はなかった。


「それに、工芸に関してはそなたが婆様の後継者だ。そなたにはそちらの責任もある」


 険しくなるアウローラの表情。その事についても、まだアウローラの中では整理がついていないらしい。

 カマラが面白そうにくつくつと笑い、エルニカの背を叩いた。


「心配しなさんな。アウローラの目を覚まさせたのに免じて、ここはあたしが手伝ってやるさ」

「いや、覚まさせたのはカマラさんでしょう……」

「そういうことを言ってるんじゃないよ。最初は生意気な餓鬼だと思ってたが、あたしゃちょいとあんたのことが気に入ってきたよ。なあに、給料分は働いてやるさね」

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