第21話 深緑の魔女と霹靂の魔女

 ◇◆◇



「あなたは戒律派の許可を得ずに、出資者の貴族を魔術に耽溺させているらしいですね」


 エルニカは凶相と言って差し支えない顔で相手の魔術師に言った。地下に作られた、じめじめした暗い工房の中で蝋燭に照らされる彼の顔は、悪人以外の何者でもなかった。


「悪魔を喚起よびだしているんでしたっけ。ヘルメスの門を叩いて外交派として研究している貴族にならいざ知らず、ただの地方領主にそんな事をして、無許可で資金提供を受けていると知られたら、明日にでも戒律派に処刑されかねませんよ」

「魔女のいぬめ、どこにそんなあかしがあるというのだ」

「あなた、他の魔術師からの評判が悪いんですよ。大した研究もしてないのに羽振りだけはやたらいい。そのくせ高慢で、人を見下しているってね。ああ、僕が言ったんじゃないですよ。あなたと関わりのある魔術師の、少なくとも三人から同じような証言を得ているもので」

「出鱈目だ! そんな戯言でこの私が裁かれると言うのか!」


 相手は口角に泡をとばして叫んだ。必死の形相。それで逆にこの件が事実なのだと分かる。


「確かに、所詮陰口です。問題は、複数の人物が証言していることですよ。疑いの目で見る戒律派もいるかもしれません。少なくとも無視はできない。そうなると、あなたにとっては厄介なことに、少しばかり活動がしにくく・・・・・・・なるのじゃないですか」

「何が狙いだ!」


 男はぎりぎりと歯を軋ませ、エルニカを憎しみのこもった目で睨みつける。


「少しお金を貸してほしいんです。投資と思って貰って結構です。この大航海時代、誰だって船乗りに幾らかの投資をしていますし。僕らの事業が成功したら、利子を付けてお返しします」


 僕らの事業――と言うほどの計画は、実はない。それはこれから考えればいいのであって、最終的に本当に利子付きで金を返してしまえば何の問題もない。


溝鼠どぶねずみめ」

「ひどいなぁ、僕は別に告発しようなんて思っていませんよ。小耳に挟んだ噂をちょっと教えて差し上げただけです。足元が危ういと。僕だって大切な投資家を陥れようなんて考えません」


 裏を返せば、投資してくれないのなら、秘密を守ってやる義理はないと言っている。相手は観念したように「幾らだ」と呟いた。


「ほんの少し。あなたがその地方領主から受けている報酬の三分の一あれば十分です」

 それは、世俗の人間であれば、五人の職人を一年間雇い続けられる程の額である。

「高いとは思いませんけれど」





 エルニカは金貨の詰まった皮袋を懐に、ロンドン橋を南に歩いている。雑多な商店や家々が所狭しと並び立つ、橋というよりは街道の要所である。そこを抜けて、歓楽街サザークを突っ切る。エルニカにとっては慣れた場所である。ごろつきに目を付けられないよう、足早に通り抜ける。熊闘技場の近くには荒くれ者が多い。

 腰の正八面体の籠の中で、虫のような姿になったフィーが、内側から籠を蹴りつけている。


「ああいったやり方が気にくわないのは分かるけどね、フィー。僕が手っ取り早く当面の資金を稼ごうと思ったら、この方法が一番なのさ」


 当面の資金とは、真珠の家の運営資金である。真珠の家の儲けはほぼ子ども達の養育に当てられ、あまり残っていない。彼らが自分達の給料を大事にとっておいた(使いどころが分からずとりあえず貯めていた)ので、しばらく食うには困らなかったが、工芸関係の売買はコルネリアが取り仕切っていたため、現在の受注が切れてしまうと収入がなくなる。エルニカが商魂逞しく経営を切り盛りしても、経営が軌道に乗る前に資金が尽きたのでは話にならない。

 そこで、エルニカは準備金を調達することにした。ひとまず向こう一年、子ども達を養う分と、工芸の原材料を調達するのに必要な資金が必要である。植物由来の原材料は自分達の植物園でまかなえたが、動物性の材料――羊毛や皮革、金属類は別に仕入れる必要があった。

 工芸派の面々からは、既にある程度の出資を得ている。エルニカの徒弟奉公が今や文字通り十人力である事から、皆快諾してくれた。ただし、ほとんどの魔術師は基本的に研究資金の確保に苦しんでいるため、それほど多くはなかった。そこでエルニカは、自分がかつて調べ上げた、魔術師たちの弱みにつけ込むことにした。


「別に金を奪おうって言うんじゃない。ちょっと借りて、商売で増やしたら利子を付けて返すんだよ。彼らにとってもいい話さ。それにあいつらは婆さんの事をさんざん悪く言ってたんだ」


 いつかコルネリアの事を口汚く罵った魔術師どもを、絶望のどん底にたたき落としてやろうと思って書いた羊皮紙のメモが、意外な形で役に立っていた。

 フィーが籠を蹴りつける。


「分かってる、婆さんなら僕を叱るだろう。でも、庇護者を失った孤児院なんて先が見えてるよ。何とか手を打たなけりゃ。そのためには金がいる。なに、やりすぎないようにするさ」


 エルニカは真珠の家をアウローラに任せ、こんな事を二週間も続けていた。弱味を握って出資させた魔術師は十指に余る。当然、ヘルメス院での彼の立場は危うくなるように思われた。

 ところが、エルニカの立場などと言うものは、既に地の底まで落ちていた。コルネリアの後ろ盾がなくなったこともあるが、彼女がいなくなって以来、妖精郷の出現がぱたりとおさまったのである。これがコルネリア主犯説に拍車をかけ、魔術師達の中ではほぼ確証になってしまった。

 例外として、工芸派の一部と妖精郷の迷い仔ワンダラーズ達は、エルニカに同情的であった。

 そう言うわけで、エルニカにはヘルメス院で失うような評判はなく、心置きなく恐喝――彼に言わせれば営業――を行うことができた。


「まぁ、いよいよ恨みを買って身が危ないという時には、『コルネリアは女王と懇意だった』って言うネタを使うしかないだろうね。僕に王宮とつながりがない以上、ただのハッタリだけど」


 エルニカはロンドンの南、ダルウィッチ村に到着した。ここでアルトス院の魔女と落ち合う手はずになっている。村は土地のほとんどが牧草地で、羊飼いが多い。家々は村の中心に密集している。その中にうらさびれた酒場があった。羊飼いの親爺が小遣い稼ぎに夜だけ開く小さな店。しかし今日は、日中だというのに酒場が開いている。埃っぽい室内に日の光が射し込み、光の筋が見える。その光に照らされ、中に客もいることが分かる。

 客は僅かに二人。一人は長身の異国人で、長い白髪に赤褐色の肌の初老の女性である。真ん中で分けた前髪から覗く額には、魔術文様じみた赤い入れ墨が彫られている。橙色の長い布を体に巻き付け衣服としており、エルニカの眼にはどこか古代ローマの市民のようにも見えた。薄暗い室内に鮮やかな橙が映える。腰には複雑な刺繍がされた布を巻き付けており、工芸品に目が肥えたエルニカにとっても、見たことがないほど上質なものだった。ややたれ眼がちの二重まぶたの女性の顔には、幾筋かしわが刻まれているが、薄く微笑んだその表情に力強さが感じられる。眼の光が若々しく、どこまでも見通していそうな所はコルネリアに似ていた。

 もう一人は小柄な――少女と言ってもよい外見で、ウェーブのかかった肩までの長さの金髪は、前髪が少し短く、額が広く見える。その眼は吸い込まれそうな深い青で、対照的な桜色の唇を強調している。衣服は奇妙な出で立ちで、森の中を散策するような手袋と、丈夫そうな靴を履いているが、緑色の衣服は冬も近いというのに肌の露出が多かった。肩を見せる作りのふんわりとしたちょうちん袖の上着に、半ズボン。何れも丈が短いが、肌の露出はぴったりとした藍色の肌着で隠している。その上から向こうが透けて見えるマントのようなものを羽織っており、印象としては新手の妖精と言う感じだった。

 初老の女性の方は水しか飲んでいないようだが、少女の方は五人前はあろうかという食事を恐るべき速度で頬張っている。次々追加注文すらしていた。

 老婆と少女――と言う組み合わせは、コルネリアとアウローラの関係を思い出させる。


「あの……サウォインの憧憬の名代、エルニカです。貴女がアルトス院の方ですか?」


 まず初老の女性が応えた。


「いかにも、あたしが『インドラの矢』、霹靂の魔女、カマラ・ラートリ・ヴァルプルガさ」


 やや低めだが、若々しい張りのある声。独特の訛りのある英語だった。


「そちらの若い方はお弟子さんですか?」

「馬鹿をお言いでないよ、こちらはあたしらの大姉様、アルトス院の長老のお一人だよ。千年は生きている大魔術師さ! 失礼なことを言うもんじゃない」


 千年、と聞いてエルニカは驚愕した。コルネリアが三百歳と言う話でも相当驚いたが、千年前となるともうどんな時代だったのかさえ分からない。


「カマラったら、私がお婆ちゃんだなんてそんな大声で!」

 少女――のような長老は、恥ずかしそうに、少し怒ったようにカマラを睨んだ。

「深緑の魔女、シルヴィー・アルティオ・ヴァルプルガです。シルヴィーと呼んでください。カマラはこう言っていますが、彼女も五百年は生きているんですからね、私だけがお婆ちゃんなんじゃありませんよ」


 五百年だの千年だの、エルニカにとっては時間の感覚が違いすぎた。コルネリアが、他の魔女のことを「姉様」と呼んでいた事を思い出す。


「話は聞いています、コルネリアはアヴァロンへ渡ることができたそうですね。彼女がかつて望んだ形ではないようですけれど……せめて、向こうで王にお会いできるといいのですが」


 シルヴィーの口ぶりは、コルネリアがもう戻ってこないと言っている。長寿の大魔女をしてそう思わせるならば、やはりそうに違いないのだ。エルニカにも分かってはいたが、改めて事実を突きつけられると、少し胸が苦しくなる。


「シルヴィーさん。真珠の家を立て直す支援をして頂けませんか。当面の資金はこの通り用意がありますが、僕は商売に関しては素人です。孤児院の経営となると尚更で」


 エルニカは自分たちの窮状を訴えた。


「わかりました、私たちに任せて下さい。実は今までも色々と影から関わっていたんですよ」


 シルヴィーが援助に前向きな発言をしたので、エルニカはほっとした。

 しかし、そんなシルヴィーをカマラが遮った。


「待って下さい姉様。それはこいつらのためになりません」

「どうして? 困っている人を助けるのは当然のことでしょう?」

「助ける側はそうでしょう。けどあたしゃね、長いこと戦場で戦いを止めてきて、気付いたことがあるんです。荒事嫌いな姉様は知らないでしょうが、その場では一時的に最悪の事態が収まっても、その後にだらだらと『最悪ではないにしろ悪い状態』が続くんです。軽い戦傷でも、悪い風が体に入ると病気で死にます。補給を絶たれた兵士は周囲の村邑を略奪します。戦功があがらなければ兵士の給金は減り、彼らの家族は飢えに苦しみます」

「僕らは別に戦をしているわけじゃない」


 エルニカは思わず口を出した。


「たとえ話さ。後先を考えず目先の事だけ追ってたんじゃ、先行きは暗いってことだよ」


 エルニカは、以前コルネリアに短期的に損得を判断しすぎるなと言われた事を思い出した。


「いいかい、タダより怖いものはない。支援に頼れば、頼れなくなった時に困る。あたしや姉様がいてやれる間は良いが、いなくなったら戦場の話と同じさ。問題は後から湧き出てくる」

「じゃあ……僕たちに支援はしてくれないと?」

「そんなことはありません! 私達はヴァルプルギスの魔女、人の世の暗闇を払う、より暗きもの。人の困窮を黙って見過ごすはずがあるでしょうか! ねぇカマラ、意地悪を言わないで」

「あたしゃ別にこいつを困らせようってんじゃないんです。いいですか、助けないと言ってるんじゃありませんよ。助けた後のことも考えなきゃならないって話です」


 エルニカは考えた。つまり――


「僕たちだけでもやっていけるようにならなきゃ意味がない。って事ですか」

「その通り。独立採算事業で生計を立てなきゃジリ貧さ。修道院解散で、管轄の孤児院がどうなったか知ってるだろう? もしあの時孤児院が、敬虔な信徒や王侯貴族の喜捨ではなく、自分達で資金繰りをしていたなら、これほど浮浪者は溢れなかったろうさ」

「独立採算事業――というのは」

「コルネリアは子ども達を職人として育て、世俗に徒弟奉公させていた。だけどコルネリアがいない今、あたしゃいっそ孤児院をやめて、工房にしちまったらいいと思うのさ。世間の荒波に揉まれたり、経営が苦しくなったり、貧しい思いをすることもあるだろう。仕事も厳しくなるかもね。けれど年長者が独立せずに真珠の家に残れば、培った経験をそのまま生かして経営に関わり、年少者を育てられる。そうなれば、あたしらがいなくても、真珠の家の機能は維持できるさ」


 確かにカマラの言うことはもっともらしい。しかし、真珠の家の年長者と言えば、フィーがこの状況である今、エルニカ自身とアウローラくらいだ。本当にそんなことができるのだろうか?


「何、経営が軌道に乗るまではあたしらが相談役としてついてやるさ」

「そうですカマラ! そうでなくては!」

 シルヴィーがほっとしたような顔で喜ぶ。しかしカマラはさらにそれも遮った。

「ただし姉様、この子たちにはあたしたちを『雇って』もらいます」

「私達はお金のためにやっているのでは……」

「あたしらはそうでしょうが、それじゃあこの子たちのためになりません。借りを作りっぱなしと言うのは恐ろしいことです。それはある意味、弱みを作るって事なんです」


 エルニカもそれについては納得できる。無償の善意は確かにある。コルネリアや真珠の家の子ども達、妖精派の面々から実際に受けている。それがエルニカの心境をも変化させたのは事実だ。

 しかし、それとは別に、世の中が厳しく、油断を許さないのも事実である。今もロンドン橋南岸には歓楽地区であるサザークがあり、犯罪者と浮浪者、娼婦にやくざ者、ごろつきに物乞いであふれている。サザークだけではない。ロンドンの市壁内にも浮浪児や犯罪者がおり、エルニカがそうだったように組織的に職業犯罪を行う者がいる。もっと広く世界を見れば、英国イングランドとスペインは宗派の違いや様々な利害関係から戦火を交えようとしている。人はこの厳しい世界の中で、抜け目なく生きていかなければならない。


「もちろん払いますよ。対価を支払わないのは、僕だって気持ち悪い。それにしても驚きました。魔女というのは慈善家だと思っていたんですけれど、色々な考え方の方がいるんですね」


 エルニカは珍しく皮肉でなく、素直に思ったことを口にしただけだった――が、カマラはやや機嫌を損ねたようだ。顔は笑いながら、しかし眉根に深いシワを寄せている。


「言うじゃないか、坊や。あたしが慈善家じゃないって? まぁその通りさ。だけどあんたもコルネリアの所にいたにしちゃあ、随分とたくましいようだね」


 カマラが金貨の入った袋を指差して険しい顔をする。


「恨みを買うような事はやめておきな。借りを作るのとは質が違う。いつか背中を刺されるよ」


 魔女というのは、何でもお見通しだから厄介だな、とエルニカはため息をついた。


「魔術師に恨みを買っているのはむしろ、ヴァルプルギスの魔女の方だと思いますけど。第一、盗んだ訳じゃありませんし、きちんと利子を付けて返しますよ」

「それだけの商いが自分たちに出来ると思うのかい?」

「思いません。でもそうだな……僕は最初、このお金は真珠の家の運営と、子ども達を養うのに使おうと思っていたんですが……。これでカマラさんとシルヴィーさんを雇う事にします」


 シルヴィーはエルニカの持っている金がどう言うものかは分からなかったらしく、反応に困ってエルニカとカマラを交互に見た。それとは対照的に、カマラは不適に笑う。


「なるほど。対価を払えと言ったのはこちらだしね。受け取ることにするさ。だけど損得勘定はそれで合っているかい? 後で資金が足りなくなりやしないかい?」

「自分を対価を支払って雇えというお方です。それに見合うだけの事はしてもらえると思っていますけど。その方が結果的に資金の回収も早そうな気がします」


 カマラは皮袋を受け取った。


「いいだろう。ただしあたしゃ、コルネリアほど優しくないよ」

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