第12話 風の魔術

 週末、真珠の家に戻ってコルネリアにこの話をすると、老婆は大いに面白がった。


「なるほど、風の知覚魔術とエルニカの見えざる手アポート/デポートを組み合わせたら、工芸派は大助かりだろうねぇ。流石、ゾーリンゲンの魔剣鍛ちは思いつくことが突飛だよ」

親方マイスターは僕に何をさせようとしているんだい?」

「それはまぁ、後のお楽しみにとっておいた方が良いだろうね」


 コルネリアはニヤリと笑った。


「それで、婆さんに風の魔術を教えてもらいたいんだけど」

「良いだろう。それが実現できるなら、あたしゃヘルバルトに謝礼を出したいくらいだ」


 コルネリアはエルニカを外に連れ出した。夜空には雲が流れ、上空では風が強いことが分かった。初夏の生ぬるい風が、エルニカを包む。


「さて、あんたが身につけるべきは、魔術五式のうち、知覚魔術だ。五式は習ったかい?」

「創り出すこと、知ること、操ること、変えること、壊すこと……だっけ」

「そう、その中でも知覚魔術は基礎と言われる。まずはこの世のことわりを解明するのが魔術の第一歩だからね。一方、それは奥義でもある。特に隠秘学派オカルトゥスの占術派にとってはね。古い魔術では、星々の世界を知覚することで、地上のあらゆる出来事を予知できると考えられている」

「僕に占いをしろって?」

「いや、あれは向き不向きがあるからねぇ。おっと話がそれた。知覚魔術だった。基本的に知覚魔術の初歩は、触れた対象の状態を把握するところから始めるんだよ」

「触れた対象って、風のかい? 風向きとか強さなら、魔術を使わなくても分かるよ」

「風が体に直接触れているならね。ではこの周辺、見える範囲全ての風を『ひとかたまり』として見たときはどうだい? あの木にぶつかった風がどう流れを変えるか分かるかい? この工房の屋根の上では? 地表近くと高い空では風の流れは違うが、それが分かるかい?」

「……じっくり観察すれば分かるんじゃないかな」


 風が周辺に影響を与える現象である以上、木の揺れ方や屋根のチリの動き、草花の揺れや雲の動きでそれらを把握することは不可能ではない。だが、


「ではそれらを同時に把握することは出来るかい?」


 エルニカは、流石にそれは無理難題が過ぎると思った。だからこそ魔術の領分なのだろうが、


「婆さん、それができたら確かにすごいと思うけど、一体何の役に立つんだい?」

「さてねぇ、そこにどんな意味を見い出すかは魔術師次第さ。隠秘学派オカルトゥスの連中なら、大気の流れを把握できたところでよしとするだろう。自分はまた一つ世界の真理に近づいたとね」


 なんと趣味的で自己満足的な、とエルニカは思った。


親方マイスターは本当に、僕に何をさせたいんだ……?」

「使い方は人それぞれだと言ったろう? 実利学派エクスセクティオはそれこそ実利に使うからね。例えば闘争派なら、人が押し出す空気の流れを感じ取って、用兵に生かすだろう。外交派なら、奏でる音楽の響き具合を感じ取って、演奏の仕方を変えるだろうねぇ」

「工芸派は?」

「さあてね、専門によって違うだろうけど、そいつはヘルバルトに聞くといいさ。とにかく風の知覚魔術ってなそんなものさ。ひとまずの課題は、自分の手を伸ばした範囲の風――即ち空気の流れを、目を瞑っていても把握できるようになることだね」


 コルネリアは面白そうに笑っていたが、エルニカは今一つ腑に落ちなかった。


「まぁそれはいいさ。どうすれば出来るようになるんだい?」

「アンタ、ナイフやそこらへんのものには魔力を通して手足のように操れるだろう。それと同じように、空気に魔力を通すのさ。やってみな」


 エルニカは言われた通りにやってみた。しかし、魔力を通すという事自体、無意識にやっているので、いざいつもと違うものにやってみようとしても、うまくいかなかった。


「まぁ初めはそんなもんさ。そこでこれだ」


 コルネリアは懐から折り畳まれた敷物を取り出した。複雑で精緻な図柄が織り込まれており、その色使いや織り目から、真珠の家で作られたものであることが分かる。老婆はそれを地面に敷くと、エルニカにその上に座るよう促した。


「ここが工芸派の面目躍如だねぇ。魔力を通すだけで効果が発動する魔術工芸品アルティファクトゥム――作るのに時間はかかるけれども、作ってしまえば実にお手軽簡単ってなもんさ」

「なんだいこれ」

「魔力を通すと、布の上五フィート一・五メートル程度の範囲に風の知覚魔術を発動する。術者は風の魔術を使える必要がないんだ。こりゃ練習にもってこいだろう?」

「何でこんなもの作ったのさ……」

「アンタみたいな初心者魔術師を弟子に持つ師匠が買ってくれるんだよ。さぁ、やってごらん。呪文はこうだよ。『我が身は霧散し、溶け消える』。手印はこう組む」


 コルネリアは両手で、鳥が羽ばたくような形を作ってみせる。


「呪文と手印の意味は知っているだろうね」

「魔術を使うときの『意識の鍵』だっけ」


 魔術を使うには、人間の中に眠る魔力を使う必要がある。だが魔力は通常、表には出てこず、無意識に生命活動に使われる。自在に操るためには意識にかけられた鍵を外し、無意識に働きかける必要がある。呪文や手印は、魔術師が長い時間をかけて見いだした、その『鍵』である。


「我が身は霧散し、溶け消える」


 エルニカは言われるがままに、手印を組んで呪文を唱えた。

 魔力を通すという感覚は今一つ分からなかったが、自分と敷物が繋がった・・・・ような感覚がある。すると、まるで敷物の上に自分の皮膚が広がったような錯覚を覚えた。それは言うなれば、体の皮を引っ張られて、思い切り広げられたようなものだった。


「うえぇ、なんだこれ気持ち悪い!」


 延長された皮膚感覚の中で、風はエルニカの皮膚の下をナメクジが這うように感じられた。エルニカは思わず、敷物に魔力を通すのをやめてしまった。


「知覚魔術ってこんなに気持ち悪いのか!」

「いや、知覚魔術にも色々な種類があってね。触れたものの詳しい情報が脳裏に浮かぶようになったり、言葉として囁いて聞こえるようなものもある。これは『知覚の延長』という種類の魔術で、まぁ大体初めて使った魔術師はそのおぞましさに二・三日熱を出して寝込むと言うね」

「この……そういうことは最初に言えよ!」

「言ったらやりたがらなかっただろう?」

「久しぶりに完全にやる気をなくしたよ……やってられるか、こんな事!」

「ヘルバルトの考えを実現できたら、すぐ稼ぎに繋がると思うけどねぇ」

「……稼ぎ。稼ぎか。くそ、分かったよ」

「しばらくそいつを使って、大気に魔力を通して知覚を延長する事に慣れるといいさ。あぁ、もちろん仕事の合間にだよ。それと、ヘルバルトから刀剣の拵えの練習をするよう言われてるんだろう? やるなら出来れば子ども達のいる所でやっておくれ」





 次の朝から、エルニカの真珠の家での生活は妙に忙しくなった。仕事の空き時間に知覚魔術の練習で気分を悪くし、仕事を急いで終わらせて皮工芸や木工細工を練習する。

 子ども達は興味深そうにそれを観察しており、場合によっては邪魔をした。というより、教えを請うて来た。いや、というよりは、「わたしもやるー!」であった。どの道、彼にとっては邪魔だった。自分の仕事を終わらせてからだ、と彼は誤魔化した。すると皆、手早く仕事を終わらせて時間を作るようになった。彼の周りに子ども達が輪を作るようになり、端材はすぐになくなった。邪魔と感じるものの、彼は何故か彼らを邪険に扱えなかった。結局、やりたい者には材料だけ渡して、見よう見真似でやらせておいた。

 それを見たコルネリアは、にやにや笑いでエルニカの肩を叩いた。


「おやおや、エルニカが先生になってるねぇ」

「婆さん、あんたが子ども達のいるところでなんて言うから、材料がもうないよ」


 するとアウローラも顔を出して、てきぱきと皆に指示を出し始めた。


「こらこら、そなた等エルニカの邪魔になっているぞ」

「そうだアウローラ、言ってやってくれ」

「皮はないが、木っ端や道具は婆様の工房にあるはずだ。婆様、人数分借りてもよいか」

「あぁ、もちろん」

「では男の子は協力して道具と材料を取りに行ってくれ。最初に年長の者が優先してエルニカに習い、次に覚えたことを年少の者に教えるのだ!」

「『のだ』、って助長してどうするんだよ!」

「大丈夫だ、これならエルニカにあまり負担はない」


 確かにアウローラの言うとおりに子ども達が動き始めると、エルニカの周りに常時いるのは数人だったし、後は子ども達同士で勝手にやってくれるようになった。

 かくして、エルニカは自然発生的に、ついに真珠の家で教える側の人間になった。





 週が空けてヘルメス院を訪れると、調査に向かっていた妖精派の面々が帰ってきていた。エルニカはテオの工房を訪ねると、コルネリアの祭器ファクティキウスの事を伝えたが、何故か後ろめたい気持ちになった理由を、彼はそろそろ理解し始めていた。


「貴重な情報をありがとう。非常に参考になる。異界に穴を開けるとは、大胆な発想だ」


 テオは人の良さそうな笑顔を顔に浮かべ、エルニカの手を取って握手をした。


選定の戴冠石リア・ファルは、アウローラとコルネリアにしか使えないようになっているそうですが」

「それは良いんだ、私はこの汚染をどうにかするための着想が欲しいだけなのでね」

「あの……工芸派のエインリヒ・ホーエンハイムが言っていたんですが、魔術の奥義を盗むことは、刃傷沙汰になりかねない……時には魔王を生み出すと」

「ふむ」テオはエルニカの手を離すと、俯いて背を向けた。「君はこの情報提供が彼女への裏切りに当たると考えているのだな。いや無理もない、魔術師にとって秘奥の漏洩は禁忌だ。彼女が弟子に対して、漏洩の報復をする事はないと私は考えていたのだが――君には申し訳ない頼み事をしてしまった。この事はこれきりお終いにしよう」


 エルニカはほっとした。その自分の安堵の感覚から、彼はコルネリアの信頼を失うことを恐れていたことが、最早自分でも疑いようがなくなった。


(どうやら僕はコルネリアの事を気に入っているらしいな――意外なほどに)


「コルネリアがこの件で魔王に堕ちるとは考え難いが、万が一はある。私も少し焦りすぎた」

「テオ、本当なんですか? 魔女が、魔術師の中で一番多く魔王になっているって」

「事実だが、それは単一の派として見た時の話だな。総数としてみれば十二流派から輩出された魔人や魔王の方が圧倒的に多い。ヴァルプルギスの魔女達は、極めて強力な魔術や超常の才覚ギフトを使う。であるが故に、『堕ちた』時に他派と比べて魔人や魔王に指定されやすいのだ」

「そうですか……」


 コルネリアやアウローラがそれほどの災害を起こすとしたら、妖精郷の出現を今以上に、意図的に起こすような、そんな事が起こるのではないか、と言う考えが、エルニカの脳裏をよぎった。


「ところでエルニカ、しばらく妖精派の面々は調査に出向いて君の指導が出来なかったのだが、その間、問題はなかったかね?」

「いや、それが大ありで」


 エルニカはこれまでの経緯を説明した。


「それは重ね重ねすまないことをした」

「いえ、良いんです。僕は的を絞って学ぶことに決めたので。妖精派と……工芸派に」

「そうか。ならば私の知己の工芸派魔術師へ紹介状を書いておこう。ヘルバルトから紹介してもらってもいいのだろうが、あの男は魔術師受けが悪いのでね」

「ありがとうございます。それと、テオに聞きたいことが」

「なんだね」

「テオは風の魔術は使えますか? 親方マイスター――ヘルバルト師に、風の知覚魔術を覚えろと言われたんですが、なかなかうまく出来なくて。ゾーリンゲン工房には明後日行くことになっているので、それまでに少しでも上達しておきたいんですが」

「私の属性は『風』と『幻像』だが……そう言うことなら、ライールの方が適任だろう」


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