第11話 ヘルバルトの慧眼

 その夜、確かにエリオは子ども達の英雄になった。例のドングリをひと抱えも集めて、他の子ども達に配り歩いたのだ。男の子は単純にドングリ自体を喜んだし、女の子はそれでどんな工芸品が作れるか相談し合った。おまけに、エリオはアリアと協力して、貴重な染料もいくつか見つけていた。これには年上の子ども達も感心した。


「アウローラ姉ちゃんがキョーソーしようって言うから、まけらんねーって思ってさ」


 夕食のテーブルで、エリオは自分の手柄を大いに誇った。話を聞くと、集めた数ではなく、集めたものの希少性に価値付けし、それを点数として競ったらしい。エリオは勝負に勝つために、ドングリだけでなく染料も集めていたというわけだった。


「うまいやり方を思いついたモンだ、流石姉様」


 フィーが鶏肉のスープを食べながら感心する。


「なるほどね、仕事じゃなくて遊びにしたわけだ」

「それだけじゃねぇよ。集めるだけなら年上が有利だ。体力と経験が違うからな。だけどこのやり方なら、貴重な物を見つければ逆転があるからな、勝負を途中で諦めるって事はねぇわけだ。人を動かすことにかけては、アウローラ姉様にはかなわねぇ」


 フィーが人を褒める事はあまりないので、アウローラは彼女にとって別格の存在なのだと分かる。しかし、実力主義のフィーが、そこまでアウローラを評価する理由が、エルニカには分からなかった。


「人を動かすのが巧くても、実際には細かい事は出来ないだろう? なんでそんなに感心するんだ?」

「お前なぁ、例えば料理を教わる師匠に付いたとしてだな、スゲェ美味いメシを作るが教え方が全然ダメダメな師匠と、メシは作らねぇがソイツの教え通りにしたら自分も美味いメシが作れるようになる師匠、どっちが良い」

「教えるのがうまい方」


 考える余地はなかった。単に食べるだけなら前者が良いに決まっているが、教わるとなれば話は別だ。自分なら、幾ら優秀でも自分の利益にならない師匠にはつきたくないとエルニカは思う。


「だろ? 姉様には姉様のすごさがあって、それは誰も真似出来ねぇ。尊敬に値するぜ」

「君も誰かを尊敬することがあるんだなぁ」

「あん? 今馬鹿にしただろ、おぉ?」

「してない、馬鹿にしてないからフォークの先をこっちに向けないでくれ」


 ふん、と鼻を鳴らして、フィーはフォークを下ろした。


「ところでよぉ、お前学校で上手く行ってないらしいな?」

「エリオが言ってたのかい? 別に上手く行ってないわけじゃない、僕自身は順調さ。ただ、今の話と同じさ。師匠連中がまともに教えてくれない。この調子じゃ、魔術師として王宮に召し抱えられるのはいつになるか……身についたのは基礎教養と偏った知識ばかり。ポーカーなら、この手札じゃ役は出来ない」

役立たずブタってわけだ。なぁおい、その偏った知識とやらじゃあ、ひとかどの者になれねぇってんなら、そいつぁ思い違いだぜ」


 フィーはエルニカの方を見ずに、スープの具を頬張りながら言った。


「俺ぁ料理しか出来ねぇ。染織の方はアウローラ姉様より残念な出来だ。だがよ、包丁一本とこの右腕、研ぎに研いで料理番やってんだ。俺のこの家での役割は充分果たしてるし、そいつは俺にしか出来ねぇ事だ。いつかこいつで独り立ちできると思ってる。俺ぁそれほど興味はねぇがよ、お前の言う王宮とのコネ、なんなら包丁でだって作れるかも知れねぇんだぜ?」

「宮廷料理人――か」

「エリザベス女王は、自分が気に入りゃ身分の隔てなく登用するって言うからな。まぁ、一発逆転はあるかも知れねぇ。ポーカーはよ、手札の入れ替えが出来るじゃねぇか」


 フィーはエインと同じようなことを言う。料理だけをひたすら突き詰めるフィーの腕の良さは、エルニカの舌がよく知っている。フィーがそういうならそうなのだろう、と思えた。


「でも――僕に出来るのかな、そういうの」

「お前も元は裏街道者だろ? 手前てめぇの技一つで生き残ってきたんだろうが。ならそれと同じだよ……なんだよ、んな深刻な顔すんな。おーいエリオ、エルニカが人生相談したいってよ」

「えー、何だよ、やっぱ俺がヒツヨーなんだな? みなまでいうな、分かってる……」


 それを見たアリアが、辛辣にエリオに突っ込んだ。


「エリオの頭の回転じゃあ、エルニカ兄さんの悩みなんか解決できないわよ。あ、でも兄さん、悩んでるなら一人で抱えない方が良いわよ。何にも出来ないかもしれないけど、エリオにだって話を聞くだけなら出来るから」

「きくだけってなんだよー!」


 そこにコルネリアが話に割って入ってきた。


「いやいやエリオ、聞くってのは大事なことさ。黙って人の話を聞くのは誰にでも出来る事じゃあないんだ。それが出来るのはすごいことなんだよ」

「それ俺がトクベツってこと? よーしこのトクベツな俺にどーんとソーダンしなよ!」

「いや、僕なら大丈夫だから、別にいいんだ」

「エンリョすんなって、カゾクだろ?」


 エリオの言葉がなにを指すのか、一瞬エルニカは分からなかった。しばらくぽかんとしていると、フィーが後頭部を殴りつけた。エルニカは後頭部をさすりながら抗議した。


「痛いじゃないか、いきなりなにするんだ!」

「何カエルみたいな顔してんだよ、まさか一つ屋根の下で同じ釜のメシ食らって何ヶ月も経ってるってぇのに、『いや、僕に家族はいないから』とか言うんじゃねぇだろうな」

「え?」


 実際、エルニカは彼らのことを自分の家族とは思っていない――事実、血の繋がりどころか、元々縁もゆかりもないのだ。最初の数ヶ月は確かに寝食を共にしていたが、今は週に何度か帰ってくる程度である。

 心底意外そうなエルニカの顔を見て、エリオとアリアは大変傷ついたような顔をした。


「エ、エルニカ兄ちゃん、まさかこれだけ兄ちゃんとか兄さんとか兄貴とかよばれておいて、俺たちのことをカゾクだとおもってなかったなんて! ひどい! あんまりよ!」


 エリオは、通りが良いからと言うわけでなく、年長だからと言うわけでもなく、どうやら本当の意味で兄と呼んでいたらしいことが、ようやくエルニカにも諒解できた。


「あらエリオ、あなただって最初の頃は、私に『オマエなんかねーちゃんじゃねー!』とか言ってたわよ。こういうのは時間のかかることなの。でもエルニカ兄さん、今『全然そんな事は考えてもいなかった』って顔してたでしょう。私もさすがにちょっと傷ついたかな……」

「えぇ?」


 エルニカは自分の顔が珍しく困り顔になっているのを自覚した。


「あっはっは! エルニカ、あんたのそんな顔は、あたしゃ初めて見たよ! どうだい、あんたは自分で思っているより、子ども達に好かれているようだよ」

「僕は――」

「人間、安心できる場所がないと、困難に立ち向かってはいけないもんさ。困ったり迷ったりしたときに、頼ったり甘えたり出来る場所が要るんだ。ここがあんたにとってそうであればいいんだが。少なくともエリオは、あんたにとってそういう存在でありたいと思っているようだよ」


 エルニカは何だか毒気を抜かれた。どうも励まされているらしいとは分かったが、それ以上は理解が追いつかなかった。家族というものを知らないエルニカは、『あなたを家族だと思っている』と言われても、どう反応して良いか分からなかった。が――悪い気はしなかった。





 週明け、エルニカは朝早くからゾーリンゲン工房を訪ねた。エインからの書状が届いたようで、ヘルバルトは自分の勘違いを認めて、エルニカを招き入れた。エルニカはエルニカで、腹を括って工芸派の魔術を集中的に習得しようと、熱心にヘルバルトに学んだ。


「エルニカよぉ、お前さん何日か見ねぇ間に、何だか雰囲気が変わったんじゃねぇか?」

「そうですか?」

「おぅ、何か柔らかくなったってぇかよ。落ち着いたってぇか」

「前はどんな風に見えてたんですか?」

「まぁ、一応の礼儀は出来ちゃあいたが、もっとギラついた目ぇしてやがったぜ。隙あらば何もかも奪ってやろう――てな感じでよ」

「何ですかそれ、まるで野盗じゃないですか」


 野盗と巾着切りスリにそれほどの違いはないだろうが、そこまで露骨に態度に出ているとは彼自身は思っていなかった。自分ではうまい演技をして、魔術師達に取り入ってるつもりだった。


「それに随分熱心になったぜ」

「そりゃあ、魔女の係累に教えを授けてくれるのは、親方マイスターみたいに心の広い人だけですから。今じゃ出入り禁止の工房も多くて。だから、ここで学べることは何でも学びたいんです」

 『親方マイスター』や『心の広い』という言葉に、ヘルバルトは明らかに喜んでいた。エルニカの内面を見抜いたようでいて、こういう言葉に弱いあたり、鋭いのか鈍いのか分からない人物である。


「殊勝な心がけじゃねぇか! よし、今日はお前さんにいい物を見せてやろう」


 ヘルバルトは工房の奥に引っ込むと、色とりどりの棒状のものを抱えて戻ってきた。

「これは――剣の鞘ですか?」

「それだけじゃねぇ、柄と鍔もある。俺ぁどっちかってぇと刀身の方が専門だがよ、この辺の装飾――『こしらえ』も工芸派の魔術師にとっちゃあ大事な分野よ」


 鞘は金属製や木製、革製等、様々であった。いずれも実用性は勿論、装飾品としても見事である。金属製のものは、鉄の他、金銀銅や宝石、貴石類で飾られている。木製のものは、別の種類の木を埋め込む技が使われ、コルネリアの工房で見た工芸品と似ている。革製の鞘は、表面が彫刻のように削られ、染料で染めてある。縫い合わせに使う糸も鮮やかに彩られている。


「この木象嵌もくぞうがんとかな、革に使う染料や糸なんかは、『真珠の家』から仕入れてるものもあるぜ。植物系の素材であそこより良いモン卸せるなぁ、世俗にも工芸派にもいねぇからな。工芸派が魔女に悪い顔をしねぇのはそこよ。俺等は、良いモン作ってくれりゃあ何の文句もねぇ」


 エルニカは、コルネリアが魔術師相手の商売をしていると言っていたのを思い出した。


「どうでぇエルニカ、お前さん、こっち・・・もやってみねぇか」

こしらえ――ですか」

「おう、やる気があるならな。色々覚えてもらった方が、俺も仕事がはかどるからよ」


 エルニカにとっては願ってもない申し出だった。ヘルバルトから盗める技術があるなら、全て盗むつもりでここに来たのだ。


「まずはそうだな、お前さんの懐のもの・・・・を見せてもらおうか」

「え――」

「気づいてねぇとでも思ってたのか? 上着の内側に刃物を隠してあんだろうが」

「――流石親方マイスター。鋭いですね」


 魔術師という奴はどうして隠し事を見抜くのがうまいのだろうと思いながら、エルニカは上着から、十本のナイフを全て取り出した。


「へぇ、使い込まれてやがるな……お前さんの魔力の残滓がまだあるぜ。だが手入れが甘ぇな、刃零れしてるし、刀身も曲がってる。こりゃ打ち直した方が良いな」

「打ち直し?」

「おう、十本全部打ち直すなぁ骨だがよ、手伝いの合間にってみろぃ。どうせならお前さんの魔術特性に合ったもんを作るのが良いな。お前さん、何が得意なんだい」

「えーと、風の魔術と物体移動です。でも風の魔術の方はまだ本格的に学んでいません」

「ちょっとここでやってみろぃ」


 エルニカは躊躇した。正直なところ、あまり自分の手札は明かしたくなかった。犯罪者が犯罪技術ブラックアートを披露するようなもので、それを見せることによる不利益が大きい――と、以前の彼は思っていた。しかし今や彼の超常の才覚ギフトは、魔術師相手には希少価値がないのは分かっていたし、それでヘルバルトから盗める技術が増えるなら、対価としては安いと、今はそう思えた。

 エルニカはナイフを一本摘まむと、手を離して宙に浮かせて見せた。


「成る程ねぇ。で、何本まで行けるんだ? ナイフは全てにお前さんの魔力の残滓がある。何本か同時にいけんだろ?」

「えぇと、はい、じゃあ」


 エルニカは十本のナイフ全てを宙に浮かせ、自分の周りに円を描くように配置した。


「こんな感じですけど――親方マイスター?」


 ヘルバルトが目を見張っている。驚きの表情を浮かべる口元を、右手で覆い隠した。


「お前さんそれ――どのくらいの時間やってられるんだ?」

「試したことはないですが、多分ずっとやっていられます」

「適正を調べるときにゃやらなかったのかい?」

「とりあえず一本だけ動かして見せましたけど、その後すぐに属性の検査に回されて」

「――全く、隠秘学派オカルトゥスの連中と来たら、目が節穴なのもいい加減にしろってんだ! エルニカ、お前さんとんでもねぇ事やってるぜ!」

「どういう事です?」

「まだそこまでは教えてもらってねぇか、あのな」


 ヘルバルトによると、魔術にはそのものの難易度とは別に、持続時間、効果範囲、効果対象、精密性という要素があるという。一番簡単なもので、自分の体または触れている単一の対象に一瞬だけ大雑把にかける魔術があり、一番難しいもので、見える範囲の複数の対象に永続的に精密にかける魔術があると言う。隠秘学派オカルトゥスは魔術そのものの難易度を重視するが、実利学派エクスセクティオは難易度はもちろん、それらの諸要素も重視して魔術を研究しているらしい。


「お前さんは、かなり長い時間、見えている範囲の複数対象に、かなり精密に魔術をかけることが出来る。こりゃ実利学派エクスセクティオじゃあ、かなり希少な超常の才覚ギフトとみなされるぜ」

「そう――なんですか」

「まぁ、やってること自体は単純だからな、どう使うかは術者次第なところがあるがよ、風属性だっけ? その中で一番適正があるのは何だい」

「情報の伝達、っていう話でしたけど、実践は全くしてません」


 ヘルバルトは天を仰いで両手で顔を覆った。


隠秘学派オカルトゥスの連中は馬鹿野郎だな! エルニカ、お前さんがどんなに連中に煙たがられようと、俺ぁお前さんを歓迎するぜ!」


 ヘルバルトはがははと笑いながら、エルニカの肩をバンバン叩いた。


「まぁ、まずナイフの打ち直しと拵えの作り方を覚えようや! 後の話はそれからだ!」


 それから数日、エルニカはナイフ作りに勤しんだ。自分が鍛造するために役立つと思っているからか、ヘルバルトの一挙手一投足をよく見るようになった。

 まずは鍛造を覚え、刀身が出来上がった。柄を作るためには木象嵌やその他木工の技術を身に付け、鞘を作るために皮を切って縫い合わせ、染料で染める方法も学んだ。たった一本のナイフとその拵えを作るのに、実に様々な工芸の技法が使われている。結局、ナイフと鞘をひと揃え作るのに、五日かかった。

 出来上がったナイフは、自分でも力作だとエルニカが自惚れる程度の出来ではあった。


「初めてにしては悪くねぇ。思った通り筋が良いぜ。自分でも練習しな。鍛造は炉がねぇと無理だろうが、拵えは自分で出来んだろ。端材を持ってけ、道具は貸してやらぁ」


 ヘルバルトは古くなって自分では使わなくなった道具と、皮の端切れや木っ端を麻袋に詰めてエルニカに渡した。


「それじゃあ次は風の魔術の伝授、といきてぇ所だが、俺の属性は『火』と『地』でな。教わるならちゃんとした属性持ちがいいだろうな。コルネリアは風属性があるはずだぜ」

 結局エルニカは、その週はナイフを一本作っただけだった。

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