第10話 選定の戴冠石《リア・ファル》

 エインに書状を書いてもらったとはいえ、すぐにゾーリンゲンの元は訪れず、少しほとぼりを冷ました方が良いと考えたエルニカは、週末に真珠の家に戻ってきていた。

 色々な工房を巡って分かったが、他に比べると真珠の家はその名の通り『家』という側面が強い。他の魔術師は寝食忘れて研究に没頭する者が多いが、真珠の家ではまさにその寝食――生活を大切にしている。孤児院でもあるという性質のせいだろう。

 今はたまに戻ってくる程度のエルニカは、仲のよい家族の中に一人だけ余所者が混じっているような、居心地の悪さを感じていた。しかし子ども達は彼の気持ちにはお構いなしだった。


「なんだよエルニカ兄ちゃん、ゲンキないじゃん……お兄さんにソーダンしてみな?」

「誰がお兄さんだって、チビ助?」


 昼間の森での染料集めの最中、最初にエルニカに声をかけてきたのは、共に模擬戦を戦ったエリオだった。未だに能力を秘密にしているエルニカが、こっそり見えざる手アポート/デポートを使うために子ども達の集団から離れて作業していたところに、わざわざ近づいてきたのだった。


「分かってるって、みなまで言うな。ガッコーでうまくいってないんだろ? 分かるぜ、俺もアタマわるくて、いくら教えてもおぼえないから、とっくにフィー姉ちゃんにはあきらめられてるからな! 兄ちゃんもガッコーのベンキョー、ムズカしくて、ついてけねんだろ?」

「違う。言っておくが僕は頭は悪くない」

「えぇー、なんだよー、じゃあベンキョーできんのかよー」

「出来るよ、最近じゃギリシャ語だって覚えてきたからね」

「あれか、夜よんでくれるムズカしー字の本。俺、エルニカ兄ちゃんの読み方好きなんだよな」

好き、と言われてエルニカはむず痒くなった。

「婆さんの方が読み方は巧いだろう」

「ちっげーんだよ! たしかにばーちゃんは読むのうまいけど、戦いとかボーケンの話は、エルニカ兄ちゃんの読み方のがカッコいいって! ペルセウスがゴルゴーンやっつける話とか! なんてゆーの? キンパクカンってやつ?」


 エルニカには自分の読み方など客観的には分からないので、意識したこともない。翻訳しながら読むのに必死なので、その必死さが出ているのかもしれないと思った。


「エリオ、ちゃんと染料集めなさいよ。まったく、目を離すとすぐサボるんだから」


 声をかけてきたのは、これもまた模擬戦で一緒だったアリアだった。背負っている籠には、山ほど染料が詰まっている。なるほどエリオの籠はほとんど空だった。


「ちっげーよ! 俺はエルニカ兄ちゃんのジンセーソーダンしてたんだよ!」


 アリアが疑わしげに視線を送ってきたので、エルニカは首を横に振って肩をすくめた。


「また嘘ついて! まったくもう!」

「だって、つまんねーよこれ。もっと遊びてーよ、どーせならドングリひろいがいーよ」

「またそんな事言って、これはお仕事なんだから、つまんなくてもちゃんとやるの!」

「おやおや、アリアもこの仕事はつまらないと思ってたのかい?」


 二人が言い合いをしていると、コルネリアが現れた。アリアは慌てて首を振った。


「違うの、そうじゃなくて……もう、エリオのせいで私までサボってると思われたじゃない!」

「ドングリ拾いならやるんだね?」


 コルネリアはからから笑うと、懐から巾着を取り出した。


「えっ、ドングリ拾っていーの?」

「ああ、けどまだ季節じゃないからね、見つけるのは難しいだろう。去年の秋に落ちた実が、落ち葉の中で眠っていればいいけどねぇ。それと、探すドングリを絞ろうかい……これさね」


 コルネリアが巾着を逆さにして振ると、中からドングリが転がり出た。真っ黒な事と、白っぽい汚れがついている事以外は、なんの変哲もないドングリにしか見えない。


「いいかい、こいつはこうして……」


 コルネリアは手に包み込んだドングリに息を吹きかけて湿らせると、ローブの袖で磨き始めた。ドングリは手の中に隠れて見えない。


「ちちんぷいぷい! さぁ、魔法をかけたよ。エリオ。手をお出し」


 コルネリアは、差し出されたエリオの手を両手で包むように隠しながら、ドングリを渡した。ニヤリと笑って手を離すと――


「なっ、なんじゃこりゃああああ!」

「すごい、綺麗……」


 エリオもアリアも、驚きと感動で目を輝かせた。エルニカもその変貌には少し驚いた。

 白く汚れていたドングリは日の光を反射して輝き、その表面は黒曜石のような、ガラス質の光沢を帯びていた。あまりの艶に周囲の景色までくっきりと写り込んでいる。


「ばーちゃんなにこれ!」

「婆様、どんな魔法を使ったの?」

「あっはっは、驚いたろう? こいつは魔法じゃないよ、元々こういうドングリなのさ。染料には使えないね、まぁ媒染剤にするくらいは出来るが……こいつはこうするのさ」


 コルネリアは袖をまくると、自分の腕につけているブレスレッドを見せた。ガラスビーズとドングリを繋げて、アクセサリーにしている。


「婆様のそれ、ドングリだったの? ずっと石か何かだと……」

「ガラスビーズ以外は木の実と、木の実を染めたもんだよ。どうだいエルニカ、あんたの目利きじゃあ、こいつは商品になると思うかね?」


 エルニカはコルネリアからブレスレッドを受け取り、見聞した。


「……セントポール大聖堂の大市で似たような物を見たことがある。店にもよるけど、一つ売れれば、三日は食うに困らないだろうね」

「と言うわけさ。どうだねアリア、エリオがこいつを集めるのは、遊んでる事になるかね?」

「……いいえ、婆様。立派な仕事だと思うわ」

「じゃあエリオ、なるべく小さいのを集めておくれ。大きいのはアクセサリーに向かないんだ」

「おっしゃー! それならやる! ばーちゃん、でかいの見つけちゃったらどうする?」

「皆で山分け。独り占めはなしだよ」


 エリオは喜び勇んで走っていった。遠くで、地面に這いつくばって目を凝らしている。

 それを見ていたアリアが、もじもじと恥ずかしそうにしながらコルネリアを見上げた。


「婆様、私もドングリ拾ってもいい? もちろん他の染料もちゃんと集めるから……」

「いいよ。エリオについて行っておあげ」


 アリアも顔を輝かせて走り去った。


「婆さん、人を乗せるのがうまいね」


 エルニカは皮肉でなく、本心からそう言った。働かない者を働かせるには、怒鳴るか鞭打つしかないと思っていたからだ。彼だけでなく、ロンドン中の人間がそう思っているに違いない。そうでなければ矯正院ブライドウェルなどというものが、有力市民の出資で成り立っているはずがない。


「仕事は楽しんでやるのが一番良いのさ。楽しみこそがいい物を生み出す。そしてそれが認められりゃあ、次はもっと良い仕事をするもんだ。見ておいで、エリオは今晩、子ども達の英雄になる。来週にゃあ、もっと珍しいものを集めるのに張り切って仕事をするだろうさ」

「全部婆さんの掌の上ってわけかい?」

「いいや、そうじゃない。人間は元々そうなのさ。本来有り得べきように導いてやれば、あとは自然とそうなるんだよ。あたしゃ、あの子たちに憧れを作ってあげたのさ。自分の手で宝物を見つけたいって、ちっちゃな憧れだけどねぇ。真っ直ぐな憧憬こそが人を正しく導く」


 真っ直ぐな憧れ、というものが、エルニカにはよく分からなかった。憧れと言えば、エルニカ自身が魔術師として大成し、宮廷に繋がりを持ち、富も地位も手に入れたい、と言うのも憧れではあると思ったが、それとコルネリアが言っているものは別のものであるように思われた。


「仕事をあんなに楽しそうに出来るものなんだな……」

「そう言うあんたは楽しそうじゃないね。本当に学院でうまく行っていないのかい?」


 エルニカは肩をすくめて笑った。


「『気高く正しい』魔女様のせいで、気苦労が絶えないんだ。学院じゃ相手にされてない」

「気高い? 誰だい、そんなこっぱずかしい事を言ったのは」

「エインリヒ・ホーエンハイム」

「あの坊主は……どうせ『愚かな』って言葉もくっ付いてたんだろう。それはそうと、あんたはそう言うけどねぇ、妖精派の連中や、ゾーリンゲンなんかは付き合ってくれるだろう?」

「彼らは妖精郷の調査にかかりきりさ。親方は最近ご機嫌斜めでね、工房から追い出された」


 彼女に隠し事が通用するかどうかは分からなかったが、自分がコルネリアの研究を探っているのに腹を立てたとは言えず、エルニカはその部分はごまかした。


「妖精郷に調査か。あたしも同じだから何も言えないねぇ。あんたが帰ってくる日はなるべくいられるようにしてるが、ほったらかしの日も多くてね。子ども達には悪いことをしているよ」


 コルネリアは妖精郷の調査を続けているようだ。

 エルニカはコルネリアに対する様々な疑問で、ここ数日悶々としていた。彼女に指摘された『うまく行っていないこと』とはそこから来ることなので、婆さんのせいだよと言ってやりたかったが、前回アウローラと揉めたのでそれはやめておいた。その代わり、その疑問の全てに探りを入れてやろうと、エルニカは思い始めた。慎重に言葉を選ぶ。


「婆さん。僕が紹介された妖精派の連中は皆、妖精郷に汚染されたと言ってた。アウローラと似たようなもんだろう? 連中には、アウローラみたいな鎧や石をくれてやらないのかい?」

「あれと同じものを作るのは中々大変なのさ。再現は出来ないねぇ。勿論、代わりになるもので援助はしているよ。彼らはヘルメス院での数少ない友人だからねぇ。テオにはアウローラの鎧と同じくらい効く包帯を作るのを手伝ったし、エドガーには気付け薬を調合した。副作用があって、常用出来ないがね。ライールにも薬を調合したが、ありゃあ難しい汚染にかかっていてね、今でも新しい薬を研究してるよ」

「アウローラの持っていた赤い石は? 作れないにしろ、貸したりとか」

「あれはアウローラとあたしにしか使えないんだ。誰でも自由に使えると困るんでねぇ」

「そんなに危険なものなのかい」

「危険というかねぇ。ありゃ世界に穴を開けるためのものだから」


 コルネリアはドングリの入っていた巾着を掲げた。


「この巾着が、人の生きる世界だと思いな。裏っ側が――」


 コルネリアは巾着を裏返し、表地と裏地を逆転させた。


「妖精郷だよ。この場合、どちらが裏か表か、どちらが内か外かは分からない。妖精派にゃ妖精郷が表の世界で、人間の世界が裏に過ぎないと考えるものも多い。それでだね」


 コルネリアは巾着の口を紐で堅く結んだ。


「普段はこの世界同士は交わらない。布一枚隔ててすぐそこにあるが、触れられはしない。神秘のヴェー

ルとか、死のヴェールとか言うだろう? 越えられない薄布があるというのは昔から言われていることだ。こいつをくぐり抜けようって魔術師もいるがねぇ」


 操魂派という派閥は、死のヴェールを突破して、死後の世界に魔術を届かせるという。


「それでだ。選定の戴冠石リア・ファルは、この巾着に穴を開けるための魔術工芸品アルティファクトゥムなのさ」


 コルネリアは紐をほどき、巾着の口を開けた。


「こうすることで二つの世界は繋がり、行き来できるようになる」


 エルニカは一つ、非常に重大で、恐ろしい事に気づいた。


「それじゃあ婆さんは、あの石で自由に妖精郷への入り口を作れるって事じゃないか!」


 疑われるどころの話ではない。状況的に見て、コルネリアは妖精郷頻出事件の犯人にしか見えない。


「ははぁ、さてはあの噂を気にしているね? 安心おし、あたしゃ犯人じゃないよ」

「犯人はみんなそう言うよ!」

「なんだエルニカ、まだ婆様の事を悪く言っているのか」


 と、またもや突然アウローラの声が聞こえた。今回は帰ってきてからまだアウローラを見かけていなかったし、この染料集めにも参加していなかったはずだが――。

 エルニカが周囲を見渡しても、彼女の姿はどこにもない。どこから声が聞こえるのか。


「ああ、ちょうど良い。今から起こる事をようく見ておいで」


 コルネリアは空中の一点を指差した。

 すると、そこにぽつりと穴が開いた。その穴から、赤い光が漏れてきている。穴は次第に広がり、数秒で人一人がおさまるくらいの大きさになった。

 赤く光る穴の向こうにアウローラが立っていた。背後にはエルニカが迷い込んだものとは別の妖精郷が見える。彼女は今まさに、妖精郷と人間の世界を行き来しているのだ。

 彼女は肩に、手足が鳥の足、尻尾が蛇のような猫を載せていた。


「アウローラ、向こうで友達を作るのは良いけどねぇ、あたしらにとって妖精郷の空気が毒であるように、彼らにとってこちらの空気は毒なんだ。連れてくるのはもうおよし」

「ああ、分かっている、婆様。ちょっと名残惜しかっただけだ……友よ、また会おう」


 猫はアウローラの頬を舐め、体をこすりつけると、妖精郷の奥へと去っていった。

少し寂しそうな顔で猫を見送ったアウローラが穴から出てくると、穴は次第に小さく、針穴ほどの大きさになり、最終的には消えた。


「ごらんの通り、選定の戴冠石リア・ファルは、わずかな時間しか穴を開けていられない。自然に出来た入り口でなければすぐに元通りさ。アウローラ、良いところに来てくれたねぇ。今は染料集めの最中でね、子ども達に指示を出してくれるかい」

「任せてくれ!」


 アウローラはエルニカを睨みつけると、すぐに子ども達の方へ走っていった。


「一週間も経ったって言うのに、アウローラはまだこの間のことを気にしてるのか」


 エルニカは嫌だ嫌だと天を仰いだ。


「いや、あの子にとってはついさっきの事なんじゃないかねぇ。あの子は妖精郷で定期的に向こうの空気に触れなきゃいけないと言ったろう? 普段はもっと間隔を空けるんだがね、先週あの子が療養後に鎧を外しちまったから、もう一回やり直しに行ったのさ」

「そうだろうと思ったけれど……なんだいその『ついさっき』ってのは」

「あんた、以前妖精郷に迷い込んだとき、どのくらい向こうにいたね?」


 エルニカは数ヶ月前の出来事を思い出した。


「あのときは時間の感覚がおかしくなっていたから……、数日とも、数時間とも感じた」

「迷い込み始めたのは日中かい? 夜かい?」

「夜だった」

「出てきたのも夜だったね。実はあの森は時間の流れがこちらより早くてね、あんたはきっと、こちらの時間では数分も経たずに出てきたはずさ」

「数分? いくらなんでもそれはないと思うけど……」

「実際そうだったのさ。あたしゃ月の位置を確認してから入って、四時間くらい中にいたがね、出た時も月の位置は全く変わっていなかったのさ。月は一時間で観測点から角度にして約十四度半移動する。つまり四時間で約五十八度の移動、見間違えるはずはないね」

「つまり……どう言うことだい?」

「異界はほとんどの場合、こちらと時間の流れが違う。それは分かったかい? アウローラは主に時間の流れの遅い異界へ療養にいくんだよ。あの子は先週、あの後すぐ異界に戻って、五、六時間くらい療養してから、またこちらに戻ってきたのさ」

「一日二十四時間で、一週間。五時間いたとして……三十倍以上時間の流れが違うのか」


 エルニカは学院で、一日が二十四時間である事や、四則演算を既に学んでいた。


「そうさ。時間の流れが早いか遅いかは、その妖精郷によるがねぇ。あの子は若く見えるけれどね、アタシがあの子を拾ったのは、ざっと五十年前だよ」

「僕よりずっと年上じゃないか!」


 エルニカは、アウローラの古風な言い回しの理由に納得がいった。なるほど、五十年も前なら、言い回しが古くさいのも頷ける。


「だがあの子にとっちゃあ、ほんの十年かそこらだ。別に長生きしてるわけじゃあない。周りの時間があの子を置いてっちまうのさ。汚染を抱えている限り、あの子はこちらの世界の時間の流れでは生きられない。気付いたら孤児院の家族は大人になって独り立ちし、老いて死んでいる。だから寂しいのかねぇ、ああして向こうでもよく友達を作ってくるし、こちらでも家族や友人の繋がりを大切にするようになった」


 コルネリアは両手を擦り合わせ、それから両の手のひらをじっと見つめた。


「あたしももう長くはない。それまでに、あの子を何とかしてやりたいんだがねぇ」


 コルネリアがいなくなる――とはエルニカは考えた事もなかった。そういうこともあるのだと、今初めて気が付いた。


(婆さんがくたばる前に、王宮と繋がりを持たなきゃな――)


 しかしその考えに、ちくりと胸を刺す何かがあった。エルニカはそれを不思議に思った。その感情がどういうものか、エルニカには理解できていない。


「婆さんは殺しても死なないと思うけどね」

「そうなら良いがねぇ」

「ところで婆さん、計算が合わないんだけど。時間の長さが三十倍早いなら、アウローラにとっての十年は、こちらでの三百年じゃないか?」

「妖精郷に入り浸っているわけじゃあないからね。今のところ、一ヶ月に一度、長くてもこちらの時間で一週間程度の転地療養さ。何十倍も時間の流れの遅い妖精郷ばかりじゃないしねぇ」


 一ヶ月に一度――最近の妖精郷の出現する頻度と同じである。


(じゃあ、妖精郷頻出事件に関わっているのは、コルネリアじゃなくて――?)

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