第9話 鳥男/魔王

「えぇ、そういう噂は立ってますよ。あー先生、お昼ご飯はさっき食べたでしょう」


 案の定、カイはエドガーの世話で忙しかったが、ある意味暇だった。

 エドガーの工房は、ほとんど普通の民家だった。実験器具などはあまりない。部屋もよく整理されていてすっきりしているし、他の工房と違って窓もある。二階建てで、何なら通りから部屋の中が見える。

 特徴と言えば尋常でない量の蔵書や資料で、棚が倒れてきたらカイもエドガーも圧死することは間違いない。書棚は、万が一見咎められたときのために二重になっている。魔術関係のものは奥の棚にあり、手前には哲学書が並んでいた。こんなに本があって、床は抜けないのか、エルニカはいつも心配になる。


「でもね、僕は思うんですよ。噂を広めているのは主に隠秘学派オカルトゥスの人達なんですけどね、彼らって世界の真理、つまり真実の中の真実を探求してる訳じゃないですか。そういう人たちが噂に乗っかったり、噂を広めたりするのはどうなんですかね。自分の目で確かめてもいないのに、言いふらすのは彼らの信条に反しないんですかね? なんですか先生。お昼ご飯は今準備してるんで、もうちょっと待って下さいね。ああ、妖精郷への入り口がよく開くようになったのは本当ですよ、ライールさんが真っ先に調査に行きましたから。あの人は汚染に強いそうなんで、しょっちゅう妖精郷に行ってますよ。他の迷仔ワンダラーズの人達もほとんど行ってます。真理派の人たちも結構行ってるんじゃないかな。だからね、そんなに魔術師が出入りしてるのに、『現場にはいつもコルネリアがいる』とかって、それ毎回目撃してるあなた達も同じくらい現場にいるでしょって」


 カイはまともに話の通じる人間に会えると嬉しいようで、エルニカが訪ねると、話が止まらなくなる。亭主の留守中に井戸端会議をする女房連中のようであった。


「先生、そっち行っちゃだめです、そこに妖精はいませんから、少なくとも僕には見えません。え、僕? 妖精郷に? 行きませんよ、汚染怖いですし。僕まで知性に汚染を受けたらこの家どうなるんですか、二人でお互いにお昼ご飯要求しあって餓死ですよ。僕は精々、妖精郷から出てきた世俗の人を見に行っただけで。ホワイトフライアーズアルセイシアのカルメル修道会って所で。いや、どうもその人お尋ね者だったそうで。その修道会、お尋ね者を匿ってくれるって裏じゃ有名らしいですね、おっかなかったですよ、僕は善良な子羊なんで。魔術師ですけど」

「待ってくれ、アルセイシアに? 迷い込んだ人が出てきたって? どんな外見だい?」

「若い男でしたよ、僕と同じくらいかちょっと年下かな。短髪の赤毛で目が細くて。汚染で鳥の羽みたいなもので体半分覆われてて、人相は分かりませんでしたけど。なんか、兄貴兄貴ってうわごと言ってて。怖い人たちが見せ物にするって言ってましたけど、あれは処置しないと長くないですよ。いや、僕は知識はあるんですが、実践はからきしなんで、世俗の人にも出来そうなことだけ教えていきましたけど。すごい怪しまれたんで、やってないと思いますけど。いや先生、お気持ちはありがたいんですが、今の先生が行ったら僕よりもっと相手にされないです。もう少ししたら散歩に――名前? その人の名前まではちょっと分からないですけど。あれ、もう行っちゃうんですか。もうちょっとゆっくりしていっても――」


 その迷仔ワンダラーズは、ジョージではないのかと、エルニカは思った。自分が見捨てたことで、妖精郷で迷い続け、汚染されてしまったのではないか。

 エルニカに、後悔の念も懺悔の気持ちもなかった。もしその男がジョージであれば、自分を恨み、復讐しに来るかもしれない。であれば、対策を打つために確認する必要がある。それだけだ。

 それだけだ――と、少なくともエルニカ本人はそう思っている。





 ホワイトフライアーズは、ロンドンの市壁の外、西側の川岸の地域のことである。元々白服の修道士が修道院を構えていたことから、その名が付いた。貴族や高位聖職者の邸宅が並ぶ高級住宅街だが、それを狙う犯罪者も多い。別名、アルセイシアと呼ばれるこの地区は、実は犯罪者の巣窟でもあった。夕暮れ後には一人で歩きたくない場所である。カルメル修道会もそこにある。

既に日は陰りはじめ、夜の帳が下りようとしていた。

 カイの話では、汚染された人物は見せ物にされていると言う話だったが――果たして件の人物は、修道会近くの道端で、まさしくそうなっていた。小さな天幕テントに、『怪奇・鳥人間』という看板がかかっており、その前では、でっぷりとした腹で、口髭をはやした親爺が呼び込みをしている。


「さぁ、世にも奇妙な鳥人間! 話の種に一目どうかね! 旦那、お安くしときますよ?」


 男はエルニカに声をかけると、肩をつかんで天幕に引っ張り入れた。元々確認するつもりだったので、エルニカは素直に男に硬貨を渡した。同時に、男の腰にぶら下がっている巾着の紐をナイフで切り、かすめ取る。体に染み着いた自然な流れで、エルニカは代金より高い金額を手に入れた。男は全く気づいていない。

 天幕の中は暗くてよく見えない。エルニカの様子を見て、男は「蝋燭は別売りでして」と声をかけた。だろうな、とエルニカは追加料金を払った。見せ物小屋の常套手段だ。

 エルニカは男から受け取った蝋燭を鳥人間に近付ける。痩せこけた男が、薄暗がりにぼうっと浮かんだ。顔の左半分と、体の七割方を羽毛に覆われている。アウローラの鱗から出ていたような煙が、全身から出ていた。エルニカは煙を手で扇ぎ払い、目を凝らしてよく観察する。


(ジョージではない――ような気がするけど)


 人相はエルニカの知るジョージではない。体格も違う。ジョージより幾らか背が高い。だが、似ているような気もする。妖精郷での汚染が、肉体にどの程度の影響を与えるか分からないため、はっきりとした確証は得られなかった。

 ただ――アウローラやテオは、まだ汚染の進んでいない方なのだと言うことは分かった。全身の半分以上を汚染されたこの人物は、明らかに目が虚ろで意識は朦朧としており、なるほど確かに汚染が進むのは命の危機であると感じさせた。


「旦那、ここまで。後ろがつかえてますんでね」


 エルニカはテントから引っ張り出された。

 その刹那、鳥男は「あにき」と呟いた。

 それを聞いて、エルニカは咄嗟に見えざる手アポート/デポートを使った。

 何でも良いから、鳥男がジョージなのかそうでないのか、はっきりとした確証が欲しかった。

 テントから追い出されたエルニカの手には、羽が一枚だけ握られていた。





 翌日以降、エルニカは陰鬱な気分を引きずりながら、魔術師達の工房を回っていた。羽一枚では鳥男の正体を確かめられようはずもない。エルニカは羽を捨てることも出来ず、上着のポケットの中に入れたままにしていた。

 鳥男は何かできるような状態ではないし、鳥男がジョージであろうがなかろうが、脅威ではない。だが、鳥男がそうでないとしても、いつか妖精郷からジョージが帰還し、自分に復讐しに来るのでは――という疑念が生まれ、徒弟仕事に集中できないでいた。

もっとも、例の噂から、魔術師達はエルニカに対し輪をかけて冷淡な態度になるか、完全に門前払いするようになっていたので、どの道まともに講義を受けることは出来なかった。


「私の工房ではなく、妖精郷に入った方が君の鍛錬になるのでは?」


 と延々皮肉を言われたり、


「あたしに触れるんじゃないよ、あたしまで汚染されちまう!」

と目の前で扉を閉められる、等々。それどころか、

「憧憬の魔女は、過去の復讐のためにヘルメス院を転覆し、あれらの学院を復活させるつもりだ。そうはさせん、ここは我々魔術師マギが築き上げ、守り抜いた知の殿堂だ。魔女ウィッチどもにしてやられてなるものか!」


 と正義の旗を掲げて、魔女排斥の運動を起こそうという者までいた。

 一方、妖精派の面々は妖精郷の調査で忙しく、エルニカに魔術を教えるどころではなかった。

 そんな中でも、ヴァルプルギスの魔女に好意的か、中立の立場を取る魔術師も幾らかいて、教えに身の入らないエルニカを叱咤しながら色々と教えてくれる魔術師もいた。

 中でも若き達人アデプトである、エインリヒ・ホーエンハイムは、この期に及んでエルニカによく教えてくれた。偉大なる錬金術師であり『灰色の医師』と呼ばれたパラケルススを祖とする生粋の魔術師の家柄で、魔術師連合ウニオマグス内での地位も高い。パラケルスス――本名、テオフラストゥス・ボンバトゥス・アウレオールス・フォン・ホーエンハイム。鉛を金に変え、人を不老不死にするという『賢者の石ラピスフィロソフィカス』の錬成に成功し、魔術史に名を残している。当然エインリヒも錬金術師であり、工芸派に籍を置いている。しかしその研究は他派の流儀も取り入れたもので、『魔術師の新世代』にして『ヘルメス院の黄金世代』の一人と呼ばれている。

 エインリヒに限らず、工芸派に属する魔術師は、実験器具や工芸制作のための道具がどうしても多くなる。しかし彼の工房は、物の多さを感じさせないように整理されていた。蝋燭ではなく魔術で明かりを灯し、青白い光で部屋が照らされており、すっきりした印象を与えている。

 今は使われていない貴族の邸宅に陣取った彼の工房は、そもそも広さからして他の魔術師達の工房のゆうに二、三倍はある。その中に、貴金属や宝飾品を扱うような店が店先に品物を並べるかのように、洒落っ気たっぷりに実験器具が配置されている。量が多いのに詰め込まない。大量の物品を効率よく収納すると、実際にはそれぞれの物が取り出しづらくなって使いにくい。広いスペースをふんだんに使い、物品を動かすのに苦労しない程度にスペースを空け、どこに何があるか一目瞭然に陳列ディスプレイした方が、一覧性が高く使いやすい。工房の収納方法には、彼のマメな性格がよく現れていた。午前の早い時間、窓から射し込む光でそれらの棚はきらきらと光って見えた。手入れも行き届いている。

 エインリヒは魔術師の中では年若く、年齢の上下にあまりこだわらない男で、自分をエインと呼ばせていた。エルニカもそれほど肩肘張らずに接している。


「最近、奉公先の魔術師達に相手にされなくてさ。これじゃ学院に来た意味がない」

「全ての魔術師がお前をのけ者にしてるって訳でもないだろう。俺も含めて、まぁ全体の一割くらいは魔女に対して中立か、好意的な奴がいるはずだ」

「一割じゃあちっとも魔術が学べない。ただでさえつまらない講義が多いって言うのに」

「学問は繋がっている。自分にとってつまらんと思う事柄があれば、その事柄と、面白いと思う別の事柄との繋がりを考えればいい。そうすれば少しは興味もわく。まぁ、俺はつまらんと思う事は一切やらんがな。つまりエルニカ、お前はまず自分が面白がれる事を見つけるべきだ」

「魔術で面白いと思ってる事はあまりないな。エインはどうなんだい?」

「俺にとって世界は面白い事だらけだ。プラハのルドルフ院にユダヤ教の神秘主義を学びに行ったし、薬学や医術も興味深くて、フィレンツェの施薬修道院ものぞかせてもらった。どちらも金満権力者が金にものを言わせて自分の趣味で作った、比較的新しい学院だ。ルドルフ院は錬金術に強いし占星術も盛んだ。施薬修道院は生命魔術の中でも、人体の治療への応用が盛んだ。十二学派に捕らわれない、トチ狂っていて面白い所だぜ」


 エインは嬉々として語る。魔術の新しい潮流が好きなのだろう。


「ふん、興味ないって顔だな。それじゃあな、十二学派の中ではどれが一番面白いと思うんだ? 一通り教えてもらってるだろう。やっぱり妖精派か?」

「いや、あそこにはかなり世話になっているけれど、特に興味があるわけじゃないね」


 エルニカの答えはすぐに出てこなかった。隠秘学派オカルトゥスも、伝承学派トラディティオも、あまり面白いと思ったことはない。実利学派エクスセクティオは、王宮との繋がりを作るというエルニカの目的に最も近く、興味はある。しかし歌舞や音楽は得意でなく、それらを魔術に取り入れている外交派の魔術も苦手である。闘争派のように戦いに明け暮れたいわけでもないし、戒律派は魔女嫌いの急先鋒である。

 そうなると、消去法ではあるが――


「工芸派、かな」


 コルネリアに染織を教わっていることもあり、工芸派の魔術には少し親しみを感じる。それに、自分の手先の器用さが役に立つ。


「なら徹底的に工芸派に学べ。一を極めれば、自ずと他の事はついて来る。それに、俺を含め、工芸派は比較的魔女に好意的な魔術師が多い」

 得意なこと以外切り捨てるというのは、エルニカにもすんなり受け入れられる考え方だった。裏街道者として生き抜くには、一つの特技を磨き抜かなければならなかったのだ。それに、若手魔術師の中でも成功しているエインのやり方なら信頼性もある。

「なるほど、その考えは『面白い』ね。エインの他に、工芸を教えてくれそうな人はいるかい?」

「こだわりが強すぎて癖が強いが……俺も何度か煮え湯を飲まされたことがあるが……ゾーリンゲンなんかどうだ。腕だけは確かだ」

「あぁ、それは……」


 エルニカはゾーリンゲン工房から追い出しを食らった話を伝えた。


「そりゃ奴の完全な勘違いじゃないか。全く、単細胞のくせに人の話を聞きやしない。分かった、一筆書いて奴に送ってやる。それで誤解も解けるだろう。時にエルニカ……」


 エインは、書状をしたためながら、エルニカを一瞥もせずに言った。


「実際、なぜコルネリアの祭器ファクティキウスについて知りたいんだ? 魔術師であれば彼女の研究は蠱惑的だがな、お前はそういう段階じゃないと思うが」

「……別に、単なる興味さ」

「ならいいがな。その情報は高値で売れる・・・・・・んだぜ。魔術師にとっては研究の漏洩は万死に値する裏切りだ。刃傷沙汰になりかねない。先祖代々魔術師なんて輩――つまり俺みたいな奴にとっては、研究の達成は一族の悲願だ。裏切りの種類によっては『魔王』を生みかねない」


 エルニカからはエインの表情は伺えないが、その声には凄みが感じられた。


「魔王?」

「知らないのか。狂乱して正気を失い、魔術でこの世に害を成すようになった魔術師のことさ。大嵐とか大火災とそう変わらん――つまり一種の災害だ。人間にはどうしようもない。俺は一度見たことがあるがな、周りに累が及ぶどころじゃない、ほとんど根こそぎラジカルだ。魔王が出ればヘルメス院も討伐隊を出すが、ありゃ戦争だぜ――と、書き上がった」


 エインは手の中で書状を丸め、くるくる回すと、書状を消した・・・。まるで手品である。


「操魂派の召還術の応用だ。呼び出すんじゃなくて送り込む……どんな伝令より速いぜ。これでゾーリンゲンの所に行っても大丈夫だろ。俺の今日の講義は終わりだ。また来週来い。他で相手にされなきゃ俺付きの徒弟になっても構わんが……そういう事にはならんだろう」


 振り向いたエインは、いつもの澄ました笑顔だった。


「ありがとう、エイン」


 エルニカは荷物をまとめ、帰り支度を始める。


「じゃあな、エルニカ」


 ふと、エルニカは、帰る前に一つ、エインに聞いてみたいことが思い浮かんだ。彼になら、客観的な意見が聞けると思った。


「あのさ、僕は勿論そんな事は考えていないけど――エインは妖精郷の件、コルネリアが噛んでいるっていう噂についてどう思うかな?」


 エインは笑って答えた。


「あんなのは魔女の仕業じゃない。噂を流してる連中は、何とか魔女を追いやりたいのさ。魔女にそんなチマチマした計略が出来るかよ。彼女らは愚かだが、高潔で正しい」


 それを聞いて、なぜほっとしたのか、エルニカにはよく分からなかった。


(師匠がそんな問題を起こしているとなったら、自分も放逐されかねない。それだけさ)


 エルニカはそう思って納得したが、続くエインの言葉で眉を顰めざるを得なくなった。


「高潔で正しいが故に愚かな魔女は、だからこそしばしば間違える・・・・。それもちょっとやそっとの間違いじゃない、根こそぎラジカルだ。魔女がヘルメス院を転覆させたいなら一晩で終わるぜ。何せ歴史上単一の派として最も魔王を多く排出したのは、なんといっても彼女らなんだからな」

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