第8話 祭器《ファクティキウス》
エルニカがヘルメス院に戻るや、テオへの手みやげとしてコルネリアの魔術の結晶であるという鎧と宝石の話をすると、テオは興奮した顔で叫んだ。
「それは
テオは部屋の中をせわしなく歩き回り、ローブの裾で実験器具を倒した事にもまるで気づかない。あまりに興奮する彼を見て、エルニカは少し引いた。普段の温厚なイメージとは違う――いや、ある意味こちらの方がより『魔術師らしい』態度ではあったが。
「鎧を外殻として、内部の異界との境界として使っているのだろうか? 発動に必要な魔力はどうする、使用者から供給するのか――? エルニカ、その宝石は? どんな機能だと言っていたかね?」
急に近づいてきたテオの顔に、エルニカはぎょっとした。息がかかるほどの距離から離れようと、顔を背ける。どこか獣のような匂いがする。
コルネリアは、宝石に関しては詳しい話はしていなかった。エルニカが妖精郷に迷い込んだ際、何か不可思議なことをしていた気はするが、よく覚えていない。それに、テオの態度の豹変を見て、コルネリアの奥義という、彼女にとって重要な物事を教えるのに、抵抗を感じた。
「いえ、詳しいことは何も」
すっと熱が引き、テオはすとんと、糸が切れた人形のように椅子に座り込んだ。
「そうか。では、また何か分かったら教えてくれたまえ。特に、宝石に注意してくれると良い」
そう言うテオの態度は、いつもの穏やかな調子に戻っている。
あまりの変化の激しさに、エルニカは胸にわき上がった疑問を思わず口にした。
「あの――テオはなぜ、そんなにコルネリアの魔術の秘密が知りたいんですか?」
「魔術師ならば、魔術の奥義に触れてみたいと思うのは当然だ」
「いや、そうではなく、貴方の個人的な理由というか――」
テオは下を向き、表情を隠すように、エルニカから視線を外す。
「実は――今、妖精派の面々で調査していることがあってね。知っているかね、最近妖精郷が世俗に頻繁に出現しているのを」
知っているも何も、エルニカ自身それに巻き込まれている。そう言えばコルネリアが、ああいったことが最近多いと言っていたのを思い出した。
「極めて不可解なのだ。妖精派の研究記録の中でも、これほど頻繁に妖精郷が出現した例はない。通常は年に一、二度あるかどうかだが、ここ数ヶ月は月に一度現れている。しかも全く前兆がない」
テオの口調は、災害について語っているようでいて、どこか喜ばしいようでもあった。
「そこでコルネリアの研究だ。彼女の研究成果は、この事件を解決する鍵になると思われる」
「あの――ヘルメス院の妖精派の魔術師では解決できないんですか?」
「確かにそれが本来の在り方なのだが。私も劣等感情を抱いてしまうほど、コルネリアの研究は先進的でね」
「劣等感?」
「私とコルネリアの研究主題は、恐らく同じものか、かなり近しいもののはずだ。どちらも、異界、即ち妖精郷のような世界を人為的に作り出す事を目指している。ただ、その方法が異なる。恐らく彼女の方は直接的な方法――世界創造魔術で異界そのものを作り出してしまおうという試みだろう。対して私は間接的な方法――世界を
「違いがあまりよく分からないですが……」
「つまり、コルネリアはこの世界とは別の世界を作っているのに対し、私はこの世界を加工して異界を作ろうとしている。しかし私の方は、今の所上手くいっていない。であれば、上手くいっている方法を参考にした方が良い。魔術師としては、己の信じる方法が下策だというのは非常な屈辱だ。まぁ、そういう意味での劣等感情だね」
その理屈は、エルニカにも理解できた。しかしエルニカが聞きたかったのは、先程のように取り乱すほどに、切迫感を持っているのは何故か――と言うことだ。
「納得いかないようだね。もし仮に、妖精郷が今より頻繁に出現すると――こういう事になる」
テオはローブの裾をめくり、自分の足を露わにした。彼の両足には包帯が巻かれている。
「私の足は妖精郷で汚染された。汚染部位を見せてあげることは出来ないが――世俗の空気に触れると悪化するものでね」
アウローラと同じ、というわけだ。
「この包帯は特殊な編み方をしていてね、コルネリアに作ってもらった。私だけではない、妖精派には何人もの
エルニカは、自分が知らずに妖精郷に非常に近いところに踏み込んでいるのに驚いた。最初に妖精派を紹介されたのは、妖精郷に迷い込んだことがあるからなのだろうか?
「勿論、我々のような者を増やさないために、出現した妖精郷には素早く対処しなければならない。だがそれ以上に、これは我々の汚染を回復させるための研究を加速する好機なのだ」
「治る――んですか、その汚染は」
「分からない。だからこそ
それならば、テオの興奮の理由も納得できた。
しかしそれなら、あのコルネリアが自分の研究を隠すことはないのでは、とエルニカは違和感を覚えた。あの
「なるほど、ようやく納得しました。ところでテオ、僕がこれ以上『
「
◇◇◇
「
ヘルバルトは露骨に嫌な顔をした。
夏に差しかかろうとする最近では、炉を幾つも持つヘルバルトの工房は暑すぎた。四方を出口のない壁で覆われた広場は全体が日影になっており、昼の光が燦々と当たる外に比べれば幾分涼しかったが、熱した鉄の色を見るために、炉は薄暗い石造りの小屋の中にあるので、中は異様な熱気である。
「はい、教えていただけないかと」
エルニカは服を引っ張って空気を送り込みながら、かなり上等の笑顔を顔に貼り付けて懇願した。
「おめぇさん、そいつを作るにゃ一人前の魔術師にならねぇとな。まだ早ぇ早ぇ」
ヘルバルトは炉に薪を詰め、火を起こしながら、エルニカに一瞥もくれずに言った。
「いや、別に今すぐ作りたいわけではなくてですね、基礎知識として――」
エルニカは、ヘルバルト・ゾーリンゲンが苦手だった。
ヘルバルトは頑固な男で、魔術師と言うよりは鍛冶屋の親爺という印象だ。齢五十程の中堅魔術師で、白髪を短く刈り込んでいる。工芸による魔術の効果の固定化――特に鍛金、中でも刀剣鍛冶が専門だ。鉄を扱うだけに、体躯は年齢にしては鍛えられており、身長は低いながら、肩幅が広いので体が大きく見える。長い鍛冶仕事によって片目が潰れている。火をずっと見ていると、熱や火花にやられて失明することが多いという。おかげで人相がかなり悪い。
彼は市壁の中ではなく、
「僕は一日も早く一人前になりたいんです。『魔剣鍛ちのゾーリンゲン』に教わっているからには、いつかは
「僕も
「な、なかなか良い心がけじゃねぇか、うん、ごほん」
ヘルバルトはすっくと立ち上がると、エルニカを正面に見据えた。
「今日は鍛鉄の手伝いを通して、工芸品への魔術の篭め方を習わせる予定だったがよ、そこまで言うなら予定変更でぇ!
エルニカは内心、大喜びした。ヘルバルトの工房での下働きでは、炉の火で暑いわ、鉄を鍛えるハンマーは重いわで、これが本当に魔術の研究なのかと疑うほどの重労働なのだった。エルニカがヘルバルトを苦手としている原因の大部分はこれである。コルネリアに織物を教わっていた方がまだマシだったが、この男はフィーと同じ人種で、怠けるとすぐに拳が飛んでくるのだ。
「こっちに来な、
ヘルバルトは広場の真ん中にある地下への入り口の鉄扉を開けると、エルニカを誘った。地下道の床には更に隠し扉があり、倉庫になっている。暗がりの中、蝋燭の僅かな明かりでも分かるほど大量に保管されているそれを見て、エルニカは息をのんだ。
部屋の石壁には金具が取り付けられており、ゆうに百本を下らない刀剣が掛けてある。大小や装飾が様々なのはもちろん、刀身の形状も多彩である。蛇のように曲がりくねった剣、稲妻のような形をした剣、刀身が三本ある剣、他にも諸々……噂に聞く『ゾーリンゲンの魔剣』だ。
「いいか、例えばこの剣。フランベルジュってぇ剣だが、こいつぁ炎の魔剣になってる」
フランベルジュは、刀身が揺らめく炎のように曲がっており、その束は赤銅で出来ていた。装飾には、
「見りゃ分かるが、刀身そのものが炎の形を表してる。赤銅や石の色は炎の色だな。そりゃっ!」
ヘルバルトが剣を振るうと、その刀身から炎が吹き上がった。部屋が一瞬で照らし出され、剣の刀身の鈍い輝きや石宝石の煌めきが見えた。
「この通り、魔術を発動させるのに、詠唱も手印もいらねぇ。持ち主が魔力を通しゃいい。そりゃあな、この剣が一つの
「魔術の――式」
「物体がある『意味』を表してんだなぁ。魔術師は『概念』ってぇ言葉を使う。色々あるぜ、基本的な四大属性だと、『地』が
エルニカもイカサマ賭博によくトランプを使ったので、スートがその四つの器物に対応しているというのは聞いたことがあった。しかし、魔術に関係していることは知る由もなかった。
ヘルバルトはフランベルジュを頭上に掲げた。
「こいつぁ、簡単な魔術しか篭められてねぇが、
「つまり――大魔術用の
アウローラの鎧は、彼女の身を守るためのものだから、『鎧』である必要があったということか。ではあの石――リア・ファルはどうなのだろう?
「
「魔術の八属性ってとこか。地水火風の四大元素に加えて、命、魂、像、魔で八属だ」
「では、それが五層になっていたら?」
「五式だろうな。創造、知覚、変成、破壊、操作の、魔術の五大式だ」
「さっき、赤い色は炎を表すと言っていましたが――」
「赤だからって、何も火だけを表すわけじゃねぇ、他にも見立てようが――っておい」
ヘルバルトは言葉を切り、エルニカをいかがわしそうに睨み付けた。
「何を探ってやがる?」
魔剣の炎が消える。蝋燭明かりだけで照らされるヘルバルトの人相は凶悪だった。
「いや、何も探ってなんか――」
部屋に炎の熱気が残っており、エルニカの背中に汗が流れる。
「誤魔化すなよ、そいつぁコルネリアの
エルニカはどきりとした。ヘルバルトはコルネリアの
「おめぇさん、もっと自分の師匠の事は信用した方がいいぜ」
ヘルバルトは今や、不快感を露わにしていた。エルニカは、自分の質問が彼の機嫌を損ねた理由も、ヘルバルトの言葉の意味もよく分からなかった。
「おめぇさんも、あの下らねぇ噂を信じてるってぇわけか? コルネリアが自分の研究のために、わざと妖精郷の入り口を作りまくってるっつうアレを!」
初耳だった。いつの間にそんな噂が立っていたのかと、エルニカは驚いた。その手の噂は常に細大漏らさず耳をそばだてて聞いているはずなのだが。
「俺ぁ別に魔女の肩を持つ訳じゃねぇ、連中は確かに魔術師としちゃあ迷惑千万な奴らだ。だがよ、俺ぁ、あいつらは人としての筋は通して生きてると思ってらぁ。どこにも行き場のねぇガキどもを拾って育てるなんざ、見上げたもんじゃあねぇか、えぇ? そんな連中がよ、
「世俗の人間が――巻き込まれてるんですか?」
「そうよ。おめぇさん、そんな事をあのコルネリアがすると思うか?」
思わない――が、『そう思わない』理由を、エルニカ自身うまく説明できなかった。
「職人を見るにゃあ、その弟子を見ろってな。おめぇさんが俺を手伝う時の手つきを見りゃ分かる。要領がよくて丁寧だ。コルネリアは良い教え方をしてやがる。放っとくでもねぇ、構い過ぎてもいねぇ、それでいて必要なことは身に付けさせて、知らねぇ作業でも自分の頭で考えられるように仕込んでる。そんな婆がよ、やってもいねぇことで責められて良いわけがねぇ」
エルニカは、ヘルバルトの魔術師としての評価が高くない理由が分かった気がした。この男は考え方が世俗に近すぎる。コルネリアや、エルニカが世話になっている妖精派の面々に近い。魔術師らしい魔術師とは、もっと私利私欲のために他の全てを捨てているような連中だ。
「
そう言ってヘルバルトはエルニカを締め出した。地下通路の湿った空気が、重苦しい。
コルネリアの噂は、エルニカにとっては唐突な話題である。ヘルバルトには話を聞けそうにないし、他の魔術師に聞いたところで、コルネリアを罵って終わりになるのは目に見えていた。そうなると話を聞くべき人間で、今から訪ねても受け入れてくれそうな心当たりは一つしかない。
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