第10話 この結果にはむしろ本人の方が驚きだ

 



「――大体さー、いくら何でもゴブリンが多すぎると思うんだよ? いやマジで。こっちに来てからまともに顔を合わせたのがゴブリンだけって異世界どうなってるのさ! そこはケモミミ美少女とかまな板ツンデレエルフさんと仲良くなるフラグだろうが!」

「ゴギャァアアアァッッッ!!」


 納得がいかない。昨日からずっと右を見ても左を見てもブサイクなゴブリンばっか。ゴブゴブゴブゴブ鳴いているのだ。寄ってくんな! お前らとのフラグなんぞ要らん!

 上を見上げれば優奈が吹き飛ばしたゴブリンが宙を舞い、足元にもやはりゴブリンが埋まっている。うん、落とし穴ごと埋め立ててやってるんだよ。馬鹿だから穴を掘れば掘るだけ嵌ってくれるのだ。まれに別の馬鹿も嵌っているのはご愛嬌である。


 もはやゴブリン成分が飽和凝結し、物理法則を捻じ曲げて無からゴブリンが生まれかねない勢いだ。なんて迷惑な連中だろう。これだから空気の読めない奴は……って、おやー? どこからか盛大なブーメランが飛んできた気がするぞぉ?


 まあ、ともかく。そんなゴブリンどもを駆逐している俺はやはり正しいことが証明されてしまった。問題は駆除しても駆除しても無限に湧いてくることだ。

 もはやその繁殖力とくれば、どの家庭でも嫌われている黒くて素早いアレ並みである。本気でどこから発生しているんだか。一匹見たら三十匹はいるんだよ!


「つーわけで、さっさとゴブリンさんは経験値になってくれないかなー? いい加減くたばりやがれ? しぶといな?」

「ゴアァァアアアアアォアアッッッ!!」


 ダメらしい。と言うかオコなの?


 爆砕。眼前を大質量の物質が空間を砕きながら轟音を立てて通り過ぎる。その余波で枯葉のように吹き飛ばされつつも、ギリギリのところで体勢を立て直しながらそいつに向き直った。


 ゴブリンだ。まごうことなくゴブリンである。

 ただし、二メートル以上ある体躯に、全身がいわおのような筋肉に包まれた非常に暑苦しいマッシヴなゴブリンではあるが。成長期なのかな?


 まあ、実は先程からちょくちょくと剣やら槍を持っていたり、やけに体格がいいゴブリンも混じっていたのだが、どいつも揃ってお馬鹿な顔をしたお馬鹿さんだったのでイマイチ違いが判らなかったのだ。

 うん、だって皆落とし穴に嵌ったし? もしかしたらあれでもエリートさんだったのかもしれない。馬鹿だったけど?


「ガアァァアアアッッッ!!!」

「うおっと!? あっぶ!」


 身を翻す。最短距離で振り下ろされる戦斧が、数瞬前まで俺が立っていた地面に突き刺さる。と言うか派手にかち割る。


 どうにも話が通じないようで、いきなり現れては襲い掛かって来たこいつは、この付近一帯のゴブリンのボスのようだ。全く心当たりはないが、最初から憤怒と憎悪に染まった眼で一心に俺を叩き潰そうと迫ってくる。不思議なこともあるものだ。

 きっと悲しいすれ違いがあるのだろう。だって初対面だし? そもそも品行方正で心の清らかな俺が誰かから恨まれることなんてあるはずがないし?


 しかし面倒臭い。ボスらしく咆哮で周囲のゴブリンを統率しだしたこいつは、手下どもを優奈にぶつけて俺から引き離そうとしている。明らかな分離工作、明らかな足止めである。


 何よりその武器、何処から調達したかは知らないけど鉄製の斧とかふざけてるわけ? こっちは未だに石製なんだよ! 石器時代なんだよ! 馬鹿の癖に生意気に鉄器とか使ってんじゃねぇ!


 まったく冗談じゃない。ただでさえ見た目に違わぬ馬鹿力だというのに、武器の性能差も相まって打ち合う事すらできないのだ。掠っただけでも砕かれるのだ。

 はぁ~、失敗した。エリートゴブリンから幾つか回収していた鉄製武器は全部まとめて優奈に強奪されているし。その本人は脳筋同士で気が合ったのかゴブリンたちと遊んでるし。


「なんでお前がキレてるかは知らないがな、俺だってマジオコなんだよ! 激おこプンプンムカ着火ファイアだよ! SNSが炎上したなら煽ってやんよ!」


 魔力を放出して空気中に拡散させる。それを通して把握した四大元素の分布を錬金術によって『火』に偏らせて炎を起こす。ゴウと巻き上がった焔を、続けて『風』の元素置換で起こした突風に乗せれば、渦を巻いてボスゴブの全身に絡みつく。


 これが人相手ならば、全身火傷と呼吸困難による酸素不足で即お陀仏だろうが……わかってる、所詮目くらましだ。だって未だ聞こえる咆哮には微塵の痛痒も感じられない。


 どうも一定以上のランクの魔物は、物理的な現象に耐性を得ているみたいだ。おそらくはその魔力が鎧のように身体を保護しているのだろう。肉体的な強度以上に頑丈で、ただ斬ったり突いたり殴ったりするだけでは効果が薄い。

 対処法としてはこちらも魔力を込めた攻撃で相手の魔力を貫くか、耐性ごとぶち抜くくらいの威力を叩きつけるかだ。


 大地に魔力を通す。ひび割れて柄だけになった石剣『えくすかりばぁMk-4』を放り捨て、新たに『えくすかりばぁMk-5』を生み出した。命名は適当だ!


「ゴアァアァァアアア!」


 振り払われた炎の幕の向こう側から、軽く表皮を焦がしただけのボスゴブが姿を現す。そのステータスの高さを遺憾なく発揮し、まさしくダンプカーのような勢いで突っ込んできた。

 当然、そんなものをか弱い男子高校生が正面から迎え撃てるわけがない。回避一択だ。むしろそれしか出来ない。


 地面を強く踏みしめて右方へと回り込むように跳ぶ。水平に飛んできた戦斧の一閃を身を屈めて潜り抜けたところで反転、一歩踏み込みながら魔力を切っ先に込めて石剣をその土手っ腹に突きこむ……が、固いな?


 間違いなく誤解の余地なく狂いなく横腹に当たったはずの刺突は、まるで分厚いタイヤを殴ったかのような手応えを返してきた。咄嗟に腕を引いて後ろに下がれば、豪快な風切り音と共に膝が鼻先を通り過ぎた。


「ないわー、まじないわー。ガチでドン引きだわー」


 距離を開けつつ、そのあまりの頑丈さに嫌気が差す。ついでに穴を掘って落としておいたが、どうせすぐに抜け出してくるだろう。地味に落とし穴無双である。

 ギリギリで外皮を貫いた感触はあった。けれどその下の筋肉に阻まれたみたいだ。ボディビルダーも真っ青のマッスルである。何喰って育ったらそんな風になるんだか。


 ついさっき作ったばかりの石剣に視線を落とせば、早くも刃先が潰れて割れていた。


「これって割とヤバい? 馬鹿は相変わらずゴブリンと戯れてるし……って言うか見分けがつかないな?」


 実は結構なピンチだった。ステータスでは圧倒的に上回られていて、武器もあっちの方が高性能だ。

 魔力の鎧はこちらも魔力を集中すればギリギリで抜けるみたいだが、純粋な肉体強度でそれ以上のダメージを防がれる。そして魔力量が少ない俺は、先程の攻撃を何十回も繰り返すだけの余裕がない。


 幸いにも相手の動きは力任せで単調だから避けやすいが、今は良くてもいつまでも躱し続けられるわけじゃない。何より耐久Vitは向こうの方が上なのだから、持久戦など緩やかな自殺と変わらない。そして死んでも【暗黒魔法】は使いたくないっ!


 うん、詰んだ?





 ………………。





「はぁ」


 全身から力が抜け落ちた。手のひらから石剣が滑り落ち、カランと地面に転がる。


 勝てない。勝てるはずがない。


 負ける。


 このままじゃ、負ける。




 そして、死ぬ。




 慈悲なく殺される。


 容赦なく殺される。


 酌量の余地もなく殺される。



 そんな自分の姿はありありと想像できた。むしろ今までそうなっていなかった方がおかしいのだ。無力な一般人が異世界に放り込まれて、無事に過ごせる方がどうかしている。これまでがどうかしていた。

 だから死ねと。ここで殺されておけと。そうなるのが当然なのだからと。諦めてすべてを投げ捨てて大人しく現実を受け入れろと、運命とやらが囁いてくる。


 それは――


「――うん、すっげームカつくわ」


 息を吐く。思考を切り替えるよう、スイッチを押し込むように。


 ならば諦めよう。無傷での勝利を。

 ならば投げ捨てよう。常識やら固定観念やらその他諸々を。

 ならば現実を受け入れよう。その上で悲劇の運命なんて笑って踏みつぶしてやる。


「うっすらと察してたけど、やっぱり俺って真正面から戦えるようなステータスしてなかったわ。うん、なんでこれまで真面目にガチンコしてたんだろうね?」

「ゴガアァアアアアアッッ!!」


 土塗れになった太い腕が地面を突き破って飛び出してきた。血走った眼をした顔が這い上がり、汚らしい唾を撒き散らしながら吼える。随分とお怒りのようだ、カルシウムが足りてないのだろうか? まあ樹海だし? 小魚は手に入らないだろう。


 結局、俺に出来ることなんて手持ちの札を組み合わせて捏ね繰り回して誤魔化すくらいだ。だってそれが錬金術師って職業の本分だろう?


 ボスゴブが突進してくる。迷いも躊躇も逡巡も尻込みもなしに、ただ怒りに任せて戦斧を振りかぶり振り下ろしてきた。


 ――僅かに身を引く。それだけでいい。半身になった肩のスレスレを刃が豪風を伴って過ぎ去っていく。

 当たらない。けれど質量に伴う衝撃によって身体が揺れる。半歩だけ押し返される。


 次、人外の膂力によって無理やりに軌道を捻じ曲げられた刃が、跳ね上がるように迫ってくる。


 ――少しだけ上体を逸らしながら一歩前に出た。充分だ。今度は風圧さえも考慮して最低限ギリギリの領域を攻めていく。

 凌いだ。前髪が派手に煽られるが重心はブレていない。


 間近に迫ったボスゴブがあり得ないものでも見たように眦を開く。あり得なくないよ、だって【料理】さんが教えてくれてるんだから。人体そざいの構造と仕組みを、この上なく的確に理解させてくれる。

 関節の可動域を、筋肉の収縮を、どこにどれだけの力がかかってどのように動くのかを、未来予知の如く正確に見抜いてくれる。だから躱せる。あらかじめ知っているから。ついでに【気配察知】さんも頑張ってくれてるのかな?


 そしてこれだけ近づければ、残り少ない魔力を最大限に活用できる。

 体内からことごとく絞り出した魔力を【魔力操作】によって操る。さながらイナゴの大軍がすべてを貪り喰らうように、ボスゴブの魔力を強引に食い散らかしてその身体に浸透する。


 生物の身体は複雑だ。ゆえにそれらを構成する要素も膨大になるから、普通は元素置換なんて出来ない。読み取るべき量が多すぎる。

 うん、【速読】だ。無理やりに読み込んで詰め込む。脳の神経回路が焼け落ちかねないレベルで夥しい情報が濁流の如く押し寄せて意識がはじけ飛びそうになる。せっかく取得した情報が抜け落ちかける。


 だからこその【記憶術】である。本来ならば保持できるはずもない情報量を強引に脳裏に焼き付ける。鼻血出そう。眼球の裏側が熱くなる。チカチカと視界が万華鏡のように瞬く。


 けれど、これでようやく準備が整った。


「まあ燃えろ? 燃えて燃えて灰すら残さず燃え尽きろ? 炎となれ?」


 ――【錬金術】。ボスゴブを構成していたすべての元素を『火』へと変換する。


 どれほど強固で、どれほど堅固で、どれほど頑丈で、どれほど頑強で、どれほど強靭だろうと関係ない。何故ならそれらの特性すべてを突き抜けて物質を炎という現象に変えるのだから。即死技だ。


 断末魔すら残さず、人型の熱エネルギーとなったボスゴブの残滓が消えていく。数秒足らずの軌跡となって世界から消滅する。


「…………勝った? まあバグに近い技だけど勝ちは勝ち?」


 危なかった。薄氷を踏む紙一重の瀬戸際をすんでのところで渡り切った。一寸先は闇どころか死亡確定? ギリギリだな。

 きっとスキルの方だってこんな使い方は想定外だったろう。かなり強引に拡大解釈して拡張通釈してなんとか適用した。そして通用した。


 けど……これ、二度とやりたくないわ。


 がくりと膝から崩れ落ちる。勢いよく顔面が地面に打ち付けられるが、痛みすら感じない。感覚がない。ただ煮え滾る程の熱が頭の中に篭っていることだけが理解できた。

 目の前が漂白されて黒く沈んでいる。赤と緑の光が交互に切り替わってブツリと途切れたのが最後に覚えている光景だった。



 

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