第3話 何故なら彼は空気を読めない
ペチペチと頬を叩かれる。力のこもっていない撫でるような叩き方。何度も繰り返される感触に目を開ければ、そこには見慣れた馬鹿の顔があった。
うん、不本意ながら今ではおそらく親の顔より見た相手だろう。どうして神はこいつを俺の幼馴染にしたのか、胸ぐらをつかんで小一時間ほど問い詰めてやりたい。例え致し方ない事情があったとしても吐くまで腹パンぶち込んでやりたい。
「おーい、りーくーん? 起きてるー? 起きてるよねー? なんで不機嫌そうなのー? あとどうして反応してくれないのー?」
ペチペチぺチペチペチペチペチ――っ、と。
いかにもアホっぽい顔の馬鹿が呆けたような表情で愚かにも俺の顔を叩いてくる。もしも俺が不機嫌そうに見えたのなら、その九割九分九厘はお前が原因だよ。
クリクリと丸いパッチリした小動物染みた瞳に、チョンと可愛らしく突き出た鼻立ちと淡い桜色の唇。髪はショートのサイドテールで、今も俺を叩き続けている手はプニプニと小さく柔らかい。
あまりにも成長不良な身体に合わせて特注された制服を着た姿は、贔屓目に見ても小学生がコスプレしているようにしか見えなかった。
名前を
だがその実態は、今年で十七歳になる俺と同い年の立派な高校二年生だ。
ゆえに
「みぎゃぎゃぎゃぎゃーぁっ!? ちょ、なんで寝起きのアイアンクロー!?」
「うっさい黙れ、お前だって起きて目の前に小蠅が飛んでたら不快だろうが」
「虫と同じ扱いなの私!?」
ショックを受けたかのように目と口を大きく開いた優奈。思わずハバネロでも放り込んでやりたくなるほどの芸術的な間抜け面だった。きっと感涙にむせび泣いてくれることだろう。
「つか、いい加減俺の上からどけよ。ちっこいのに重いんだよ、なんで馬鹿の癖に重力に喧嘩売ってんの? あっ、むしろ馬鹿だから喧嘩を売るのか」
「ちょっ、重くないし! あとちっこくもないから!」
憤慨したように柳眉を逆立てて優奈が反論してくるが、クラスでも『ちっこいの』とか『ちっちゃい子』って言えばほぼ間違いなく通じるんだよ? 他クラスどころか他学年の生徒相手でも半々の確率で通じちゃうんだよ? お前よくそんな見た目で進級できたな?
大体、仮にも曲がりなりにも微粒子を過ぎ去って素粒子レベルでも華の女子高校生の可能性が微塵に微妙に存在していたりしていなかったりする奴が、男子高校生に馬乗りになってんじゃねぇよ。小学生でももう少し恥じらいがあるわ。
まったくもう、などとブツブツ文句を呟きながら、仰向けに倒れていた俺の上から降りる馬鹿が一匹。不満を口にしたいのはこっちだっての。
身体を起こしながら周囲を確認する。半ば確信をもって予想していた通り、どうやらここは俺たちが授業を受けていた教室などではなく、どこぞの得体の知れぬ森の中らしい。
鬱蒼と暗緑色の枝葉を茂らせ影を落とす、樹齢何百年かもわからない樹々の群れ。太陽の日差しは漂う深い濃霧に阻まれ、ぼんやりとした影と輪郭のみが不気味に浮き上がっている。
地面は
そんな中で、ちょうどぽっかりと広場のように樹々が開けた場所に、俺たちを含めたクラスメイト達は集まっているようだ。
いやまあ、集まっていると言うか、集められたと言うか。本人たちの意思を無視して連れてこられたのは、今も紛糾している彼らの様子を見れば一目瞭然だろうけど。
そしてそれだけの人数がいるのだ。どれほど優秀な人間がいたとしても、俺が目を覚ますまでの短時間で集団として機能できるまでにまとまっているはずもない。まとめられるはずがないのだ。
誰かが興奮しながら言った、これは異世界召喚だと。
誰かが悲鳴と共に否定した、そんな馬鹿な話があるかと。
誰かが怒りも露わに叫んだ、どうでもいいから誰か何とかしろと。
誰かが悲痛な声で懇願した、早く学校に戻してと。
「なーにやってんだか、あいつら」
「酷い有様だよねー、こんな状況で喧嘩するなんて」
「まったくだ。こんな馬鹿にでもわかることなのにな」
「うんうんそうそ……ナチュラルに貶された!?」
思わず呆れながらにため息を吐けば、隣で優奈が知ったような顔で頷きながら同意する。途中で愕然とした顔でこっちを見上げてきた気もしたが、きっと馬鹿だから俺の言葉が理解できなかったのだろう。
どこをどう考えても、現状は非常事態すら綺麗に通り越して異常事態だ。非情ではあるかもしれないが。
そんな状況で愉快に仲間割れとか、お前らもうちょっと危機感持とうぜ。
一応、そんな彼らを宥めすかして何とかまとめようと尽力している者もいないではない。女子のクラス委員長とか、男子の中でも中心的な運動部連中のリーダーとか。
ちなみに男子側の委員長は駄目だ。突飛すぎる突発的な現実を受け入れられずに思考停止している。まあ、人望があるから頼られるっていうよりは、都合よく面倒ごとを押し付けられるポジションだからな、あいつ。やはり所詮はメガネか。
「ねーねー、りーくん。それでどうするの?」
「どうするって、お前はどうするつもりなんだよ」
「りーくんと一緒にいればどうにかなるんじゃないの?」
優奈が小首を傾げながら尋ねてきた。その動きに合わせてピョコンと短いサイドテールが揺れる。
上目遣いと言いその仕草と言いあざといな、流石は数々の
なお余談だが、これまでこいつに告白してきた連中は軒並み玉砕している。二重の意味で救いがない奴らだった。
そして、それでも諦めきれずにストーカー化した一部の輩は、今度は物理的に
つか、迷わず判断丸投げしてきやがった。馬鹿だから考えてもロクなことにならないだろうけど、いっそ清々しいまでに脳死してやがる。この脳筋め。
まあそれはいい。いや良くないけど、いつものことと言えばいつものことだ。こういう時は大体が俺が苦労して骨を折るハメになる。俺の
馬鹿と
ともあれ、こんな事態に陥り、こんな状況で、こんな光景を見てしまえば腹も括れるし決まるってものだ。
否、そもそも考える必要性すらない。すでに悩むまでもなく俺の初動は決定づけられているのだから。
思案も思索も思慮も思考も熟考も選考も一考も、その事実の前には一切合切が無意味だ。
うん、だって俺って自分勝手なんだし? 空気読めないんだよ?
「とりあえず、これからの事はこいつらから離れてから考えようか」
「ラジャー、だよ!」
俺たちはまだクラスメイト達が事態を把握しきれていない中、こっそりと見つからないようにその場から抜けだすのだった。ある意味では二人っきりの逃避行と言えなくもない? ……地獄かな?
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