2.五年後
「いつから犬飼ってるんだ?」
久しぶりに顔を見せたレオンはジゼルに聞いた。レオンはジゼルの兄弟子だ。いろいろな国を旅してまわっていて、ときどきジゼルの家を訪れた。しかし、五年も間が空いたのは初めてだった。最後に来たのはちょうどジャンがやってくる直前だったから、ジャンとは初めて会う。
「ん? 犬じゃないな……」
「そうなのよ。それがねぇ」
ジゼルはレオンにお茶を勧め、次第を話し出した。
開け放ったドアから、庭の様子が見える。ジャンは、レオンの連れの黒豹から守るようにニコラの前に立ちはだかっている。それをあっさり押しのけて、黒豹の首に抱き付くニコラ。勝ち誇ったように胸を張る黒豹。悔しそうに地面を蹴るジャンは、犬らしい振る舞いも板についている。ニコラはいまだにジャンを犬だと思っているようだった。呪いの気配を感じられないのは、魔女としてまだまだだ。
本来が人間のせいなのか、ジャンの成長速度は普通の犬とは違っていた。五年経って十五歳になったジャンはやっと成犬の大きさになった。呪いの解除も半分が終わり、そろそろ何らかの効果が表れてもおかしくない。
「相変わらずお人よしだな、ジゼルは」
話し終えるとレオンは苦笑した。
「押しつけられたのよ」
ジゼルは片手を振って否定した。
「それよりも、あなたは五年もどうしてたの?」
「聞きたい?」
レオンは魔法でドアを閉めると、素早くジゼルの両手を握った。ジゼルが引き抜こうとしても叶わない。
「こういうのはやめてっていつも言ってるでしょ」
「いつまで出て行った男に義理立てする気なんだ?」
「別にそういうんじゃなくて」
「まだ愛してる?」
「………」
ジゼルは言葉に詰まって、レオンを睨む。
続けて何か言おうと、レオンが口を開いたとき、バンッと大きな音を立ててドアが開いた。慌ててレオンはジゼルから手を離し、二人はドアを振り返った。
駆け込んできたニコラがレオンの手を引く。
「レオンおじさん、旅のお話聞かせて?」
少し首を傾げて笑顔を見せるニコラは、親のひいき目を考えても、最上級にかわいらしかった。子どもの時分は危ないから森から出ないように言いつけていたけれど、成長してからはますます出せなくなった。まだ少女の域だけれど、あと何年かしたら求婚者が殺到するに違いない。
「ね? いいでしょ?」
「ニコラも相変わらずだな」
レオンが仕方ないといった口調で立ち上がるのを、ジゼルは引き寄せて囁いた。
「ニコラが懐いてるからって、おかしなことしないでよ?」
「するわけないだろ。それにニコラは俺に懐いているわけじゃない」
ジゼルが怪訝な顔をすると、レオンはにやりと笑って、ちゃっかりジゼルの頬に口付けた。
「ちょっとっ!」
「レオンおじさん、早く!」
ジゼルがどなるのと、ニコラがレオンを強く引くのが同時で、レオンは「君たち親子は全く変わらないね」と楽しそうに笑った。
ジャンはずっとニコラの足元で不安げに行ったり来たりしていた。
その夜。
寒さで目が覚めたジャンは、くしゃみをして、自分が人間に戻っていることに気づいた。
呪いが解ける兆候が表れるだろうとジゼルが言っていたのはこのことだったのだ。
犬になる直前に着ていた服を、人間に戻ったときにそのまま着ている仕組みらしい。ジゼルが解呪の魔法をかけるたびに成長に合わせた服を用意してくれていたおかげで、服が破れる心配はなかった。ニコラに対する甘い態度とは全く違い、ジャンには冷たいジゼルだけれど、根本的にはとても親切だった。
ニコラのたっての希望で、ジャンの寝床は彼女の部屋の隅に作られていた。そっと起き上がり、ベッドに近寄る。
ニコラはぐっすり寝ていた。
薄いカーテンを通して、月光がほんのりとニコラの横顔を照らす。艶やかな黒髪が薔薇色の頬を縁取って、枕に広がっている。小さな肩が呼吸に合わせて上下していた。
犬の姿でときどきそうしていたように、ジャンはしばらくニコラを眺めていた。
昼間はいつもよりニコラの顔を見ることができなかった。ニコラがレオンにつきまとっていたからだ。
レオンはしばらく滞在するらしく、客間に泊まっている。
ニコラはレオンが好きなんだろうか。
「ニコラ……」
無意識に手が伸びる。薄く開いた唇に指が触れる寸前、長い睫が震え、ぱちっとニコラが目を開けた。ジャンは固まる。
「あ、……」
何か言わなくてはと思った瞬間に、視界が変わった。犬になったのだ。
ベッドに前足を乗せてニコラの様子を見る。
「なんだ、ジャンだったの……。もう寝なさい……」
半分寝ている声音でそう言って、ニコラはあっさり目を閉じた。
夢だと思ってくれたらいい。そう思いながら同時に、自分の存在に気づいてほしいとも思った。
早く呪いが解けたらいいのにと思うのに、人間に戻ってからもニコラと一緒にいられるのかわからず、それなら一生犬のままでもいいと考えることもあった。
自分の気持ちが分からず、日を追うごとにジャンの戸惑いは大きくなる。
ため息を吐くと、それがいかにも人間くさく、ジャンは軽く身震いした。
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