(元)小さな魔女の(元)小さな家来
葉原あきよ
1.最初の年
「ママー! 見て見て見て、わんこ拾ったの!」
帰ってきたニコラは両腕に茶色の子犬を抱えていた。
――子犬?
ニコラの母で、魔女の師匠でもあるジゼルは首を傾げる。
じっと見つめると、子犬は縋るようにジゼルを見上げた。
「どこで見つけたの?」
「湖の近く」
「湖? 神殿遺跡の方の?」
ジゼルが眉を寄せると、子犬はすうっと視線を逸らした。
「飼っていいでしょ?」
ニコラが無邪気な笑顔で聞く。子犬といえども、まだ小さいニコラの細腕には余るようで、びよんと伸びた体が窮屈そうだ。しっぽの先は地面に付いて土埃に汚れていた。ジゼルはニコラから子犬を取り上げると、愛しいわが子の頭を撫でた。
「かわいいニコラの頼みだから聞いてあげたいんだけどねぇ。これは、本当に犬かしらね?」
ジゼルが目の前に持ち上げると、子犬は澄ました顔で斜め上を見た。どう考えても怪しい。
「犬じゃなかったら? 狼?」
「うーん、もしかしたらそうかもしれないわね」
「狼でもいいでしょ? レオンおじさんなんて黒豹を連れてるじゃない。私も家来が欲しいの」
詰め寄るニコラの頬を摘まんで、ジゼルはにっこりと微笑む。
「ママが確かめてみるから、ニコラは手洗って着替えてきなさい」
不安げにジゼルと子犬を見比べてから、ニコラは大人しくうなずいた。
ニコラが奥の部屋に入るのを見届けると、ジゼルは子犬を掴んでいた手をぱっと離した。子犬はべしっと床に落ちる、かと思いきや、華麗に着地した。ジゼルは人が変わったような険悪な顔でそれを睨み、舌打ちをする。
「ちっ、小僧が」
子犬は耳を伏せて、ジゼルをびくびくと見上げた。
ジゼルはベルトに差してあった木の枝でできた短い杖を取り、子犬に向かって振る。ぽわんと気の抜けた音がして煙が上がると、そこには子犬の代わりに少年がいた。ニコラと同じく十歳くらいだろう。尻餅をついた姿勢で自分の身体を見回している彼の顔をジゼルは知っていた。森に一番近い村の村長の息子だ。
「わ、戻った! すげぇ!」
「一瞬だけよ」
「え?」
「全くもうっ! 神殿遺跡の奥宮には古代の呪いが残ってるから近づくなって親に教わらなかったの?」
昨夜、遺跡の方で魔法が発動した気配がしたから気になっていたのだ。
「禁止されると行ってみたくなるっていうか……」
「なんですって?」
「ごめんなさい、二度と近づきません! 森の魔女ジゼルさん、じゃなくて、ジゼル様ならなんとかしてくれるかもって思ったんですけど……」
「はああああ、あーあ。面倒だわ……」
大きなため息を吐くジゼルを、少年は両手で拝む。
「お願いします!」
「まぁねぇ。あんたんちには世話になってるし、助けてやるのはやぶさかではないのよ」
「やぶさか?」
「でもね、時間がかかるの。年に一度ずつ、十年かけて呪いを解かないとならないの」
「え、じゃあ、十年ずっとニコラに飼ってもらえるのか!」
「何言ってるの? 家に帰すに決まってるじゃない」
「嫌だ! ニコラに飼われたい!」
「飼われたいって、あんた……大丈夫? 確かにニコラは天使もかくやってほどのかわいさだけど」
「かくや?」
時間切れだった。
ぽわんと再び気の抜けた音がして煙が上がると、少年は子犬に戻っていた。
そこでちょうど良いタイミングで、ドアを蹴り飛ばす勢いでニコラが戻ってきた。
「ママ! どうだった? 犬? それとも狼?」
「そうねぇ」
ジゼルはニコラにふんわりと春風のような笑顔を向ける。それから、子犬を非情なまなざしで見下ろした。子犬は、ニコラには本当のことを言わないでと目で訴えていた。ジゼルは仕方なく、
「犬だったわ」
「ほんと! それじゃあ飼っていいでしょう?」
「だーめ! 元の飼い主がいるのよ。ママが返してくるから」
「えっ! そうなの?」
ニコラは子犬の前にしゃがんで尋ねた。首を横に振ろうとしていた子犬は、ニコラの背後に仁王立ちするジゼルに気づくと慌ててうなずいた。「呪いを解くのは誰だと思ってるの?」という無言の声が聞こえたのかもしれない。
「そっか……残念……」
がっかりするニコラに土産を買ってくる約束をして、ジゼルは子犬を連れて村に向かった。
――そして、数刻ののち。
森に戻ってきたジゼルは、やっぱり子犬を連れていた。
約束を破ったことに激怒した少年の母親が「ジゼルさんのところでこき使ってもらいなさい!」と言い、ジゼルがいくら断っても聞かず、しまいには「生活費も払いますから、どうか」と懇願され、結局ジゼルは呪いが解けるまで少年を下宿させる約束をさせられてしまったのだ。
「ジャン、わかってるわね?」
家への道中、ジゼルは子犬の姿をした少年に釘を刺す。
「ニコラに何かしたら、引きちぎるからね?」
ジャンが今話せたとして、「何を?」と聞いたかどうか。
ぶるぶると全身を震わせ、ジャンは必死で何度もうなずいていた。
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