信秀不予と織田家の不安要素

 喜六郎と本多家の縁談を尾張に報告しようとしたとき、早馬が着いた。信秀様が倒れられたとの報である。

 岡崎は弥八郎と正重に任せ、平八郎に一隊を率いさせて清須へ急行した。兵を率いたのはお家騒動を警戒しての事である。小牧山から吉殿が一隊を率いて清須に入っていた。家中には混乱は見られない。理由はすでに信秀様は意識を回復し、現状では命に別状はないとの診断が下されていたからだった。


「心配をかけたようだな」

「ふん、我に断りもなく死んではいかん。親父にはまだやることが残されておるぞ」

「ふふ、あのうつけがいっぱしの口をきくようになりくさった。それだけでも育てた甲斐があると言うものよ」

 吉殿の耳は真っ赤である。それに気づいたのは俺と帰蝶殿だけのようで、帰蝶殿は袖で口元を隠しながらくすくすと笑っていた。無事だったから笑ってられるということだな。

 それにしても今の織田家はいまだ危いことが分かった。今川の圧力が消え、北伊勢に手を伸ばしている。美濃とも和睦が成立し、尾張はまとまっている。そう思っていたが、声望という点ではまだ吉殿は信秀様に及ばない。

 吉殿自身の実績ではあるのだが、いまだ親の七光りと見る向きもあるということだ。織田の連枝衆はいまだ独自の勢力を持つものも多い。今の成果を家督相続の混乱に乗じてかすめ取ろうとする向きがあったということだ。

 とはいえ清須に信秀様、小牧山に吉殿、末森には次弟の勘十郎殿が入っている。安祥には信広殿が入って三河と尾張を繋ぐ。吉殿の兄弟も優秀なのだ。織田の家督を継いでもやっていけるだろう。ただし、尾張下半国の奉行である弾正忠家の当主としてという意味だ。天下の主としてではない。


 いったん信秀様の居室を辞去し、客間に入る。保長の配下が身辺を警護しており、吉殿の指示で滝川衆が尾張国内の情報を洗いなおしている。このたびの騒ぎで怪しい動きをした者はいないか。

 犬山の信清が東美濃の遠山氏と繋ぎを取っていたとの報が上がった。同時に那古野に入れてある林佐渡が怪しい動きを見せていた。犬山と繋ぎを持っているようだ。

 遠山氏は信濃ともつながりがある。信濃の南半分はすでに武田の支配下にはいりつつあり、北信で村上らの豪族連合と戦いを繰り返しているので、美濃に出てくるほどの余力があるとは考えにくい。

 しかしながら、後方を気にすることなく出撃できるメリットはあるのだろう。


 勝幡の信光殿は小牧から引き抜かれた兵を補うように動いたそうだ。伊勢守家は再び分裂状態で、一部は静観し、さらに一部は犬山との繋ぎを取っている節がある。

 ひとまず喜六郎を清須に残し、安祥の信広殿に繋ぎを取った。岡崎の兵を安祥周辺に散開させることを伝える。合図があれば兵は数名から場合によっては単独で行動させ、決まった日時に決まった場所に集結する。彼らは小牧で織田の訓練を受けたことがある。であれば、小牧への集結は何とかなるだろう。


「えーっと、ね。あの信秀さん? 多分胃をやってるわね」

「やはりか」

「お酒をやめさせて漢方の薬膳漬けにしましょう」

「いいねえ。というかお主もわかる口か」

「ええ。けど蔵人の殿は私の守備範囲外なのでよろしくね?」

「ふん、俺にはお市がいるのだ!」

 彩と信秀様の治療プランを練る。津島や熱田には様々な産物が入ってきている。その中には漢方の材料もあった。土田御前やお市ほかの子息たちを巻き込んで行く。尾張一国の守護代として、もはや前線に立つ身ではない。それこそ長生きしてもらって吉殿を後見してもらわねば困る。

 家督相続のための内輪もめなどしている暇はないのだ。


「親父。今日は話があってきた」

「おう、なんじゃ?」

「酒をやめてもらう。そしてこれからは竹千代じゃなく、蔵人の差配した料理のみを食べてもらう」

「……何を言うておる?」

「このままでは親父殿は持って数年らしい。だがな、俺には立ち止まっている時間は無い。故に、親父殿には強制的にでも長生きしてもらう」

「何を言っておるのかわからぬ。確かに儂はちと伏せっておるが、数年?」

 さすがにキョトンとしているが、ここで退いてはいけない。この人は未だ吉殿に必要だ。

「このまま放置すれば胃の腑が破れてものが食べられなくなります。それでも生きていられると思いか?」

「なんじゃと!?」

 さすがに血相を変えて食いついてきた。

「此度は血を吐いて倒れられたと聞きます。なれば胃の腑が傷ついておると思われます。ほかには……」

 いくつかの問診を行う。ほか台所番から普段食べているものを聞き出してあった。高血圧もあるな。

 様々な治療プランが脳裏を巡り、それを実現すべく手を打っていった。


「竹千代殿! 父は、父上はどうなるのじゃ!?」

 勘十郎君が俺を引き留めてきた。目に涙が浮かんでいる。なんだかんだでこの人も家族思いの人だ。

「今は少し体の調子を崩されております、が。必ず治します!」

「……頼む。父と、兄の力になってやってくれ」

「無論です。今の私があるのは信秀様と吉殿の力あってこそですからね」

「ありがとう、ありがとう…‥」

 勘十郎殿の後ろから権六殿が頭を下げている。そういえば鍾馗髭をやめて、まっすぐに伸ばすようにしているようだ。油で必死に撫でつけているようで。それと身だしなみにも気を遣うようになったようだ。おつや殿からコテンパンにされたとかなんとか。

 そういえば、おつや殿も懐妊したそうだ。柴田の血を引く子供か。楽しみなことだ。


 料理は思った以上にうまいと思ってもらえたようだ。酒も飲めずかなりの我慢を強いられると思っていたこともあり、若干拍子抜けしているようである。我慢する食生活が続くわけがないし、そんな治療は早晩破たんする。

 というか体力を取り戻すために仕込んだ淫羊角が効きすぎたようだ。なぜか土田御前が懐妊していた。吉殿は非常に複雑な顔をしていた。

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